『らんまん』万太郎まんたろうなんだってがる “このさきのこすべきたから”をえがいた意義いぎ

『らんまん』何度だって立ち上がる万太郎

 大正たいしょう12ねん(1923ねん)9がつ1にち関東大震災かんとうだいしんさい発生はっせい

 東京とうきょう市内しない各所かくしょこった火災かさい巨大きょだいほのおうずし、その被害ひがい全焼ぜんしょう家屋かおく30まん死者ししゃは10まんにんえた。『らんまん』(NHK総合そうごうだい124にて、万太郎まんたろう神木しぼく隆之たかゆきかい)たちは根津ねづから、待合まちあい茶屋ちゃや「やまもも」のある渋谷しぶやへとうつる。

 東京とうきょう地震じしん発生はっせいから火災かさいだけでなく、「自警じけいだん」がはじめていた。「略奪りゃくだつからまもる」ことを理由りゆう拳銃けんじゅう刃物はものまわす、それは暴徒ぼうと瓦礫がれき散乱さんらんする戦場せんじょうとなってしまっていた。東京とうきょう現状げんじょうを、無事ぶじだったひゃく松岡まつおか広大こうだい)、大喜だいぎ木村きむらかぜふとし)からく、万太郎まんたろう寿ことぶき恵子けいこ浜辺はまべ美波みなみ)、千歳ちとせ遠藤えんどうさくら)、千鶴ちづる本田ほんだのぞむゆい)、虎太郎とらたろうもりゆう)。それでも万太郎まんたろうは、長屋ながやのある根津ねづもどらなければいけない理由りゆうがあった。

 危険きけんかえりみずに標本ひょうほんまもろうとする万太郎まんたろうへの「標本ひょうほんなんかどうでもいいじゃない!」(千歳ちとせ)、さらに「植物しょくぶつどころじゃないんだよ!」(大喜だいぎ)という言葉ことば普通ふつうかんがえれば至極しごくとうであり、とらえようによっては家族かぞくにさえもそのかた理解りかいされなかったとえるが、万太郎まんたろうにとって標本ひょうほんいのちよりも大切たいせつなもの。事情じじょうらない荒谷あらや芹澤せりざわ興人こうじん)にとってみればそれは「くさ」かもしれないが、このさきのこすべきたからなのだ。万太郎まんたろうつぎ時代じだいきる虎太郎とらたろうに、「えちゅう場所ばしょまでかんでも、観察かんさつもできるし、外国がいこく交換こうかんもできる。標本ひょうほん世界中せかいじゅうやくつことができる」と標本ひょうほんのこ意味いみく。その姿すがたはかつての池田いけだらんこう寺脇てらわき康文やすふみ)と万太郎まんたろうのようでもある。

 同時どうじに、標本ひょうほん寿ことぶき恵子けいこ約束やくそくした植物しょくぶつ図鑑ずかん完成かんせいというおおきなゆめつながる資料しりょうであり、2人ふたり一緒いっしょはしいてきた40年間ねんかん軌跡きせき渋谷しぶやへとかおうとする万太郎まんたろうきしめ、「わたしもいつじゃちおな気持きもちですから」と言葉ことばをかける寿恵子すえこ唯一ゆいいつ理解りかいしゃである。

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