【日本の今】『逃げ恥』からみる家事労働
脇坂 明 (学習院大学 経済学部経済学科 教授)
漫画『逃げるは恥だが役に立つ』(海野つなみ)はベストセラーになり、TBSでも放映され、結婚や家族のあり方を考えさせる内容になっている。
主人公の森山みくり(25歳)は心理学専攻の大学院卒で臨床心理士の資格をとるも、希望する職がなく、派遣会社に登録したが、派遣を切られ求職中である。父の紹介で元部下の独身男性の津崎(35歳)の家事代行サービスを請け負うことになる。
週1回毎回3時間、留守中に掃除や洗濯を行い、時給にすると2,000円の契約をする。その後、津崎のほうから、「雇用主と従業員という関係」より「契約結婚」、すなわち、(契約)事実婚の具体的な提案がなされる。いわゆる「住み込みの家事使用人」である。様々な補助、控除、手当が、単なる同居より制度的に得だと考えている。同居なので家賃、食費、光熱費は折半にする。時給2,000円は同じで同居のときは6時間労働になっている。
みくりが津崎に次第に好意をもつにしたがって、次のような心配をする。もし「籍を入れたら雇用関係はどうなる?」「雇ってくれていた分は、ただ働きか?」。このようなことに悩みながら、二人の愛(従業員の福利厚生)は深まっていく。関心を呼んだのが、この時給2,000円や家事労働の評価が、妥当かどうかである。
これは専業主婦が行う労働が、どのくらいの価値を持つかという学術的なテーマにつながる。家事労働の経済価値は、当然GDPに参入されないが、無償労働(unpaid work)とか「影の労働」(shadow work)とも呼ばれている。社会を維持するには不可欠なものであるから、どのくらいの価値をもつかについて、国内外で研究されている。
日本政府も、経済企画庁(現内閣府)が1997年にはじめて無償労働の貨幣評価額を試算し、2013年にも内閣府が最新版を出している。無償労働には、家事労働だけでなく、育児・介護やボランテイア活動も含まれるが、多くは家事労働が占める。その算出の仕方であるが、大きくインプット法とアウトプット法の二つがある。しかし家事労働のアウトプットの評価について研究蓄積がなく、ここでもインプット法が採用されている。
インプット法、すなわち家事労働に費やした時間に基づいて推計する方法にも3つのタイプがある。1)機会費用法 無償労働を行ったことによる市場での逸失利益、すなわち労働市場における賃金率で評価する方法、2)代替費用法スペシャリストアプローチ 市場で家事の類似サービスを提供する専門職種、たとえば掃除であればビル掃除員の賃金率で評価する方法、3)代替費用法ジェネラリストアプローチ 家事使用人の賃金で評価する方法。
この3タイプの推計を公表している。2011年の数値では、全体で1)2)3)の順に高く、1)ではGDPの3割を占める。ほかの2つの推計でも2割をしめ、どのタイプも、年々その割合が増加している。
このマクロの数値がよく利用され、専業主婦の価値の再評価、これとは逆に女性が労働市場に出ないことによる社会的損失を強調する際に用いられることがある。私は、この推計に根本的な疑問を持つものである。
まずこの基礎となった時間給の実際をみてみよう。1)の例として女性25-29歳では1,303円、2)の例として炊事では調理師(見習い含む)1,163円、洗濯では洗濯工 1,015円である。3)では家事援助サービス料金の推計で1,029円となっている。
みくりの時給2,000円を超えるものは年齢別の女性賃金にはなく、男性50-54歳 2,502円、育児の保育士でも1,238円である。この漫画の設定が非現実的であることを言いたいのではない。市場で決まる家事使用人の家事サービスの質・価格と競争のないところで提供される家事サービスのそれとは全く異なるのではないか、という点にある。一般的なケースでは前者が高いであろう。とすれば、いわゆる専業主婦の家事労働は時給1,000円より、かなり低い可能性がある。それがもし半分の500円であれば最低賃金を下回る。
この貨幣評価の方法は、労働投入時間を軸におく古典派の経済学の色彩が強い。現代の経済学では、アウトプットつまり実際どれだけ企業や組織に貢献したかをベースとして考えている。日本のいわゆる「年功賃金」も賃金制度の設計は、能力や成果の質や貢献に基づいている。家事労働のアウトプットの評価は事実上、不可能に近いが、理論的にはそれで考えるべきであろう。
[2017.9.11]
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脇坂 明 (学習院大学 経済学部経済学科 教授)
1982年、京都大学大学院博士課程単位取得退学。岡山大学を経て1999年より学習院大学経済学部教授。1999年、経済学博士(京都大学)。2011年、経済学部長。2014年、図書館長。研究分野は労働経済、人事管理、多様な働き方をテーマとしている。主な著作として『労働経済学入門-新しい働き方の実現を目指して』(日本評論社、2011年)ほか多数。