2016
年2
月27
日で
発売から20
周年を
迎えた
「ポケットモンスター」。10月
20日で20
周年を
迎える
「ポケモンカードゲーム」。20
年前,1996
年というのは,
初代ポケモンとなるゲームボーイ
版「赤・緑」,そして
ポケモンカードゲームが
発売された
記念すべき
年であった。
ビデオゲームに
関しては
こちらに掲載された記事などを
参考にしていただくことにして,ポケモンカードゲームの
方が20
周年を
迎えるこのタイミングでは,
カードを含むポケモン関連商品の思い出やときどきのトピックを,
筆者の
手持ちのグッズなどから
振り
返ってみたい。
ポケモン絵本は1997年に刊行。「げんきでちゅう」はポケモンファンになじみある,定番の挨拶にもなった
|
私事の
話を
最初に
書くのもなんだが,
実は
筆者が
初めて
遊んだポケモンは,
「ダイヤモンド・パール」だ。つまり,ビデオゲームとしてポケモンを
遊んだ2006
年からまだ10
年ほどという,
新参者である。ではそれまでポケモンを
知らなかったのかというと,そうでもない。
初めてゲームを
遊ぶ
時点で,
どのポケモンがなんという名前で,どういうタイプで,どのレベルで,どう進化するのか。どうやって出会えるのか程度は理解していた。
ゲーマー
視点ではなく,コレクター
視点での
話となることは
予めお
断りしておきたいが,1996
年に
登場してから20
年,
超一線級のIPとして
君臨し
続ける「ポケモン」の
魅力を
考えるときに,
筆者自身が
辿ってきたこの
事実はそれなりに
重要なポイントでもある。
ゲームを知らない人でもゲームの内容を知っているゲーム。それがポケモンなのだ。
ポケットモンスター「赤・緑」の時代
(1996〜1998年)
げんきでちゅか? げんきでちゅう!
ということで,1996
年に
発売されたポケモン
「赤・緑」の
頃の
話から
進めていこう。
任天堂イチオシのタイトルとして2
月27
日に
発売されたポケットモンスターだが,ゲーム
自体はそこまで
目立ったスタートを
切ったわけではなかったらしい。グッズ・
関連商品も
発売前後の
記憶には
乏しく,おもちゃ
売り
場でも,この2月の
段階ではポケモン
商品が
大々的に
並べられていたという
記憶がない。
筆者の
記憶の
最初に
現れるポケモンは,ほかの
大多数の
人同様にミュウ。これが96
年夏頃だが,この
段階でポケモンは,ブームと
呼んでいいほどの
話題性を
持ったタイトルとなっていた。
最初に
手に
入れたポケモンアイテムは1996
年夏の
終わりから
秋口に
買った,バンプレストのカードダス
「ポケットモンスター Part1/Part2」だった。
バンプレストが発売していたカードダス100。1996年の発売でふつうにミュウのイラストが含まれていたり,一般発売される以前の「青」が含まれていたりと,いま改めて見ると興味深い。ポケモン図鑑のイラストはチェックリストだ
|
|
|
右は20年ほどずっと部屋に飾られている初代モンコレピカチュウ。左は編集部にずっと飾られているポケモンキッズのピカチュウ(クリックすると飾られている状態を再現した写真を表示します)
|
バンダイからは
同時期に
小さなソフビ
人形1個+ミニカードという
構成の
「ポケモンキッズ」という
商品も
発売されている。こちらは
収集という
感じではないが,かわいいのを
見繕ってときどき
買う
感じで
付き
合っている。
一時期は
通常色のほか,まれにクリアバージョンのものが
入っていたりと,それなりにバリエーション,レアリティも
存在するコレクションアイテムで,これ
専業のコレクターもいるだろう。
現在に
至る
長寿商品となっている。
ポケモンカードゲームのカードはちょっと多すぎて何を出すか困る。とりあえず当時ファンクラブに入会するともらえた自分の名前を入れていいプロモカードを参考に
|
フィギュア
系の
商品で
初期から
現在に
至るまで
続いているのが,やはり1996
年に
発売されたトミーの
モンスターボールコレクションだ。その
後「モンスターコレクション(モンコレ)」という
名称になり,
愛され
続けているが,
発売初期はブリスターにボール
入りフィギュアが
収められた
商品だった。
メディアファクトリーからはこの
年の10
月20日,
「ポケットモンスターカードゲーム」という
名前のトレーディングカードゲーム(TCG)が
発売された。
日本のTCG
史上で,もっとも
古い
部類に
属し,
現在も
日本のTCG
市場で
遊ばれ
続けている
現役のカードゲームである。
ポケモンを
進化させ,
相性を
考慮に
入れて
戦うという,ゲーム「ポケットモンスター」のルールはカードゲームのデザインにしっかりと
落とし
込まれており,コロコロコミックなどでもプロモーションカードが
付録になって,ゲームのポケットモンスターより,むしろこちらのカードゲームの
方が
大きく
取り
上げられる
機会は
多かったように
思う。
表ではよくわからないが… |
ひっくり返すと裏面が違うことがわかる。英字のカードは何かのキャンペーンでもらった復刻版,ピカチュウのはセブン-イレブンポケモンフェアのジュース付属商品。リザードンのカードはブースターパック収録の復刻版 |
カードもの
以外で
集めていたのが,
天田印刷加工の
ポケモンシール列伝だった。
