あらゆる可能性にしなやかに挑戦。進化する冨永愛
世界を舞台に活躍を続けるトップモデルの冨永愛。今年7月、12年ぶりにパリ・オートクチュールコレクションのランウェイを歩き、注目を集めた。さらに、モデルのセカンドキャリアを支援する会社を設立した。モデルという枠にとらわれることなく活動の場を広げ、歳を重ねるごとにあらゆる垣根を飛び越える。さまざまな可能性に挑戦する姿は、男女や年齢を問わず多くの人を魅了している。冨永を突き動かすものは何なのか。心のうちを聞いた。
パリ・オートクチュールコレクション初日の7月3日、2023-24年秋冬の作品を披露する「スキャパレリ」のショーが開催された。冨永は巨大な甲冑のようなドレス姿でランウェイに登場。客席のゲストは一斉にスマホを掲げ、その様子を撮影した。
ドレスの重さはなんと30キロ。しかも足元はピンヒールだ。
「フィッティングの時には、このドレスを4、5人で抱えて持ってきました。着た瞬間にずっしり重い。35キロのデッドリフト(ウェートトレーニングの一種)で鍛えていなかったら、このドレスを着てピンヒールで階段を上るなんて無理だったでしょう。日頃のトレーニングのたまものです」
オートクチュールもプレタポルテもあるパリのファッションウィークは世界のモードの頂点であり、冨永にとっても特別な場所だ。
「オートクチュールは緊張感も高揚感も違う。やりがいがあります。そのランウェイを歩くことは、自分がモデルなんだと言える証し」。そしてこう付け加えた。
「20年前だったら、アジア人で、しかもこの年齢でランウェイを歩いた人はいない。多様性の時代だからこそ、そこには大きな意味があると思います」
15歳でモデルになり、17歳で海外デビューを果たしたが、自分自身をモデルとしてどう見せるかだけでなく、モデルという仕事のあり方も考え続けてきた。
そう思うようになったきっかけは、海外の仕事場で目にした光景だ。若ければ若いほどいいという価値観が根強く、13歳でモデルをしている子もいた。はやり廃りはしょうがない。売れなければ消えていくのも致し方ない。そして、年齢を重ねるごとに実績がある人が消えていく。そうした状況で、消費されるだけのモデルのキャリアや人生に疑問を抱くようになったという。