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漢川草廬-二十四史-舊唐書-卷一百三十九‧列傳第八十九
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きゅうとうしょ   まきいちひゃくさんじゅうきゅう列傳れつでんだいはちじゅうきゅう  りくにえ


りくにえけい輿こし蘇州そしゅうよしみ興人こうじんちちただし,溧陽れい,以贄とうとおくれい尚書しょうしょにえしょう特立とくりつぐん, 頗勤儒學じゅがくとしじゅうはちとう進士しんしだい,以博がくひろしとう,授華しゅうていけんじょうやめ秩,ひがし歸省きせいははみちよし ことぶきしゅう刺史ししちょう鎰有めいにえ往謁。鎰初甚知,とめさんにちさい與語よごとげだいしょうしょう,請結 忘年ぼうねんちぎり。及辭,のこにえぜにひゃくまん,曰:「ねがい備太夫人ふじんいちにちぜん。」にえ不納ふのうただ新茶しんちゃいちくし 而已,曰:「敢不承ぶしょうくん厚意こうい。」また以書ばん拔萃ばっすいせん授渭南縣みなみあがたぬし簿,遷監察御とくそうざい 東宮とうぐうにえめい,乃召ため翰林かんりん學士がくしてんほこら部員ぶいん外郎ういろうにえせいちゅう藎,すんできょちかみつかんじんおもじゅう おもえゆう以效むくいせいあるゆうかけ巨細きょさい必陳,ゆかり顧待えきあつ

けんちゅうよんねんしゅ泚謀ぎゃくしたがえさいわい奉天ほうてんどき天下でんか叛亂はんらんつとむはまゆだね徵發ちょうはつゆび蹤,せんはしまんいとぐちいち にち內,詔書しょうしょすうひゃくにえ揮翰起草きそうおもえ如泉ちゅうはつわかけい思慮しりょ既成きせいこれ,莫不きょくつき事情じじょうちゅう於機かい,胥吏簡札ひまどうしゃみなふく其能。てんこうこうろうちゅうぜんたかししょく。嘗啟とくむね曰:「 こんぬすめあまね天下でんか輿こし播遷,陛下へいかよろしいた引過,以感動かんどう人心じんしんむかしなり以罪おのれ勃興ぼっこうすわえあきら以善 げんふくこく陛下へいかまことのうしわあらため,以言しゃ天下でんか使つかいしょみことのりしん雖愚陋,以仰ふくせいじょう,庶 れいはんがわかわこころむかい。」とくむねしかこれ奉天ほうてんしょ下書したがきみことのり,雖武おっと悍卒,揮涕感激かんげきにえ所為しょい也。

其年ふゆよく以新とし改元かいげん,而卜しゅくながれみな國家こっかすうひゃくろく,凡事よろしゆう變革へんかく,以應時數じすううえいいにえ曰:「往年おうねん群臣ぐんしん請上尊號そんごうきよしかみ文武ふみたけよんこんえん寇難,諸事しょじなみむべあらためさら,眾欲 ちんきゅうごうちゅうさらいちりょう,其事なん如?」にえそう曰:「尊號そんごうきょうほん古制こせいくだり於安泰之やすゆきやめるいけんおきかさね乎喪らんときゆうきずごとたいいましゃ鑾輿播越,ふくみや闈,むねしゃふるえおどろきなお愆禋 まつちゅう梗,だい憝猶そん。此乃人情にんじょう向背こうはいあき天意てんい去就きょしゅうさい陛下へいかよろしふか懲勵,收攬しゅうらん ぐんこころいた貶損,以謝れい譴,不可ふかきんしたがえまつじゅうえき美名びめい。」みかど曰:「きょうしょそうひね,雖理たい 甚切,しか時運じうん必須ひっすしょうゆう改變かいへんまた不可ふかとどこおきょうさら思量しりょう。」にえ曰:「いにしえ人君じんくん稱號しょうごうあるしょう すめらぎしょうみかどあるしょうおうただしいち而已;いたり暴秦,乃兼皇帝こうてい後代こうだいいん,及昏へききみ,乃 ゆうせいりゅう天元てんげんこれごう知人ちじんぬし輕重けいちょう不在ふざい自稱じしょうたかし其號於徽猷,そん其名きず其德しか而損ゆうけんこう稽古けいこぜん崇之たかゆき矜能おさめ諂之そし得失とくしつ侔,居然きょぜんべんきょう今時いまどき遭迍 いなことぞくかたぶけ危,ゆうむべ懼思,以自貶抑。必也俯稽術數じゅっすう,須有變更へんこうあずか其增美稱びしょう而失人心じんしんわか黜舊ごう以祗てん戒。てん人事じんじ必相にんすんでこうけんてんまたじょじゅん陛下へいかまことのうだん宸 鑒,煥發かんぱつとくおん,引咎くだめいふかしめせこくせめ惟謙いけんあずかじゅん,一舉而二美從之。」とくむねしたがえこれただしあらため きょう元年がんねんごう而已。

はつとくむね倉皇そうこうこうぞう委棄いきしこりきよしこれさい眾多かんふくこれがいしゃく縑丈帛;及賊泚 かいかこえしょはんみつぐたてまつまましいたり,乃於奉天ほうてんゆきざい貯貢ぶつ於廊,仍題曰瓊りんだいみつるくらめいにえ諫曰 :

瓊林、だいみつる悉無其制,でんしょ耆舊せつみなうんそうひらきもとしんむさぼけんかざりたくみもとめこび,乃 ごと:「ぐん邑貢所用しょよう,盍各區分くぶんぜいとう於有,以給けいよう貢獻こうけんむべかえり於天,以奉 わたしもとめ。」げんそうえつしん蕩心とうしん侈欲,もえ柢於茲,迨乎しつくにおわり以餌寇。曰:「 貨悖而入,必悖而出。」あに其效歟!

陛下へいか嗣位はつつとむ遵理どうあつしぎょう儉約けんやく,斥遠むさぼ饕。雖內きゅうぞうかえりたい,而諸かたきょくけんじ不入ふにゅうきん闈,清風せいふう肅然しゅくぜんうみ內丕へんきん以寇ぎゃくらんつね,鑾輿外幸そとゆきすんでぞく危之うんよろしぞう儆 勵之まことしんさくたてまつ使つかい軍營ぐんえいけいこう殿どのゆるがせ睹右ろうした,牓列,戄然わかおどろき識所 以。何者なにものてん衢尚梗,たびかたいん痛心つうしん呻吟しんぎんこえ,噢咻いき忠勤ちゅうきんせん守之もりゆきこうしょう賚未ぎょう諸道しょどうみつぎめずらし,遽私べつまんもくしょ,孰能にんじょう?竊揣ぐんじょうあるなま觖望,ある忿形そし讟,ある みにく肆謳うたい,頗含思亂おもいみだれじょうまたゆう悔忠甿俗昏鄙,識昧だか卑,不可ふか以尊ごく臨, 而可以誠かん

ごろしゃろくはつくだひゃくぶつもうかそと兇徒きょうと,內防危堞,晝夜ちゅうやいき,殆將しゅんこおかつえ交侵, きずしょうまくら,畢命どうちから,竟夷だい艱。りょう以陛あつ其身,わたし其欲,ぜっあま以同そつ,輟食以 啗功勞こうろうもうせいじん而不攜,ふところ所感しょかん也;あつしょう而不怨,悉所也。いましゃ攻圍こういやめかいころも しょくやめゆたか,而謗讟方きょうぐんじょうやや沮,あに以勇おっとつねせい,嗜貨矜功,其患なんすんであずかこれ同憂どうゆう,而 こうらくあずかこれどう,苟異恬默,のう怨咨!此理つね不足ふそくかい曰:「ざいのりみん聚。 」あに其效歟!陛下へいか天資てんしえいきよしぜん必遷,しょう蓄怨ため銜恩,はんため至當しとう,促殄遺寇 ,えいたれおおとりめい大聖たいせいおうかたとう俟終

うえ嘉納かのうれい其題しょ

きょうもと元年がんねんふところこうこころざしやめもえよく激怒げきどしょぐん上表じょうひょうろんしょぐん衣糧いりょううすかみさく衣糧いりょうあつあつうすひとしなん以驅せんざいたわわ沮進ぐんあきら密奏みっそうおそれ其有へんうえゆうにえ使ふところこうぐんせんさとし使つかいかえにえそうごと曰:

