森博嗣先生にとって、小説という媒体固有の面白さ・体験とはどういう点にあると思いますか? 「スカイ・クロラ」のように小説がアニメ化や映画化されることは多々ありますが、小説の体験と比較して損なわれるものは何だと思いますか?
(HN:ハイネさん)
現在は小説を読まないので、面白さを忘れてしまいましたが、作品によってさまざまで、違うように感じます。メディアが変わって失われるものもあれば、逆に得られるものも当然あります(だから作られるのですが)。これが失われると、決まったものはないように思います。
小説でしか表現できない事ってありますか?
(HN:航さん)
わかりません。あるかもしれないし、ほかのメディアでもできるかもしれないからです。
英訳版の出来栄えが素晴らしいと思いました。
森先生の英訳版の感想がお聞きしたいです。
(HN:天崎さん)
非常に忠実な訳で、日本語で小説を書くことができる訳者だからこそのものだと思います。
以前、森さんは、「映像を書き留めて執筆する」とご回答されていました。
私も、読書の時には映像が展開されるのですが、「時間」のイメージがうまく展開されず、事象の前後関係があやふやになります。
森さんは、執筆または読書のときに、どのような「時間」のイメージをお持ちでしょうか。
(HN:アポカリプスさん)
時間はイメージできません。物語を原因と結果として連動させないかぎり、時間は表面化しません。えてして、見失うことがあります。
本シリーズは現実性と独自性とが、高次元に昇華された作品と感じます。
本シリーズの世界観でも現実の世界でも、個としての人には独自の可能性を見出せます。
ですが、その集合たる人間社会は、生命を無意味に搾取する茶番に思えてなりません。
そのような考えを改めるには、どうすれば良いでしょうか?
(HN:ルナさん)
難しいし、ほぼ無理なのではないでしょうか。人間の大部分に、その能力がないと思われるからです。
「スカイ・クロラ」に出てくる人たちは、堂々としていて、人からどう見られるかを気にしていないのが素敵でカッコいいです。
彼らはどうして人の評価を気にせず生きられるんだと思いますか?
(HN:サンさん)
というよりも、どうして人の評価を気にしないと生きられないのでしょうか? そちらの方が不思議です。
作中に出てきたマヌーバの数々の中で、森先生がRCで試したことのある種類はどれくらいありますか?
(HN:U.B.さん)
実機に可能なもので、ラジコン飛行機でできないものはありません。模型は失敗しても良いので比較的簡単にすべてを経験できます。
人の強さとは何かについてずっと考えています。フィジカル的には別として、この頃はメンタルに強さ、弱さはない気がしています。ベクトルの問題に過ぎないのではないでしょうか。
(HN:トウマ@ライブさん)
気がするだけでは不足で、原因をしっかりと考えましょう。いずれも個々に原因が存在します。
作中では、普通の人間が自分とは違う「キルドレ」が殺し合うことを容認していますが、やはり、戦争は生身の人間的なものが殺し合う必要があるのでしょうか。この先、技術の進歩によって、ヴァーチャル空間など生死を伴わない戦いが国家間の戦争として機能する日が来ると思いますか?
(HN:ヒヨさん)
人間の命に価値があるという認識がしばらくは持続することでしょう。価値があるものを奪う行為が戦争です。
フーコとの会話で「飛び出したいから、好きになった? 寂しいから、好きになった?」が素敵でした。人を好きになるときの順番を考えたことがありませんでした。1人でも、誰かと一緒でも「寂しい」はずっとあるものでしょうか?
(HN:亜衣さん)
わかりません。人それぞれで、また、寂しいという感覚も、同一ではないようです。
ある映画がもとになっている、とのことですが、その映画は明確な筋道、唯一解がないように思われます。その点でも参考になさったのでしょうか?
(HN:めろんさん)
その類の創作は数多くあり、個別のものを参考にするということはありません。単なる雰囲気だけの話です。
実機を設計するならエンジンは何にしますか、または組み込みたいものはありますか。
(HN:ジャイロさん)
それは、機体に合ったものです。また、機能を実現できるものです。
『クレイドゥ・ザ・スカイ』の「僕」は冒頭でフーコに連絡を取りますが、娼館の電話をなぜ記憶していたのでしょう?
他の登場人物のように普段から利用していたということは無いと思いますが。
最初から科学者の彼女に連絡しなかったのはなぜでしょうか?
(HN:左部貴光さん)
さあ、どうしてでしょう? 電話を記憶していたし、フーコに連絡したかった、ということでしょう。
ササクラはメカニックとして天才・秀才・鬼才・奇才・凡才どれに当てはまりますか?
(HN:ほんさん)
考えたこともありません。案外、ごく普通なのでは。
スカイ・クロラシリーズの登場人物が話の中でタイムリープしていたりしますか?
森先生はタイムリープを信じますか?
(HN:白と黒さん)
タイムリープが、具体的にどんなものか知りません。
このような美しい作品を、40代で書かれたことに驚きました。と同時に、社会の醜さや不条理さを実感し、多くの人は「美しさ」を知らない、気づいていないのでは、と思いました。気づいているなら、これほど残酷な世界であるはずがないからです。
森先生は、純粋で自由な感性を失わないために、留意されてきたことはありますか?
