過去最大級の
規模となった
CEDEC 2009だが,3
日めの
基調講演を
飾ったのは,ご
存じ「ドラゴンクエスト」の
生みの
親である
堀井雄二氏だ。
「国民的ゲームとは何か? 〜ドラゴンクエストの場合〜」と
題されたこの
基調講演に
登壇したのは,
堀井氏をはじめ,「
ドラゴンクエストIX 星空の守り人」の
開発に
携わったスクウェア・エニックスの
市村龍太郎氏と
藤澤仁氏の
計3
名。
講演は,その3
人によるパネルディスカッション
形式で
行われ,
最新作であるドラゴンクエストIXでの
具体例を
挙げながら,どういった
意図でドラゴンクエストIXの
各システムが
導入されていったのか。そして,その
根底にあるゲームデザインの
思想……「
国民的なゲームとはなんなのか?」などが
語られていった。
「デジタルにはファジーさが
必要だと
思う」「やってみたら
面白いゲームは
沢山ある。けれど,そうじゃなくて“やってみたら
面白そうに
思える
何か”が
大事」など,
堀井雄二氏らしい
独特の
感性が
感じ
取れる
発言も
多く,
会場をぎっしり
埋め
尽くした
来場者達に
何かを
残したようだ。ドラゴンクエストシリーズに
通じる「
心地よさ」の
秘訣とはいったいなんだろうか?
堀井雄二氏の
発言をほぼそのままお
送りする,「
完全レポート」をお
届けしたい。
※注:意味が分かりやすいように,多少の加筆修正は行っております。また一部は割愛しております。
ドラゴンクエストが示すゲーム制作の原理原則
講演は,ドラゴンクエストIXのプロデューサーを
務めた
市村氏が
司会進行を
行う
形で
行われ,
振られた
話題について
堀井氏や
藤澤氏が
答えるという
流れ。
市村氏は,
講演のテーマを
なぜドラゴンクエストは人気が維持できるのか
ドラゴンクエストIXのゲームデザイン
これからのゲームはどうなっていくのか
スクウェア・エニックスの市村龍太郎氏
|
の
三つと
定め,
順番に
話を
進めていった。
市村氏は
最初に,「まずはおさらいをしましょう」と
言いながら,ドラゴンクエストの
歴史を
振り
返る。
社会現象にまでなった「ドラゴンクエストIII」
以降もセールスはコンスタントに300
万本前後を
推移し,
近年では,さらにその
売上を
伸ばしつつあるドラゴンクエストだが,
初代ドラゴンクエストを
開発し
始めた
当時は,ロールプレイングゲーム(
以下,RPG)というジャンルがまだ
日本ではほとんど
見られない
時代だった。そうした
状況の
中,どういう
経緯,どういう
意図でドラゴンクエストという
作品に
取り
組んでいったのか?
市村氏の
質問に
対して,
堀井氏は
語る。
「そうですね。ちょうど
当時,ファミコンが
流行った
時代がありました。その
当時のファミコンのゲームというと,アクションゲームが
主流だったんですよ。
昨日お
会いした
遠藤さんの『ゼビウス』とかが
凄い
人気になったりしていて。
僕はその
当時,
海外の「ウルティマ」とか「ウィザードリィ」というゲームを
遊んでいて,どうにかしてこれをファミコンで
出来ないかなって
考えていました。
(その
時代のゲームは)ゲームセンターの
作品が
主流で,ゲームセンターのゲームというのは,100
円玉を
集めなきゃいけない。つまり
比較的短時間でゲームオーバーにしなくちゃいけない。そういう
宿命だった。
だけど,
家庭用ゲーム
機のゲームなら100
円玉を
集めなくていいから,ずっとだらだら
遊び
続けるゲームを
作ることができる,だから,これならRPGができるんじゃないかって
思ったんですよ」
「でも,
当時はとにかくハードウェアのスペックが
低かったんですよ。ドラゴンクエストI
当時で,
容量が64KB。もうね,
今の
携帯の
待ち
受け
画像より
小っちゃいくらいの
容量で,プログラムからグラフィックスから
音楽まで,
全部入っていたんです。
それをやりくりするために,さまざまな
工夫をしました。
文字データだけでも
当時は
結構な
容量だったので,
一文字単位,カタカナで20
文字までの
表現にするとか,とにかく
詰めて
詰めて,ビット
単位で
計算してなんとか
出来た。
そんな
中でも
一番気をつけたのが,“
分かりやすさ”です。RPG
自体は,やれば
面白いだろうものだったけど,
当時は
凄い
敷居が
高かった。
何をどうすればいいのかが
分からないという
感じのものが
多かった。それを
如何に
分かりやすい
形にするか」
「
話が
遡りますが,そう
考えていって
最初に
思ったのは,『いきなりロールプレイングは
難しいんじゃないか』ということでした。
文字が
出て
答えたり,
自由にマップを
動けるだとかっていうのはね。
そこで,
最初はアドベンチャーゲームの
方がいいんじゃないか。やれることが
少ない
分,よりダイレクトだろうと。
