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【刀剣ワールド】皇室・公家と刀剣
The Wayback Machine - https://web.archive.org/web/20220829013239/https://www.touken-world.jp/imperial_sword/

皇室こうしつ公家くげ刀剣とうけんふか密接みっせつしていることはご存知ぞんじですか。あいがたなとしてもられていた「明治天皇めいじてんのう」のエピソードや、皇室こうしつ公家くげ関連かんれんする刀剣とうけん歴史れきしなどをご紹介しょうかいします。

天皇と元号一覧(令和と元号の決め方) 天皇と元号一覧(令和と元号の決め方)
大化たいかかられいまでの元号げんごうについてご紹介しょうかいします。

後鳥羽上皇ごとばじょうこうばん鍛冶たんや

2019ねん平成へいせい31ねん)4がつ30にち天皇てんのう譲位じょういによって、「上皇じょうこう」(じょうこう)が現代げんだい日本にっぽんにも登場とうじょうしました。これは、1817ねん文化ぶんか14ねん)に譲位じょうい(じょうい)した「ひかりかく天皇てんのう」(こうかくてんのう:1771ねん明和めいわ8ねん]~1840ねん天保てんぽう11ねん])以来いらいじつに202ねんぶりのことです。
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日本にっぽんがたなへの造詣ぞうけいふかく、みずかさくがたな手掛てがけた「後鳥羽上皇ごとばじょうこう」(ごとばじょうこう)がもうけた「ばん鍛冶たんや」(ごばんかじ)とは、どのような制度せいどだったのでしょうか。後鳥羽上皇ごとばじょうこうしんいたこころざしや、ばん鍛冶たんや制度せいど後世こうせいあたえた影響えいきょうなど、多角たかくてきべていきます。 後鳥羽上皇ごとばじょうこうばん鍛冶たんや YouTube動画どうが
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あいがたなであった「後鳥羽上皇ごとばじょうこう」(ごとばじょうこう)により、各月かくつき交替こうたいさくがたな担当たんとうする「ばん鍛冶たんや」(ごばんかじ)がにんじられました。ここでは、ばん鍛冶たんやつとめた刀工とうこうについて、つきごとにくわしく解説かいせつしていきます。 後鳥羽上皇ごとばじょうこうばん鍛冶たんや YouTube動画どうが
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歴代れきだい天皇てんのう刀剣とうけん歴史れきし