(HN:MMMさん)
ありません。感性というものは、簡単に消えたり、失われるものではないと思います。もし、消えたとしたら、もともとなかったのだと考えられます。
キルドレは現実には存在しませんが、今、アンチエイジング研究が盛んです。肌や内臓など老化して良い事は何もないので、抗老化、若返り、は魅力的で急速に研究が進むことを望みます。森先生は、老化を恐れていらっしゃいますか? また、今後20年くらいで老化を遅らせることは可能になるのでしょうか。
(HN:kupoさん)
老化を恐れている人がいるとしたら、少し頭がおかしいように感じます。時間を恐れることと同じだからです。老化のメカニズムは、いずれ解明されることでしょう。何年後かはわかりませんが。
「スカイ・クロラ」シリーズ一連の世界を構築する際、発想の「起点」となった場面(状況)はありますか? あるならば、どのような場面だったのでしょうか?
(HN:山尚さん)
タイトルを決めたあと、最初に、周囲の地形を考えます。それが起点です。山脈がどの方向にあるか、川はどれくらいの幅で、どちらへ流れているか、などです。次に、街や道路、個々の建物を考えます。その次くらいが人間、つまりキャラクタです。
「スカイ・クロラ」もそうですが、森先生の作品は日本人の一般的な思考、大衆的な内容とは違い、どことなく海外小説に近い雰囲気を感じます。村上春樹さんの作品にも同じようなものを以前から感じるのですが、森先生は村上春樹さんについてどのように思われますか?
(HN:ケントさん)
名前は存じ上げていますが、作品を読んだことはありません。
現実は思考の中にありますか?
(HN:zeroさん)
質問の意味がわかりません。現実は、観測されますが、思考は自分以外は観測できません。そう考えても良いし、そうでないと考えても良いでしょう。
飛行機乗りとしての仕事であれば、ティーチャが自分の子供を(殺す気で)撃てると思われますか?
(HN:ゆたさん)
さあ、それはティーチャにきいてみないとわかりませんね。
時間についての質問です。作中、登場人物が時間や期間(○年前、いつ頃など)について話すシーンがありますが、それは皆客観的な事実を述べていますか?
(HN:CATⅢさん)
客観的な事実を述べていると思っていても、間違いや誤解はあるでしょう。また、わざと間違える場合もあります。
永遠に歳をとらない(ように内外に認識される)キルドレが、昨今の日本のアニメやソーシャルゲームにおける、一定の年齢から成長しない所謂サザエさん時空のキャラクタと、更に翻ってそうしたキャラを求める消費者を想起させます。こうしたメタ・フィクション的観点から物語を構想することがありますか?
(HN:ゴトウダさん)
ありません。この物語では、歳を取らないことが真実として語られていません。そう信じている人は登場しますが。
わたしは、サガラ・アオイさんが好きです。
短編集では取り上げられていなくて、残念に思えました。
今後、この『スカイ・イクリプス』の更に続編を書かれる予定はありませんか?
研究者としてのサガラ・アオイさんの物語が読みたいです。
(HN:ネムさん)
残念ながら、執筆予定はありません。
キャラクターデザインは、鶴田謙二さんのものと西尾鉄也さんのもので印象が違いますが、森博嗣さんのイメージではどちらが近いですか? どちらも近くないですか?
(HN:鮎蜜さん)
どちらとも違いますが、どちらかといえば、鶴田さんの方です。ただ、近いから良いというわけではありません。
地上では、意識は肉体から切り離されたがっているのに、空の上では境界があいまいになる感覚になります。
文章を書くときは景色がクリアなのか、それとも靄の中を進む感覚なのでしょうか。
(HN:深水鳥さん)
それは書いている文章、つまりシーンによります。
こんばんは。質問です。
作中のとある人物が事あるごとに「全然悪くない」と言うので、私も真似していたら、口癖になってしまいました。
森さんには口癖などありますか。
(HN:ステアリングさん)
特に意識していません。「悪くない」は、「良い」と「良くも悪くもない」を合わせた意味です。
作中で空戦に勝ち続けるパイロット達は、何が優れていると思われますか?
(HN:とれっくさん)
それは一概にいえませんが、視力と想像力だと思います。
シリーズの通奏低音として、「大人になること」と「子供のままでいること」の二項対立が描かれていると感じました。そして単に後者を肯定するわけでもないところに、シリーズ全体の透徹した深さがあると思います。
「大人になる」でも「子供でいる」でもない、第三の(最も美しくも自由な)生き方があるとお考えでしょうか? それはいったい、どのようなものだとお考えになっていますか?
そういった生き方が作品内で表れているシーンはあるでしょうか?
(HN:二影幽さん)
そういった考えはありません。ただ、自分に合った生き方を求めるだけです。自分の考え方が作品に表れるようなことは滅多にありません。
森先生のシリーズ化している長編作品群の中では、登場人物表が無いというところが、「スカイ・クロラ」シリーズの(大変細やかな)特徴だと言えるのではないか、と思いました。
それは「スカイ・クロラ」シリーズが、ある意味で「登場人物」の「人物」とは何なのか? と問う、アンチ小説的な作品群だからでしょうか?
それとも何か、「登場人物表をつけない」という判断に至った他の理由がありましたか?
(HN:皐月偽さん)
登場人物表の必要がなかっただけです。そういった作品はほかにもあります。必要ならばつけます。
「スカイ・クロラ」や「すべてがFになる」はゲーム化もされていますが、ご自身でもプレイされましたか? また、面白いと思ったゲームは何かありますか?
(HN:エビマヨさん)
いずれも、少しだけ(最初の1時間くらい)プレィしました。ゲームをしたのは30年以上まえのことで、最近はしません。