紙素材のノーマルシール4
枚+
特別な
素材のシール(キラシール)1
枚の5
枚入りで,
特別な
素材のシールにはレアリティに
何段階かあるという
構成だった。とりあえず
当時すごいなと
思ったのは,たとえばミュウツーを
手に
入れたとしても,そのシール(
角プリズム)に「まだまだつよいミュウツーがいるぞ」とか
書かれていた
点だ。
「ミュウツー,伝説のくせにそんなにいていいのか?」などと
思っていたのだが,
映画「神速のゲノセクト ミュウツー覚醒」ではそんなにいていいことが
明らかになっている。シールを
貼ったアルバムとかもちゃんと
持っているはずだが,しまった
場所が
分からなくて
持ってこられなかった。
こちらは角プリズムのシール列伝。最終進化系と伝説に「まだまだつよい」の文字がある。ピカチュウだけは例外で,最終進化ではないがまだまだつよいのがいる |
ポケモンシール列伝の,いわゆるあたり系シール。右上のピカチュウが1弾で真ん中のピカチュウは2弾。左真ん中のミュウが1弾の最終番号で左下のミュウはアルバム付属シールだ。最強のカモネギ。。。 |
発売翌年となる1997
年に
話を
移そう。この
夏,JR
東日本で
大型の
企画「ポケモンスタンプラリー '97」が
開催された。ある
程度の
詳細は
過去に
書いた
スタンプラリー攻略記事あたりをサクッと
呼んでいただければと
思うが,とりあえずさらっと
書いちゃうと,
単にブームになったからというだけで,「JRのスタンプラリー」という
企画が
通るとはちょっと
思えなかったりする。
ポケットモンスターの
開発スタートは
発売をさかのぼること6
年ほど
前,1990
年のことだったと
聞く。さまざまな
方面での
協力を
仰ぎながら
発売に
至る
前まで,そして
発売後も,
長い
長い
時間をかけて,
任天堂やゲームフリーク,クリーチャーズが
丁寧に
道筋をつけてきた,
考え
抜かれ,
練り
込まれたタイトルだったことは,こんなところからも
想像が
付く。
なお,
初回のスタンプラリー
参加の
動機について
加えておくと,トレーナー
認定証が
欲しかった。これだけ。その
後20
年にわたってスタンプラリーを
続けることになるとは
当時,
思ってもいなかった。
昨年のポケモンスタンプラリーの達成証は,鉄道ファン垂涎の硬券型だった。桜木町でもポケモンの記念乗車券が硬券で発売されていたので,鉄道好きのポケモンファンはけっこう大変だったのではないだろうか
|
|
余計な
方の
話を
最初に
書いてしまったが,この
年最大のポケモン・トピックはスタンプラリーではなく
アニメの放映だった。4月から
テレビ東京系列にて
「ポケットモンスター」の
放映が
開始され,7
月には
前記のスタンプラリー
開催と,ポケモンは
前年以上に
爆発的な
広がりを
見せることになる。グッズにも,ゲームの
設定画ではなくアニメの
設定画を
用いるものが
増えていた。
最初期の明治ポケモンチョコスナックのおまけであるポケモンゲットカード。属性もHPもあり,いちおうカードで遊べるようにもなっていた |
第2弾(?)には金の特別カードやアニメ登場人物のカードも。HP151アップのオーキド博士はチートレベル |
同年12
月には,
通称「ポケモンショック」「ポリゴンショック」などと
呼ばれる
出来事が
起きた。アニメ
番組を
見ていた
視聴者の
一部が
体調不良を
引き
起こしたと
言われるものだ。この
出来事はここから
大きく2
通りに
分かれ,
放映側では
原因解明,
再発防止のためのガイドライン
制定と,その
期間までのアニメ「ポケットモンスター」
放映中止,そして
現在もおなじみの「テレビを
見るときは
部屋を
明るくして
離れて
見てね」という
視聴上の
注意が
生まれる。
もう
一つの
動きが,
一部メディアの
偏向報道に
端を
発する,ポケモンに
対するバッシングだった。あらためて
書いておくが,「ポケモンショック」の
問題の
核は
テレビの視聴が体に与える影響である。
一方で,バッシング
推進者すなわち
一部偏向メディア
側の
基本的な
主張は「ピカチュウは
危ない」「ポケモンは
悪者」「
子供はゲームしないで
外で
遊べ」。
今思い
返してもお
話にならないレベルで
争点がずれており,ポケモングッズのコレクターとしても,まるで
納得いくものではなかった。
冬の
新東京国際展示場(
現在の
東京ビッグサイト)で
有志が
行っていた
「ポケモンは悪くない!」という
署名活動には,なので
僕自身も
署名を
寄せている。
上記一つ
目の
問題は,1998
年4
月にガイドラインが
起こされ,アニメのポケモンはお
茶の
間に
戻ってきた。
慎重を
期すと
言えば
聞こえはいいが,
当時,あからさまに
自粛系の
対処を
重ねたことが,ポケモンの
本来持つ
利点・
影響力と
相まった
結果が2つ
目の
問題を
助長させたような
面もおそらくはあるだろう。ただねぇ……,
昨今の
大企業が
関わるコンプライアンス
系の
問題のお
粗末な
対応を
鑑みるに,この
時にポケモンに
関わる
各企業が
施した
対応は,
神対応に
近いと
思うし,
迅速さも
極めて
優秀だった。こういった
問題解決の
手順や
経験はもうちょっときちんと
理解され,
業界に
共有されていた
方がいいんじゃないのか,そうも
思っていたりする。
