上はどんなに大きくてもプラス1。下はどんなに低くなってもマイナス1。その幅で、波型が規則正しく続く。それが正弦曲線だ。
かたちとしてはまるで違うのだが、心電図、あんな連なり。安定こそ、文字どおり「命」。
乱高下すれば非常に危険な状態だし、まっすぐになれば、「ピー」という音とともに心臓停止が示される。波のふり幅が大きくなればなるほど事態としては直線=死に近くなるというのが、面白いと思う。
幼い頃、友達のお母さんが出してくれた葡萄色のジュースの正体。いつのまにか消えた言葉、使われなくなった日用品。力を入れて、そうっと持つ物・・・。
堀江敏幸のこの47の省察にでてくるのは、「プラスマイナス1」の間におさまってしまうような、日常の小さなきしみ、ゆらぎだ。ほうっておけば、そのうち元に戻るにちがいないもの。忘れてしまうもの。
堀江はそれをひとつひとつひろいあげ、ていねいに観察し、書き留め、保存する。彼自身はこの箱入りの本を「画集のようでしょう」と言っていたが、標本箱のイメージもある。よくできた標本を見るとき、だれも「虫の死骸だ」と言わない。歩きまわり、止まり、跳ねるものや、羽を閉じ、休み、また飛び立つものを思う。ここにおさめられているのは「生」なのだから。
スポーツ選手のおたけびや元気な女子高生の歓声より、眠っている赤ん坊のまぶたの「ぴくり」に生命のスパークを感じることがあるが、これはそんなイメージの本。
ドラマチックな心電図の乱れは医者の出番。プラス1とマイナス1のあいだにある、心の波打ちに耳をすますのは、文学者であってこそ。
(青山ブックセンター六本木店 間室道子)
出版社:中央公論新社 書名:『正弦曲線』 著者:堀江敏幸 定価:1890円(税込み)
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