安らかなご永眠をお祈りいたします
【紙面から】
【10月】
野村耕三氏(作詞家、放送作家)肺がんのため死去 |
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野村耕三氏(のむら・こうぞう=作詞家、放送作家)15日午前3時39分、肺がんのため東京都世田谷区の病院で死去、72歳。東京都出身。自宅は世田谷区赤堤3の31の15。通夜は18日午後6時、葬儀・告別式は19日午前10時から、ともに渋谷区西原2の42の1、代々幡斎場で。喪主は妻成子(しげこ)さん。
代表作に「川」(北島三郎)「あばれ玄海」(天童よしみ)など。また映画脚本やNHK「昼のプレゼント」の演出・構成なども手掛けた。
岩佐凱実氏(元富士銀行頭取、元経済同友会代表幹事)肺炎のため死去 |
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岩佐凱実氏(いわさ・よしざね=元富士銀行頭取、元経済同友会代表幹事)14日午前9時50分、肺炎のため東京都中央区の病院で死去、95歳。密葬は近親者だけで執り行う。富士銀行主催のお別れの会は11月12日に東京都港区虎ノ門2の10の4、ホテルオークラで。時間は未定。
柴田敏行氏(演出家)肺がんのため死去 |
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柴田敏行氏(しばた・としゆき=演出家、本名=修作)14日、肺がんのため死去。68歳。通夜は16日午後6時から、葬儀・告別式は17日午前11時から、東京都練馬区豊玉北2の8の7、豊玉ホールで。喪主は妻靖子さん。自宅は西東京市ひばりが丘2の7の12の202。日本テレビ「火曜サスペンス劇場」「木曜ゴールデンドラマ」やVシネマの演出、脚本を手掛けた。
俊藤浩滋(映画プロデューサー)肝不全のため死去 |
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東映の任侠(きょう)映画の生みの親で、女優富司純子(55)の父でもある映画プロデューサー俊藤浩滋(しゅんどう・こうじ)さん(本名・博=ひろし)が12日午前0時25分、肝不全のため死去した。84歳だった。39年間の映画人生で289本の映画をプロデュースした。60年代に「緋牡丹博徒」「新網走番外地」「仁義なき戦い」などシリーズ映画を次々とヒットさせ、鶴田浩二さん(享年62)高倉健(70)ら数々の映画スターを育てた。来年公開予定の「修羅の群れ」が遺作となった。この日夜、高倉らが弔問に訪れた。
高橋辰夫氏(元衆院議員)急性心不全のため死去 |
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高橋辰夫氏(たかはし・たつお=元衆院議員)11日午前4時55分、急性心不全のため札幌市内の病院で死去、72歳。北海道出身。自宅は北海道苫小牧市日新町6の9の24。葬儀・告別式は27日午前11時から苫小牧市白金町2の4の3、デージーフラワー苫小牧市民ホールで。葬儀委員長は森喜朗前首相。喪主は妻睦(むつみ)さん。
79年の衆院選旧北海道4区に自民党から出馬して初当選した。当選5回。厚生政務次官、北海道開発政務次官、衆院法務委員長などを歴任、96年の衆院選に落選後、引退。橋本聖子参院議員の義兄。
秋野不矩さん(日本画家、文化勲章受章者)心不全のため死去 |
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秋野不矩さん(あきの・ふく=日本画家、文化勲章受章者、本名ふく)11日午前11時27分、心不全のため京都府美山町和泉宝天頭70の自宅で死去、93歳。静岡県出身。葬儀・告別式は30日午後1時から、京都市左京区岡崎天王町26の岡崎別院で。喪主は長男癸巨矢(きくし)氏。
静岡県女子師範を卒業後、京都で日本画を学ぶ。48年、上村松篁(しょうこう)さんらと「創造美術」を結成、新日本画の運動を起こす。62年、インドの大学に客員教授として招かれ、インドを主題にした作品を発表。代表作にガンジス川を描いた「ガンガー」のほか「紅裳」「少年群像」など。99年に文化勲章受章。
稲葉幸夫氏(元中央競馬調教師)老衰ため死去 |
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元中央競馬調教師の稲葉幸夫(いなば・ゆきお)氏が7日午後3時50分、老衰のため都内の病院で死去した。93歳だった。通夜は12日午後6時から、葬儀・告別式は13日午前11時から、いずれも東京都府中市浅間町1の3、府中の森市民聖苑第3式場で。喪主は妻立子(りつこ)さん。自宅は東京都府中市清水ケ丘2の22の3。