ぞく泚稽誅,聚宮えんいきおいきゅう援絕,引日偷生。ふところこうそう仗順ぐんじょう制勝せいしょうつづみゆき芟翦 ,えきわか摧枯,而乃寇奔おいろう不用ふようしょそちごとよく進取しんしゅふところこう輒沮其謀。よりどころ事情じじょうこと 不可解ふかかい陛下へいかざいちょんまもる委曲いきょく聽從ちょうじゅうかん所為しょいまた未知みちかんわかべつためぶんまわしりゃくややそうせいただ姑息こそくもとめやすおわりこわへんなんはか。此誠ごと危迫あき也,不可ふか以尋つね容易よういしょ

こんあきら奏請そうせいうつりぐんてきぐうしん銜命せん慰,ふところこう偶論此事,しんとげ泛問しょむべふところこう乃云:「あきら すんでほっべつぎょうぼうまた不要ふよう藉。」しんなおおもんばかゆうこぼしくつがえいん其軍きょうもりふところこうだい矜誇,てんゆうけいあきら しんまた從容しょうようというん:「さくはつはなれゆきざいこれにち未知みちゆう商量しょうりょう今日きょうしたがえ此卻迴,あるこわ聖旨せいしとえこと可否かひ決定けっていなん如?」ふところこうやめ肆輕ごと不可ふかちゅうへんとげうん:「恩命おんめいもとことまたさまたげ 。」要約ようやく再三さいさん不詳ふしょうしん,雖欲つい悔,かたむずかしためふくもちそくあきら表出ひょうしゅつづけ中書ちゅうしょ,敕下そうべつたまものふところこうしゅみことのりしめせ以移ぐん事由じゆう。其手みことのり大意たいいうん:「さくとくあきらかなで,請移ぐん城東じょうとう以分ぞくぜいちんえん未知みち利害りがいほんよくきょう商量しょうりょうてきかいりくにえしたがえかれせん慰回,うんきょうろん敘軍じょう及於此, 仍言もとことまたさまたげとげ敕本ぐんまこと其所請。きょうむべ授以謀略ぼうりゃくふん夾攻,つとむ使つかいきょうひとしかつひら 寇孽。」如此婉而じきとう而明,雖蓄異端いたんなに由起ゆき怨?

しんはつたてまつ使つかい諭旨ゆしほんえんかてりょうひとし,偶屬うつりぐん事相じそう諧會。またこうふところこう詭對,且無阻絕げん機宜きぎあいなみわかゆうかそけさんいちしつ其便,なんおいこうたれさい察!

とくそうはつもちふところこうかいやぶぞくあきら屢奏うつりぐんもと;及贄縷陳るちんふところこうはんじょう,乃可あきらかなでとげうつりぐん ひがし渭橋。而鄜ぼう節度せつどけん徽、かみさくぎょう營陽めぐみもとなおざい咸陽,にえおもんばかふところこう并建徽等ぐんまたそう曰 :

ふところこうとうかんそく以獨せい兇寇,逗留とうりゅうすすむそもそもゆうよしところ患太きょうはたすけしゃまた あきらけん徽、めぐみもと三節度之眾附麗其營,無益むえき成功せいこう,祇憂せいごとなにそく?四軍懸壘, ぐんそちしんろん勢力せいりょくそく懸絕けんぜつだか卑,よりどころ職名しょくめいそくあいすべぞくふところこうけいあきらとうへいほろ,而忿其制 したがえしんあきらとううたぐふところこうやしなえ寇蓄かん,而怨其事りょうおのれ端居はしいそく互防そしよくせんそく遞恐ぶんこう,齟 齬不和ふわいや釁遂構,俾之どうしょ,必不兩全りょうぜん強者きょうしゃあくせき而後ほろび弱者じゃくしゃぜい危而さきくつがえくつがえほろびこれ ,翹足きゅう寇未ひらめしん患方おこりゆう歎所きりじつこらえやましこころふとしじょうしょう慝於もえ,其次すくい しつ於始ちょうきょう事情じじょうやめわざわいなんたれなり而不はかりごとなに以制らんあきらおもんばかへんさき請移ぐん 就東,けん徽、めぐみもといきおいてんじゃくため其吞噬,ざい必然ひつぜん他日たじつ有良ありらまたこわ不能ふのう拔, 拯其危急ききゅうただざい此時。こんいんあきら願行がんぎょう便びんごうぐんどう往,たくごとあきらへいもとしょうおもんばかためぞく泚所邀, 藉此りょうぐん迭為掎角,仍先諭旨ゆし密使みっし促裝,詔書しょうしょいたり營,即日そくじつ進路しんろふところこう雖不よくしかまた けいしょほどこせいい先人せんじんゆうだつひとしんやましかみなり及掩みみしゃ也。

おっとせいぐん馭將,ところたかじょう離合りごうやましじょかくゆうむべてきとうはなれしゃあいのり召亂,とうごうしゃはなれのり寡功 ,とうやまし而徐そくしつとうじょ而疾そくさくとく其要,ちぎり其時,しかこう無敗むはいはかりごと,措無危勢。而 いましゃたむろへい而不肯為よう,聚將而罔のうきょうこころためくじらさんしょううおへん在朝ざいちょうゆうとめ不足ふそく以相せい徒長とちょう 厲階;析之かくきおい於擅のうあるなりくん績。ことゆう必應,だんうたぐとくむね曰:「きょうこれしょりょうごくぜんしかあきらうつりぐんふところこうこころやめ惆悵,わかさらけん徽、めぐみもと就東,のり使ため。且俟しゅん。」あきらいたり ひがし渭橋,旬日じゅんじつふところこうはてだつりょう節度せつどへいけん單騎たんき遁而まぬかれめぐみもと中路なかじがいほういたり ぎょうざい人情にんじょうだいおそれ翌日よくじつうつりこう山南さんなんにえ練達れんたつへいりつ如此るい

がつしたがえこうやなしゅううたて諫議大夫たいふぜんたかし學士がくしさきおおとりしょう衙將すわえ琳乘涇師みだれころせぶし 使ちょう鎰,かえり款朱泚;及奉天ほうてんかいかこえすわえ琳遣使みつげたてまつかた艱阻,やめいのちためおおとりしょう節度せつど 使しかとくむね忿其弒逆,必不能ふのうよう,纔至かんちゅうよくれい渾瑊だいため節度せつどにえ諫曰:「すわえ琳之ざいかたよう誅,ただし以乘輿こしふくだい憝猶そん勤王きんのう,悉在畿內,きゅうせんそくつげ,晷刻そうしょうみね則道のりみちまが且遙,駱谷ふくためぞくしょ扼,僅通王命おうめいただざい褒斜,此路わかまた阻艱,南北なんぼく便びんなりへだた ぜっ。以諸鎮危疑いきおいきょ二逆誘脅之中,恟恟きょうきょうぐんじょうかくふところ向背こうはいぞく勝則かつのり往,わが勝則かつのりらい, 其間ごとよう跌。儻楚琳發憾,おおやけ肆猖きょうみなみふさが要衝ようしょうひがしのべきょ猾,のりわが咽喉いんこう梗而こころ 膂分矣,其勢あにやまい哉!」じょう釋然しゃくぜんひらけさとる,乃善まちすわえ琳使,ゆうみことのりやす慰其しんとくそういたるはりよく 以谷こうやめきたしたがえしんたまものごう曰「奉天ほうてんじょうなん功臣こうしん」,谷口たにぐちやめみなみずい扈者曰「もとしたがえ功臣こうしん」,せんあさかん 內官,いちれい俱賜。にえそう曰「やぶぞく扞難,武臣ぶしんこういたり如宮闈近侍きんじはんれついん僚,ただし馳走ちそうしたがえ くだり而已,ゆるがせあずかかいかぶと奮命,俱號功臣こうしんふくおそれ武臣ぶしんいきどお惋。」乃止。

あきらすんでおさむきょうじょうちゅう使つかいせんづけ翰林院かんりんいんろくさきしつ宮人みやびと名字みょうじれいくさみことのりたまもの渾瑊,奉天ほうてんひろおとずれ ,以得ためげん,仍量あずかかておく赴行ざいにえ不時ふじたてまつみことのりしんじょうろん曰:

ころ以理どう乖錯,わざわいらんこも鍾,陛下へいかおもえとがめ懼災,裕人ひろとざいおのれ,屢降だいごうちかいしょう更新こうしん天下てんかこれにんたれ涕相,懲忿しゃく怨,煦仁戴明,畢力同心どうしんともひらた多難たなんとめくずし於絕がんおさむばんとろけ於橫 りゅう,殄寇清都きよとしつ舊物きゅうぶつじつよし陛下へいか至誠しせいどう於天ふか悔感於神じんとく百靈降康,ちょう 庶歸とく。苟不如此,いにしえなん嘗有捐棄みや闕,しつもりむね祧,まましぎゃく於赴なんさい遷於蒙塵もうじん にち踰半とし,而復興ふっこうだい業者ぎょうしゃ乎!