移動もない。
戦闘もない。だから「ポートピア
連続殺人事件」を
最初にファミコンに
移植して,まずは『
文字で
遊ぶゲーム』というものに
慣れてもらおうと
思いました。
そうした
下地を
作ったうえで,いよいよドラゴンクエストの
開発に
取りかかったんです」
業界人なら
知っている
人も
多いだろうが,
堀井雄二氏が,アドベンチャーやRPGなど,
当時の
日本にないタイプのゲームの
伝道師として,ゲームの
開発やそのほかの
啓蒙活動(
雑誌で
記事を
書いたりなど)に
取り
組んでいたのは
有名な
話だ。
ドラゴンクエストを
作るにあたっては,このように
日本のプレイヤーのゲームの
習熟度や
知識までを
考慮したゲームデザインを
施しており,
上記の
話の
延長として,
今では
当たり
前となっている「パーティシステム」を,
初代ドラゴンクエストでは「まだ
難しいから」と
見送り,「ドラゴンクエストII」で
初実装。その
後の「ドラゴンクエストIII」で,
職業や
自由なパーティの
入れ
替えなど,
難しいシステムを
徐々に
実装していった。
「IIIまではそんなに
考えなかったんです。というのも,とにかくRPGを
理解してもらうためにも,ドラゴンクエストIでは,いろんな
要素をそぎ
落としました。アイテムやコマンドも
少なかったし,パーティ
制もありませんでした。シンプルにまとめていったんです。
容量も
少なかったし。
IIになってROMの
容量も
増えて,じゃあパーティ
制をやってみようという
話になったんですが,ただ,やっぱり『いきなりパーティプレイは
難しいだろう』ってことで,シナリオ
的に
徐々に
仲間が
増えていくような
流れにしたり,
自然な
形で
理解されるように
務めました。
当時のRPGというと,シナリオがちゃんとしているものはほとんどなかったんですが,シナリオを
付ける
意味というのは,
次に
何をすれば
良いかが
分かりやすくなること。そうやってシステムとシナリオを
組み
合わせながら,ドラゴンクエストのI〜IIIを
作っていったましたが,これは
上手くいったなと
思います(笑)」
堀井雄二氏の
凄いところは,
氏が
広めたいと
思っていた「ウィザードリィ」などの
流儀をかみ
砕いて,それを
数年がかりで,「
日本のプレイヤーに
分かりやすい
形で」
提示していったところであり,その
結果として,RPGというジャンルの
基礎を
構築,その
市場の
土台を
作り
上げたところにある。
堀井氏の
話は
続く。
「ドラゴンクエストでは,
言葉選びも
慎重に
行いました。
代表的なのは『どうぐや』でしょうか。
今のゲームでは,
割と
当たり
前に『
道具屋』ってあるんですけれど,
道具屋なんて
実際の
世の
中にはないんです。
武器屋,
防具屋と
考えていって,いろいろな
雑貨を
売っているものってなんだ? って
考えたときに,なんとなく
語呂が
良くて,
短く
分かりやすい『どうぐや』だったという」
これも,
知ってる
人には
有名な
逸話かもしれない。そもそも
傷ついた
体を
癒す
施設が「
宿屋」である
点(
普通に
考えたら
病院では? とか)や,「ひのきのぼう」ってどんな
武器? という,なんとも
言えないハズなのに
妙に
説得力のある,まったく
違和感を
感じない
堀井雄二氏らしい
話である。
話は
進み,「
多くの
人が
遊ぶからこそ
大切にしていること」についての
話題に
移る。
「
僕は,ゲームを
遊ぶときってマニュアルって
読まないんです。
僕が
昔やってたパソコンとかのマニュアルも
凄い
分厚かったりしたんだけど,やっぱり
読まない。とりあえず
適当に
触ってみて,なんか
分からないところがあったら
読むくらいで。
だから,
昔からRPGにしろアドベンチャーにしろ,マニュアルは
読まないものだと
思ってゲームは
作っていました。アクションゲームとかなら,ゲームが
始まると
敵が
襲ってきますから,マニュアルを
読んでいなくても,プレイヤーは,それをなんとかして
避けたりしようとするんだけど,RPGとかはそうじゃない。
ドラゴンクエストIなどでは,
最初に
王様の
部屋という7×7の
空間にプレイヤーを
閉じ
込めて,まずはそこから
脱出するという
作り
方をした。そこで「はなす」とか「かいだん」とかのコマンドを
入れていけば,ゲームが
動いていくんだってことを
理解してもらいたかった」
どんなジャンルでもそうだが,
何気なく
使っている
製品,
当たり
前のものとして
認識されている
各種インタフェースなどは,すべからく“
誰かが
発明したもの”である。Webの
世界でいえば,ハイパーリンクシステムなどがその
代表だろうか。
堀井氏の
話には,そうした「
当たり
前」を
作り
出すための
創意工夫が
込められている。
シリーズゲームならではの注意点とは?
