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TOYOTA 2000GT | Webコラム「STORIES ト博モノ語り」 | アーカイブズ | トヨタ博物館
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T-TIME-収蔵しゅうぞうしゃ紹介しょうかい(No.98 Spring 2017)より

TOYOTA 2000GT

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トヨタ2000GT前期ぜんきがた しょもと

全長ぜんちょう 4175mm
全幅ぜんぷく 1600mm
ぜんこう 1160mm
(ボンドカー:1104mm)
ホイルベース 2330mm
エンジン 水冷すいれい直列ちょくれつ6気筒きとうDOHC
排気はいきりょう 1988cm3
最高さいこう出力しゅつりょく 110/150/6600(kW/PS/min-1

1963ねんからはじまった日本にっぽんグランプリ。トヨタは自己じこ成績せいせきかならずしも納得なっとくしてはいなかった。クラウンやコロナなどの乗用車じょうようしゃ生産せいさんする技術ぎじゅつだけでは、世界せかいみとめられることはむずかしい。そこで企画きかくされたのが、世界せかい通用つうようするグラン・ツーリスモ、GTカーだった。組織そしきによる総合そうごうりょくでクルマをしていく通常つうじょうのプロジェクトとはちがい、2000GTのプロジェクトは、少数しょうすう精鋭せいえいのスタッフでおこなわれることになった。プロジェクトコードは、「280A」。プロジェクトリーダーの河野こうの二郎じろう、デザインの野崎のさきたとえ、エンジンの高木たかぎえいただし、シャシーの山崎やまざき進一しんいちというメンバーがえらばれた。

2000GTは、ヤマハ発動機やまははつどうき協力きょうりょく開発かいはつされた。オートバイの分野ぶんやではすで世界せかいてきなメーカーとなっていたヤマハ発動機やまははつどうきは、以前いぜん日産にっさんとのGTカー開発かいはつのプロジェクトが頓挫とんざした過去かこがあった。当時とうじ川上かわかみ社長しゃちょうがトヨタにたいし、共同きょうどう開発かいはつ相談そうだんたのが発端ほったんとなって、偶然ぐうぜんにもGTカーを計画けいかくしていたトヨタとむことになった。それが、1964ねんあきはなし

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トヨタのコアスタッフはヤマハに常駐じょうちゅうし、ヤマハのスタッフととも製作せいさくんでいく。試作しさくだい1ごう完成かんせいしたのが、1965ねん8がつ通常つうじょうのプロジェクトではかんがえられないスピードかんで、2000GTはかたちになっていった。少数しょうすう精鋭せいえい進行しんこうするプロジェクトのメリットを最大限さいだいげんかし、さらに2ヶ月かげつの10がつには、モーターショーで試作しさく2号車ごうしゃ展示てんじしている。そして、1967ねん5がつ発売はつばいのために、性能せいのう熟成じゅくせいおこなわれていく。

世界せかい通用つうようする本格ほんかくてきGTであることを実証じっしょうするために必要ひつようだったのが、クルマの性能せいのう世界せかいしめ実績じっせきだった。そのため1966ねん10がつ1にちから3日間にちかんわたって、スピードトライアルを実施じっしする。6あいだ、12あいだ、24あいだ、48あいだ、72あいだ走行そうこう平均へいきん速度そくどや、1000マイル、5000マイル、10000マイルでの平均へいきん速度そくどなどが、トライアルの種目しゅもくだった。3世界せかい記録きろくと、1500〜2000CCのEクラスない国際こくさい記録きろくを13樹立じゅりつすることに成功せいこうしている。