こん渠魁きょかいはじめひらめほうはたかえしきん郊甸,とおしゅう寰瀛,百役疲瘵之甿,じゅう戰傷せんしょうざんこれそつみなにん 扶病,かたぶけみみそびえかたそう聞德ごえ翹望ぎょうぼうせいさわ陛下へいかかたとうかん上天じょうてん悔禍眷,れつたれ裕之ひろゆききゅうねん將士しょうしほこさき殃,愍黎もと塗炭とたんこく。以致寇為戒,以居じょうため危,以務ためゆう,以復みやため きゅうそんまたそこねなお懼汰侈之えきしげる;艱之おもんみ艱,なお戒慎かいしんなんひさはかりごとはじめつきぜんかつおわりやめまれはじめ而不はかりごとおわりそくなんゆうおっと以內人為じんいごうぶたちゅう壼末りゅう天子てんしみこと富有ふゆうみやわき,如此とうやからかたしげゆうただしおそれきずあにとぼし使つかい。翦除もとあく,曾未浹辰,奔賀往來おうらいみち如織,なに君德くんとくしゅおとずれ婦人ふじんまたれいそうそく赴行ざいまんもく閱視,眾口流傳りゅうでんこわ所以ゆえんこたえ慶賴よしよりこれこころふくおもんみしんもち也。

おっとごとゆう先後せんごゆうじゅうけいじゅうしゃむべさきけいしゃよろしのちたけおうかついん有未ゆみ下車げしゃ而為これしゃゆう しゃ而為これしゃぶた其不しつ先後せんごむべ也。みどりはな播越,まんせい靡依,きよしびょうふるえおどろきさんとぼしまつ當今とうぎんしょつとむ莫大ばくだい於斯。まことよろしはや大臣だいじんはせでんさき往,むかいふく神主かんぬし修整しゅうせい郊壇,てん禋享申告しんこくしゃしかこうちょう恤死よし,慰犒有功ゆうこう,綏輯はじむふけゆうとい耆耋,安定あんていはんがわひろしなだめおびえしたがえせんとおるうつ堙,褒獎忠直ただなおかん失職しっしょくふく廢業はいぎょうこれにんみなむべさき不可ふか也。いたり如崇かざりふくつくろえ緝殿だい,備耳娛,せんはばぐしさむらいみなよろしのち不可ふかさき也。

しつ內人,やめけい累月るいげつすんでとうはなれらんさい,必為將士しょうししょわたし。其人わかややゆうもとめとうひねけんじ; 其人わか甚無識,もとめてき使ゆうおそれいん寇亂ほろび,頗有だい於此しゃいち搜索そうさくふところ懼必あまり孽尚しげるぐんじょういちいん而善なでなおおそれ危疑,わかまた懼之,於何ゆうむかしじん所以ゆえん掩絕えいいんぬすめしゃあに必忘其情あいぶたためくんからだしか也。以小さまたげだいあかりしゃ不為ふため天下てんかかたじんなに必獨ざい於此。ところれいせんたまもの渾瑊詔書しょうしょ敢順むね

みかどとげくだみことのりただし使つかい而已。

とくむねかえきょうてん中書ちゅうしょ舍人とねり學士がくし如故。はつにえ受張鎰知,とくきょ內職;及鎰ため杞所はいにえ つねゆう惴;及杞貶黜,はじめ上書うわがきげんごととくそう好文よしふみえきふか顧遇。奉天ほうてんかいかこえとくむね言及げんきゅうたがえはなれ 宗廟そうびょう嗚咽おえつりゅう涕曰:「致寇ゆかりじつちん。」にえまた流涕りゅうてい而對曰:「しんおもえ致今患者かんじゃ群臣ぐんしんつみ也。」にえぶたため杞、ちょうさんとう也。うえよく掩杞しつのり曰:「雖朕とくうす,致茲 みだれまたうんすうぜんじょうこと由人よしと。」にえまた極言きょくげん杞等罪狀ざいじょううえ雖貌したがえこころ頗不せつとおるほろあに おとうと俱在翰林かんりんまたうけたまわとくむねちょうぐう文章ぶんしょうざい迨贄,而能交結けん倖,きょうたんにえ於上まえりゅうしたがえ いちきょうこう輔自卑品あおなかみなとう輔相;而贄ため朋黨ほうとうしょ擠,同職どうしょくがい其能,以言ごとげききりどうしつ上之うえの歡心かんしん久之ひさゆき不為ふため輔相。其於議論ぎろん應對おうたいあきらねりたいじきひね剖判,したひつ如神, 當時とうじ名流めいりゅう推挹。貞元さだもとはつだき入朝にゅうちょう從容しょうようそう曰:「陛下へいかさいわい奉天ほうてん山南さんなん,赦書 いたり山東さんとうせんさとしこれ士卒しそつ感泣かんきゅうしん即時そくじ人情にんじょう如此,ぞく不足ふそくひら也。」

どきにえはは韋氏ざい江東こうとううえちゅう使つかいむかいいたる京師けいし,搢紳さかえにわかひのとははゆうひがし歸洛きらく寓居ぐうきょかさ山豐やまとよ らくてらはん鎮賻贈及別ひね餉遺,いちしょあずか韋皋布衣ふいしょうぜんただ西川にしかわ致遺,そう而受にえちちはつそう蘇州そしゅういたりよくごうそううえちゅう使つかいまもる其柩しゃいたりらく,其禮遇れいぐう如此。めんけん兵部ひょうぶさむらい ろうぜんたかし學士がくしちゅうしゃにえふく而泣,とくそう為之ためゆきあらためよう敘慰。おんぐうすんでたかし中外ちゅうがいぞくため輔 弼,而宰しょう竇參もとにえにえまたたんさん所為しょいげんさん黷貨,ゆかりあずかさん不平ふへいななねんやめ學士がくしせいはい兵部ひょうぶさむらいろうみつぎ舉。ときちぇもと翰、りょう肅文げいかんむりにえ輸心於肅,肅與もと推薦すいせんげいじつこれ ますだいこれにち,雖眾もち愜,しかいちさいせん,纔じゅうよんすうねん內,きょだいしょうきよしきんしゃじゅう餘人よにん

はちねんよんがつ,竇參とくざい,以贄ため中書ちゅうしょさむらいろう門下もんかどうたいらあきらごとにえひさしためよこしまとうしょ擠,こま而得ざいまけおん獎,悉心報國ほうこく,以天ごとためおのれにんうえ即位そくいはつよう楊炎、杞秉せい樹立じゅりつとも とうはい擯良ぜんそつ致天沸騰ふっとう,鑾輿奔播。懲是しつ貞元さだもとやめ,雖立輔臣,いたり於小かん じょなずらえうえ必再さんしょうとえ久之ひさゆきかた。及贄政事せいじ,請許だいしょう長官ちょうかん自薦じせん屬官ぞっかん,仍保にんこと ゆう曠敗,けんすわ舉主。うえもとにわかまた宣旨せんじ曰:「そとうん:『しょつかさしょ舉,引用いんようおやとうけんどおり まいないのことくじつざい。』此法ぎょう便びん今後こんごきょうとうむべ選擇せんたく,勿用しょつかさのべこも。」にえろんそう曰:

しんじつ頑鄙,いちしょこらえ,猥蒙にん使まちざい宰相さいしょう。雖懷竊位懼,且乏知人ちじんあきら揣庸むなしおわりなんじょうほうただ知廣ともひろもとめざいみち使つかい賢者けんじゃかく以彙ちょうけいいたりこうもんれいしょくみなとくたちすんでこうむ 允許いんきょそくむべ宣行のぶゆき南宮なんぐう舉人,纔至じゅうすうあるたいしょうきゅう吏,のり使僚,るいけいこものべ れきごとにんろん其資もちすんで愧於はんぎょうこう其行のうまた聞於闕敗。遽以騰こううえはんひじりさとし道之みちゆき難行なんぎょうまた可知かち矣。

陛下へいかつとむもとめどうつとむ物情ぶつじょういんいい舉薦よろしふくおさむしん揀擇。其為たかしにん輔弼ほひつひろし輿こしいい聖德せいとく盛者じょうしゃしか委任いにんせめ成之しげゆきどう,聽言こうじつこれかた,閑邪そんまことなおおそれゆう闕。陛下へいかすんでおさめ しんげん而用,旋聞橫議おうぎ而止,於臣はかりごとせめなり,於橫議おうぎこう,此乃はかりごとしつしゃとく以辭其罪 ,曲者くせものとく以肆其誣。りつ而行,さわるい而長,かた必定ひつじょうけいまた必實げんけい定則ていそく どうなんなりげん不實ふじつそく小人こどもとくこころざし國家こっかやめつね必由むかしひとし桓公かんこうといかんなかがい霸之ごとたい曰 :「とくけん不能ふのうにんがい霸也;よう不能ふのうおわりがい霸也;あずか賢人けんじんはかりごとごと而與小人こどもがい霸也。 」ため小人こどもしゃ必悉ふところけん詖,くつがえ邦家ほうかぶた以其せいかいよこしま趣向しゅこうせま促,以沮ため眾, 以自ためぐん,趨近而昧とおこうしょうしん而傷大道だいどうきょうまた言行げんこうなんたもてほしいまま其非しんしゃ乎!