歴代れきだい天皇てんのう刀剣とうけんとのかかわりの歴史れきしについてご紹介しょうかいします。

だい106だい正親町おおぎまち天皇てんのう」(おおぎまちてんのう)は、室町むろまち時代じだい後期こうきから衰退すいたい一途いっと辿たどり、どんぞこだった朝廷ちょうていなおしに尽力じんりょくした天皇てんのうとしてられています。「応仁おうにんらん以降いこう下剋上げこくじょう風潮ふうちょう蔓延まんえんし、全国ぜんこくにあった天皇てんのう直轄ちょっかつりょう武士ぶし侵略しんりゃくなどによって荒廃こうはい正親町おおぎまち天皇てんのうも「践祚せんそ」(せんそ:先帝せんてい崩御ほうぎょまたは退位たいいによって即位そくいすること)から即位そくいしたことを対外たいがいてきしめす「即位そくいれい」をおこなうまでに3ねんようするなど、朝廷ちょうてい財政ざいせいてき逼迫ひっぱく(ひっぱく)していました。そのような状況じょうきょうで、経済けいざいてきうしたてとなっていたのが、ときをおなじくして天下てんか統一とういつへとまいしんしていた「織田おだ信長のぶなが」。そして、「本能寺ほんのうじへん」で織田おだ信長のぶながぼっしたあとには「豊臣とよとみ秀吉ひでよし」が継承けいしょうします。織田おだ信長のぶなが豊臣とよとみ秀吉ひでよしによる天下てんか統一とういつ路線ろせんゆたか政権せいけん)とあゆみをおなじくして、朝廷ちょうてい危機ききてき状況じょうきょうだっし、権威けんい回復かいふくしたのです。
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孝明天皇こうめいてんのう」(こうめいてんのう)は、激動げきどう幕末ばくまつ維新いしん、アメリカやヨーロッパ諸国しょこく開国かいこく通商つうしょう要求ようきゅうするなか、開国かいこく路線ろせん徳川とくがわ幕府ばくふたいして攘夷じょうい(じょうい)をとなえてゆずらず、徳川とくがわ幕府ばくふ崩壊ほうかいのきっかけをつくった人物じんぶつ。35さいというわかさで病没びょうぼつするまで、国民こくみんまもるために生涯しょうがいくしました。孝明天皇こうめいてんのう幕末ばくまつ維新いしんたした役割やくわりと、孝明天皇こうめいてんのうにまつわる刀剣とうけんについてご紹介しょうかいします。
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日本にっぽんがたな武士ぶしたましい」という言葉ことばがあるように、「日本にっぽんがたなイコール武士ぶし」というイメージが一般いっぱんてきです。もっとも、日本にっぽんがたな所持しょじしているのは、武士ぶしだけではありませんでした。じつ貴族きぞく日本にっぽんがたな所用しょようしていたのです。貴族きぞく所用しょようしていた日本にっぽんがたなは、「かざり太刀だち」(かざりたち)とばれ、華麗かれい装飾そうしょく特徴とくちょう武士ぶし所用しょようしていた日本にっぽんがたなとはおもむきことにしています。ここでは、「貴族きぞく日本にっぽんがたな」ともえるかざり太刀だちをご紹介しょうかいします。
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日本にっぽん皇族こうぞくは、「記紀きき神話しんわ」(ききしんわ:「古事記こじき」と「日本書紀にほんしょき」の総称そうしょう)に登場とうじょうする「こうすめらぎさん霊神れいじん」(たかみむすびのかみ)を皇祖こうそしん(こうそしん:「皇室こうしつ」とわれるかみのこと)とする一族いちぞくです。記紀きき神話しんわには、多数たすう刀剣とうけん登場とうじょうし、そのおおくが皇室こうしつ伝承でんしょうされています。皇位こうい継承けいしょうあかし三種さんしゅ神器じんぎ」のひとつ「草薙くさなぎけん」(くさなぎのつるぎ:「てん叢雲むらくもけん」[あめのむらくものつるぎ]ともわれる)や、皇太子こうたいしさづけられる「つぼきり御剣みつるぎ」(つぼきりのみつるぎ)を代表だいひょうとする数々かずかず刀剣とうけん皇室こうしつ伝承でんしょうする刀剣とうけん来歴らいれき伝説でんせつをご紹介しょうかいします。
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明治めいじ時代じだいから太平洋戦争たいへいようせんそう終結しゅうけつまで、日本人にっぽんじん男性だんせいには兵役へいえき義務ぎむせられていました。この義務ぎむ皇族こうぞくにも適用てきようされ、成年せいねん男子だんしはすべて軍役ぐんえき必要ひつようがあったのです。いわゆる「皇族こうぞく軍人ぐんじん」とばれる人々ひとびと日本にっぽんぐん軍人ぐんじんこしには、しょ外国がいこく軍人ぐんじん使用しようしていた刀剣とうけんとはことなる日本にっぽん独自どくじ武器ぶき軍刀ぐんとう」がげられていました。皇族こうぞく軍人ぐんじん軍刀ぐんとう関係かんけいについてご紹介しょうかいします。
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歴代れきだい天皇てんのうは、権力けんりょく委任いにん功績こうせき、さらには返礼へんれい意味いみめたりするなどの様々さまざま目的もくてきにより、臣下しんか刀剣とうけん下賜かししていました。123だい天皇てんのうである「大正天皇たいしょうてんのう」も例外れいがいではなく、大正天皇たいしょうてんのうから下賜かしされたとつたわる刀剣とうけんが2現在げんざいいたるまで存在そんざいしています。ここでは、その2がどのような刀剣とうけんであったのかについて、下賜かしされた人物じんぶつともにその全貌ぜんぼうをご説明せつめいします。
