今年の大学入試センター試験は、トラブルが続発した。問題配布や時間管理など初歩的なミスである。
センター試験の監督は、教授をはじめとした専任教員である。筆者も昨年と一昨年の2回試験監督を務めた。大学教員の仕事の中で、センター入試の監督ほど過酷なものはない。2日にわたり10科目の監督にあたる。試験中は、一切言葉を発せず、じっと受験学生を見続ける。会場内を歩くのも受験生の気が散るので禁止。当然居眠りなどはもってのほかだ。受験生の条件を統一するため、室内は暖房も入れない。ただ、ひたすら忍耐。さらに事前に半日研修を受け、英語のリスニング試験の予行演習に参加するのだ。
試験の運営方法は、問題配布から答案回収まで事細かにマニュアル化され、注意事項も一字一句漏らさず文面通りに読む。本来、間違いなど起こるはずはない。では、いったいどうしてトラブルが起こるのか。それもなぜ、私立大学よりも国公立大学に多いのか。
少子化、大学全入時代に入り、私立大学では入試でいかに多くの受験生を集めるかが大学教育の充実、ひいては大学経営にかかわる重要課題となっている。ミスを犯し学長が謝罪することにでもなると信用失墜、翌年度の受験者数に響く。
国立大学の教授と話していて感じたことだが、専門家意識の強い教員の多くは、マス教育の一環であるセンター試験を生理的に受けつけない。そのため、試験監督の自覚がなく事前研修やマニュアルを疎(おろそ)かにしているようだ。また、公平意識に固執し小手先の制度変更が行われたこともミスの誘因となったことも忘れてはならない。ミスがあっても時間は取り戻せない。臨機応変こそが、もっとも公平な対応策なのだ。このような大学と受験生の感覚のずれが、センター試験のトラブルを生んでいる。
受験生は複数の大学を合理的に受験可能なセンター試験を重視する傾向にある。しかし、センター試験では受験生の個性を見いだすことができない。マニュアル化された制度の中で、いかに学生の個性を開花させるかが大学教育であると考える。(東海大教授)