ドラゴンクエストの
設計思想についての
話が
一段落したあと,
市村氏は,「シリーズならではの
注意点」について,
堀井氏に
質問をする。
「シリーズ
物が
難しい,とにかく
難題なのは,
初代が
面白いと,その
次はより
面白くってところ。これは
映画とかでもそうなんだけど,1が
面白かったら2,2が
面白かったら3というように,
期待値がどんどん
膨れあがっていく。でも,
映画の
場合だと2
時間という
枠のなかでは,そんなに
変わったこともできないから,だんだん
飽きられていく。
続編が1と
同じくらいの
面白さだと,
期待値が
膨れあがってるぶん『つまらない』と
言われてしまう。
それはゲームもまったく
同じことは
言えるんだけど,ドラゴンクエスト(ゲーム)の
場合は,
幸運にも『ハードウェアの
進化』という
要素がありました。
初代では64KBだった
容量が,128KBになり,256KBなり,その
次には512KBになり,やれることがどんどん
増えていったんです。ハードの
進化に
合せて,グラフィックスが
良くなったし,サウンドも
良くなったし,
複雑なシステムも
実装できるようになって。そうやってずっとやって
来れた。その
流れが『ドラゴンクエストVIII』までなんです」
「VIIIは,ある
意味,
僕にとってのまさに
夢のゲームでした。というのも,
僕がドラゴンクエストIを
作った
時,ああいう
映像を
頭の
中に
描きながら
仕様を
考えていました。あの
当時のゲームデザイナーは,みんなそうだと
思うんです。
VIIIになって,それがコンピュータグラフィックス
上で
表現されるのを
見て,
素直に「ああ,すげーな! これは
面白いな!」と
思ったんです。コンピュータゲームでもここまでできるようになったんだと。ドラゴンクエストは,ハードウェアの
進化に
助けられて,
技術を
取り
入れながら
面白さを
繋いで
来た
側面がある。それがVIIIまでなんです。
ドラゴンクエストIXでは,
初めてハードウェアのスペックを
落としました。プレイヤーの
期待値が
膨れあっているなかで,スペックを
落としてどうやってプレイヤーさんに
面白いと
思ってもらえるのか。ここは……かなりの
難問だったよね?(笑)」
“マルチプレイ”にドラクエの次の形を求めた。しかし……
スクウェア・エニックスの藤澤仁氏
|
堀井氏に
振られる
形で,ドラゴンクエストIXの
仕様がどのような
経緯で
決められていったのか。その
思考の
流れや
経緯について,
同作のディレクターを
務めた
藤澤氏が
説明を
行った。
要約すると,ドラゴンクエストの
新たな
挑戦として「マルチプレイができるドラクエ」というコンセプトが
最初に
大前提として
掲げられたのだという。
話の
発端は,この
講演に
参加した3
人と,レベルファイブの
代表取締役である
日野晃博氏による
会食の
席で,
曰く「
夢を
語るようなノリで」とのことだったが,
確かに「みんなで
遊べるドラクエ」と
聞けば,
紛れもない“
夢のゲーム”の
一つだという
感覚はあったことだろう。
ただ,
当初「マルチプレイ
主体」と
謳われたドラゴンクエストIXが,
開発の
途中で
路線を
変更した
件などは
有名な
話だろうが,その
事実からも
分かるように,「みんなで
遊べるドラクエ」の
実現の
道のりは
平坦なものではなかったようだ。というのも,
従来のドラクエ・プレイヤーの
期待するドラゴンクエスト
像と,「みんなで
遊べるドラクエ」というものが,あまりにかけ
離れているのではないか? と
思われたためだ。
しかし,ドラゴンクエストの「これから」「
次のあり
方」を
考えたときに,
一人で,50
時間程度で
遊んでおしまい,という
形にはしたくなかったのだという。ずっと
遊び
続けられる,あるいはまた
後で
遊んでみたくなる……ドラゴンクエストIXには,そうしたモチベーションを
喚起するための“
仕掛け”が
盛り
込まれている。クエスト
配信やすれ
違い
通信など,ドラゴンクエストIXに
盛り
込んだ“
仕掛け”の
数々を,
藤澤氏は
一つ
一つ
説明していった。
ちなみにドラゴンクエストIXでは,シナリオのプロットやゲームシステムなど,
