「僕にとってチューリップは、静かな別荘地にある一軒家という感じなんですよ」。そのココロは? 「ウフフ。どうしても行きたくなる時があるんです」。でも見慣れた風景でずーっといると飽きてしまう? 「分かっているんですけどね」
1970年代、チューリップを率いてニューミュージックという新たな分野を切り開き、「心の旅」「青春の影」など数々の名曲を世に送り出した財津和夫さん(61)。今はソロとして走り続ける自らの原点を、吟遊詩人のように「別荘」にたとえた。
財津さんの音楽には青春のイメージが漂う。希望あふれる季節として、だけではない。若さゆえにうち捨ててしまった大切なものへの悔悟も時ににじむ。けれども、8年ぶりとなるオリジナル・ソロアルバム「ふたりが眺めた窓の向こう」はいささか趣を異にする。若々しいポップな色合いは薄れ、静かな曲調の作品で構成されている。詩の言葉の一つ一つが耳を澄ます者の心に響く。「たとえ小さくても 温めていれば(略)それはつかめるはず 伝えたい君に 幸せのこと」(「風のみえる部屋」)。そこには"わがままな男"や"許せない女"も出てこなければ、"一人汽車に乗ってしまうボク"もいない。「小さな幸せでいい」とつづる詩には素直なまなざしだけが光る。
「昨年、還暦を迎えました。やはり年齢ということなのでしょう。等身大の自分なんですね。消極的に言えば、若いときのように歌うことができないんです」
謙遜(けんそん)だろう。髪に白いものが増えたとはいえ、透明感のある声は変わらない。けれども「余命」なんていうドキリとする言葉を口にする。
「自分はこれからどれだけ作品が出せるのだろうかという、焦燥感のようなものが年々強くなっています。あと、どれくらい――と考えると、できることは今のうちにやっておきたい、という思いが本当に強くなってきました」
50歳を迎えたとき、あるインタビューで「青春を過ぎ、今は秋の紅葉を楽しむ時期」と話していたというのに、還暦を境に見える風景がまるで変わってしまったようだ。
「春夏秋冬、その意味ではもう冬に片足が入っている感じがしますね」
Wake Upというわけにいかないのか......。
浪人中、ビートルズの日本公演を見たのをきっかけに、故郷福岡でバンド活動を始めた。71年にチューリップを結成。末っ子だったが、バンドではリーダーとして長男の役割を担った。89年に18年の活動に幕を下ろした。その後、何度か期間限定の再結成をしているが、音楽活動歴38年を迎えるなか、ソロとしての活動歴のほうが長い。
「実は、福岡から上京した折も、3年でいいと思っていたんです。自分の知らない新たな分野にチャレンジしたいと思っているうちに、気がついたらここまで来てしまった、という感じなんです」
しかし、こう付け加えた。
「やりたいことがまだまだあるんですよ。ボクの頭の中には、あと2、3枚のアルバムができているんです。アメリカンポップスにハードロック。冬の次は春。そう、春が見えてくるまでは、やっていきたいと思っているんです」
春夏秋冬、そして春――。
傾き始めた秋の日がビル街をあかね色に染め始めた。並んで近くの公園へ。唐突に「学生時代、バンドをやったことは?」と尋ねられた。何と答えていいか分からないまま「いや......もう」と独りごちていると、財津さんはしみじみとした口調で話し始めた。
「ぜひ、また始めた方がいいですよ。ウン、それがいい」
一呼吸置いて続けた。
「バンドの方が楽しいことは多いですよ。なるほど苦しいこともありますけどね、一人でやると孤独ですよ。煮詰まってしまうんです」
ひょっとして、別荘に行きたくなってきたとか?
「行ってみたら、『また何で?』なんて思ったりしてね」
口元にほのかな含羞(がんしゅう)の色がさした。【隈元浩彦】
■人物略歴
◇ざいつ・かずお 1948年生まれ。手がけた楽曲は600以上。新アルバムには小田和正氏らが参加した。12月中旬にはソロベスト「財津和夫の曲たち 1・2」がリリース。