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成田分館概要 - 日本近代文学館
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成田なりた分館ぶんかん概要がいよう


日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん 成田なりた分館ぶんかん

おかげさまで2006ねん12月15にち竣工しゅんこう、2007ねん9がつ15にち開館かいかんいたしました。

成田なりた分館ぶんかん概要がいよう

成田分館 全景

成田なりた分館ぶんかん 全景ぜんけい

分館ぶんかん建設けんせつした千葉ちばけん成田なりた駒井野こまいのは、中心ちゅうしんからひがしやく4.5kmの郊外こうがいにあります。みなみは、詩人しじん水野みずの葉舟ようしゅうがかつて田園でんえん生活せいかつおくっただい水野みずの隣接りんせつし、ひがしには国際こくさい空港くうこう間近まぢかです。JR・京成けいせい成田なりたえきから、バス20ふん徒歩とほ10ふんです。4,070㎡の敷地しきち建築けんちく面積めんせき662㎡の建物たてものてました。敷地しきち十分じゅうぶん余裕よゆうがありますので、いまえている樹木じゅもくはなるべくそのままのこし、とくに、建物たてもの西にしみなみにはおおきくそだえて、書庫しょこ緑陰りょくいんまもられるようにします。このこともふくめ、極力きょくりょく機械きかいてき方法ほうほうたよることなく、建物たてもの自体じたいつくりを工夫くふうすることで、よりよい収蔵しゅうぞう環境かんきょうたもつような建物たてもの計画けいかくしました。

空調くうちょう設備せつびじょ湿しめなどもそなえますが、それらはあくまでも補助ほじょてき手段しゅだんという位置付いちづけです。というのは、きびしい財政ざいせい状態じょうたいなか、あえてあらたに分館ぶんかんつくるからには、今後こんごすくなくともすうじゅうねん見越みこして、長期ちょうきにわたり維持いじ最小限さいしょうげんおさえながら、最良さいりょう収蔵しゅうぞう環境かんきょう確保かくほする必要ひつようがあるからです。たとえば、駒場こまば本館ほんかん地上ちじょうさんかい地下ちかかい建物たてもので、地下ちか書庫しょこには電動でんどうしき稠密ちゅうみつ書架しょかれていますが、エレベータの保守ほしゅ外壁がいへき補修ほしゅうさい足場あしば費用ひよう老朽ろうきゅうした移動いどう書架しょか修理しゅうりなど建物たてもの設備せつび維持いじ相当そうとうかかります。そこで、成田なりた分館ぶんかん敷地しきちひろいので平屋ひらやけんとし、ゆか強度きょうど移動いどう書架しょか重量じゅうりょうこんで設計せっけいしますが、当初とうしょ固定こてい書架しょか設置せっちしました。

成田分館 平面図

成田なりた分館ぶんかん 平面へいめん

また、建物たてもの直接ちょくせつせっしない高床たかゆかしきとして通気つうき防湿ぼうしつをはかり、めん防湿ぼうしつシートをはさんでコンクリートをち、床下ゆかした断熱だんねつをします。屋根やね土蔵どぞうづくりの置屋おきやにし、屋根裏やねうら通気つうきそうもうけてねつがこもらぬようにし、その内側うちがわ寒冷かんれいみの断熱だんねつをします。切妻きりづま屋根やねにし、書庫しょこじょう天井てんじょううら)におおきな空気くうきそうつくります。ひろしたひさし日光にっこうあめから外壁がいへきまもります。外壁がいへき三重みえ構造こうぞうパネルによるそと断熱だんねつとし、書庫しょこ内壁ないへきには調しらべ湿性しっせいたか建材けんざい使つかいます。このような発想はっそう設計せっけいされた図書館としょかん資料しりょうかんはあまりれいがないらしく、設計せっけい施工しこうあた竹中工務店たけなかこうむてん担当たんとうしゃも、最初さいしょはかなりとまどったようですが、なんかい打合うちあわせをかさねるうちに、次第しだい意図いとんでかんがえてくれるようになりました。分館ぶんかん建設けんせつする機会きかいめぐまれるのは、今回こんかいがはじめてであり、おそらく今後こんごもきわめて期待きたいしがたいこととおもわれます。それだけに、かんがかぎりの知恵ちえしぼり、可能かのうかぎりの費用ひようをかけて、いのないよいものをてようとつとめました。

成田なりた分館ぶんかん収蔵しゅうぞうする資料しりょうについては、目下めした検討けんとうちゅうですが、駒場こまば書庫しょこをより機能きのうてきにすべく、また、成田なりたにも閲覧えつらんしつもうけて、本館ほんかん一体いったいとなって、これまでよりいちまわおおきなかんにしたいとかんがえております。