ふく以宰輔,つねせいすうにんにんところとも固有こゆうげんごく不能ふのうあまね諳諸,備閱ぐんざいわかれい悉命 ぐんかん須展てん詢訪,是則これのりへんこう舉為わたしこもえきあかり敭為くらとう。儻如しゃげんしょ舉多有情うじょう ,舉於くんじょう,且未ぜっわたしこも於宰しんやす肯無いつわりしつじんへい,必又甚焉。所以ゆえん承前しょうぜんいのちかん ,罕有わたるわたしそし,雖則秉鈞不一ふいつあるくだりじょうまたゆかりわたしおとずれしょおやてん為所しどころうり。其弊とおせい明知めいちいままたはた徇浮ごと專任せんにんおさむしんじょ吏,おさむしんあまね諳識,かかとぜん須訪於人。わかおとずれしんとものり 悔其覆しゃ不易ふえきわだちわかおとずれ於朝れつのりもとめ其私こも如公舉之いよいよ也。しゃ利害りがいおもんみ 陛下へいかさらしょう焉。こわ委任いにん長官ちょうかんまき揀僚ぞくしょ揀既しょうしょもとめまたしらげとくけんゆう鑑識かんしきめいしつみのるとうくら謬之せめひとつねせい,莫不あいきょう於臺しょう長官ちょうかんみなとうあさはなせん,孰肯徇私妄舉 ,以傷名取なとりせめしゃ耶!所謂いわゆるだいしょう長官ちょうかんそくぼくしゃ尚書しょうしょ左右さゆうすすむさむらいろう及御大夫たいふなかすすむ 也。陛下へいか輔相,おおまた於其ちゅういまおさむしんのり往日おうじつだいしょう長官ちょうかん也,いまたいしょう長官ちょうかん,乃 將來しょうらいおさむしん也,ただし職名しょくめい暫異,かた非行ひこうぎょうひたすらことあに有為ゆうい長官ちょうかんとき不能ふのう舉一ぞく吏,きょおさむ しんくらいのりせんひゃく僚,物議ぶつぎ悠悠ゆうゆう,其惑斯甚。

おっともとめざい貴廣たかひろ考課こうかせいもとめこうざい於各舉所ちょう吏之こも是也これやせいざい於按めいせめおさむ しんじょしん是也これや往者おうしゃそくてんふとしきさき踐祚せんそ臨朝,よくおさむ人心じんしんゆうつとむ拔擢ばってきひろ委任いにんひらき汲引 もんしんよううたぐもとめおとずれ倦,ただしひととくこもまたもと舉其ざいところこも必行,しょ舉輒こころみ,其於 せんみちあにきず容易ようい哉!而課せめすんでげん進退しんたいみなそく不肖ふしょうしゃ旋黜,才能さいのうしゃ驟升,當代とうだいいい知人ちじんあきらるいあさよりゆき多士たしこれよう。此乃きん於求ざい貴廣たかひろ考課こうかせいこう也。

陛下へいか誕膺たかられきおもえ致理ひらめ,雖好けんしんゆう踰於ぜんあきら,而得じんもり迨於往時おうじぶたよし しょう鑒獨にん於聖さとしさがせ頗難於公舉,仍啟のぼり延之のぶゆき,罕施ねり覈之かたとげ使先進せんしんしゃややえきなまり後來こうらいしゃあい接續せつぞくほどこせ一令則謗沮互起,よう一人則瘡痏立成。此乃しつ於選ざいふとししらげせい ほう不一ふいつ患也。のりてん舉用ほうきずえき而得じん陛下へいかまき揀之ぶんまわしふとしせい而失陛下へいか選任せんにんおさむ しょう,必異於庶かんしらげ長官ちょうかん,必愈於末ひん。及至宰相さいしょうけんじぶんまわしちょう吏薦陛下へいかそくただしおさめ橫議おうぎ稽始はかりごと乃任以重しゃけい其言,まち以輕しゃじゅう其事,且又不辨ふべんしょ毀之虛實きょじつこうしょためし 短長たんちょうひと多言たげんなにしょいたりこれはた使つかいじんしょ措其手足てあしあにどく選任せんにんみちしつ其端而已乎!

うえ雖嘉其所ひね長官ちょうかんこもみことのり,竟追これ

くにあさ舊制きゅうせい,吏部せんじん每年まいとし調ちょうしゅういぬいもとやめぞく宿やどへい於野,さいある凶荒きょうこうとげさんねんいちおけせんよしせんじんとまよう,其數猥多,文書ぶんしょせっ真偽しんぎなんべん,吏緣ためかんちゅう授乖濫,而有じゅうねん とく調ちょうしゃにえそう部分ぶぶん內外官員かんいんためさんふんけい闕集じん每年まいとしおけせんせんへいじゅうななはち天下てんかしょう

にえあずか賈耽、邁、ちょう憬同政事せいじ,百司有所申覆,みなさらゆずる不言ふげん可否かひ舊例きゅうれいおさむしんとうしゅんひつけつごとまいじゅうにちいちえきにえ請準故事こじれい秉筆しゃ以應また以河隴陷しげるやめらい西北せいほくつねじゅうへい守備しゅびいいぼうあきみな河南かなんこう淮諸鎮之ぐん也,さらばん往來おうらいつかれ於戍やくにえ以中原之はらのへい習邊ごと,乃扞とりこせんぞくゆうはい衄,またはた名目めいもくふとおおしょぐん統制とうせい不一ふいつ緩急かんきゅう以應 てき,乃上疏論其事曰:

しんれきかんぜん代書だいしょみないい鎮撫ちんぶよんえびす宰相さいしょうにん揆闇れつ,屢敢じょうげんまこと以備禦戎,くに じゅうことへいあししょく,備禦だいけいへい不治ふちそく可用かようしょく不足ふそくそくかたこれへい ざいせいおけとくしょあししょくざい斂導ゆうかた陛下へいかこう聽愚ごとさきつとむせきこくにんかんざいすわあたりもうかかずひゃくまんしょ鎮收糴,いまやめこうおわりふん貯軍じょうようぼう艱急,たてゆう寇戎患,必無とぼし ぜっまもり此成ぶんまわし,以為ながせいつねおさむ冗費じょうひえき贍邊のうのりさらけいねんせきじゅうまんにんさんさい かて矣。あししょくはらだてへいじゅつしらげ,敢議籌量,庶備採擇さいたく

ふく以戎狄為患,ゆう,其於制禦せいぎょこれかた得失とくしつこれろん,備存史籍しせきとく而言。大抵たいていとうとそく じょしゃのり曰非とく以化ようあら,曾莫だてのりとく不能ふのう馴也。らく武威ぶいしゃのり曰非へいふくきょう獷,曾莫知德ちとくおさむのりへい不可ふか恃也。つとむ和親わしんしゃのり曰要ゆい以睦鄰好,曾莫わがゆい 而彼ふくかい也。長城ちょうじょうしゃのり曰設けわし以固邦國ほうこく而扞寇讎,曾莫知力ちりょく不足ふそくへい不堪ふかんのり けん不能ふのうゆう也。なおうすしゃのり曰驅遏可以禁おかせ暴而しょうせい徭,曾莫へいするどるいかんのり 遏之不能ふのうしょう不能ふのう也。ようほぼつき於斯,雖互しょうそしひょうしかかくゆうへん駁。聽一 せつのりれいちょうこう歷代れきだい所行しょぎょうのり成敗せいばいこうよしつね以御其不つねいきおい,徇所見しょけん而昧 於所ぐうとき

