西日本における東日本大震災級の大津波地震はこれまで、東海・東南海・南海地震の3連動地震(マグニチュード(M)8・7)のことを指し、国はこの見解にもとづいた被害予測を公表してきた。しかし、国内最大級のM9となった東日本大震災の発生に伴い、先月27日には国が新モデルを示すなど、現在見直し作業が進められている。そのカギを握るといわれている宝永地震(1707年)の謎に迫った。
東日本が定説覆す
江戸時代に起きた宝永地震はこれまで、記録が比較的多数残っていることなどから「(記録上)国内最大級の地震」(推定M8・6)とされてきた。
国の中央防災会議は平成15年、安政(1854年の南海、東海・東南海)や昭和(1944、1946年)など宝永地震以降に発生した5つの海溝型地震を対象に、3連動地震モデルを提示。2万人以上の犠牲者が予測されるなどとして警戒を呼びかけてきた。
しかし、東日本大震災の発生で、国内で起きないといわれてきたM9地震が現実のものとなったため、3連動地震モデルに対し、地震研究者などから疑問の声があがり始めた。
宝永はM9だった?
昨年10月の日本地震学会(静岡市)では、「宝永地震は3連動地震ではない」との声が相次いだ。
宝永地震は、安政東海地震と駿河湾周辺での地震の起こり方が似ているとされてきたことも3連動地震の根拠となってきたのだが、地震予知総合研究振興会の松浦律子氏は「過去の研究や文献を精査した結果、東海地震について安政と宝永は様相が異なる。宝永でも東海地震が起きたとの思い込みだった可能性がある。宝永と安政の地震の規模の違いはあまりにも大きい」と指摘した。