これがデコキャラシール。適当にダブってるのをアルバムに差してきたので,弾はメチャクチャ。金枠や蓄光枠の特殊なシール,台紙が金色の特別なシールが当たりとして入っている弾もあった
|
年末のドタバタを
含め,
前2
年に
比べたら,おそらくかなり
不利な
状況でスタートしたはずの1998
年だったが,
実はこの
年にもポケモンは
大きな
成長を
遂げている。ポケモン
史のトピックとして
極めて
重要なのは,4
月にリアル
店舗の
「ポケモンセンター」が
東京・
日本橋(というか
八重洲)にオープンしたことだろう。
同年11
月には2
号店となるポケモンセンターオーサカがオープン。
関東圏・
関西圏にポケモンを
取り
扱う
拠点が
生まれた。
コレクション
的なトピックで
極めて
大きいのは,6
月に「
ポケモン デコキャラシール」がおまけに
付いたポケモンパンが
第一屋製パン(
第一パン)から
発売されたことだ。こちらも
現在まで
続いており,2016
年10
月現在で
弾数はもう150を
超えている。
パンがらみで
少し
書いておくと,「ポケモン」という
共通のキーワードでこの
第一パンはタカラトミーやバンダイ,また,ナムコ
系のゲームセンターとのコラボを
行っており,
昨今では
特別なポケモンやゲームで
役立つ
道具を
手に
入れられる「ポケモンスクラップ」や,ポケモンカードゲームのカードなどが,デコキャラシールの
代わりに
付いている
商品も
発売されている。
映画版とポケモンファンタイアップ版。どちらも比較的最近のシール
|
この
年の7
月には,
劇場版ポケットモンスター
最初の
上映作品となる
映画「ミュウツーの逆襲」が
公開されている。
映画に
関するいくつかのトピックは
後の
章に
譲るが,
観客動員総数が2015
年の
時点で7000
万人を
超える
夏の
風物詩はここから
始まった。
映画も
毎年一人で
見に
行っており,
親子連れやカップルばかりの
場内でポツンと
映画を
見ている
状況にはとりあえずもう
慣れた。
映画のパンフレットやチラシ,
前売りの
特典や
公開劇場でのプレゼントなどもコレクションアイテムに
含まれるだろう。
1996年の11月に登場したプリネームというパーソナル名刺印刷機の初期にもポケモンはあった。カードアルバムは,CONGRATULATIONSと書かれた“当たりの名刺”を,書かれていた宛先に送ると引き換えでもらえたもの
|
|
明治製菓からはシール入りのお菓子も発売されていた。裏をめくって当たりが出ると,というキャンペーンをやっていたが,コレクションしているものは裏をめくっていないので,当たり外れはわからない |
第2弾は四角くなったが,それぞれの属性ごとに分かれた背景は健在。イラストもすべて変わっている |
ポケットモンスター「金・銀」「ルビー・サファイア」の時代
(1999〜2005年)
ゲームタイトルでいうと
「金・銀」「クリスタル」のほかに
「ルビー・サファイア」「エメラルド」,
初代リメイクとなる
「ファイアレッド・リーフグリーン」が
登場した,ゲームボーイアドバンスの
時代がこの
章で
扱う
時期の
区分となるだろう。ポケモンカードゲームは
無印から★
付きのシリーズとなり,いろちがい(この
弾のカードでは「ひかる○○」と
表記された)などのカードも
登場。2001
年には
裏面デザインを
更新し,ゲーム
連動要素を
備える
「ポケモンカードe」となり,2003
年にはポケモンカードゲームADVへと
移っていく。
ゲットカードはエンボス入りの高級化志向に
|
最初にこの
時代のものすごくざっくりした
特徴をひと
言でまとめると,
少なくともコレクターとしては,
国内でどうこうというトピックを
思いつかない
時代である。ポケモンが
世界的な
広がりを
見せる
一方で,
国内では
円熟や
成熟というい
方が
妥当な
時代と
言えばいいのかもしれない。2002
年11月に「ルビー・サファイア」が
発売されるのに
合わせ,アニメがアドバンスジェネレーションに
移行,
各種商品もすべてアドバンスジェネレーション
版に
切り
替わっているが,このあたりで
新たに
登場した
商品には,
女児向けのものが
増えたように
感じていたので,コレクター
視点だと,そういう
部分での
影響もあるかもしれない。
シリーズになっている
商品の
話でいうと,カードダスは「
金・
銀(アニメ
版)」や「アドバンスジェネレーション
版」などがやっぱり
相応のボリュームで
登場。ポケモンシール
列伝などは,どちらかというと
高級化志向で
広がりを
見せ,ポケモンチョコスナックに
付いていたゲットカードはいくばくかの
変遷を
経て,シリーズ
途中(ルカリオの
映画のあたり)からポケモンカードゲームのカードに
切り
変わった。
同時期には,やはりカードの
付いたハッピーセット
商品がマクドナルドに
登場している。
すごく高級っぽくなったシール列伝DX。ノーマルシールがカッパーメタリックで一つ上が透明,その上のレアリティのシールはホログラム加工である。ウインディの位置に他意はない |
ポケモンチョコスナックのシールは金銀バージョンでキンキラキンのホロに。けっこうまぶしい。ホロシールは角が擦れて薄くなっていくので,スリーブなどに入れる際にも注意しよう |
フィギュア
系の
商品にはいくつかトピックになりそうなものがあり,