おっとちゅうなつゆう盛衰せいすい夷狄いてきゆう強弱きょうじゃくこと有利ゆうりがい措置そちゆう安危あんき必定ひつじょうぶんまわしまたちょう勝之かつゆきほうなつきさき以序えびす而聖しげるおおやけ以避狄而おうぎょうきょうしゅうじょうついたちかた而獫狁攘,はたちく臨洮而宗しゃくつがえかんたけ討匈やつ而貽悔,ふとしそうただし突厥而致やすぶんけいやく和親わしん不能ふのう弭患於當ねんせん元弘もとひろ なでおさめ而足以保やすし於累ぶた以中なつ盛衰せいすいことぜい夷狄いてき強弱きょうじゃくあやときこと利害りがいじょう,措 おけ安危あんきこと便びん其事而不其時そくはい其時而不しつ其稱そくなりかたちへん不同ふどうえびす專一せんいつ

おっと中國ちゅうごくきょうもり夷狄いてき衰微すいび,而能こごめひざしょうしん歸心きしん受制,こばめこれそく阻其嚮化,のりるい於殺 くだやすそん而撫そく而序也?また中國ちゅうごくきょうもり夷狄いてき衰微すいび,而尚棄信かんめい,蔑恩肆 どくさとし不變ふへんせめ懲,やすらん推亡,いきじんかたさかい也?其有ぐう中國ちゅうごくほろびへいとうえびす 狄強もりときのりかれ釁未もえ,禦之そくわが力不足ちからぶそくやす卑詞くだれいやくこのみどおり,啗之以 おや,紓其交禍?たて必信,且無だいおかせ,雖非禦戎ぜんけいぶた時事じじまたゆうとくやめ也。儻或えびす なついきおい強弱きょうじゃくてきどうなでやすしやすし力足ちからあし以自たもて不足ふそく以出おさむとくしつらえけん以固ぐんくん以待寇,らいのりうす以遏其深入ふかいりのり攘斥而戒於遠おい?雖非やすあたりれいぶた勢力せいりょく またゆうとくしか也。なつそくじょしゅう於攘,ふとし宗之むねゆき翦亂,みなじょう其時而善用ぜんよう其勢也;おおやけ 避狄,ぶんけい和親わしんかみ堯之くだれいみなじゅん其時而不しつ其稱也;はたすめらぎ長城ちょうじょうかん武之たけゆききゅう 討,みな其事而不其時しゃ也。こうわかぐうあなおきいきおいぎょうそくじょこれかたのりあなど而不したがえ矣;じょう これふところかしこ避之こころざしのりしつ而養寇矣;ゆう攘卻ちからよう和親わしんはかりごとのりしめせじゃく而勞矣; とうくだこごめこれつとむ翦伐ほぼのり召禍而危殆矣。曰:其事而不其時そくはい其時而 しつ其稱そくなり必定ひつじょうぶんまわしまたちょう勝之かつゆきほう得失とくしつちょこう其然歟!いたり於察安危あんきだい じょうけい成敗せいばい大數たいすうひゃくだい不變ふへん易者えきしゃぶたゆう矣。其要ざい於失じん肆慾そく必蹶,にんじんしたがえそく必全,此乃古今ここんしょどう,而物理之まさゆきしょいち也。

國家こっか祿ろくやま搆亂、かわ隴用へい以來いらい,肅宗中興ちゅうこう,撤邊備以やすしなかくにそと以寧內難,於是 吐蕃じょう釁,吞噬いやかい紇矜こう,憑陵また甚。中國ちゅうごく遑振たびよんじゅうねん使つかいきず耗遺甿, 竭力かいこ西にし輸賄ぬさきたつぐなえなお不足ふそくふさが其煩ごと滿まん其驕こころざしふく乃遠ちょうれつ戍疆 陲,なお不能ふのう遏其奔衝,とめ其侵あなど小入おいれそくほぼはじむ庶,深入ふかいりそくふるえおどろきくに畿。ときゆうやすあたりさくしゃつとむ於所なん而忽於所えきつとむ於所たん而略於所ちょうとげ使しょえきしょ長者ちょうじゃぎょう而其よう不精ぶしょうしょ難所なんしょたんしゃ而其こう靡就。憂患ゆうかん弭,しょく斯之よし

おっとせいてきぎょう,必量ごとぜいいきおいゆう難易なんいことゆう先後せんごちからだい而敵もろのりさき其所なんいいだつひと しん,暫勞而永いっしゃ也;りょく寡而てきけんのりさき其所えきいいかた國之くにゆきほんかん釁而どうしゃ也。ころ ぞくにんろう瘳,而欲こうはつふか踐寇さかいふく其侵おさむ其堅じょうぜんゆう勝負しょうぶ未必みひつ おそれゆう餽運つぎ患。倘或たわわはい適所てきしょ以啟えびすこころ而挫國威こくい,以此為安ためやすはかりごといい りょうごといきおい而務於所なん矣!

てん授者,ゆうぶんごとぜんこうさんしゃゆうぶつむべけん以五かたぞく長短ちょうたんかくこと長者ちょうじゃ不可ふか踰,たんしゃ不可ふかくわだてつとむしょたん而敵其所ちょう必殆,よう所長しょちょう而乘其短必安。強者きょうしゃ乃以すい くさため邑居,以射りょうきょういん茹,うま而尤便びんはせ突,けいなま而不はじ敗亡はいぼう,此戎狄之所長しょちょう也。えびす所長しょちょう,乃中國之くにゆきしょたん;而欲えきへい蒐乘,角力すもうそう,交鋒原野げんやあいだけついのち尋常じんじょう內,以 此為禦寇じゅついいつとむしょたん而校其所ちょう矣!つとむしょなんつとむしょたんろうひゃくばいおわり於無なり。雖 はて成之しげゆきくじけそくはいあに以越天授てんじゅ而違地產ちさん,虧時ぜい以反ぶつむべしゃ哉!

はたほし危就やすいきしたがえしょうざいまきまもるしょえきせいよう所長しょちょう而已。わか乃擇はた吏以なでやすし眾庶,おさむきの ただし以訓ひとし,耀德以佐のう邇以やわとおきんおかせしょう暴以彰吾しょうごしんじそもそもおさむこれ以安えびすしんかれもとめ和則かずのりぜんまち而勿與結盟けつめいかれため寇則げん備而つとむ報復ほうふく,此當いまこれしょえき也。賤力而貴さとしあくころせ而好せいけい而重じんしのぶしょう以全だいやす其居而後どう,俟其而後ぎょう以修ふう疆 ,まもり要害ようがい,塹蹊隧,るい軍營ぐんえい,謹禁ぼうあきら斥候せっこうつとむのう以足しょくねりそつ以蓄まんぜんはかりごとひゃくかつ鬥。寇小いたりそくちょうこえぜい以遏其入,寇大いたりそくはかりごと其人以邀其歸,よりどころけん以乘おお かた以誤使つかい其勇しょ,眾無所用しょようかすめそく靡獲,おさむそく不能ふのうしんゆう腹背ふくはい受敵おそれ退すさゆう 首尾しゅびなんすくい患。所謂いわゆる其弊,不戰ふせん而屈じんへい,此中こく所長しょちょう也。わがこれ所長しょちょう,乃戎狄之 しょたんわがこれしょえき,乃戎狄之しょなん。以長せいたんのりようりょく寡而いさお;以易てきなんのりざい匱 而事そく就。捨此つとむ,而反為所しどころじょう,斯謂たおせほこほこ,以鐏授寇しゃ也!こんのりみなつとむ矣,なお 且守ふうかた,寇戎懲者,其病ざい於謀じょうよう,眾無適從てきじゅうところつとむ必才,さいしゃ必任; しょ聞不必實,しゃ必聞;所信しょしん必誠,まことしゃ必信;所行しょぎょう必當,とうしゃ未必みひつぎょうれい 措置そち乖方,せめ虧度,ざい匱於へい眾,ちからぶん於將,怨生於不ひとししつ於遙せいしん請為陛 ひねろくしゃしつおもんみ明主めいしゅまき聽而じゅく察之:

しん聞工よくよし其事,必先其器;ほっしょう其敵,必先ねり其兵。練兵れんぺいなか所用しょようふくことよう救急きゅうきゅうのりけん以紓なんよう於暫てきのりなる以應故事こじゆう便宜べんぎ,而不かかわつねせいはかりごとゆう詭 ,而不徇眾じょう進退しんたい死生しせいただしょうしょいのち,此所謂いわゆるおさむ討之へい也。よう於屯戍,のりごとひさいきおいしたがえけん物理ぶつりしょ愜不やすし非人情ひにんじょうしょほしかたおっと人情にんじょうしゃ焉則すすむ,習焉そくやすおや 戚則らくせい,顧家ぎょうそく忘死,以理じゅつ馭,不可ふか以法せい,此所謂いわゆる鎮守ちんじゅへい也。おっとよくふう疆,禦戎狄,一朝一夕いっちょういっせきことかた當選とうせん鎮守ちんじゅへい以置焉。いにしえぜんせんおけしゃ,必量其性習 ,べん其土よろし,察其伎能,其欲あくよう其力而不たがえ其性,ひとし其俗而不易ふえき其宜,引其ぜんせめ其所不能ふのうきん其非而不しょ其所ほっ。而又るい其部やす其室しかこうのう使らく其居 ,てい其志,奮其氣勢きせいゆい恩情おんじょうなで以惠,のりかん而不おご;臨之以威,のり肅而怨。靡 とく而人ためようたゆきんぼう而眾攜。だしそくあしへいきょそくあししょく守則しゅそくかたせんのりきょう,其術 便びん人情にんじょう而已矣。いましゃちょう士卒しそつふん戍邊陲,さらだい往來おうらい,以為守備しゅび是則これのりりょうせい 習,不辨ふべんむべ,邀其しょ不能ふのうつよ其所ほっもとめこう其數而不こう其用,はた致其りょく而不察其じょう ,斯可以為まもる,而無えき於備禦之じつ也。何者なにものきゅう千里せんり蕭條しょうじょう寒風かんぷうきれはだおどろきすなむごあずか豺狼さいろうため鄰伍,以戰鬥為うれしゆうひるのりほこ而耕,よるのり倚烽而覘。にちゆうひょうげがい おもんばかえい無休むきゅうひま娛,惡人あくにんつとむ,於斯ため甚。なま於其いき,習於其風,よう而睹焉,ちょうやす焉,樂土らくど而遷焉,のり罕能やすし其居而狎其敵也。關東かんとうこれひゃくぶつ阜殷,從軍じゅうぐんゆうゆうやしなえ。慣於ゆたか飽,狎於歡康,しょあたりすみわか天地てんち。聞絕ふさがあら陬之のり辛酸しんさんどうよう ;聆強しげる勁虜のり懾駭だつ。而乃使親族しんぞくしゃえんいおりあま其所辛酸しんさんこう其所懾駭 ,はた冀為ようまた疏乎!はぎまた其休だいこれ統帥とうすい馭,たてまつわかおご姑息こそく如倩じんしん 邀之以成功せいこう退すさしょ以嚴けん。其來也咸とくしょく,其止也莫ゆうかたこころ屈指くっしけいちょうまち飼。徼倖しゃなお患還賒緩,つねねんえびすみにくこれたかし斥,王師おうし挫傷ざしょうのりしょうじょう其亂はなれぬのひがしつぶせじょうこころざし且爾,とく奚為?平居ひらいそく殫耗もうか以奉浮冗眾,臨難そく拔棄じょう鎮以ゆら遠近えんきんしん ,其弊あにおもんみ無益むえき哉!かたまたはたゆうしょたわわ也。ふくゆう抵犯けいきん,謫徙ぐんじょう意欲いよく增戶ますとみのるあたりけんれい てんこう贖。すんで良之よしゆきるい,且加ふところじょう思亂おもいみだれこうわざわいまた甚戍そつてきあしはん防衛ぼうえいりょう もち於功いさお,雖前だいあるくだりかたりょうさん遵者也。ふくゆうよう旄之そち臨邊,ただしぶんへん ,俾守疆埸。大抵たいていぐんちゅうたけしするどもとえびすれいせんずい其疲羸,乃配しょ鎮。ふしはたすんできょ內地, 精兵せいびょう祗備紀綱きこうとげれいもりよう禦衝,つねざい寡弱やから。寇戎ごといたり,乃勢ささえにゅうるいしゃ纔足閉關 ,在野ざいやしゃ悉遭こうほしいまま其芟蹂,つき其搜及都聞知ぶんちとりこやめかつ旋返。且安ほんしょきりざいへいへいわか斯,いい措置そち乖方矣。

おっとしょう以存すすむばっ以示懲,すすむ以懋ゆういさお,懲以つとむ賞罰しょうばつ於馭眾也,なおなわすみ於曲 じき權衡けんこう揣重けい,輗軏所以ゆえんぎょうしゃ,銜勒所以ゆえんふく也。馭眾而不よう賞罰しょうばつのり善惡ぜんあくしょう こん而能莫殊;よう而不とう功過こうかのりかん妄寵さかえ忠實ちゅうじつ擯抑。おっと如是にょぜわか聰明そうめい衒,りつ あきらのりようあずか不用ふよう,其弊一也かずやごろけんうつり於下おしたしつ於朝,將之まさゆき號令ごうれいすんで鮮克ぎょう於軍, 國之くにゆき典章てんしょうまた不能ふのうほどこせ於將,つとむしょう遵養,苟度としよくしょういち有功ゆうこうこぼしおもんばかこうしゃはんがわよくばつ いち有罪ゆうざいふくおもんばかどう惡者わるものゆうおそれつみ隱忍いんにん而不あきらこう嫌疑けんぎ而不しょう姑息こそくみち乃至ないし於斯。 使つかい忘身こうぶししゃ誚於とうえびすりつ先登せんとうしゃ怨於士卒しそつ,僨軍蹙國しゃふところ於愧かしこなるすくいしつ しゃ以為智能ちのう褒貶ほうへんすんで闕而くだりしょう毀復紛然ふんぜんしょうらんにん雖欲ぜんだれためごときょうまたおおやけちゅう しゃ直己なおき而不もとめ於人,はんかかこまやくはいたわわしゃぎょうわたし而苟こび於眾,れいゆうたかし。此義所以ゆえん痛心つうしん勇夫いさお所以ゆえん解體かいたい也。またゆうぐうてき而所もりかたちんはかりごと而其こう靡成,將帥しょうすいそく以資かて不足ふそくためゆう ふく供給きょうきゅう闕為かいすんでしょうあかしあい辨明べんめい朝廷ちょうていごとため含糊,嘗窮きわむ曲直きょくちょく。措理しゃごえ而靡訴,誣善しゃ罔上而不慚,馭眾わか斯,いいせめ虧度矣。

せめ虧度,措置そち乖方,はたとく竭其ざいそつとくつき其力,たむろしゅう雖眾,戰陣せんじん莫前。とりこごと越境えっきょう 橫行おうこうわかわたる無人むじん,遞相推倚,誰何すいかむなしちょうぞくぜい上聞じょうぶんのり曰兵しょう不敵ふてき朝廷ちょうてい莫之 省察せいさつおもんみつとむ徵發ちょうはつえき裨備禦之こうじゅうぞうきょうおくこれへい。閭井耗,徵求ちょうきゅうしげる,以編戶あみどかたぶけ 破產はさんけん有司ゆうし榷鹽ぜいしゅそう其所いれはん以事あたりせいようわか斯,いいざい匱於へい眾 矣。