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近代きんだいはいってから即位そくいされた天皇てんのうのなかでは、もっとも在位ざいい期間きかんみじかかった「大正天皇たいしょうてんのう」。そのため日本にっぽん史上しじょうにおいては、研究けんきゅう対象たいしょうになるための史料しりょうがあまりなかったこともあり俗説ぞくせつばかりがひとあるきし、その真実しんじつのお姿すがたながあいだなぞつつまれていた部分ぶぶんおおくありました。 しかし近年きんねん、この大正天皇たいしょうてんのうたれていた意外いがいいちめん次第しだいあきらかになりつつあります。そのなかのひとつが、大正天皇たいしょうてんのう日本にっぽんがたなあいしてやまない人物じんぶつであったということ。ここでは、大正天皇たいしょうてんのう日本にっぽんがたな関係かんけいについて紐解ひもときながら、両者りょうしゃにまつわる逸話いつわについてご紹介しょうかいします。
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昭和しょうわ天皇てんのう」は、国軍こくぐんそう司令しれいかんにあたる「大元帥だいげんすい」(だいげんすい)としての天皇てんのうと、戦後せんご日本国にっぽんこく憲法けんぽうによって規定きていされた「象徴しょうちょう」としての天皇てんのうという、2つの天皇てんのうぞうになわれました。25さい即位そくいし「だい世界せかい大戦たいせん」の激動期げきどうきき、62年余ねんよ在位ざいい期間きかんまっとう。また、昭和しょうわ天皇てんのう現代げんだいがたな歴史れきしにも影響えいきょうあたえます。昭和しょうわ天皇てんのう昭和しょうわ時代じだい代表だいひょうする軍刀ぐんとう靖国やすくにがたな」(やすくにとう)と「菊水きくすいがたな」(きくすいとう)とのかかわりをご紹介しょうかいしましょう。
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古代こだい宮廷きゅうてい社会しゃかいにあって最大さいだい勢力せいりょく権勢けんせいほこった藤原ふじわらきた(ふじわらほっけ)。近衛このえはこの藤原ふじわらきたつらなる日本にっぽん名家めいかです。歴代れきだい当主とうしゅは、朝廷ちょうていにあってつね要職ようしょくにありました。明治維新めいじいしんさいに、近衛このえは「華族かぞくれい制定せいてい」にともなって公爵こうしゃくれっせられ、明治めいじ時代じだい大正たいしょう時代じだい昭和しょうわ時代じだい前期ぜんき日本にっぽんおおきな役割やくわりたしています。連綿れんめんたる歴史れきしのなかで存在そんざいかん発揮はっきしてきた名門めいもん近衛このえは、どのような刀剣とうけん秘蔵ひぞうしていたのでしょうか。
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朝廷ちょうてい文官ぶんかんたる「公家くげ」と「刀剣とうけん」は、一見いっけんすると異質いしつわせにえますが、公家くげにとっても刀剣とうけん必要ひつよう不可欠ふかけつ道具どうぐでした。武道ぶどうはげ必要ひつようはなく、ましてや合戦かっせんわけでもない公家くげがなぜ、刀剣とうけん必要ひつようとしたのか。五摂家ごせっけのひとつとして朝廷ちょうていないおもきをなしていたきゅうじょう名品めいひんとおして、公家くげ刀剣とうけん関係かんけいについてせまっていきます。
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古来こらい皇室こうしつ刀剣とうけん密接みっせつなかかわりをち、近代きんだいでは「明治天皇めいじてんのう」があいがたなとしてもっともよくられています。そのあといだ「大正天皇たいしょうてんのう」もまた刀剣とうけんあいしてやまない人物じんぶつでありましたが、生誕せいたんより病弱びょうじゃくであり、在位ざいい期間きかんみじかかったことから、あいがたないちめんについてはひろられているとはえません。そんな大正天皇たいしょうてんのうにゆかりのある刀剣とうけんのなかでも、とりわけ個性こせいてき特徴とくちょうそなえた「流星りゅうせいがたな」(りゅうせいとう)と、戦国せんごく武将ぶしょうにまつわる逸話いつわつ「岡田おかだきり」(おかだぎり)を中心ちゅうしんげ、大正天皇たいしょうてんのう稀有けう刀剣とうけんとのえんにふれていきます。
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東京とうきょう千代田ちよだにある「さんまるなお蔵館くらだて」(さんのまるしょうぞうかん)は、昭和しょうわ天皇てんのう崩御ほうぎょともなって「御物ぎょもつ」(ぎょぶつ:皇室こうしつ私有しゆうひん)のうちのやく6,000てんくに寄付きふされたことを契機けいきとして、1992ねん平成へいせい4ねん)に皇居こうきょひがし御苑ぎょえんない設置せっちされました。この施設しせつ設置せっち目的もくてきは、これらを適切てきせつ環境かんきょうでの保存ほぞん研究けんきゅうすることと、一般いっぱんへの展示てんじ公開こうかい現在げんざい収蔵しゅうぞうひんやく9,800てんで、刀剣とうけんるいも、すうおおくの名刀めいとう収蔵しゅうぞうされています。刀剣とうけんるいかぎらず、皇室こうしつ代々だいだいがれてきた貴重きちょう美術びじゅつひんるい無料むりょう観覧かんらんすることができる施設しせつです。
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明治天皇めいじてんのうあいがたな紹介しょうかい

