有吉 ありよし 佐和子 さわこ さんブーム再 ふたた び…「おしゃれ」「快活 かいかつ 」新 あら たな一 いち 面 めん
2014年 ねん 06月 がつ 28日 にち 08時 じ 00分 ふん
没後 ぼつご 30年 ねん 、初期 しょき 作 さく が続々 ぞくぞく 復刊 ふっかん
作家 さっか の有吉 ありよし 佐和子 さわこ さんが亡 な くなって今年 ことし で30年 ねん 。
初 はつ の長編 ちょうへん 『処女 しょじょ 連 れん トウ( れんとう ) 』をはじめ“月刊 げっかん 有吉 ありよし ”のペースで復刊 ふっかん している。戦後 せんご の働 はたら く女性 じょせい を描 えが く初期 しょき 作品 さくひん は、娘 むすめ で作家 さっか の有吉 ありよし 玉青 たまお ( たまお ) さんが「わたしのなかの母 はは に近 ちか い」というおしゃれで快活 かいかつ 、たくましい作品 さくひん 。再 さい ブームにより、社会 しゃかい 派 は という従来 じゅうらい のイメージにかわる新 あたら しい有吉 ありよし 像 ぞう が生 う まれようとしている。
有吉 ありよし さんといえば、晩年 ばんねん のメガネをかけた知的 ちてき な風貌 ふうぼう の写真 しゃしん がよく知 し られ、高齢 こうれい 者 しゃ の認知 にんち 症 しょう を取 と り上 あ げ、タイトルが流行 りゅうこう 語 ご になった『恍惚 こうこつ ( こうこつ ) の人 ひと 』や、食 しょく の安全 あんぜん を先駆 せんく 的 てき に問 と いかけた『複 ふく 合 あい 汚染 おせん 』などに代表 だいひょう される社会 しゃかい 派 は 作家 さっか の印象 いんしょう が根強 ねづよ い。
これに対 たい し、集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ が復刊 ふっかん した初期 しょき 作品 さくひん は、有吉 ありよし さんと同様 どうよう 、若 わか くして社会 しゃかい に登場 とうじょう した女性 じょせい の自立 じりつ と困惑 こんわく を鮮烈 せんれつ に打 う ち出 だ す作品 さくひん が目立 めだ つ。『処 ところ 女連 うなつら トウ』は、結婚 けっこん しない女性 じょせい 、結婚 けっこん できない女性 じょせい を描 えが いた1957年 ねん の作品 さくひん 。文庫 ぶんこ 解説 かいせつ を担当 たんとう した書評 しょひょう 家 か の藤田 ふじた 香織 かおり さんは、帯 おび に「痛快 つうかい な“負 ま け犬 いぬ 小説 しょうせつ ”を60年 ねん 前 まえ に書 か き上 あ げた有吉 ありよし 佐和子 さわこ の眼力 がんりき に恐 おそ れ入 い ります」と記 しる している。
夫 おっと の死後 しご 、更紗 さらさ ( さらさ ) 染 そ めの職業 しょくぎょう 婦人 ふじん として自立 じりつ していく女性 じょせい を描 えが く『更紗 さらさ 夫人 ふじん 』や、若 わか きデザイナーが社会 しゃかい に翻弄 ほんろう されながら新 あら たな一 いち 歩 ほ を踏 ふ み出 だ す『仮 かり 縫 ぬい 』も、東京 とうきょう 女子 じょし 短期 たんき 大時代 おおじだい にスタイルブックをつくり、裁縫 さいほう やおしゃれが好 す きだった人 ひと らしい快活 かいかつ な作品 さくひん だ。
有吉 ありよし さんは1956年 ねん 、「地唄 じうた 」が、石原 いしはら 慎太郎 しんたろう さんの「太陽 たいよう の季 き 節 ぶし 」とともに文学 ぶんがく 界 かい 新人 しんじん 賞 しょう の候補 こうほ になり、作家 さっか の曽野 その 綾子 あやこ さんと並 なら び“才女 さいじょ ”と注目 ちゅうもく された。当時 とうじ は女性 じょせい が小説 しょうせつ を書 か くことがニュースとなり、有吉 ありよし さん自身 じしん 、「女性 じょせい の方 ほう でも、男 おとこ に喜 よろこ ばれることが女 おんな らしいことだと錯覚 さっかく しているむきがあります」と書 か いていた時代 じだい であった。