いま四夷之最強盛為中國甚患者,莫大ばくだい於吐しげる,舉國かちへい,纔當中國ちゅうごくじゅうすうだいぐん而已。 其於內虞がい備,またあずか中國ちゅうごくことしょのう寇邊,すうのりぶた寡。且又犀利さいりきのえけんかん,識迷 韜鈐,げいとぼし趫敏。どうすなわち中國ちゅうごくかしこ其眾而不敢抗,しずすなわち中國ちゅうごくはばか其強而不敢侵,厥理なん哉?りょう 以中こく節制せっせい多門たもんしげるみにくこれ統帥とうすいせんいち也。おっと統帥とうすいせんそく人心じんしんぶんにんこころぶんのり號令ごうれい號令ごうれいのり進退しんたいひとし進退しんたいひとしのりやましじょ如意にょいやましじょ如意にょいそく機會きかい靡愆,機會きかい靡愆そく氣勢きせい たけし。斯乃以少ため眾,以弱ためきょう變化へんか翕闢,ざい於反てのひら內。なおひじ使つかいゆびこころこれせいがたわかしょにんとくじんのりなんてきゆうおっと節制せっせい多門たもんそく人心じんしんいちにんこころいちのり號令ごうれいくだり號令ごうれいくだり そく進退しんたいなん必,進退しんたいなん必則やましじょしつよろしやましじょしつむべのり機會きかい及,機會きかい及則氣勢きせいおとろえ。斯乃 いさみはいため尪,眾散ためじゃく,逗撓はなれ析,ちょう乎戰じんまえなおいちこく三公みつきみじゅうひつじきゅうまきよくれいひとし肅 ,其可とく乎?ひらきもと天寶てんぽうあいだひかえ禦西きたりょうしげるただついたちかた河西かさい、隴右さん節度せつど而已,なおおもんばか けんぶんいきおいある使つかいけん而領中興ちゅうこうやめらい遑外討,きょう隸四鎮於安定あんていけん隴右於扶ふうしょとう西北せいほくりょうしげるまたついたちかた、涇原、隴右、河東かわとう節度せつど而已,關東かんとう戍卒,いたりそくぞく焉。雖委任いにん つきとくじん,而措置そちなおそんてんせいごろぎゃく泚誘涇、隴之眾叛,ふところこう汙朔かたぐんわりきれ誅鋤,しょ あまりいく;而又ぶんついたちかたけんきばようぶししゃ,凡三使焉。其餘鎮軍,すう且四じゅうみなうけたまわとくみことのり よせかくくだちゅうかん臨,にんこう衡,莫相稟屬。まい俟邊しょつげきゅうぽうれいけいかい用兵ようへいすんで軍法ぐんぽう 臨,ただ以客れいしょうまち從容しょうよう拯溺,揖讓すくい焚,冀無阽危,かたまたなん矣!おっとへい,以氣ぜいため ようしゃ也,聚則もりのりしょうぜいごうそく,析則じゃくいまあたり備,いきおい弱氣よわききえけんぐんわか斯, いいりょくぶん於將矣。

戎之えびすのようさいざい均齊きんせい軍法ぐんぽう賤之ぐんじつ多少たしょうこれはた所以ゆえんどう其志而盡其力 也。如或さそえ其志つとむ藝能げいのうのりとう閱其ざいほど其勇,こう其勞いっ安危あんきあきらさるねり優劣ゆうれつ,以為衣食いしょく等級とうきゅうこれせい使つかいのうしゃ企及ききゅうしゃいきしん,雖有うすあつこと,而無觖望釁 。ぶた所謂いわゆるしょうがつこころみ,餼稟ひとしこと,如權りょう無情むじょう於物,萬人莫不安其分而服其平也。いましゃ きゅうちょう鎮之へいみなひゃく戰傷せんしょう夷之えびすのあまり終年しゅうねんつとむげきかく其所のうそく練習れんしゅう其所しょそく 危,こう服役ふくえきそくろう,察其臨敵そくいさむしか衣糧いりょうしょきゅうただとめ當身あてみれいため妻子さいししょぶんつねゆうこお 餒之しょく。而關東かんとう戍卒,歲月さいげつ踐更,不安ふあん危城,習戎備,おびえ於應てきたゆ於服ろうしか衣糧いりょう しょ頒,あつ踰數とうつぎ以茶やく饋,えき以蔬醬之ゆたかやくそうがた懸絕けんぜつ斯甚。またゆうもときんたびほんぐん將校しょうこう詭為こびいん請遙隸神さく不離ふりきゅうしょただあらため虛名きょめい,其於稟賜にょうとげ ゆうさんばいえき。此儔るい所以ゆえん忿恨,忠良ただよししょ以憂嗟,つかれじん所以ゆえん流亡りゅうぼう經費けいひ所以ゆえん褊匱。おっと事業じぎょう こと,而給養きゅうようゆうこと人情にんじょうこれしょ不能ふのうあま也,きょう乎矯佞行而稟たまものあつ,績藝れつ而衣しょくゆう,苟未 忘懷,のう慍怒。不為ふためえびすくびのりやめよしみ,而欲使協力きょうりょく同心どうしん,以攘寇難,雖有かんしろまごはたしん其必不能ふのう焉。やしなえわか斯,いい怨生於不ひとし矣。

凡欲選任せんにん將帥しょうすい,必先考察こうさつぎょうのうしか後指うしろゆび以所授之かた以所ことれい其自揣可いな ひね規模きぼ。須某しょくかぶとへい,藉某人參にんじんよう若干じゃっかんよう若干じゃっかんかてぼう處置しょちぐんぼう成績せいせき始終しじゅう要領ようりょう,悉俾經綸けいりん,於是かん其計はかりごとこう其聲わかいいざいあしげん不可ふかぎょうのりとう退すさこれ 於初,むべ貽慮於其也;わかいい志氣しきあしにん方略ほうりゃくほどこせのりとうよう於終,よろし掣肘せいちゅう於其あいだ 也。おっと如是にょぜのりうたぐしゃ使つかい使者ししゃうたぐろう神於こうのせんざいはし拱於委任いにんすんで其事,すんであし其求 ,しか以覈其否臧,ぎょう其賞ばつ受賞じゅしょうしゃ以為濫,とうばっしゃとく而辭,づけ授之がらすんでせん, 苟且こころいき以古將帥しょうすいしゃきみおや推轂而命曰:「閫以がい將軍しょうぐんさい。」また たまもの鈇鉞,しめせれい專斷せんだんぐんよう入國にゅうこくくによう不入ふにゅうぐんはたざいぐん君命くんめいゆうしょ受。まこといい機宜きぎ 以遠いえんけつ號令ごうれい不可ふか以兩したがえゆう委任いにんせん,而望其克てき成功せいこうしゃ也。ころあたりぐん去就きょしゅうたっ だん宸衷,せんおけえびすしんさきもとめえきせい其部以分其力,けい其任以弱其心,雖有しょ懲,また ゆうしょしつとげれいぶん閫責成之しげゆきはい綏任とがめこころざしおとろえ一則かずのり聽命,また聽命,爽於ぐんじょうまたいのち,乖於ごとむべまた聽命。わかしょおけ將帥しょうすい,必取於承じゅんたがえのり如斯矣;わか有意ゆういひらきょうやすしなんのり不可ふかおっとりょうさかいしょうせっりょうぐんしょうことあいだよういき,蓄謀而俟,なおおそれしつ臨時りんじはじめ はかりごとかたやめ疏矣。きょう乎千さととお九重ここのえふか陳述ちんじゅつなんあきら,聽覽不一ふいつよく其事のこさく, 雖聖しゃまたゆうしょ不能ふのう焉。しつらえ使はかりごとおもんばかのうしゅう,其如けんへん及!えびすとりこはせ突,迅如ふう飆,えきしょ上聞じょうぶん旬月じゅんげつかたほうまもりしゃ以兵寡不敢抗てきふん鎮者以無みことのり肯出逗留とうりゅうあいだ,寇已奔逼, たく救援きゅうえんいたりかく且閉るいぜんまきたむろうしきくためしいひょうげ;穡夫きこり,罄作俘囚ふしゅう。雖詔しょはつへいただ以虛ごえ應援おうえん,互相瞻顧,莫敢遮邀,ぞくすんでたてかすめ退ずさ,此乃ちんいさおつげとし。其敗そく げんひゃく而為いち,其捃そくはりひゃく而成せん將帥しょうすいすんでこう於總せい在朝ざいちょうゆう於罪るい陛下へいかまた以為だい けんゆかりおのれきわむ事情じじょうようわか斯,いいしつ於遙せい矣。

へい措置そち乖方,馭將而賞ばつ虧度,せいよう而財匱,けんへい而力ぶんやしなえ而怨せいよう而機 しつ,此六しゃ,疆埸蟊賊,軍旅ぐんりょ膏肓こうこう也。蟊賊じょ,而但滋之しげゆき以糞溉,膏肓こうこう療,而 ただ啗之以滑あまてきあし以養其害,そく其災,欲求よっきゅう稼穡ゆたかとうはだかわ充美あつみかた不可ふかとく也。

しんいいむべやめ諸道しょどう將士しょうしばんがえぼうあきこれせいりついんきゅうすうさんふん:其一分委本道節度使募少壯願 じゅうしろしゃ以徙焉;其一分則本道但供衣糧,せき內、河東かわとうしょぐんしゅうつのしげるかん子弟していねがいでんあたりぐん しゃ以給焉;また一分亦令本道但出衣糧,加給かきゅう應募おうぼこれにん,以資しん徙之ぎょうまたれいささえ於諸 どう和市わいちこううしけんやとい召工じん,就諸ぐんじょうつくろえづくり器具きぐつのひといたりしゃまいいえきゅうこううしいちとうまた給田きゅうでんのう 水火すいかうつわみなれいたかし備。はついたこれさいあずかいえこうにんかてなみたまもの種子しゅしすすむ播植,まちけいいちみのる,俾 自給じきゅうわか有餘ゆうよかてかんためおさむ糴,かくむくいばいつとむ獎營でんすんでいき踐更徵發ちょうはつはん,且無こうわざわいめんへい。寇至そくじんためせんいたりそく自力じりきのう乃兵とくつよししょくとく不足ふそくあずかおっと倏來 ゆるがせ往,あに同等どうとう而論哉!