現在も
続く
「立体ポケモン図鑑」の
初弾は2003
年に
登場している。おそらく
同じ
年だったと
思うが,
海洋堂から「ポケモンバトルフィギュア」が
登場した。
背景込みでけっこうな
完成度で,このバトルフィギュア
系のおまけが,2004
年以降にセブン-イレブンのポケモンフェアで
登場するほか,
同時期にバンダイの「ポケモン フルカラーアドバンス」という,
台座にポケモンのデータが
付いたミニフィギュアも
登場した。
コレクター
目線での
大きなトピックとなるのは,
上記でも
触れたが,2003
年頃から
夏に
行われるようになった
セブン-イレブンのポケモンフェアだろうか。
なぜか編集部筆者の机に置かれているバトルフィギュアのコレクションボックス。セブン-イレブンフェアで点数券を集めて送ると手に入ったもので,フィギュア自体はポケモンフェアのドリンクに付いていたおまけ
|
右がカードダス「赤・緑」の続編。151匹すべてに前回とは異なるイラストが使われ,カードにわざが表記されている。左はカードダス「アドバンスジェネレーション」のジラーチ |
明治製菓のポケモン チョコスナックには,ポケモンTCGのカードが付くように。この後,バトリオのオリジナルパックがおまけに付いた弾も登場する |
【コラム】ポケモンと4Gamer
「ポケットモンスター クリスタル」が発売された2000年,当時のDos/V magazineに連載されていたコラム型のゲーム記事「GAMERS' INDEX」を,インターネットサービスに広げて生まれたのが,4Gamer.netだった。割とニッチなPCゲーム専門サイトとしてその後を歩むこのゲーム情報サイトが,ポケモンを含むコンシューマ(コンソール)機器向けゲーム情報も扱うことになるのは8年後,アーケードタイトルを含むゲーム情報全般を扱う現在の形になるのはさらにその2年後,2010年のことである。
体験型イベント「ポケパーク」のアトラクションでもらったポケモンTCGのプロモカード。紛れて左隅に差さっている「おかいものピカチュウ」は,ポケセンで買い物をするともらえたプロモカードだ
|
コレクター
目線ではないトピックを
明記しておくと,2002
年に
名古屋,2003
年に
福岡,2005
年に
神奈川(ヨコハマ)と
次々にオープンしていった,ポケモンセンターの
広がり,この
時代の
後半,2005
年の3
月から9
月にかけて
名古屋で
開催された
巨大イベント「
ポケパーク」,そしてゲームの
話に
逸れてしまうが(4Gamerでこう
書くのも
変な
話だ……)「ファイアレッド」「リーフグリーン」に
同梱されたGBAの
ワイヤレスアダプターの
登場があるだろう。
グッズ
系に
関してはいろいろなおまけ
付き
商品は
多く
発売されたが,なにしろこれ
以前に
生まれた
商品(コレクターアイテム)が
強力すぎて,
新しいコレクターアイテムが
出てきても,それらに
勝てずに
埋もれてしまったりする
時代ではあった。
章のアタマでもちょっと
触れたが,
国外でのブームはすさまじかった……らしい(ポケモンセンターニューヨークのオープンは2001
年)。らしいというのは,
日本にいると
空気としてそういうことを
感じられないので。
動画やSNSなどで,ある
程度の
空気を
共有できることが
一般化するのは,2006
年から2008
年頃なので,ここからさらに5
年ほど
後の
話である。
ポケモンの
世界展開に
合わせて,
海外商品の
企画対応や,IPの
模倣,
任天堂の
把握できないポケモン
商品などが
市場に
氾濫する
事態ともなっており,
昨年末の記事にあるように1998
年,ポケモンセンタートウキョーとともに
設立されたポケモンセンター
株式会社が,
任天堂からライセンス
関連の
事業を
継ぎ
(株式会社)ポケモンとなったのがこの
時期(
商号変更は2000
年)のことである。
何についていたか覚えていないPI-KAシール。たしかオレンジジュース商品で,メダルがついてるのもあったはず |
映画とゲームに
寄った
話で
続けると,2003
年に
公開された
映画「七夜の願い星 ジラーチ」で,
特別なポケモンと
引き
換えができる
引換券が
採用されている(
「ポケモンだいすきくらぶ」関連ページ)。……のだが,
記事文頭にあるとおり
僕が
初めてポケモンのゲームを
遊ぶのは,このさらに3
年後のこと。2004
年には
次世代機ニンテンドーDSが
発売されるが,この
後に
起こったDSブームや2006
年に
登場することになる「ダイヤモンド・パール」も
含め,このあとのトピックは2006
年 ニンテンドーDS Liteの
発売を
起点にしたい。
ポケモンカードゲームの途中に出てきたカードeリーダー対応カード。こちらはスタンプラリーの景品として配布された6種 |
各カードは属性ごとに色分けされているので一目でわかる。ゲームをやらない自分が属性や相性を理解していたのは,こういう色による見せ方を取っていたことが大きい |
このカードがあるだけでポケモンTCGのルールが一つ増えてしまったアンノーン。A〜Z,!と?まで,それぞれのアンノーンのカードがあった。ポケパワー「シャッフル」を持つカードと,各アルファベットごとのポケパワー(BならBOUNCEなど)を持つカードはそれぞれ異なるブースターに収録
|