北海道生まれ。1928年(昭和3年)に騎手となり、38年、JRA前身の日本競馬会が設立され、調教師の認可を受ける。騎手との兼業を例外で許され、44年まで兼務した。
41年に自ら騎乗したテツバンザイでオークスに優勝。ヤマトキヨウダイ(64年天皇賞・秋、有馬記念)タケホープ(73年ダービー、菊花賞、74年天皇賞・春)を育て、ナスノチグサ、テンモンなどでオークスを5勝した。日本調教師会では副会長、関東本部長を務めた。通算1451勝(日本競馬会、国営競馬を含む)うち重賞50勝。89年2月28日に調教師を引退した。長男の隆一氏は調教師。
広川サツさん(元新潟放送ラジオディスクジョッキー)脳こうそくのため死去 |
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広川サツさん(ひろかわ・さつ=元新潟放送ラジオディスクジョッキー)2日午後3時35分、脳こうそくのため新潟市の特別養護老人ホームで死去、100歳。新潟県出身。自宅は新潟市小針2の16の32。葬儀・告別式は4日午前9時から新潟市青山8の4の15、セレモニーホール青山会堂で。喪主は三男の妻広川ヒサさん。73年から97年まで新潟放送のラジオ番組に出演。最高齢ディスクジョッキーとして全国のテレビや雑誌にも紹介された。
橋本輝雄氏(元中央競馬調教師)病気療養中に死去 |
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橋本輝雄氏(はしもと・てるお=元中央競馬調教師、日本調教師会元副会長、元関東本部長)病気療養中のところ1日午後10時40分、東京医科大霞ケ浦病院で死去。86歳。国営競馬騎手を経て53年10月から調教師。アカネテンリュウ(69年菊花賞ほか)、メリーナイス(87年ダービーほか)や中山大障害4連覇(63年秋〜65年春)のフジノオーなどを育て、通算945勝(国営含む。うち重賞30勝)を挙げた。
通夜は今日3日午後6時から、葬儀・告別式(日本調教師会葬)は4日午後1時から、いずれも茨城県稲敷郡美浦村大字美駒2500の2、美浦トレーニングセンター厚生会館分館で。喪主は妻とき恵(ときえ)さん。自宅は同稲敷郡美浦村大字信太2816の9。
古今亭志ん朝さん(落語家)肝臓がんのため死去 |
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古典落語の名手として活躍した落語家の古今亭志ん朝さん(ここんてい・しんちょう、本名美濃部強次=みのべ・きょうじ)が1日午前10時50分、肝臓がんのため都内の自宅で死去した。63歳だった。今年8月に病院で検査を受け、末期の肝臓がんと診断された。名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男として生まれ、サラブレッドとして注目された。テレビやラジオでも活躍する一方、寄席の高座や独演会にこだわり続けた。30代からささやかれ続けた6代目志ん生の名跡襲名は、実現しなかった。
【9月】
猪熊功さん(東京五輪柔道重量級金メダリスト、東海建設社長)死去 |
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1964年東京五輪の柔道重量級金メダリストの猪熊功(いのくま・いさお)さん(東海建設社長)が、腹部などを刃物で刺して死亡していたことが29日、分かった。63歳だった。28日午後7時すぎ、東京都新宿区内の同社社長室で血を流して倒れているのを社員に発見された。遺書があったことから、警視庁新宿署は自殺とみている。猪熊さんは小柄ながら、一本背負いなど多彩な技で一時代を築き、柔道が初めて五輪競技になった東京五輪で頂点に立った。
惟村啓視氏(元巨人、近鉄外野手)肺こうそくのため死去 |
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惟村啓視氏(これむら・けいし=元巨人、近鉄外野手、旧姓十時=ととき)27日午後6時36分、肺こうそくのため川崎市川崎区の病院で死去、65歳。山口県出身。自宅は東京都大田区千鳥1の2の21。葬儀・告別式の日取りなどは未定。
中岡俊哉氏(作家、心霊現象研究家)胃がんのため死去 |