多くの
部分がスクウェア・エニックスやレベルファイブなど,
開発スタッフ
達に
任されていたことも
明かされた。もちろん,
堀井雄二氏が
細やかな
監修/チェックは
行ったとのことだが,
藤澤氏は「こうした
作り
方は
初めての
経験」とのことで,ここも
大きな
苦労があった
部分だったようだ。
ともあれ,
藤澤氏曰く,ドラゴンクエストIXは「スタートダッシュ
型のゲーム」から「ロングラン
型のゲーム」への
質的変換を
目指したタイトルであるらしく,スクウェア・エニックス
側の
感触としては,このあたりの
取り
組みは「かなりうまくいった」という
手応えがあるようだ。
集計されるデータや
中古への
流入率を
見る
限り,
従来の
一つの
壁だった50
時間を
遙かに
超える
遊び
方をしているプレイヤーが
多いとの
話であった。
講演の途中で,「せっかくすれ違い通信の話が出たので……」と,登壇者達がおもむろにニンテンドーDSを取り出す一幕も。来場者達が,嬉々としてすれ違い通信をやり始めた
|
これからのゲームはどうなっていく?
突如行われた“すれ
違い
通信大会”に
会場が
沸いた
後に,いよいよ「これからのゲームはどうなっていく?」という
話題に
移っていった。それについて
堀井氏は,
「
僕は,ゲームは
無くならないと
思う。これは
例えば
漫画に
喩えると,
昔,
学生だけが
漫画を
読んでいる
時代があったんだけど,その
当時の
人達も,
今やもう60
歳とかになっている。そうした
人達というのは
今,
普通に60
歳になっても
漫画を
読んでいるんですよね。
それと
同じように,
今ゲームを
遊んでいる
人達が
老人になったとき,
彼らがいきなり
盆栽をやりはじめるとは
僕は
思わない。やっぱり,
自然にゲームというものを
遊んでいると
思う。
産業としては
残ると
思います。
ただ,これからは
携帯機であったり
据え
置き
機であったり,いろんなパターンのものが
出てくるんじゃないかなと。ゲームというか,“コンピュータを
使った
表現”だと
思うんだけどね,
紙とかと
同じで。そのなかでいろいろなジャンルが
生まれていくと
思います」
「ハードウェアが
進歩してきて,ゲームでやれることは
増えてきたと
思います。しかし,
面白さの
本質ってそんなに
変わらないと
思うんですよね。
最近のゲームにしても,やってみたら
面白いゲームって
結構あると
思うんです。けど,
昔と
今では“
時間”の
捉え
方が
違う。
今の
人っていうのは,
携帯でメールを
見たり,Webサイトを
見たり,
暇つぶしの
手段が
山ほどある。
そうしたなかで,あえて『このゲームをやってみたい!』と
思わせる
何か。なんていうのかな,『あ,やってみたい』『これは
面白そう』と
思える
分かりやすさというか,そういうのがあって
初めて,ワクワクしたり,この
作品には
何かありそうだと
思ってもらえたりすると
思う。
人間って
能動的にならないと,
面白いものも
面白いと
思えないので。
あとは,たまたま
手にとってみたお
客さんが『どうやればいいんだ』ってならないように,
親切に。そうしたお
客さんを
逃がさないようにしなくちゃいけないと
思う。そのうえで,
能動的にこっちから
仕掛けていく。それが
大事だと
思います。
あとは,
常にアンテナを
張って,
世の
中の
動きを
捉え
続けること。
最近は,
携帯で
漫画を
見る
人が
増えてるらしいけど,こんな
小っちゃい
画面で
見るもんなんだな,
面白いなぁとか
思ったりもしますね」
「
僕はわりと,デジタルをファジーにするのが
好きなんだよね。VIIIから
実装された“テンション”システムについても,あれは
内部の
計算式では,2
倍とか3
倍ちょっとかな? くらいの
形になっているんだけど,
表示上の
数値では,5,20,50,100って
上がっていくのね。あれは,
完全に
僕の
感覚なんだよね。あれだと,なんか
加速度的に
上昇している
気分になれるでしょ。あの
数値に
根拠がないんだけど,
今まで
突っ
込みが
入ったことはない(笑)。やっぱり,みんなファジーが
好きなんだと