ポケットモンスター「ダイヤモンド・パール・プラチナ」「HG・SS」「ブラック・ホワイト」の時代
(2006〜2012年)
2004
年末に
発売されたニンテンドーDSは
堅実に
売り
上げを
増やしていったが,その
次期商品となるニンテンドーDS Liteの
発売(2006
年3
月)に
際して,パニックに
近い
品切れが
発生し,
品薄状態がしばらく
続いた。
原因はまぁ,
今でいう
転バイヤーたちの
買い
占めとかだったりもするのだが,それは
置いといて。
実はこの
時期に,DS Liteを
比較的買いやすかったのがポケモンセンタートウキョーだった。
筆者はこの
時期に
初めてポケモンセンターでDS Liteを1
台購入したのだが,
遊ぶゲームを
買い
忘れ,DSは
箱に
入ったまま
部屋に
飾られていた。9月を
迎え,
新たに
登場した2
本のポケモンタイトル(「
ポケットモンスター ダイヤモンド・
パール」)を
購入。この
時にもう1
台購入したDS Liteにダイヤモンドとパールを
分けて
遊び
始める。
初めてポケモンを
遊ぶ
時点ですでに,ハード2
台運用,
自分同士で
通信交換という
「ぼっちスタイル」なので,この
辺に
関しては
多くのポケモンプレイヤーとは
少し
違ったスタートだったかもしれない。
2006
年には
期間限定の
店舗としてポケモンセンターサッポロがオープン(
正式オープンは2009
年)した。
先に
書いている
通りこの
年の9
月にはニンテンドーDS
用ソフト「ポケットモンスター ダイヤモンド・パール」が
発売となり,
環境の
変化も
手伝って,2007
年以降はポケモンセンター(トウキョー)に
行く
機会も
多くなった。
配信ポケモンなどが
欲しくて
出かけることもあったが,ポケモンセンターによく
出かけた
理由の
一つに,
期間限定のショッパー(
買い
物袋)がある。
大したお
買い
物でなくても,このショッパーに
入れてくれるので,「
次のショッパー」が
割と
楽しみだったりもした。
ポケモンセンターで配布されたショッピングバッグ(ショッパー)。きちんとしたコレクターなら,折り目を付けずにA1版ポスター用の額などに入れて保管しているはずだが,個人の趣味レベルではさすがにそこまでのスペースが自宅に用意できず,折ってダンボールに入れた状態で,百枚そこらを保管している |
ポケモン関連のクリアファイルは部屋から持ち運びができる状態ではないため,これも編集部に置きっぱなしになっているものから「イーブイコレクション」「おねむりピカチュウ」を。右のイラストは,浜松町ポケモンセンターのお店が閉まっている間,電車から見えるウインドウディスプレイにも使われていた |
【コラム】ポケモンと4Gamer
2007年に,ポケモンセンター第1号店であるポケモンセンタートウキョーは都内・浜松町に移転することになるが,それまでは他会社の間借りだった4Gamer編集部が初めての“自社”オフィスを構えることとなり,引っ越しをしたのが同じく2007年。場所は奇しくも浜松町だった。当時はポケセンまで徒歩6分くらいという環境であったことから,4Gamer編集部内では「Akiyamaどこ行った/ポケモンセンターです」問題がたびたび起こることになる。参考程度に付け加えておくと,その後,4Gamer編集部が現在の所在地に移転するのが2014年,ポケモンセンターメガトウキョーが都内・池袋にオープンするのが同2014年12月のことだ。
さて,2007
年というのは,
自分のコレクション
的な
意味合いでは
赤・
緑の
頃に
匹敵する
大きな
話題が
重なった
年でもある。
最大のトピックはこの
年から
稼働した「
ポケモン バトリオ」というアーケードゲームだ。1プレイで1
枚排出されるパックは,
金属のICチップが
組み
込まれたアイテム。これがコレクションとして
魅力的だったのは,そのレアリティに
応じてモンスターボール/スーパーボール/ハイパーボール/マスターボールという,ポケモンのゲーム
内にあるボールデザインを
採用していたことだった。その
後,バトリオ0,バトリオVと
引き
継がれる
中でボールデザインは
消え,B/Wの2つのスピンパックに
切り
替わっていくことになる。バトリオは2012
年に
稼働終了。アーケードゲームのポケモンは「
ポケモントレッタ」(2012〜2016),「
ポケモンガオーレ」(2016
年7
月稼働開始)がその
後を
引き
継ぐ。
パックと呼ばれるアイテム自体にICチップを埋め込み,これを移動させることでディスプレイ上のポケモンが移動して戦う「ポケモン バトリオ」。ある意味芸術品とも思えるパックは見た目よりもずっしりと重い。黒いスピンパックのピカチュウは絵が動く3D仕様
|
|
バトリオ最後期に使っていたビクティニカラーのマスターキー,いわゆるクリアデータ入りだが,もう筐体がないので確認しようがなかったり。Pokémon Game Showでは復活筐体で遊びました
|
つい
先月(9
月20日)に
区切りとなる
第50
号が
発売された
雑誌「ポケモンファン」の
創刊も2007
年だった。ゲーム
情報,アニメ/
映画情報やアイテム
情報,アパレル,
料理など,
広範囲にポケモンのトピックスを
扱った,
定期刊行物のポケモン
専門雑誌である。
最近は
付録もけっこう
豪華で,モンコレを
始めとするポケモングッズなどを