そうした中 なか で、有吉 ありよし さんは、男 おとこ の書 か く歴史 れきし (His+Story)のヒストリーではなく、男性 だんせい が書 か きもらした歴史 れきし を、女性 じょせい の側 がわ から見直 みなお すハストリー(Her story)を書 か くと宣言 せんげん 。「ハストリアン」として、紀州 きしゅう の外科医 げかい と嫁 よめ ・姑 しゅうと ( しゅうとめ ) を描 えが く『華 はな 岡 おか 青 あお 洲 しゅう の妻 つま 』、幕末 ばくまつ 維新 いしん 史 し を女性 じょせい の目 め で見直 みなお す『和宮 かずのみや 様 さま 御 ご 留 とめ 』を発表 はっぴょう した。
エッセーの中 なか で、『恍惚 こうこつ の人 ひと 』も、ふとした時 とき に女性 じょせい である自分 じぶん の老 お いや介護 かいご の問題 もんだい に気 き づくことで生 う まれた、ハストリーの流 なが れにある作品 さくひん と書 か いている。
集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ は復刊 ふっかん に際 さい して、巻末 かんまつ に若 わか き日 ひ の写真 しゃしん を掲載 けいさい した。身長 しんちょう 1メートル66と当時 とうじ としては大柄 おおがら で、生涯 しょうがい 、行動 こうどう 的 てき だった作家 さっか の闊達 かったつ ( かったつ ) さがよく伝 つた わってくる。
◇有吉 ありよし 作品 さくひん の2014年 ねん の刊行 かんこう
(6月 がつ 以降 いこう は予定 よてい )
2月 がつ 『処 ところ 女連 うなつら トウ』(集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ )
3月 さんがつ 『更紗 さらさ 夫人 ふじん 』(集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ )
4月 しがつ 『仮 かり 縫 ぬい 』(集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ )
『和宮 かずのみや 様 さま 御 ご 留 とめ 』新装 しんそう 版 ばん (講談社 こうだんしゃ 文庫 ぶんこ )
5月 ごがつ 『有田 ありた 川 がわ 』(講談社 こうだんしゃ 文芸 ぶんげい 文庫 ぶんこ )
6月 ろくがつ 『出雲 いずも の阿国 おくに 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ )
7月 しちがつ 『花 はな ならば赤 しゃっ く』初 はつ 出版 しゅっぱん (集英社 しゅうえいしゃ 文庫 ぶんこ )
8月 はちがつ 『断 だん 弦 つる 』(文春 ぶんしゅん 文庫 ぶんこ )
9月 くがつ 『鬼怒川 きぬがわ 』(新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ )
『悪女 あくじょ について』新装 しんそう 版 ばん (新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ )
『江口 えぐち の里 さと 』(中公 ちゅうこう 文庫 ぶんこ )
10月 がつ 『私 わたし は忘 わす れない』(新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ )
11月 じゅういちがつ 『助左衛門 すけざえもん 四 よん 代 だい 記 き 』(新潮 しんちょう 文庫 ぶんこ )
12月 じゅうにがつ 『ほむら』(文春 ぶんしゅん 文庫 ぶんこ )
「祖母 そぼ がいたから母 はは は書 か けた」…娘 むすめ の玉青 たまお さん、3代 だい 記 き で思 おも い出 で
デビューしてすぐに才女 さいじょ と騒 さわ がれ、テレビにも出演 しゅつえん するなど売 う れっ子 こ となった有吉 ありよし さんが、本格 ほんかく 的 てき な作家 さっか に変貌 へんぼう するきっかけは、母 はは ・秋津 あきつ さんのひと言 こと であった。
「あなたが何 なに を書 か いたというのか」
この言葉 ことば で一念 いちねん 発起 ほっき 、母 はは をモデルにした初期 しょき の代表 だいひょう 作 さく 『紀ノ川 きのかわ 』を書 か くと同時 どうじ に、自分 じぶん を見極 みきわ めるためにアメリカに留学 りゅうがく し、本格 ほんかく 的 てき に演劇 えんげき を学 まな んだ。さらに結婚 けっこん 、妊娠 にんしん 、出産 しゅっさん 、離婚 りこん を経 へ ながら、小説 しょうせつ 、戯曲 ぎきょく 作品 さくひん を精力 せいりょく 的 てき に発表 はっぴょう した。