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中岡俊哉氏(なかおか・としや=作家、心霊現象研究家、本名岡本俊雄=おかもと・としお)24日午前0時40分、胃がんのため東京都立川市の病院で死去、74歳。東京都出身。自宅は立川市羽衣町2の2の11。葬儀・告別式は27日午前11時から立川市富士見町6の36の27、立川メモリアルホールで。喪主は長男岡本政之(まさゆき)氏。「テレパシー入門」「ハンド・パワーの秘密」など著書多数。
横光晃氏(脚本家、日本放送作家協会理事)すい臓がんのため死去 |
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横光晃氏(よこみつ・あきら=脚本家、日本放送作家協会理事、本名・山根富男=やまね・とみお)15日午前10時、すい臓がんのため東京都新宿区の病院で死去、71歳。札幌市出身。自宅は東京都港区三田5の2の18の1221。葬儀・告別式は19日に近親者のみで済ませた。喪主は妻喜美子(きみこ)さん。
ラジオドラマ「アドルフに告ぐ」(ギャラクシー大賞受賞)のほか、テレビドラマ「オランダおいね」など多数の脚本を手掛けた。98年に紫綬褒章を受章。
米森麻美さん(元日本テレビアナウンサー)死去 |
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日本テレビの人気アナウンサーだった米森麻美さん(よねもり・まみ、本名・鈴木麻美)が急死していたことが18日、分かった。34歳。数日前、親族が都内の自宅を訪ねたところ、米森さんが亡くなっているのが見つかった。夫はロンドン滞在中だった。米森さんは94年に結婚して同局を退社、今年8月に第1子を出産したばかりだった。
菊原初子さん(地歌箏曲演奏家)肺炎のため死去 |
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邦楽界最長老で、地歌箏曲演奏家の人間国宝、菊原初子(きくはら・はつこ)さん(本名布原初=ぬのはら・はつ)が12日午後10時35分、肺炎のため大阪市天王寺区の病院で死去した。102歳。大阪市出身。自宅は大阪市天王寺区上之宮町6の12。葬儀・告別式は15日午前11時半から大阪市北区天神橋4の6の39、公益社会館天神橋で。喪主は長男布原慶四郎(けいしろう)氏。
谷崎潤一郎の地歌の師匠だった菊原琴治氏の長女。地歌は江戸時代初期、人々の喜怒哀楽を入れたはやり歌に、三味線と琴の伴奏を付けて生まれた。谷崎は、目の不自由だった父親の世話をする菊原さんの姿を見て、名作「春琴抄」のヒントにしたといわれている。
鏡味仙之助氏(太神楽曲芸師)胃がんのため死去 |
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鏡味仙之助氏(かがみ・せんのすけ=太神楽曲芸師、本名山原澄=やまはら・きよし)12日午前5時32分、胃がんのため東京都豊島区の病院で死去、52歳。東京都出身。自宅は東京都台東区根岸2の2の12。通夜は17日午後6時、葬儀・告別式は18日午前11時から、ともに荒川区町屋1の23の4、町屋斎場で。葬儀委員長は太神楽曲芸協会の翁家喜楽会長。喪主は妻美恵子(みえこ)さん。
鏡味仙三郎とコンビを組み、78年に芸術祭優秀賞を受賞、80年に東京都無形文化財に指定された。
徳岡久美栄氏(テレビ東京編成局番組情報部参事)が死去 |
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徳岡久美栄氏(とくおか・くみえ=テレビ東京編成局番組情報部参事)12日未明に死去、53歳。東京都出身。通夜は17日午後6時、葬儀・告別式は18日午前10時から、ともに東京都品川区西五反田5の32の20、桐ケ谷斎場で。喪主は弟藤岡博行(ひろゆき)さん。
橘家文蔵さん(落語家)心不全のため死去 |
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江戸っ子らしいきっちりとした口調に定評のあった落語家、橘家文蔵(たちばなや・ぶんぞう)さん(本名・井白清一=いしろ・せいいち)が10日午前9時52分、心不全のため都内の病院で死去した。62歳。自宅は東京都豊島区南大塚1の31の12。葬儀・告別式は12日正午から東京都中野区上高田5の18の3の光徳院で。喪主は妻千恵子(ちえこ)さん。
文蔵さんは55年8代目林家正蔵(彦六)門下となり、68年真打ちになった。得意ネタは「井戸の茶碗」など。今月23日に上野・鈴本演芸場で行われる、たった1人の弟子文吾改め橘家文左衛門(39)の真打ち昇進披露公演に師匠として並ぶのを楽しみにしていたが、かなわなかった。
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