建設けんせつ 成田なりた駒井野こまいの新堀しんぼり1705-3 ほか
敷地しきち面積めんせき 4,070㎡
構造こうぞう 鉄筋てっきんコンクリートづく平屋ひらやけん
建築けんちく面積めんせき 662㎡ のべゆか面積めんせき556㎡(閲覧えつらんしつ事務じむしつ61㎡、書庫しょこ448㎡)
工期こうき 2006ねん6がつ~12がつ
建築けんちく 2おくえん
設計せっけい施工しこう 株式会社かぶしきがいしゃ竹中工務店たけなかこうむてん

 建設けんせつ資金しきん寄付きふをありがとうございました

つぎのような趣意しゅいひろくご寄付きふをおねがいいたしましたところ、おかげさまで127団体だんたいと839にん方々かたがたからご寄付きふをいただき、当初とうしょ目標もくひょうがくをほぼ達成たっせいしました。
あつ御礼おれいもうげます。

会計かいけい報告ほうこくかんほう日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん」216ごう(2007ねん3がつ15にち発行はっこう)に掲載けいさいいたしました。

なお、建設けんせつ資金しきんのご寄付きふが、ぜい優遇ゆうぐうけられる指定してい寄付きふきんとしてみとめられる期間きかんは、建物たてもの竣工しゅんこうを以って2006ねん12月15にちまでで終了しゅうりょういたしました。

     *     *     *

財団ざいだん法人ほうじん日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかんは、1963ねん設立せつりつされました。
関東大震災かんとうだいしんさい昭和しょうわ初期しょき言論げんろん弾圧だんあつ、また、戦災せんさい疎開そかいとうにより、散逸さんいつしがちなプロレタリア文学ぶんがく関係かんけい資料しりょう収集しゅうしゅう保存ほぞんするため、小田切おだぎり秀雄ひでおその一部いちぶ識者しきしゃはやくから努力どりょくしていましたが、それは次第しだい文学ぶんがくかん創設そうせつ期待きたいするおおきなながれに発展はってんしました。

1962ねん高見たかみじゅん川端かわばた康成やすなり伊藤いとうせいをはじめとする作家さっかと、稲垣いながき達郎たつお小田切おだぎりすすむ研究けんきゅうしゃとが協力きょうりょくして、ひろく明治めいじ以降いこうきん現代げんだい文学ぶんがく全般ぜんぱんにわたる資料しりょう収集しゅうしゅう保存ほぞんし、一般いっぱん利用りようきょうするための施設しせつ文学ぶんがくかん建設けんせつびかけ、文壇ぶんだん学界がっかい、マスコミかいあげての賛同さんどうて、近代きんだい文学ぶんがく総合そうごう資料しりょうかんとして活動かつどう開始かいししました。
さらに各界かくかい資金しきん援助えんじょあおぎ、目黒めぐろ駒場こまんば公園こうえんない日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん建設けんせつ、1967ねん開館かいかんして現在げんざいいたっています。2007ねんには開館かいかん40周年しゅうねんむかえることになりますが、そのあいだおおくの個人こじん団体だんたいとうから資料しりょう寄贈きぞう寄託きたくけ、当館とうかん購入こうにゅうした資料しりょうふくめ、昨年さくねんまつ現在げんざいで、収蔵しゅうぞう資料しりょうは122まん4せんてんたっしています。

