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「底本のできるだけ忠実な再現」が目指すもの

底本ていほんのできるだけ忠実ちゅうじつ再現さいげん」が目指めざすもの

08.9.27
富田とみたりんせい



青空あおぞら文庫ぶんこ工作こうさくいんマニュアルの「2入力にゅうりょく-1」には、「青空あおぞら文庫ぶんこ原則げんそくとして、「底本ていほんのできるだけ忠実ちゅうじつ再現さいげん」を目標もくひょうき、「勝手かって編集へんしゅうはしない。」」と記載きさいされています。(冒頭ぼうとう列挙れっきょされた項目こうもくの、ここの。)

ところが、そのみっでは、作業さぎょう指針ししんしたがえば、例外れいがいてききゅうきゅう仮名かめい作品さくひん現代げんだい表記ひょうきへのえもみとめるとっています。

原則げんそく忠実ちゅうじつ底本ていほん再現さいげん目指めざすといいながら、大幅おおはば表記ひょうき変更へんこうも、ときみとめてしまう――。

いったい、ここでう「底本ていほん再現さいげん」とはなんなのか、これを目標もくひょうとしてかかげて、青空あおぞら文庫ぶんこはなにを目指めざすというのでしょうか?

▼「はじめに」がしめしていること


工作こうさくいんマニュアルの目次もくじからは、マニュアルの本文ほんぶんくわえて、「青空あおぞら文庫ぶんこからのメッセージ―ほんという財産ざいさんとどううか」という文書ぶんしょにリンクしています。

1997ねんなつ青空あおぞら文庫ぶんこうごきはじめてから1ねんあまりの、翌年よくねん12がつ公開こうかいされたこの文書ぶんしょじつはルーツをもっとさかのぼれます。
1997ねん12月2にちけで公開こうかいされた、初代しょだい工作こうさくいんマニュアル(version 0.9)の、「はじめに」から「3 底本ていほんえらぶ」までをのちはなし、実務じつむてき内容ないようまえなおしたのが、これなのです。

底本ていほん再現さいげんでなにを目指めざすかをかぎは、青空あおぞら文庫ぶんこがはじめてまとめたマニュアルの冒頭ぼうとうかれ、以降いこうはんにもがれたここでみつかります。

著作ちょさくけんおおきく、作品さくひん使つかかたかんする「財産ざいさんけん」と、内容ないようかんする「著作ちょさくしゃ人格じんかくけん」にわけられると説明せつめいしたのち後者こうしゃ関連かんれんして、「原則げんそくてき作者さくしゃ了解りょうかいなしには、作品さくひん内容ないよういちいちえられない」のだと、「はじめに」は、青空あおぞら文庫ぶんこ作業さぎょうたるひとうったえています。

底本ていほんのできるだけ忠実ちゅうじつ再現さいげん」という目標もくひょうかかげて青空あおぞら文庫ぶんこ目指めざしているものは、この著作ちょさくしゃ人格じんかくけん尊重そんちょうです。

きゅうからしんへの表記ひょうき変更へんこうについて


その青空あおぞら文庫ぶんこが、きゅう表記ひょうき作品さくひんえをおこなっていものなのか?

作業さぎょう体験たいけん多少たしょうんだのちびかけにんは「い」とかんがえ、「きゅうきゅう仮名かめいかれた作品さくひんを、現代げんだい表記ひょうきにあらためるさい作業さぎょう指針ししん」を、1999ねん11月22にちづけしめしました。

その根拠こんきょも、1997ねんの、最初さいしょのマニュアルにしめされています。
3 底本ていほんえら

きゅう漢字かんじきゅうかなづかいのえ】

 日本語にほんご表記ひょうきは、戦後せんごおおきくあらためられました。
 それまでは複雑ふくざつかたち漢字かんじがたくさん使つかわれてきましたが、あらたに一部いちぶ漢字かんじ字形じけい簡単かんたんなものにえ、使つかかたにも制限せいげんくわえて、わかりやすい表現ひょうげん目指めざされたのです。かなの使つかかたも、それまでのきゅうかなづかいから、より実際じっさい発音はつおんちかづけた現代げんだいかなづかいにあらためられました。
 以来いらい教育きょういくあたらしい方針ほうしんによってすすめられ、法令ほうれい公用こうようぶん新聞しんぶん雑誌ざっしなどもこれに沿ってあらわされてきました。その結果けっかきゅう漢字かんじきゅうかなづかいの文章ぶんしょうは、わたしたちのおおくにとってみにくいものとなっています。

 かえ指摘してきしたように、著作ちょさくけんほう作者さくしゃ了解りょうかいなしに表現ひょうげんをあらためてはならないとさだめています。ところが日本語にほんご表記ひょうき改革かいかくによってしょうじた現実げんじつは、「めなければ意味いみがない」という切実せつじつ要請ようせいを、この原則げんそくきつけたのです。

 著作ちょさくけんほうには、この対立たいりつのあいだでわたしたちがバランスをとるみち用意よういされています。同一どういつせい保持ほじけん条項じょうこうには例外れいがい規定きていもうけられており、「やむをないとみとめられる改変かいへん」についてはゆるすとされているのです。
 めるものにするために、漢字かんじとかなづかいを最小限さいしょうげんえることは、著作ちょさくけん侵害しんがいにはあたりません。
青空あおぞら工作こうさくいんマニュアル、version 0.9、1997/12/2)