集めているコレクターであれば
毎回,
動向を
気に
掛けているのではないだろうか。
雑誌絡みでは2010
年に
発行された「ポケモンぴあ」というコラボ
雑誌が,いろいろな
意味で
話題となっていた。
不定期に登場するコラボ雑誌から「WE LOVE! Pokémon」を。付録のトートバッグは購入場所によって違うものが付いていた |
正直,ゲーム用途にはならないゲームカードが発売されたりするのも面白い。これはポケモンカードゲームが遊ばれている各国のピカチュウと,「こんにちは」の挨拶が各国語で書かれたプロモーションセット |
2009
年9
月には
金銀のDSリメイク
作品となる「
ポケットモンスター ハートゴールド・
ソウルシルバー」,2010
年には「
ポケットモンスター ブラック・
ホワイト」が
発売された。この
後2011
年に
東日本大震災が
発生,この
震災で
大きな
被害を
受けた
東北圏に
活力をもたらす
意義を
持って
立ち
上がったのが,2011
年12月にオープンしたポケモンセンタートウホクである。この
震災関連やpokémon with youなどとの
関連性はわからないが,
同2011
年には
現在の
株式会社ポケモンの
母体となったポケモンセンター
株式会社と
同名の
会社が
立ち
上がっている(
ポケモン会社情報ページ)。
2011年オープン初日のポケモンセンタートウホクで購入したグッズから,ポストカードとファスナーマスコット。ファスナーマスコットはこの前後にBW系のものが登場し,その後は全国図鑑メタルチャームとして新しい定番アイテムにもなっている
|
【コラム】ポケモンと4Gamer
ポケモンセンタートウホクに関わる記事が,編集部内で話題となったことがある。原因となったのがこのリリース記事であった。記事の掲載日は2011年9月5日なのだが,実はこのIR情報がリリースとして各メディアに届けられたのは2011年9月3日,土曜日のことである。当時の4Gamerは土曜に記事の更新を行っておらず,この記事は月曜に回ったために,小さな情報として掲載されるにとどまった。この件からもうちょっと経ったあたりから,4Gamerの土曜日稼働体制が敷かれる。ポケモンのトピックは,4Gamerにとっても意外と無関係ではなかったりするのだ。
話が
前後するが,2010
年に「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」,2012
年にはポケモン
初の
続編タイトルとなる「
ポケットモンスター ブラック2・
ホワイト2」が
発売され,これらがニンテンドーDS
最後のタイトル,そして2Dドット
絵のポケモン
最後のタイトルとなる。
両作の
狭間となる2011
年には「
ポケモン立体図鑑BW」というソフトが
配信されているが,ここからすでに
次作となるX・Yの
歴史はスタートしている。
立体図鑑に
登録するためのARマーカーと
呼ばれるコードが
付いたシール
商品や
配布物がちょこちょこと
出てきたので
集めようかと
思ったのだが,こちらは
結局,
何がどれだけ
出ているのかが
分からず,とん
挫している。マーカー
自体は
現在も
こちらで
確認できるが,もうソフトが
配信されてないかもしれない。そのほかコレクターのトピックとして
大きいのは,ポケモンセンターでの
発売となった
全国図鑑メタルチャーム(の
前身?)の
登場だった。
バトリオとトレッタのパック。トレッタは昨年のピカチュウ大量発生イベントで配られたもので,写真ではわからないが,裏にはポケモンカードゲームのカードも入っている |
セブン-イレブンのポケモンフェアは,注意しておかないと瞬殺というアイテムが少なくない。近所のセブン-イレブンさんとは仲良くしておこう。写真は2009年のドリンク付属アイテム |
明治製菓のマーブルチョコに付いていたおまけシール。ブイゼルの背景はこれでいいのだろうか |
「X・Y」と「OR・AS」,そしてPokémon GOと3DS「サン・ムーン」へ
(2013〜2016年)
昔話の
最後になるのはニンテンドー3DSタイトルとなった「
ポケットモンスターX・
Y」の
時代。まぁ,
新作を1か
月後に
控える2016
年10
月現在では「
現世代のポケモン」の
話なので,
厳密に
言うと
昔話ではない。ゲームを
中心とするポケモンは,「ブラック・ホワイト」からさらに
進んで,
実質インターネット
併用の
遊び
方が
普通となる
時代に
突入する。
X・Yではゲーム内で写真が撮れ,それをPGLで共有できる。ゲーム自体はOパワーを使えばレベル60前後(筆者は62)のガブ1匹でもエンディングまでゴリ押しで勝ち抜けるくらいの難度だった |
人間型の嫁+嫁ポケという反則的な組み合わせで話題となったセレナとフォッコ。これはX・Y関連商品で発売されたものなので,SERENAではなくHEROINEと表記されている |
PGL(ポケモングローバルリンク)では
遊んだ
内容が
表示されるのだが,
上から
下までタマゴの
画像が
並んでちょっと
愕然とする
事態や,
友達がいなくて
結局誰にもページを
公開する
必要がない
現実など,
自分自身に
属する
様々な
問題が
露わになった。やはりゲームに
関連する
話では
「ポケモンバンク」が
登場。30×100ボックスという
夢のような
環境を
提供してくれたが,