これらの収蔵しゅうぞう資料しりょう一部いちぶ例示れいじいたしますと、樋口ひぐち一葉かずは「にごりえ」「たけくらべ」の未定稿みていこう石川いしかわ啄木たくぼくかなしき玩具おもちゃ」「呼子よびこ口笛くちぶえ」、二葉亭四迷ふたばていしめい平凡へいぼん」、夏目なつめ漱石そうせき道草みちくさ」「明暗めいあん」、島崎しまざき藤村とうそんはる」、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ侏儒しゅじゅ言葉ことば」、志賀しが直哉なおや暗夜あんや行路こうろ」、小林こばやし多喜二たきじ蟹工船かにこうせん」、中里なかさと介山かいざん大菩薩峠だいぼさつとうげ」、川端かわばた康成やすなり雪国ゆきぐに」「やまおと」、高見たかみじゅん故旧こきゅうわすべき」、太宰だざいおさむ斜陽しゃよう」「人間にんげん失格しっかく」、武田たけだ泰淳たいじゅん司馬しば遷」、井上いのうえやすし孔子こうし」、大江おおえ健三郎けんざぶろう個人こじんてき体験たいけん」、司馬しばりょう太郎たろうさかうえくも」「街道かいどうをゆく」などの原稿げんこうをはじめ、だいいちかいからの芥川賞あくたがわしょう直木賞なおきしょう受賞じゅしょう作品さくひん原稿げんこうコレクション、さらに、樋口ひぐち一葉かずはあて書簡しょかん332つう佐佐木ささき信綱のぶつなあて書簡しょかん9,017つう志賀しが直哉なおやあて書簡しょかん4,490つうとう書簡しょかん島崎しまざき藤村とうそん夜明よあまえ創作そうさくノートとうがあります。(一部いちぶ完全かんぜん原稿げんこうでないものもふくみます。)これらはすべて当館とうかん以外いがいにはることのできない資料しりょうです。また、460,970さつにおよぶ書籍しょせきについても、芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけきゅうぞう洋書ようしょ和漢わかんしょからなる芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ文庫ぶんこをはじめ、志賀しが直哉なおや文庫ぶんこ鈴木すずき茂三郎しげさぶろう収集しゅうしゅう社会しゃかい文庫ぶんこそのすうおおくの文学ぶんがくしゃはつ版本はんぽん稀覯きこうしょそうほんなどを収蔵しゅうぞうしています。630,323さつにおよぶ雑誌ざっしについても、ぜん18,288タイトルのなか半数はんすう以上いじょうの10,139タイトルはNACSISとう既成きせいのMARC (Machine Readable Catalog) には書誌しょしがなかったもので、当館とうかんでのみ所在しょざい確認かくにんできるものです。

こうした貴重きちょう膨大ぼうだい資料しりょうだい部分ぶぶん文学ぶんがく関係かんけいしゃやそのご遺族いぞくから寄贈きぞうされたものですが、これは当館とうかん事業じぎょうたいするご理解りかいのたまものであり、資料しりょう綿密めんみつ注意ちゅういはらって保存ほぞんし、文学ぶんがく研究けんきゅうしゃその方々かたがた閲覧えつらんきょうしてきたこと、さらに、収蔵しゅうぞう資料しりょう出版しゅっぱん展示てんじとうをつうじて文学ぶんがく普及ふきゅうにつとめてきたことによって、当館とうかん社会しゃかいてきたか信頼しんらいをいただいた結果けっか感謝かんしゃしております。この貴重きちょう文化ぶんか資源しげん後世こうせいつたえることは当館とうかん最大さいだい責務せきむであり、今後こんごともそのつとめをたしてゆく所存しょぞんです。

日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかんは、創立そうりつ当初とうしょのぞき、多年たねんにわたり、公的こうてき助成じょせいをまったくけることなく、活動かつどうしてきましたが、このような事業じぎょう本来ほんらいくにおこなうべき事柄ことがらであり、古典こてんについてくに施設しせつである独立どくりつ行政ぎょうせい法人ほうじん国文学研究資料館こくぶんがくけんきゅうしりょうかんおこなっている事業じぎょうを、明治めいじ以降いこうかんしては当館とうかん代行だいこうしているのだと自負じふしております。
といっても、けっして現状げんじょう満足まんぞくしているわけではなく、年々ねんねん増加ぞうかする収蔵しゅうぞう資料しりょう対応たいおうし、かつ、いっそうの充実じゅうじつにつとめるべく、これまでもさまざまな工夫くふうらしてきました。
目黒めぐろ駒場こまんば所在しょざい建物たてもの以下いか本館ほんかん」といいます)は書庫しょこ1,340㎡、資料しりょう170㎡をゆうし、わがくに文学ぶんがくかんちゅう屈指くっし収蔵しゅうぞう能力のうりょくをもっていますが、すでに限界げんかいちかづき、あたらしいスペースを確保かくほすることが急務きゅうむとなりつつあります。その実現じつげんをめざして、収蔵しゅうぞう増設ぞうせつ資金しきんててきましたので、現在げんざいいちおくえん建設けんせつ基金ききんゆうしております。
しかし、本館ほんかん区立くりつ駒場こまんば公園こうえんない所在しょざいするため、増築ぞうちくにより書庫しょこ建設けんせつすることができません。