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もうひとつ、2000GTのおおきくひろめたのが、映画えいが『007はぬ』で使用しようされたことだった。当時とうじ爆発ばくはつてき人気にんきはくしていた007シリーズがはじめて日本にっぽん撮影さつえいされることになり、2000GTは、ボンドカーとして使つかわれることになった。正確せいかくには、ジェームズ・ボンドの愛車あいしゃとしてではなく、日本にっぽん諜報ちょうほう機関きかんのクルマとして、ボンドをたすける“アキ”という女性じょせいっていたクルマ。撮影さつえいは、1966ねん9がつおこなわれたが、撮影さつえい準備じゅんび期間きかん非常ひじょうみじかく、トヨタがわはルーフトップをったようなタルガトップを提案ていあんするが、俳優はいゆうかお撮影さつえいしやすくするために制作せいさくがわはオープンカーを要望ようぼうした。ルーフ撤去てっきょ形状けいじょうバランスをかんがえて原形げんけいより25㎜ほどひくく、さらにカメラワークのためにはずしきとしたアクリルせいのウィンドシールドも新造しんぞうされた。製作せいさく期間きかんは、たった2週間しゅうかんだった。映画えいが封切ふうきりは、1967ねん6がつ。2000GT発売はつばいから1ヶ月かげつだった。

2000GTには、当時とうじ最先端さいせんたん技術ぎじゅつめられている。サスペンションは、前後ぜんごともにダブル・ウィッシュボーンが採用さいようされ、操縦そうじゅうせい心地ごこち担保たんぽし、ステアリング機構きこうはラック・アンド・ピニオンしき、エンジンはヤマハの技術ぎじゅつりょく結集けっしゅうして、クラウンようのMがたエンジンをベースにDOHCされた。当時とうじ一般いっぱんてき乗用車じょうようしゃが50馬力ばりきほどだったのにたいし、2000 GTは150馬力ばりきほこった。1970ねん生産せいさん中止ちゅうし月産げっさん最大さいだいで14だいすくないときには10だい以下いか、ほとんど手作てづくりともえる生産せいさんだった。現在げんざいトヨタ博物館はくぶつかんには、ボンドカーをふくめた、5だい収蔵しゅうぞうされている。

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写真しゃしんひだりから

TOYOTA 2000GT “Speed Trial”, 1966 (Replica)

実際じっさいのトライアル車両しゃりょうは、その様々さまざまなテストに使用しようされたのち廃車はいしゃされのこされていない。この車両しゃりょうはSports Car Club of America主催しゅさいのレースに出場しゅつじょうするためにアメリカにはこんだ3だいのうち1だいかえり、スピードトライアル仕様しようつくえたもの。フロントまわり、フェンダーなどが、当時とうじ車両しゃりょうとは微妙びみょうことなる。

TOYOTA 2000GT The“Bond Car”, 1966

ボンドカー。撮影さつえいのために2だい用意よういされたうちの1だいである。アメリカでの販売はんばい促進そくしん使つかわれたのち、ハワイにかれているのをトヨタ社員しゃいん発見はっけんされ、日本にっぽんかえられた。ルーフがカットされたほか、トランクをふく後部こうぶなど、おおくの箇所かしょ撮影さつえいのために新造しんぞうされている。内装ないそうについては市販しはんしゃ状態じょうたいもどされている。

TOYOTA 2000GT Model MF10L, 1967 Early Model, LHD

実際じっさい発売はつばいされた前期ぜんきがた。ヘッドランプは地上ちじょうからのたかさをたもつためにリトラクタブルタイプが採用さいようされ、うつくしいフロント・ノーズを実現じつげんしている。内装ないそうは、ヤマハせいのウッドステアリングなど、高級こうきゅうかんあふれる仕様しようだった。ボディカラーは、ペガサスホワイト、ソーラーレッド、サンダーシルバーメタリックの3しょくだった。

TOYOTA 2000GT Model MF10, 1969 Late Model

1969ねん8がつにマイナーチェンジした後期こうきがた座席ざせきにはヘッドレストがき、クーラーが採用さいようされたほか、若干じゃっかん仕様しよう変更へんこうがある。前期ぜんき後期こうきだい詳細しょうさい見比みくらべるとわかるが、補助ほじょぜんあきらとうちいさくなり、特徴とくちょうてきな“かお”もわっている。くるまだかも10mmたかくなっている。ぜん後期こうきわせて337だい販売はんばいされた。

ぶん村岡むらおか俊也としや 写真しゃしん田村たむら孝介こうすけ

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