日本にっぽん屈指くっし日本にっぽんがたな収集しゅうしゅうでもあった明治天皇めいじてんのうあいしたかたなからりすぐりの名刀めいとうをご紹介しょうかいします。

明治天皇めいじてんのう」は、あいがたなとしてもられていました。そのコレクションは、古刀ことう新刀しんとうふくめてやく300にもおよび、いずれも「業物わざもの」(わざもの:名工めいこう制作せいさくしたあじするどかたなぞろい。そこで、日本にっぽん屈指くっし刀剣とうけん収集しゅうしゅうでもあった明治天皇めいじてんのうあいした刀剣とうけんから、りすぐりの名刀めいとうをご紹介しょうかいします。 ここでご紹介しょうかいするのは、「岡田おかだきり」(おかだぎり)、「平野ひらの藤四郎とうしろう」(ひらのとうしろう)、「一期いっきいち」(いちごひとふり)、「しょうりゅうけいこう」(こりゅうかげみつ)、「鶴丸つるまるこくひさし」(つるまるくになが)、「獅子王ししおう」(ししおう)、「太刀たち無銘むめい でん則宗のりむね」(たち:むめい でんのりむね)、「しょう烏丸からすま」(こがらすまる)、「宗瑞そうずい正宗まさむね」(そうずいまさむね)、かたな会津あいづ正宗まさむね」(あいずまさむね)、「徳用とくようもり」(とくようもりいえ)、太刀たちうぐいすまる」(うぐいすまる)、太刀たちめい むねこん」(めい むねちか)。 さらには明治天皇めいじてんのう常用じょうようがたなとしてもちいていた新刀しんとう堀川ほりかわ国広くにひろ」(ほりかわくにひろ)の作品さくひんきくもんりの太刀たち和泉いずみまもる国貞くにさだ:いずみのかみくにさだ=井上いのうえ真改しんかいさく:いのうえしんかいさく)、国宝こくほう太刀たち」(綾小路あやのこうじじょう利作りさく:あやのこうじさだとしさく)の15です。
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明治天皇めいじてんのう刀剣とうけんにまつわる歴史れきし