しんまたいいむべ文武ぶんぶのうしんいち人為じんい隴右元帥げんすいおう涇、隴、おおとりしょう長武ながたけじょう山南さんなん西道さいどうとう節度せつどかん兵馬へいば,悉以ぞく焉;また擇一たくいつ人為じんいついたちかた元帥げんすいおう鄜坊、邠寧、れいなつとう節度せつどかん內兵,悉以ぞく 焉;また擇一たくいつ人為じんい河東かとう元帥げんすい河東かわとうたけひとし節度せつどかん內兵,悉以ぞく焉。三帥各選臨邊要會 これしゅう以為しょおけ節度せつどゆうようしゃ隨所ずいしょ便びんきん而併ただ元帥げんすいとくおけすべぐんなみとまやめ。其 さんそち內太ばらおおとりしょうとう及諸ぐん戶口とぐちややしゃまき良吏りょうり以為いんまもるそとたてまつりつ,內課のうくわ ,俾為ぐんかて,以壯えびすへいむべ既得きとくせんそち授既あきらしかこうげんかん濫虛浮之以豐ざいてい衣糧いりょう等級とうきゅうこれせい以和眾,ひろ委任いにんみち以宣其用,懸賞けんしょうばつてん以考其成。而又まきまもる中國ちゅうごく 所長しょちょう,謹行當今とうこんこれしょえきのりはち致,ろくしつじょ如是にょぜ而戎狄不なつけ,疆埸やすし謐者, これゆう也;諸侯しょこう軌道きどう,庶類服從ふくじゅう如是にょぜ而教れいくだり天下てんかしゃまたこれゆう也。以陛 えい鑒,民心みんしんおもえやす四方しほうしょうきゅうりょう寇之かたしずか以頻ねんゆたかみのり所在しょざいせきかて,此皆てんさん 國家こっか以立せいたれすべこれ也。とき久居ひさいことつねけんやめ而追,雖悔及。明主めいしゅしゃ 以言ためざい以人はいごと,罄陳きょうおもんみしょしょう

とくむねごくふか嘉納かのうゆうみことのり褒獎

にえ在中ざいちゅうしょせい不便ふべん於時しゃしょじょうかなでとくむね不能ふのうみな,而心頗重はつ,竇參すんで貶郴 しゅう節度せつど使りゅう士寧しねい餉參きぬすうせんひき湖南こなん觀察かんさつ使たつみあずかまいゆうすきごと奏聞そうもんとくそうえつかい みぎ庶子しょしきょうこう輔於上前うわまえ聞奏,しょう「竇參嘗語しんうん陛下へいかいかしんやめ」,とくむねいかさい貶參,竟殺 ときくもこう輔奏竇參とく於贄,くもさんにえ有力ゆうりょく焉。またあく于公こと、于邵,すんでせい而逐だんしゃまた以為阨。

戶部とべさむらいろうはんささえ裴延よわいかん用事ようじ天下てんか嫉之如讎,以得こう於天敢言しゃにえどく 以身とうこれ,屢於のぶえいめんひね不可ふかるいじょう極言きょくげん其弊。のべよわいにち譖毀。じゅうねん十二月じゅうにがつじょふと 賓客ひんきゃくやめ政事せいじにえせいかしこまき,及策めんわたしあさ謁之がい不通ふつう賓客ひんきゃくしょしたがえじゅういちねん はるひでりへんぐん芻粟きゅうごとろん訴;のべよわいげんにえあずかちょう滂、たかしとうゆらどうぐんじょうざいのべよわいでんとくむねいかはた誅贄とうよんにんかい諫議大夫たいふじょうとう極言きょくげんろんかなで,乃貶にえためただしゅうべつ

にえはついれ翰林かんりんとくうけたまわとくそう顧,うたおどけ狎,朝夕ちょうせき陪遊。及出きょ艱阻なか,雖有おさむしん,而謀 猷參けつ於贄,當時とうじため「內相」。したがえこう山南さんなんみち艱險,扈從こしょう及,あずかみかどしょうしつ一夕いっせきいたりうえ喻軍曰:「とくにえしゃしょう千金せんきん。」翌日よくじつにえ謁見えっけんうえがた顏色かおいろ,其寵まち如此 。すんであずかきょうやや浸潤しんじゅんおんれいややうす;及通げんはいうえとも誣枉,とげふくようにえ以受じんしゅ 殊遇しゅぐう敢愛ことゆう不可ふか極言きょくげんかくれ朋友ほうゆうぶんまわし,以為ふとたかしにえ曰:「われじょうまけ天子てんししたまけわれしょがく恤其。」せい於吏ごと斟酌しんしゃく決斷けつだんしつ錙銖。嘗以「みことのり所出しょしゅつちゅう しょ舍人とねりしょくぐんきょうさい,促迫おうつとむけんれい學士がくしだい朝野ちょうや乂寧,ごうかえり職分しょくぶん,其命しょうしょうせい みことのり,卻付中書ちゅうしょゆき」。またげん學士がくしわたししんげんむねはつれいまちみことのりとめ唱和しょうわ文章ぶんしょう而已」。物議ぶつぎ とくむね以贄ゆび斥通ほろつうげん不可ふか其奏。

にえざいただしゅうじゅうねんつね閉關せいしょにん識其めんふく避謗著書ちょしょ家居かきょ瘴鄉,にん癘疫,乃抄 つまみかたしょためりくしゅうけんかたじゅうかんぎょう於代。はつにえ秉政,貶駕部員ぶいん外郎ういろうよしはじめためあきらしゅうちょうりょううつりただしゅう刺史ししにえざいただしゅう與吉よきちはじめしょうぐうこんおとうと門人もんじん咸為にえゆう,而吉はじめ忻然あつれい 銜前ごと,以宰しょうれいごとなおおそれ其未しんじ不安ふあんにちあずかにえしょう狎,わか平生へいぜい交契しゃにえはつなお慚懼, 深交しんこう時論じろん以吉はじめため長者ちょうじゃこうゆう薛延しゃだいよしはじめため刺史ししのべあさとくむねれい宣旨せんじやす。而韋皋累上表じょうひょう請以にえだいおのれじゅんむね即位そくいあずかじょうてい餘慶よけいどうみことのりちょうかえみことのりいたり而贄そつねんじゅうおく兵部ひょうぶ尚書しょうしょおくりな曰宣。

簡禮,とう進士しんしだいるい辟使

ふみしん曰:近代きんだいろんりくせんこうかん賈誼,而高邁こうまいこれぎょうつよし正之まさゆきぶし經國けいこくなりつとむようげききり義之よしゆきこころはつこうむ天子てんしじゅうまつぬり淪躓,みなしょうるい也;而誼どめちゅう大夫たいふにえ及臺鉉,不為ふため不遇ふぐう矣 。むかし公孫こうそん鞅挾さんさくせつしんおうあつし于髡以隱ひとしくんしたがえ以還,せいげん不易ふえきむかししゅうあきら戒急ろん せいため此也。にえきょ珥筆れつ調しらべ飪之よく以片しんじょ眾弊,どくしゅ遏群よこしまくんじょうあきらまこと群小ぐんしょうどもおさむ其短,よく放逐ほうちく,其可とく乎!しょう「其維哲人てつじんつげはなしごと」,またゆう「誨爾 」、「聽我」恨,此皆賢人けんじん君子くんし歎言よう也。堯咨禹拜,千載せんざいいち,攜手提てさげみみあに容易ようい哉!

さん曰:りょうしんさとるぬしわがゆうよしみ猷。へききみためぜんしゅう忠言ちゅうげんすくいしつけい沃曰讎。勿貽てんとえあおいひろし悠悠ゆうゆう