思うんだよね。コンピュータゲームでも,デジタルで
論理的なんだけど,どっかファジーにすることで,
楽しい
感じ,ワクワクする
感じ,そういう
感覚が
得られる」
など,
堀井氏の
考えがふんだんに
披露された。ちなみに,
筆者としては,
市川氏が
何気なく
振った「
最近凄いなと
思うものって
何かありますか?」との
質問に,
堀井氏が「トモダチコレクション」の
名を
挙げていたのが
印象的であった。「シムピープル」などとの
比較に
話が
及ぶと,
「シムピープルとトモダチコレクションの
違いは,
出てくるキャラクターが
知っている
人かどうか。シムピープルは,
誰だか
分からない
奴が
出てくるんだけど,トモダチコレクションは,それが
友達だったり
芸能人だったりするところが
面白い。その
人物に
対するプレイヤーの
興味の
持ち
方が
違う。より
身近に
感じられるというのかな」
と
発言するなど,ゲームデザイナーらしい
鋭い
指摘も。
近年,プレイ
時間を
拘束されない“ゆるいゲーム”も
人気のジャンルの
一つになりつつあるが,この
手のジャンルを
堀井雄二氏なりに
解釈した
作品も
見てみたいものだ。
ともあれ,そうしたゲーム
談義のあと,
最後のテーマである「
国民的なゲームとはなんぞや」に
話が
進む。
この
問いかけに
最初に
答えたのは,ディレクターの
藤澤氏だ。
氏は,「
今のゲーム
業界,
世界的な
市場シェアで
見ると,
日本の
市場は
全世界の8%ほどしかありません。そうした
状況もあって,
海外市場に
向けた
取り
組みが
盛んに
行われています。それを
踏まえたうえで“ドラゴンクエストの
将来”を
考えたとき,ドラクエが
海外市場にどういうスタンスでいるべきか。
私や
堀井さんを
含め,みんなで
悩んだ
時期がありました」と
語りながら,「けれど,ドラクエというのは,
日本人が
日本人のために
作るゲーム。
自分達が
面白いと
信じ
切るものを
作るゲーム。それでいいんじゃないか,と
最近は
思うようになりました。ただそうである
以上は,
日本の
国民みんながすべからく
楽しめるゲームでないといけない。
国民的ゲームとは,そのみんなが
遊べるという
義務と
責任をもったゲームだと
思う」と
結論づけた。
堀井氏は,それに
対して
以下のように
返答し,
講演を
締めくくった。
「
国民的ゲームは,
作るんだといって
作れるものじゃないと
思います。
最初に
僕がドラゴンクエストIを
作った
時,ドラクエは
国民的ゲームでもなんでもなかった。けれど,23
年という
歴史が,プレイヤーの
皆さんのさまざまな
思い
出……,
頑張ってレベル
上げをしたとか,アイテムが
見つからなかったとか,そういうみんなの
思いが
集まっていった
結果だと
思います。
そうやって
昔遊んでくれた
人達が
今度は
大人になって,その
思い
出を
子供に
話して,
家族で
一緒に
遊んでくれて,
一つのゲームのことをみんなで
話題にできる。そうやってだんだんと
国民的ゲームになっていった。そういう
持続と
広がりなんだと
思います。
親と
子供が
同じゲームで
遊べるってのは
素晴らしいことですよね」
―――あと
最後に,ちょっと
思い
知ったなということがあったんで,この
場で
言わせてもらいたいんですけど,
漫画の
世界でいうと,
手塚治虫さんになるのか,
藤子不二雄さんになるのかっていうのがあって,
要するに,
産業はお
客(プレイヤー)と
共に
成長していくのか,それとも
常に
初心者にアプローチし
続けるのかというのがある。ドラゴンクエストっていうのはやっぱり,
藤子不二雄さんになれたらいいなって
思います」
さて,
一部割愛した
箇所もあるものの,ドラゴンクエストの
歴史やゲームデザインのアプローチを
絡めながら,
堀井雄二氏の
考え
方,
思想が
存分に
聞けた
今回の
基調講演。
会場に
駆けつけた
多くの
業界関係者,そして
学生達に,これから
先に
繋がる“
何か”を
与えたに
違いない。そう
思える
内容だったように
感じられた。
今後の
堀井氏の
新たな
作品,そしてドラゴンクエストシリーズの
更なる
発展を
期待したいところだ。