明治天皇めいじてんのう刀剣とうけんにまつわる歴史れきしについてご紹介しょうかいします。

日本にっぽん近代きんだい国家こっかへとみちびいた「明治天皇めいじてんのう」。その偉大いだい功績こうせきくらべ、その人物じんぶつぞう一般いっぱんには浸透しんとうしているとはえません。しんささえとなっていた皇后こうごうまわりの世話せわをしていた女官にょかん皇位こうい継承けいしょうしゃ誕生たんじょう期待きたいされていた側室そくしつなど、天皇てんのう日々ひびおおくのひとたちとかかわりをち、そのひとたちにささえられて生活せいかつしていました。また、7さいから「四書ししょ五経ごきょう」(ししょごきょう:儒教じゅきょう基本きほんしょとされる9しゅ書物しょもつ)を中心ちゅうしん勉学べんがくはじめていた明治天皇めいじてんのうにとっての息抜いきぬきは、チャンバラあそび。おさなころから日本にっぽんがたな興味きょうみつなど、好奇心こうきしん旺盛おうせい明治天皇めいじてんのうは、おおくの趣味しゅみたのしんでいたのです。激動げきどう時代じだいに、最前線さいぜんせん国家こっか牽引けんいんした明治天皇めいじてんのう素顔すがお日常にちじょうのぞいてみましょう。 大化たいかかられいまでの元号げんごうについてご紹介しょうかいします。
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明治維新めいじいしんによって、日本にっぽん近代きんだい国家こっかへのみちあゆはじめましたが、急激きゅうげき改革かいかくは、維新いしん士族しぞくとなったきゅう武士ぶしにとって、れることはむずかしいものでした。その象徴しょうちょうが1876ねん明治めいじ9ねん)に公布こうふされた「廃刀はいとうれい」。「武士ぶしたましい」ともえる日本刀にっぽんとうげられた士族しぞくは、しん政府せいふたいして幾度いくどとなく反乱はんらんこします。その最大さいだいきゅうものが1877ねん(明治めいじ10ねん)にこった「西南せいなん戦争せんそう」(せいなんせんそう)です。陸軍りくぐん後方こうほう支援しえん部隊ぶたいだった「抜刀ばっとうたい」の活躍かつやくによりしん政府せいふぐん勝利しょうり。また抜刀ばっとうたい活躍かつやくが、士族しぞく反乱はんらん終結しゅうけつさせるとともに、剣術けんじゅつ有用ゆうようせいさい認識にんしきさせ、いまつづ警察官けいさつかん訓練くんれんのひとつとなるみちひらいたのでした。
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明治維新めいじいしんしん政府せいふは、近代きんだいてき軍隊ぐんたい確立かくりつさせるために、軍人ぐんじん警官けいかん使用しようするかたな西洋せいよう刀剣とうけん・サーベルを採用さいようしましたが、西洋せいよう剣術けんじゅつ馴染なじみのない日本人にっぽんじんは、西洋せいよう刀剣とうけんあつかいに苦戦くせんしていました。そんなおり、1877ねん明治めいじ10ねん)の「西南せいなん戦争せんそう」において、「抜刀ばっとうたい」(ばっとうたい)が活躍かつやくしたことをに、日本にっぽんがたな日本にっぽん剣術けんじゅつさい評価ひょうかされるようになります。そこで一般いっぱんしていったのが、日本にっぽんがたな刀身とうしんもちいた日本にっぽんしき軍刀ぐんとうでした。日本にっぽん独自どくじ武器ぶきであるとえるこのかたなは、1945ねん昭和しょうわ20ねん)に日本にっぽんぐん解体かいたいされるまで、軍隊ぐんたいともにその歴史れきしあゆむこととなったのです。
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明治天皇めいじてんのう」は、1882ねん明治めいじ15ねん)に下賜かしした「軍人ぐんじんみことのりさとし」(ぐんじんちょくゆ)や、すうおおくの「御製ぎょせい」(ぎょせい:天皇てんのう皇族こうぞくいたりつくったりした文章ぶんしょう詩歌しか絵画かいが)をつうじて、武士ぶしどう大切たいせつさを臣民しんみん(しんみん:明治めいじ憲法けんぽうにおける国民こくみん)につたえようとつとめました。陸軍りくぐん大将たいしょう乃木のぎ希典まれすけ」(のぎまれすけ)は、明治天皇めいじてんのうおもんじた武士ぶしどう精神せいしん承継しょうけい。1905ねん明治めいじ38ねん)の「にち戦争せんそう」では、敗軍はいぐんしょうとなったロシアぐん司令しれいかん「ステッセル将軍しょうぐん」の名誉めいよおもんじ、健闘けんとうとなえたとわれています。どのような状況じょうきょうにあっても、相手あいてへの敬意けいいわすれない乃木のぎ将軍しょうぐん姿勢しせいとおして、日本にっぽん武士ぶしどう世界せかい賞賛しょうさんされました。このような武士ぶしどう精神せいしんやしない、後世こうせいぐべく武道ぶどうじょうすみやすしかん」(さいねいかん)や「至誠しせいかん」(しせいかん)が建設けんせつされたのです。
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明治めいじ代表だいひょうてき刀工とうこう

明治めいじ時代じだい活躍かつやくした代表だいひょうてき刀工とうこうをご紹介しょうかいします。

日本にっぽんがたなえば、とかく刀身とうしんきがちですが、「こしらえ」(こしらえ:日本にっぽんがたな外装がいそう総称そうしょう)にも技巧ぎこうくされています。たとえば、日本にっぽんがたなの「」(つか)と刀身とうしんあいだはさまれている金具かなぐである「つば」(つば)は、にぎ保護ほごするためのものですが、時代じだいるにしたがって様々さまざま意匠いしょうらされました。つばは、日本にっぽん金属きんぞく工芸こうげい原点げんてんともえるのです。今回こんかいは、「明治天皇めいじてんのう」が「みずりゅうけん」(すいりゅうけん)と命名めいめいした日本にっぽんがたなこしらえ制作せいさくした彫金ちょうきん加納かのう夏雄なつお」(かのうなつお)、幕末ばくまつから明治めいじにかけてかたなそう金工きんこうかい牽引けんいんした「後藤ごとういちじょう」(ごとういちじょう)と、明治めいじ加納かのう夏雄なつおとも活躍かつやくした「香川かがわ勝廣かつひろ」(かがわかつひろ)をご紹介しょうかいします。
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明治めいじ時代じだいは、「日本にっぽんがたな」にとって受難じゅなん時代じだいでもありました。きっかけは、1876ねん明治めいじ9ねん)にはっせられた「廃刀はいとうれい」。これにより、日本にっぽんがたな需要じゅようはほぼ消滅しょうめつし、「日本にっぽんがたな文化ぶんか」は風前ふうぜんともしびに。そんな時代じだいにおいても、刀工とうこうたち伝統でんとう文化ぶんか承継しょうけい発展はってんさせていったのです。今回こんかいは、明治めいじ時代じだい名工めいこうとしてせた「宮本みやもとつつみそく」(みやもとかねのり)、「堀井ほりいたねきち」(ほりいたねよし)、「月山がっさん貞一さだいち」(がっさんさだかず)、「海野うみのまさる珉」(うんのしょうみん)をつうじて、明治めいじ時代じだい日本にっぽんがたな事情じじょうさぐります。
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皇族こうぞく浮世絵うきよえ