であるなら、きゅう表記ひょうき底本ていほんしか入手にゅうしゅできないものにかぎっては、青空あおぞら文庫ぶんこにおける作業さぎょうにおいても本文ほんぶんえをみとめようともうけたのが、この指針ししんでした。

底本ていほん再現さいげんしていない要素ようそ


著作ちょさくしゃ人格じんかくけん侵害しんがいしない。」という目標もくひょうけた具体ぐたいてき作業さぎょう指針ししんを、青空あおぞら文庫ぶんこでは「底本ていほん忠実ちゅうじつ再現さいげん」という言葉ことばあらわしています。

ただし、その底本ていほんのページは、著者ちょしゃ作品さくひんが、それ以外いがいだれかによる書体しょたい体裁ていさい指示しじもとづいてばんされ、あるひとつの「かたち」にまとめられています。
ページを構成こうせいする要素ようそうち、どれが侵害しんがいけるべき著作ちょさくけん対象たいしょうで、どこがそれ以外いがいのものかをよりけることは、かならずしも簡単かんたんではありません。

青空あおぞら文庫ぶんこではこれまで、試行錯誤しこうさくごかえしながら、再現さいげんするべきものとそうしないものをえらんできました。

原則げんそくてきに、再現さいげんしないできたものに、まず、書体しょたい文字もじ大小だいしょうがあります。 これらの注記ちゅうき形式けいしきは、ながさだめられないできました。
編集へんしゅうしゃ意匠いしょうによって変化へんかするとおもわれるケースがほとんどで、作者さくしゃ意図いとにはかかわらないとかんがえてのことです。

ただし、作者さくしゃあきらかに意図いとして変化へんかけているとおもわれる作品さくひん出合であい、「こうしたケースでは記述きじゅつする必要ひつようがある。」とかんがえを整理せいりなおして、注記ちゅうき追加ついかあんくわえました。

改行かいぎょう行頭ぎょうとう括弧かっこをどうむかには、いくつかのスタイルがあります。
初期しょきのファイルでは、底本ていほんかたち意識いしきした処理しょり意識いしきしない入力にゅうりょく、さまざまでしたが、ほとんどの場合ばあい、そのかたちは、出版しゅっぱんしゃ方針ほうしん個々ここ編集へんしゅうしゃこのみによってめられていて、基本きほんてきには再現さいげん必要ひつようはないのだろうとの判断はんだんから、アキなしの入力にゅうりょく統一とういつすることにめました。

てんからなんがっているか、からなんがっているかといった、レイアウトにかんする情報じょうほうは、初期しょきに、記述きじゅつするべきかか、意見いけんかれた要素ようそです。

注記ちゅうきすることも、スペースをれることもなく公開こうかいされたファイルもあったし、編集へんしゅうしゃばん指定してい実態じったいまえた、「なんがっているかはしばしば、作者さくしゃ意図いとによらない。」という指摘してきがなされました。
ファイルから、著者ちょしゃ以外いがいによる編集へんしゅう意図いと排除はいじょするという意味いみめて、「テキストを底本ていほんから解放かいほうする。」ことが主張しゅちょうされました。
ただ、本文ほんぶんよりも「すこがっている。」、そこより「さらにがっている。」といったところには、作者さくしゃ意図いとがこめられているとの反論はんろんもあり、一時いちじてきには、レイアウト情報じょうほうを、「レベル1がっている。」「レベル2がっている。」といった具合ぐあいに、階層かいそうして記述きじゅつするための検討けんとうおこないました。

ところが、指標しひょう用意よういしてレベルを判断はんだんしてもらうことがむずかしそうなこと、くわえて、階層かいそうにおさまらないパターンがどうしてもてくるだろうことなどから、この方式ほうしきは、採用さいようにはいたりませんでした。

最終さいしゅうてきには、「作者さくしゃ意図いとからんでいる可能かのうせいたかいレイアウト情報じょうほうは、記述きじゅつする。」という立場たちばえらび、具体ぐたいてき作業さぎょう方針ほうしんとしては、個々ここ判断はんだん介在かいざいしない、「底本ていほんげ、げをベタになぞる。」を、実践じっせん容易たやすさをとって、とししょとして採用さいようしたしだいです。

すでにべたとおり、作者さくしゃ表記ひょうきかんしても、「きゅう表記ひょうき現代げんだい表記ひょうきにあらためる。」場合ばあいかぎっては、著作ちょさくしゃ人格じんかくけん侵害しんがいにあたらないとの判断はんだんもとづき、えをみとめるという立場たちばえらびました。


作者さくしゃ表現ひょうげんと、それ以外いがいひと編集へんしゅう意図いとざりって構成こうせいされる底本ていほん要素ようそのうち、できるだけ忠実ちゅうじつにファイルに再現さいげんするべきものはなになのか?

そのことがわれたさいは、「「底本ていほん再現さいげん」をとおして、青空あおぞら文庫ぶんこは「著作ちょさくしゃ人格じんかくけん尊重そんちょう」を目指めざす。」との原点げんてんかえって、検討けんとうくわえるべきとかんがえます。