このような状況じょうきょうもとで、当館とうかん常務じょうむ理事りじ一人ひとりから、建設けんせつ用地ようちとして成田なりた所有しょゆうする土地とち寄付きふしたいとのもうをいただきました。
そこで、理事りじかい検討けんとうした結果けっか、このさい、ご寄付きふいただく敷地しきち日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん成田なりた分館ぶんかん建築けんちくすべきであるとの結論けつろんたっし、開館かいかん40周年しゅうねん記念きねん事業じぎょうとしておこなうことといたしました。しかし、いちおくえんでは書庫しょこが300㎡程度ていど建物たてものにしかなりませんので、さらにいちおくえん合計ごうけいおくえん分館ぶんかん建設けんせつし、設計せっけい利用りようほう工夫くふうすることにより、ほぼ本館ほんかん半分はんぶん程度ていど収蔵しゅうぞう能力のうりょくゆうする建物たてものにしたいと計画けいかくいたしました。そのため、ひろく文学ぶんがくかかわる方々かたがた創作そうさくしゃ研究けんきゅうしゃ愛好あいこうしゃ文学ぶんがくかん活動かつどう理解りかいをおちの方々かたがた文化ぶんか遺産いさん保存ほぞん意義いぎをおみとくださる方々かたがたにおねがいして、いちおくえん募金ぼきん活動かつどうおこなうこととした次第しだいです。

この成田なりた分館ぶんかん建設けんせつにより、これまでにもまして充実じゅうじつした資料しりょう収集しゅうしゅう保存ほぞんして、利用りようきょうすることができることとなりますし、現在げんざいにおける情報じょうほう機器きき発達はったつにより、本館ほんかん分館ぶんかんとに資料しりょうけられても、利用りようしゃにご不便ふべんをおかけすることはあるまいとかんがえております。
同時どうじ成田なりた分館ぶんかんにも閲覧えつらんしつとうもうけて、日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん活動かつどう拠点きょてんいちとして、文学ぶんがくかん活動かつどうのさらなる活性かっせいはかるつもりでおります。
どうぞ、このような趣旨しゅしにご賛同さんどうたまわり、ご協力きょうりょくくださいますよう、おねがもうげます。

日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん成田なりた分館ぶんかん 募金ぼきん委員いいんかい

委員いいんちょう

平岩ひらいわ外四がいし

ゆだね いん

今井いまい けい
大岡おおおか しん
黒井くろい千次せんじ
小林こばやし陽太郎ようたろう
つつみ 清二せいじ
十川そがわ信介しんすけ
長岡ながおか 
中村なかむら みのる
福原ふくはら義春よしはる
(50おとじゅん


 たて創立そうりつ45周年しゅうねん開館かいかん40周年しゅうねん成田なりた分館ぶんかん開館かいかん記念きねん
近代きんだい文学ぶんがく至宝しほう――永遠えいえん(とわ)のいのちをきざむ>

2007ねん9がつ15にち)~10がつ21にち終了しゅうりょういたしました

会場かいじょう成田なりたさん書道しょどう美術館びじゅつかん
入場にゅうじょうりょう:500えん

2007ねん日本にっぽん近代文学館きんだいぶんがくかん設立せつりつ45周年しゅうねん開館かいかん40周年しゅうねんにあたり、また9月くがつ15にちには成田なりた分館ぶんかん開館かいかんしました。
これを記念きねんし、創立そうりつ以来いらいおおくの方々かたがた団体だんたいよりご寄贈きぞう、ご寄託きたくいただいた資料しりょうなかから、ほこるに近代きんだい文学ぶんがく逸品いっぴん数々かずかずを、時代じだいいながらご紹介しょうかいする展覧てんらんかい開催かいさいしました。

芥川あくたがわ龍之介りゅうのすけ歯車はぐるま
太宰だざいおさむ人間にんげん失格しっかく
二葉亭四迷ふたばていしめい平凡へいぼん
樋口ひぐち一葉かずは「たけくらべ」
夏目なつめ漱石そうせき明暗めいあん
島崎しまざき藤村とうそんはる
志賀しが直哉なおや暗夜あんや行路こうろ
中里なかさと介山かいざん大菩薩峠だいぼさつとうげ
川端かわばた康成やすなり雪国ゆきぐに」・・・といった原稿げんこうのほか、書画しょが書簡しょかん遺品いひんなどまさに至宝しほうというべき貴重きちょう資料しりょう一堂いちどう展観てんかんしました。

たて創立そうりつ45周年しゅうねん開館かいかん40周年しゅうねん成田なりた分館ぶんかん開館かいかん記念きねん講演こうえんかいもおこないました(すべて終了しゅうりょうしました)

2007ねん9がつ20日はつか
大岡おおおかしん人類じんるい最古さいこ文明ぶんめいについて」
たけ西にし寛子ひろこ廃墟はいきょつき与謝野よさの晶子あきこいちしゅから」

2007ねん10がつにち
馬場ばばあき太平洋戦争たいへいようせんそう青春せいしゅん読書どくしょ
辻井つじいたかし日本にっぽんにおけるきん現代げんだい文学ぶんがくやまいについて」

会場かいじょう成田なりたさん書道しょどう美術館びじゅつかんホール

受講じゅこうりょう:500えん