個人的な
状況では
現在バンクのボックスは
埋め
尽くされ,
新しいIDを
取る
必要性も
考慮に
入れなくてはならない
事態となっている。ポケモンそのものの
大きなトピックとしては,2013
年に
開催された「
Pokémon Game Show」がある。
X・YとOR・ASの予約購入特典でもらえたアートブック。とてもしっかりした造りの良いものだが,けっこう大きいので保管する場所はちゃんと考えたい
|
ポケモンチョコエッグも発売された。正直,バトルフィギュアに比べると見劣りするが,単価が全然違うのでそれは仕方がない。この2匹は組み立て済みで編集部の机に置かれているもの
|
XYのおまけ
物,コレクションアイテムでは,
ポケモンウエハース系と
ポケモンスナック系のシールなどが
割と
大きいだろうか。
先の
章にも
出てきた
全国図鑑メタルチャームは
本当に
全国図鑑が
網羅され,
合間に
色違いの
黒いレックウザやみがわり
人形など,
入手困難なチャーム(プレゼント
系)も
登場し,
保管用のケースも
発売されていることから,これから
始めるのも
楽しいコレクションとなっている。
買いそびれて
結構落ち
込んだセレナのモンコレ(セレナ+フォッコの
俗称「WYP(ダブル
嫁パック)」)は,どっかで
探して
手に
入れたい。
コップのふち子さん系のポケモンコレクション,PUTITTO。いちおう「全5種+シークレット」なので堂々と出していいのか迷ったが,ミニブックがこれなのでどうしようもない。こちらは箱入りの商品だが,カプセルガチャの商品でも同じものがある |
時代が
時代だけに,このファスナーマスコット
以外にも,ストラップやiPhoneケースなど,スマートフォンアイテムが
充実してきた。これからゆっくりと,
長く
物を
集めようという
人にお
勧めしたいのが,
ご当地ポケモンのピンズ。これはポケモンセンターなどに
置かれているカプセルガチャの
商品で,
今のところ
東京,
大阪以外確認できてはいないが,
後々,
割と
壮大なコレクターアイテムになっていくはずだ。ご
当地ポケモン
関連では2016
年に
「ポケモンご当地 Pokétabi」というご
当地グッズも
登場している(
関連ページ)。
買った後で自分がスマホを持っていないことに気付いたスマホのお布団。今でも入手可能なはず |
こちらも現在のカプセルガチャ商品。ポケモンご当地ピンズ。真ん中が大阪バージョンで左右は東京バージョンのもの |
本記事の
原型を
執筆していた
時点では
未配信だった
「Pokémon GO」(
iOS/
Android)も7
月22
日に
日本配信開始となり,
先行配信されていた
各国を
含め,ブームを
超えたムーブメントを
巻き
起こしている。コンビニで,ポケモンセンターで,ポケモンは
本当に
街中のいたるところで
何かに
出会えるブランドになった。
過去に
発売されていた,あるいはプレゼントされていた
商品に
手を
出すのもいいし,
今出ている
商品をここから
集め
始めても
全然いい。そう
思い,こんな
記事を
書いてはみたが,これは「
僕の
経験」であり,
史実に
記される
歴史というわけではない。
取り
上げて「いない」グッズやトピックの
方が
圧倒的に
多いことは
事実なので,
最後にその
点だけは
付記し,
取り
上げられなかったものに
対してはお
詫びしておきたい。
ポケモンセンター15周年を記念して発売された,カードゲームの記念パック。特別仕様のカードのほか,スリーブやマーカー,カードケースなどが入っている
|
ポケモンセンター配布品。真ん中のメガシンカ衣装のピカチュウ名刺は今年(2016年)配布のものなので,旬なコレクションアイテムだ
|
さて,
各トピックでは
意図的に
「メディアミックス」というい
回しを
避けてポケモンを
語ってきた。それは,ここまで
読まれた
方も
薄々気付いているかもしれない。
外から
客観的に
見ている
限り,これまでポケモンの
選んできた
筋道は,
少なくとも
現在一般的に
使われる「メディアミックス」という
戦略とは
少しズレて
見えることがその
理由だ。
ごく
一般的にメディアミックスと
呼ばれる
戦略展開は,
原作があるものを,その
原作とは
異なる
複数のメディアでも
複合展開させて,
広範囲の
知名度を
付随させる
形で
進行するマーケティングの
手法である。カギとなるのは
著作物の
管理と
利益捻出方法,そしてIP(Intellectual Property)の
核となるキャラクターや
世界観と“その
寿命”だ。
ゲーム,マンガ,アニメといったメディアへの
展開そのものは,メディアミックスという
言葉に
置き
換えてもそう
問題なさそうだが,たとえばマンガの
世界では,ポケモンが
一身上の
都合で
進化したり,
一度進化したポケモンが
元に
戻ったりするし,そういった
世界観的におかしい
事情が,
後にたとえば「メガシンカ」という
形で,
今度はゲームそのものに
反映されたりする。ゲームではその
時々の「
色」で
登場する
主人公は,アニメや
映画では「サトシ」という
固有の
名前で
登場し,
世代をまたいで
主人公である。ポケモンという
不思議な
生き
物と
人間とのかかわり,という
部分だけは
徹底している
一方で,
著作物管理の
観点から
見た
世界観やキャラクターの
使われ
方といった
