水俣病被害者救済法(特措法)に基づく救済を受けられなかった151人が、国と原因企業の旧昭和電工(現レゾナック・ホールディングス)に損害賠償を求めている訴訟の口頭弁論が19日、新潟地裁(島村典男裁判長)であり、47人について先行して実質的な審理を終えた。判決日は来年4月18日に指定された。提訴から10年。高齢化が進む原告たちは「最後まで闘い続ける」と決意を新たにした。(鈴木剛志、井上充昌)
同様の集団訴訟は「ノーモア・ミナマタ2次訴訟」として熊本、大阪、東京の各地裁でも起こされ、初となる判決で大阪地裁は9月27日、原告全員を水俣病と認め、国や熊本県などに賠償を命じた。原告、被告の双方が控訴している。熊本訴訟は同8日に結審し、判決は来年3月22日の予定。
新潟訴訟の原告は、同社の旧鹿瀬工場(新潟県阿賀町)がメチル水銀を含む排水を流した阿賀野川流域で暮らし、1950~70年代に汚染された魚を食べて発症したと訴えている。公害健康被害補償法により補償される患者には認定されていない。特措法の救済策も対象外とされ、偏見への恐れなどから期限までに申請できなかった人も少なくない。
仲間の無念の思い背負う
最初の提訴は2013年12月で、22陣まで続いた。先行して審理が実質終わったのは第4陣までの原告。1人あたり880万円の賠償を求めている。被告側は「症状がほかの病気に起因する可能性がある」などとし、請求を棄却するよう主張している。
この日の最終弁論で原告団長の皆川栄一さん(80)は、原告29人が亡くなったことに言及。「さぞ無念だと思う。仲間の思い、願いを担って最後まで取り組んでいかなければならない」と語り、「10年はあまりにも長すぎた」と訴えた。
当初はこのまま結審する予定だったが、47人の原告のうち1人が亡くなっていたのが被告側に伝わっていなかったことが判明。原告が本人か、訴訟を引き継いだ遺族か改めて整理する必要があるとして、島村裁判長は12月21日に弁論期日を入れると決めた。当日は双方ともさらなる主張を行わないことも確認した。
閉廷後には原告と弁護団が新潟市内で報告集会を開いた。弁護団事務局長の味岡申宰(しんさい)弁護士は、大阪訴訟に続いて「熊本と新潟でも勝訴して誤った行政の転換を迫る必要がある。きちっとした判決を取る責任が大きくなった」と話した。
会場に駆けつけた大阪訴訟弁護団長の徳井義幸弁護士も「大阪、熊本、新潟がホップ、ステップ、ジャンプで3連勝すれば、戦後最大の公害と言われた水俣病をようやく全面解決のステージに持っていける」と語った。
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