◇不屈のひみつ
レシピ 五感総動員すること
枝元なほみ(えだもと・なほみ)さん
料理研究家
1955年、横浜市生まれ。明治大学卒。出演番組にNHK「きょうの料理」、TBS系列「はなまるマーケット」。ムカゴなどの農業副産物を消費者に紹介する「チームむかご」(http://mukago.jp/)も主宰し、生産者を支援する。
◎栗原怜里撮影
友人がいじめに遭っている10代の少女には「揚げたてをはさんだコロッケサンド、一緒に食べてあげて」。母の介護に疲れる30代女性には「鶏とジャガイモのスープをコトコトと。時間に任せるしかない時もありますよね」。
心と体をじんわり癒やしてくれるレシピは近著「世界一あたたかい人生相談」(ビッグイシュー日本)から。ホームレスの人が回答する人生相談に「悩みに効く料理」を添えている。
手軽にできる料理を表情豊かに紹介する姿がおなじみだが、料理家としての始まりは、芝居と恋人という、生活の中心をなくしたことがきっかけだった。
学園紛争末期の大学時代、「何をやりたいか分からなくて」友人に誘われるまま芝居を手伝い始め、その後、前衛演劇の旗手・太田省吾の劇団「転形劇場」の研究生になった。
英雄や美女が登場するわけではない。ただ生きて死んでいくだけの人間の存在を、せりふを排除した「沈黙劇」で表現する芝居に共感した。東京・中野の無国籍料理店で働きながら、劇団の役者兼飯炊き係を務め、太田の代表作「水の駅」では劇団員としてヨーロッパ7か国公演に参加した。
手と舌が残った
だが太田は1987年、翌年の解散を宣言。学生時代から同居していた恋人は、旅に出たまま帰らない。バイト先からとぼとぼ帰る夜道の寂しさを今も覚えている。「32歳にもなって、何もなくなっちゃった。日がこうこうと当たる明るい廃屋にいるみたいでした」
手と舌、だけが残った。劇団では食費をやりくりしながら大量のメシを。店ではスパイスや食材を生かして手早くアジアの味を。試行錯誤で鍛えた料理の腕には定評があり、苦境を見かねた友人が女性誌の料理の仕事を紹介してくれた。
「4ページに30品紹介するハードな仕事。でもやってみたら、できる! と思った。スタッフの役割や、自分がどう動けばいいかがすぐ分かった。芝居と同じ、ものづくりの現場でした」
仕事ぶりが評判を呼び、舞い込む仕事を必死にこなすうち、料理研究家と呼ばれるようになっていた。絨毛(じゅうもう)性疾患という子宮の病気で3か月間抗がん治療を受けたことや、郷土料理の研究家で知られる阿部なをの晩年に出会ったことが、命と食を見つめ直す機会になった。
「どのくらい煮るんですか? との質問に、なをさんは『そんなもん鍋の中見てりゃわかるのよ』って。料理って結局、素材と向き合うこと。五感を総動員して自分で考えることなんだって改めて教えられました」
ちっぽけな人間の「生」を支える大らかな「食」を求めて、今日も鍋の中をのぞきこむ。
(敬称略、松本由佳)
(2009年8月31日 読売新聞)