部分は
案外ゆるいのだ。
ブラインドパッケージ型の缶ケースコレクション。それぞれ「Pokémon time」「イーブイコレクション」という関連企画で登場したポケモンブランド商品の一つ |
現在進行形のコレクターアイテムから,シール系商品のおまけ2種。アルバム付きの商品が出ていたので,こちらのアルバムは容易に手に入った |
このゆるさは「ゲーム×ゲーム」「グッズ×グッズ」といった,“
同一メディア
間のメディアミックス
展開”で「なんで?」と
思うほどにうまく
機能している。
昨年末に
掲載した
岩田さん追悼記事で
触れられている,「ポケモンというIPが
長く
愛されるため」の
青写真という
話などは,
意外とこういう
部分に
絡んでいるのかもしれない。あくまで
個人的な
意見ではあるが,
総じて
キャラクター寿命を縮めることの多い本来のメディアミックス戦略より,もう一歩か二歩進んでいるものにさえ
思える。
これをもうちょっと
簡略ない
方であらわすと,
「入れ子のブランド/入れ子のIP」(※)といった
感じになるのだろうか。ポケモンは
常にこの
入れ
子の
構造を
持っており,
その時々に合わせて組み変え,さまざまな楽しみを作り出している。
先にグッズで
紹介しているメタモン
顔のポケモンや,エルフーンのみがわり
人形,ポケモンバトリオの
初期の
展開などは,こういった
入れ
子の
組み
合わせをキャラクターに
反映させた
例。
入れ
子の
対象を「キャラ」×「キャラ」から「キャラ」×「
遊び
場」に
変えるとポケパークやポケモンゲームショウ,ピカチュウ
大量発生チュウなどのイベントに(
参考までに「
大量発生」は
古くからポケモンのゲームに
存在するトピック)なるわけだ。
ポケモンとポケモンが入れ子で組み合わされ,ピカチュウメタモンやかぶりものピカチュウ,いろちがいといったものが反映されたキャラデザインや商品が生まれる。左下はデコキャラのシールホルダーだが,こちらは,adidas「円陣プロジェクト」withポケモンという企画で生まれた商品の一つ。ポケモン+日本代表ユニフォームという感じのキャラクターの入れ子で,デコキャラもサッカーユニフォームを着たポケモンたちのオリジナル版だった
|
新しい
世代のポケモンゲームには
新しいキャラクターが
登場し,
新しい
時代には
新しいゲームの
遊ばれ
方がある。もともとのキャラクターをリフレッシュさせたり,
時代に
合わせたりするための
仕組みをこのような
形で(しかもVG,CGともに)
効果的に
行うことで,キャラクターを
飽きさせない。
素晴らしい
工夫だと
思える。
関係者にきちんと
話を
聞くような
機会には
恵まれないので,
憶測でしか
語れないあたりは
申し
訳ないが,
本当にすごいことだよね,これ。
※普通に誰もが思い当たりそうな話なので,学術的にどの程度掘り下げられているのかと調べてみたが,文献を全然見つけられなかった(インターネット検索だと「二重ルータ」とかで引っかかって,そっちのIPじゃねぇよとツッコミを入れたりはした)。もし,該当する書籍,文献などに心当たりがある方は,国内海外を問わないのでぜひ教えてほしい。
ポケモンとトレーナーはともに支えあい成長する。そこはぶれない
|
最後の
最後になるが,これだけグッズやイベントでポケットモンスターを
楽しんでいた
僕が,なぜ1996
年当時,ゲーム「ポケットモンスター
赤・
緑」を
遊ばなかったのかを
書いておこう。それはゲームで
遊んでも,ミュウには
出会えない,つまり151の
図鑑を
埋めることができないのがわかっていたからである。
ポケットモンスターという
作品をブーム
以上のものに
押し
上げた
幻のポケモンは,ある
者にとってはゲームをやらない
理由にもなり
得た。これはたぶん,ゲーマー
視点からでは
絶対にたどり
着けない
結論だろうなと,コレクターの
視点で
思っていたりする。
願わくば,これから
初めてポケモンを
知る
人たちも,きちんと
自分の
遊び
方で
遊び
尽くせるタイトルであり
続けられますように。
ポケットモンスター,ポケモンカードゲームの発売20周年,おめでとうございます!
一番くじのミュウフィギュアと昨年発売されたamiiboのピカチュウ。ポケモンは今もすそ野を広げ続けている
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最後に,筆者が遊んでいなかった時代のポケモンVGパッケージをまとめておこう。こちらのソフトはすべて編集長 Kazuhisaの私物だ。「青」はコロコロの先行発売があったので「販売協力・小学館」と入っている
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ピカチュウバージョン今昔。ゲームボーイのカートリッジはケースともども懐かしい。今から20年後には2DSも懐かしいモノに変わっているのだろう
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付属するカントー地方のタウンマップはほぼ同じだが,クレジット表記が異なる。本来はDMG-APSJ-JPN となるべきなのだが,型番表記は赤バージョンのもの
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