徳川とくがわてた江戸えど幕府ばくふが、1867ねん慶応けいおう3ねん)に「大政奉還たいせいほうかん」(たいせいほうかん)をおこなったことで、日本にっぽん統治とうちけん武家ぶけから返還へんかんされ朝廷ちょうていうつりました。1868ねん明治めいじ元年がんねん)に「明治天皇めいじてんのう」を元首げんしゅとする政府せいふ発足ほっそくし、日本にっぽん立憲りっけん君主くんしゅせいとなります。首都しゅと東京とうきょうさだめられた1869ねん明治めいじ2ねん)、政府せいふ京都きょうとから東京とうきょううつされ、本格ほんかくてき始動しどうしました。 あたらしい時代じだい明治めいじ」の幕開まくあけを、浮世絵うきよえは、あざやかなあか基調きちょうとする色彩しきさい背景はいけいとして明治天皇めいじてんのうえがき、浮世絵うきよえはなやかに演出えんしゅつします。浮世絵うきよえは、多色たしょくりの木版もくはん量産りょうさんされ、「錦絵にしきえ」(にしきえ)として完成かんせいがたいたりました。どの浮世絵うきよえも、明治天皇めいじてんのう中心ちゅうしんとなってあらたな日本にっぽん推進すいしんしていこうといういきおいにあふれています。
詳細しょうさい情報じょうほう
浮世絵うきよえ」とくと、武将ぶしょう合戦かっせん役者やくしゃ女性じょせいなどを題材だいざいとした作品さくひんおもかべるほうおおいかもしれません。なぜなら、浮世絵うきよえは「」、すなわち風俗ふうぞくえがいた絵画かいがであり、そうした世俗せぞく一線いっせんかくしている天皇てんのう皇族こうぞく)は、題材だいざいとして親和しんわせいがあるとはがたいともおもえるからです。もっとも、浮世絵うきよえのなかには、天皇てんのう皇族こうぞく)を題材だいざいとしている作品さくひんいち定数ていすう存在そんざいしていることも、また事実じじつ。それらは、市井しせいにおいて天皇てんのう皇族こうぞく)がどのようにられていたのかをうつかがみのような存在そんざいであるともえるのです。ここでは、天皇てんのう皇族こうぞく)を題材だいざいとした浮世絵うきよえをご紹介しょうかいします。
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刀剣とうけんワールド財団ざいだん所蔵しょぞう
皇室こうしつ関連かんれん刀剣とうけん一覧いちらん

刀剣とうけんワールド財団ざいだん所蔵しょぞうする、皇室こうしつ関連かんれんする刀剣とうけん一覧いちらんをご紹介しょうかいします。

指定してい認定にんてい区分くぶん

  • 重美しげみ重要じゅうよう美術びじゅつひん
  • とくおも特別とくべつ重要じゅうよう刀剣とうけん
  • とく特別とくべつ保存ほぞん刀剣とうけん
  • かん鑑定かんてい

