㊟成均館スキャンダルの登場人物による創作です。
ご注意ください。
けが人が時折痛みと熱の不快感にうなされる声だけがひびく診察室で、ジェシンはぼうっと天井を見上げていた。額に置かれたタオルの変え時などわからねえな、と思っていたが、痛みのために体や頭をどうしても動かしてしまうせいでタオルなどすぐに滑り落ちる。その度に軽く水に浸して乗せ換えてやることで、一応看病の態にはなっていただろう。
ヒロポンが効いていたとき、このけが人はへらへらと機嫌よく身の上話を述べていた。出稼ぎに来ている、金を稼ぐんだ、と意気軒昂だった。小さな山村で、わずかな畑しか持たないから、力仕事に出稼ぎに出ることで現金を稼いで家族を養っている。戦争時は無料奉仕みたいな仕事ばかりか、近隣の払いの少ない仕事しかなかったが、ソウルでの仕事は賃金が高いと聞いて、何年か稼ぐつもりで家族を置いてきた。実際稼ぐ金は今までとはけた違いで、仕事を選ばずに休みもせず働いているおかげで、数か月に一度はまとまった金を送ることが出来ている。もう少し頑張っておきたいんだ、足がなくならなくてよかった。そんな事をペラペラとしゃべったおかげで、この男の稼ぎを待つ家族というのが、年老いた両親と、男の妻、男女二人ずつの子ども、という構成なのも知ってしまった。今は芋虫のように体を丸めて高熱と傷口の痛みに耐えている。同一人物とは思えない代わり身だ。
そりゃ、あんな覚醒効果のある薬なら欲しがる人が多いだろうな、と家にいる母を思った。もし母が長男を戦争で亡くした後、弱っていた時にこの薬を知ってしまっていたら、きっと依存することになっていただろう。気鬱になりつつある家族を見ているのは、周りのものも辛いものだ。何をしてやったらいいのかわからないからだ。その気が腫れる薬があるなら、どうか処方してやってほしい、と願っただろう。
けれど、同時に、その薬が切れたらどうなるか。その見本が今ジェシンの目の前に転がっている。ここの医師は偉い、と思う。依存があるものは極力抑える、という事で、痛みの緩和は局所の鎮痛にとどめ、化膿させないためのペニシリンと鎮痛剤以外は継続使用を見合わせたのだ。使った方がよほど楽だろう。本人も、医師も、そして看病する周りの人間も。だが、その一時の楽で薬への依存が強まってはならないと判断したのか、患者の自己回復力があると踏んだのか、ヒロポンの二回目の使用はしなかった。
時折夜の世界の入り口を覗くことがあったジェシンには、あの、気分を軽くさせる薬が必要な人がいるだろうとなんとなくわかるのだ。仕方がなく、親の借金のため、親を失ったため、素行の悪さから世間に受け入れられなかった行きつく先だったため、という人が多い。目をそむけたくなるような今の自分と過去の自分を忘れて、明るく、幸せな気分になれるのなら、と思うのだろう。聞いた話では、売春商売にいる男女は、客が女へ、女が客へそういう薬を勧めて気分を盛り上げることもあるのだという。下世話な話だけど、と教えてくれる悪い大人は何人もいた。大人になり切れない10代の少年をからかう気も合ったのだろう。おかげさまで知識だけは中々に耳年増になっているのは自覚がある。
また男が唸った。いてえよな、あんなに血が噴き出たんだ。治療の場にいたからこそ、このけが人に同情する気持ちは本物だった。ちょっと蹴られたけれど仕方がない。今も痛みにうめく姿があるのだから。
そう思いながらタオルを拾い、ちゃぷちゃぷと水にくぐらせた。何度も布をくぐらせたから嵩が減っている。汗も洗い落としてるだろう、と水を替えてやることにした。額にタオルを載せてやり、洗面器を持って裏口のある小さな台所のような部屋に向かった。ジェシンが分かる水場はそこしかない。自分の家ではないのだから。かちゃり、と扉を開け、診察室から漏れ出る淡い灯だけでタンクから水を入れようとしたその時、ガチャガチャ、と裏口のドアが揺れた。
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