その長女 ちょうじょ で、作家 さっか ・大阪芸術大 おおさかげいじゅつだい 教授 きょうじゅ の有吉 ありよし 玉青 たまお さん(50)が5月 がつ に出 だ した『ソボちゃん』(平凡社 へいぼんしゃ )は、母 はは の活動 かつどう を陰 かげ ながら支 ささ え続 つづ けた秋津 あきつ さんとの日々 ひび を描 えが く3代 だい 記 き だ。
母 はは は、常 つね に仕事 しごと に全力 ぜんりょく 投球 とうきゅう し、海外 かいがい 取材 しゅざい も多 おお くて不在 ふざい がち。ジャワ(現 げん インドネシア)で小学生 しょうがくせい 時代 じだい を過 す ごした帰国 きこく 子女 しじょ でもあったが、その実 じつ は子供 こども のころから病弱 びょうじゃく で、小説 しょうせつ を書 か き終 お わると、ダウンし入院 にゅういん するのが日常 にちじょう 。朝食 ちょうしょく をともにすることは、めったになかった。編集 へんしゅう 者 しゃ の応接 おうせつ 、掲載 けいさい 紙 し 誌 し の整理 せいり 、家計 かけい の管理 かんり から、玉青 たまお さんの幼稚園 ようちえん の送 おく り迎 むか えまで、すべてをこなしたのは祖母 そぼ だった。
「若 わか いころは、ふつうのお母 かあ さんであってほしいとの思 おも いから、反発 はんぱつ したりすることが多 おお かったですね」
でも、自 みずか らも書 か くことを仕事 しごと に選 えら び、だんだんわかってきた。「母 はは は努力 どりょく を隠 かく さなかったけれど、髪 かみ を振 ふ り乱 みだ すようなことも、『書 か けない!』と言 い って周 まわ りに当 あ たることもなかった。一 いち 日 にち 10枚 まい 、きっちり書 か いていた」と振 ふ り返 かえ る。
「あれだけ作品 さくひん を書 か いていたら、家 いえ のことはとてもできなかったんだろう、と優 やさ しい気持 きも ちで見 み られるようになった」のが、この30年 ねん という。
母 はは が53歳 さい で亡 な くなり、それから秋津 あきつ さんが世 よ を去 さ った。「母 はは は、祖母 そぼ がいたから書 か けました」と、3代目 だいめ にして初 はじ めて厨房 ちゅうぼう ( ちゅうぼう ) に立 た つ玉青 たまお さん。そして祖母 そぼ と母 はは がいたから、女性 じょせい 3代 だい のハストリー『ソボちゃん』は生 う まれた。
有吉 ありよし 作品 さくひん 「若 わか い人 ひと にも面白 おもしろ く」
日本 にっぽん で女性 じょせい の自立 じりつ や自由 じゆう が語 かた られるようになったのは1970年代 ねんだい になってから。有吉 ありよし さんは25歳 さい になる1956年 ねん にデビューしてから、続々 ぞくぞく と男性 だんせい の目 め から描 えが かれた女性 じょせい とは違 ちが う、新 あたら しい女性 じょせい 像 ぞう を描 えが くなど、「きわめて先見 せんけん 的 てき な作家 さっか だった」と文芸 ぶんげい 評論 ひょうろん 家 か の斎藤 さいとう 美奈子 みなこ さんは評価 ひょうか する。代表 だいひょう 作 さく 『紀ノ川 きのかわ 』を発表 はっぴょう したのはまだ20代 だい 。「今 いま の日本 にっぽん 文学 ぶんがく は現実 げんじつ の細部 さいぶ を描 えが くミニマリズムが多 おお いけれど、有吉 ありよし 文学 ぶんがく は構 かま えが大 おお きく、いい意味 いみ で通俗 つうぞく 味 あじ もあった」という。
『紀ノ川 きのかわ 』や『華 はな 岡 おか 青 あお 洲 しゅう の妻 つま 』の面白 おもしろ さは、NHKの大河 たいが ドラマや朝 あさ の連続 れんぞく テレビ小説 しょうせつ に通 つう じる、と分析 ぶんせき する。「まだ、女性 じょせい が社会 しゃかい で生 い きていくには様々 さまざま な軋轢 あつれき ( あつれき ) があった時代 じだい を、独自 どくじ の創意 そうい で切 き り抜 ぬ けていく魅力 みりょく がある。女性 じょせい の一代記 いちだいき は、きっと今 いま 、若 わか い人 ひと が読 よ んでも面白 おもしろ いです」
(編集 へんしゅう 委員 いいん 鵜飼 うかい 哲夫 てつお )
2014年 ねん 06月 がつ 28日 にち 08時 じ 00分 ふん
Copyright © The Yomiuri Shimbun