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種田山頭火 私を語る ――(消息に代えて)――

わたしかた

――(消息しょうそくえて)――

種田山頭火たねださんとうか




 わたしもいつのまにやらじゅうさいになった。じゅうさい孔子こうし所謂いわゆる知命ちめい年齢ねんれいである。わたしにはまだてんいのちわからないけれど、ひとせい多少たしょうわかったようながする。すくなくとも自分じぶんせいだけは。――

 わたしろうれた。あるくことにもろうれたが、それよりもくだり乞の矛盾むじゅんかえすことにろうれた。袈裟けさのかげにかくれる、うそ経文きょうもんむ、もらいの技巧ぎこうろうする、――おうきょう資格しかくなくして供養くようけるのうママにはこたえきれなくなったのである。

 あるときねない人生じんせい、そしてあるときなない人生じんせい生死せいし去来きょらい真実しんじつじんであることに間違まちがえはない。しかしその生死せいし去来きょらいふついのちでなければならない。

 征服せいふく世界せかいであり、闘争とうそう時代じだいである。人間にんげん自然しぜん征服せいふくしようとする。ひとひととがみどろになってつかうている。
 てき味方みかたか、つかけるか、ころすかころされるか、――白雲しらくもみねあたまおこるも、あるいあんちゅう閑打すわゆるされないであろう。しかもわたしは、無能むのう無力むりょくわたしは、時代じだい錯誤さくごてき性情せいじょう持主もちぬしであるわたしは、ちまたってラッパをくほどの意力いりょくっていない。わたしわたしこめる、時代じだい錯誤さくごてき生活せいかつ沈潜ちんせんする。『そら』の世界せかい、『ゆう』の寂光土じゃっこうど精進しょうじんするよりそとないのである。

 本来ほんらいかえれ、そしてそのまもれ。

 わたしは、がままなふたつの念願ねんがんいている。きているあいだ出来できるだけ感情かんじょういつわらずにきたい。これがだいいち念願ねんがんである。いかえれば、きなものをきといい、きらいなものをきらいといいたい。やりたいことをやって、したくないことをしないようになりたいのである。そしてだい念願ねんがんは、ぬるときはしてきにたい。ぞくにいう『コロリ往生おうじょう』をげることである。

 わたしわたし自身じしん幸福こうふくであるか不幸ふこうであるかをらないけれど、わたしがままなふたつの念願ねんがんがだんだん実現じつげんちかづきつつあることをかんぜずにはいられない。はなてばつ、わたしわたしをほどこう。
 ここに幸福こうふく不幸ふこうじん一句いっくがある。――
このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく
(「さんはちきゅうだいいちしゅう




底本ていほん:「山頭火さんとうか随筆ずいひつしゅう講談社こうだんしゃ文芸ぶんげい文庫ぶんこ講談社こうだんしゃ
   2002(平成へいせい14)ねん7がつ10日とおかだい1さつ発行はっこう
   2007(平成へいせい19)ねん2がつ5にちだい9さつ発行はっこう
初出しょしゅつ:「「さんはちきゅうだいいちしゅう
   1931(昭和しょうわ6)ねん2がつ2にち発行はっこう
入力にゅうりょく門田かどた裕志ひろし
校正こうせい仙酔せんすいゑびす
2008ねん5がつ19にち作成さくせい
青空あおぞら文庫ぶんこ作成さくせいファイル:
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表記ひょうきについて