皇室こうしつゆかりの刀剣とうけん

指定してい認定にんてい 刀剣とうけん名称めいしょう 伝来でんらい
重美しげみ 重美しげみ小太刀こだち めい 長光ちょうこう 有栖川ありすがわ宮家みやけ
とくおも とくおも太刀たち めい 正恒まさつね青江あおえ こう嵯峨天皇さがてんのう実子じっし 宗尊むねかた
親王しんのう征夷大将軍せいいたいしょうぐん所持しょじ皇族こうぞく
足利あしかが将軍家しょうぐんけ松平まつだいら
とくおも とくおもかたな 無銘むめい でん正宗まさむね 孝明天皇こうめいてんのう
とく とくかたな めいじ だい日本にっぽん兼定かねさだ 大正天皇たいしょうてんのうへの献上けんじょうがたな
かん かん短刀たんとう めい 大隅おおすみ俊平しゅんぺい謹作 平成へいせい13ねん内親王ないしんのう殿下でんか御守おまもりがたな皇室こうしつ
かん かん太刀たち めい 献上けんじょう高松宮たかまつのみや殿下でんか 大隅おおすみ俊平しゅんぺい謹作 高松宮たかまつのみや寄託きたくひん
かん かんわきゆび めい 献上けんじょう高松宮たかまつのみや殿下でんか 大隅おおすみ俊平しゅんぺい謹作 高松宮たかまつのみや寄託きたくひん
かん かんかたな めい やすしこう 昭和しょうわ天皇てんのうより恩賜おんし
朝香あさかみやまこと彦王(たかひこおう)
かん かんかたな めい 桜井さくらい正次まさつぐ謹作 有栖川ありすがわ宮家みやけ
かん かんかたな めい 龍泉りゅうせん貞次ていじ謹鍛花押かおう 昭和しょうわ35ねん皇太子こうたいし殿下でんか誕生たんじょう記念きねん皇室こうしつ
かん かんかたな めい 大阪おおさか住人じゅうにん月山がっさん貞勝さだかつ謹作(花押かおう 昭和しょうわ8ねん皇太子こうたいし殿下でんか誕生たんじょう記念きねん皇室こうしつ
人間にんげん国宝こくほう月山がっさん貞一さだいち

皇室こうしつ下賜かしがたな

指定してい認定にんてい 刀剣とうけん名称めいしょう 伝来でんらい
かん かんかたな めい 大阪おおさかじゅう月山がっさん貞勝さだかつ謹作
昭和しょうわななねんじゅうがつ吉日きちじつ
於田秋光あきみつ大佐たいさ所持しょじ西郷さいごう隆盛たかもりまためいおっと
昭和しょうわ天皇てんのう下賜かしがたな
天皇てんのうゆかりの名刀めいとう
様々さまざまな「名刀めいとう」とうたわれる刀剣とうけんくわしくご紹介しょうかいします。

宮内庁くないちょう施設しせつ情報じょうほう

施設しせつめい 宮内庁くないちょう
所在地しょざいち 〒100-0001
東京とうきょう千代田ちよだ千代田ちよだ1ばん1ごう
公式こうしきURL http://www.kunaicho.go.jp/
宮内庁

宮内庁くないちょう
施設しせつ情報じょうほうサイトのご紹介しょうかい

施設しせつリサーチ/ホームメイト・リサーチパブリネット「市区しく役所やくしょ町村ちょうそん役場やくば県庁けんちょうでは、宮内庁くないちょう施設しせつ写真しゃしん施設しせつ動画どうが投稿とうこう、ごらんいただけます。
※ご投稿とうこういただくには、施設しせつリサーチ/ホームメイト・リサーチへのユーザー登録とうろく必要ひつようです。

皇宮警察こうぐうけいさつ本部ほんぶ」の施設しせつ情報じょうほうについてご紹介しょうかいします。

刀剣とうけん日本にっぽんがたなめられた幾多いくた魅力みりょく皆様みなさまにおとどけする、刀剣とうけん専門せんもんサイト・バーチャル刀剣とうけん博物館はくぶつかん刀剣とうけんワールド」。こちらのページは「皇室こうしつ公家くげ刀剣とうけん」のトップページです。
一口ひとくち刀剣とうけん日本にっぽんがたなっても、じつ歴史れきしなが刀剣とうけん日本にっぽんがたな。あなたがらないしん事実じじつもまだまだたくさんあるかもしれません。刀剣とうけん日本にっぽんがたな甲冑かっちゅう鎧兜よろいかぶと)にかんする様々さまざま記事きじがあるので、ぜひごらんください。
また、刀剣とうけんワールドでは、ほかにも刀剣とうけん日本にっぽんがたなかんするコンテンツをご用意よういしております。刀剣とうけんワールドをごらんいただき、刀剣とうけん日本にっぽんがたなについてのあたらしい知識ちしきまなんでください!

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