6月21日は国際スケートボード協会 (IASC)が定めたスケートボードの日。この日、戦時下にあるウクライナでも、キーウ、ハルキウなど10都市でスケボーの大会が行なわれる。
戦争が
長期化するウクライナでスケボーに「
生きる」
実感を
見出した
若者たちを、
現地を
訪れた
写真家の
児玉浩宜がレポートする。
戦場をスケボーで駆け抜けた青年の残像
ウクライナで目撃した忘れられない瞬間がある。
それはスケートボードに乗る青年の姿だった。2022年5月、東部の都市ハルキウの郊外では激しい戦闘が続いていた。街はゴーストタウンのようで、歩く人もほとんど見当たらない。
時折、遠くで爆発音が響く。
車に荷物を載せようとしていた男性がいたので声をかけると「今から逃げるところだ」と言った。恐ろしさを感じながらも一人で街を歩いていると、突然、耳障りな連続音がして私は身構えた。
振り向くと、1人のスケーターがウィリーをしながら坂道から降りてきた。そして、そのまま視界から消えていった。一瞬の出来事だったが、私にとってあまりにも強烈で非現実的な光景だった。
それから何度もハルキウに通っていると、街の中心部にある広場にスケーターたちが毎日のように集まっていることが分かった。多くは10代から20代の若者だった。
彼らはスケボーでトリックをしたり、その
技をスマホで
動画撮影したりしていた。ベンチに
座っていた
青年に
声をかけて
話す。
「ここはウクライナで最高の場所なんだ」と彼は満足げに広場を見渡した。そして「ここに来ればいつでも仲間に会えるんだ」と嬉しそうに言った。
一体どういうことだろう。
ハルキウでは毎日のようにミサイルが落ちて人の命が奪われている。この広場の数十メートル先にある大学の校舎もミサイルで破壊されたままだ。
街の中心部からロシアとの国境までわずか40km。ロシアから発射されたミサイルはわずか1分もかからずに到達すると言われている。
そんな状況でスケボーに乗ることに私は異常に感じた。
ウクライナへの渡航が5度目になる今年の3月、私はその理由を探ろうと思った。そのためにはスケボーを手に入れて一緒に滑るしか方法が思いつかない。
私は
首都キーウでスケボーを
入手してハルキウに
向かった。そして、
彼らと
同じように
滑りながら
話を
聞いた。
スケートボードは戦時下における心の支え
21歳のアルチョムがトリックを決めたのはミサイルが落とされて廃墟となっている建物の前だった。
「俺はどこにも逃げずにこの街にずっといる。毎日戦争のことを考えていると頭がおかしくなりそうになる。でもスケートボードに乗ってジャンプをしている瞬間、自由でいられるんだ。
スケボーは俺にとって単なるスポーツじゃない。アートであり表現方法なんだ。常にどう美しくスタイリッシュに魅せるかを考えている」
そう言いながら、彼はしきりに履いていた新しいスニーカーを気にしていた。泥がついていたらしい。ミサイルが落とされた廃墟よりも、靴の汚れに意識が向く。彼にとって美意識を維持することが、生きていく上で大切なことなのだろう。
さらに危険な地域からハルキウへと避難してきた者もいる。
南部ザポリージャ
州エネルホダル
出身の17
歳、ヴァディム。
故郷はロシア
軍の
占領地となってしまったため、
昨年ハルキウへと
逃げてきた。ヴァディムの
夢はプロスケーターになることだ。
「
寝ても
覚めてもスケボーのことを
考えてるよ。でもプロになるためにはウクライナを
出なければいけない。ここじゃスポンサーの
規模も
小さいし、できることは
限られている。それに
両親はまだ
占領地に
残ってるんだ。
心配だから
毎日電話してるけど、こんな
状況じゃ
未来のことは
考えられないよ」
17歳のデニスはここを離れて隣国のポーランドに避難することを母親から促されている。
「小さいころにこの広場でスケボーをする人たちを見て、なんてかっこいいんだ、と思ったんだ。それから親に頼んでスケボーを買ってもらい始めたんだ。仲間がいるから本当はここに残りたい。でもいま僕は17歳だし来年になるともう逃げられなくなるんだ」
戦争が始まって以降、ウクライナでは総動員令が出され、18歳から60歳までの男性は原則、出国が禁止されている。
「
父さんはウクライナ
軍の
兵士として
戦ってる。だから
僕だけでも
逃がしたいっていう
母さんの
気持ちもわかる。いつポーランドに
行くかはまだわからない。
親が
決めることだから」
彼らはそれぞれの葛藤はありながらも落ち着き払っていた。仲間と毎日顔を合わせ、近況を語り、スケートボードに乗る。
彼らにとってスケートボードは戦時下における心の支えであり、冷静さを保つための手段となっているのだろう。
恐怖や孤独の中でスケボーに生きる自信を見出していく
彼らのひとりから「大会があるので来ないか」とメッセージがあった。
教えてもらった場所は侵攻直後に大規模な攻撃を受けた集合住宅に近いスケートパークだった。到着すると開始時間前だというのに多くの若者たちがスケボーを持って集まり、待ちきれずに練習をしていた。
大会と言っても小規模なものだが、誰もが真剣な顔つきだった。
トリックに失敗しても誰も笑うものはおらず、挑戦する勇気を拍手で称える。
彼らにとってかけがえのない時間だ。
大会の
記録撮影をしていた
写真家のニキータ(22)が
話してくれた。
彼はスケーターたちを
見守る
兄貴的な
存在でもある。
「
俺もハルキウの
東部の
街からカメラとスケボーを
持って
逃げてきたんだ。いま
故郷はかなり
危険になってるからね。ここでスケボーを
教えたり
撮影してあげると
簡単に
友達ができた。
実はここにいる
彼らの
多くは
戦争で
恐怖心に
押しつぶされ、
孤独を
感じたりしている。でもこうやってスケボーに
乗ると、
昨日できなかったことが
今日できるようになる。そうやって
少しづつ
自信を
見出していくんだ」
私は彼らが単に現実から逃れるための精神的な拠り所としてスケボーをしているのだと思っていた。しかし、彼らの表情を見続けていると、もっと切迫したものを感じる。大会の最中、私は少年が手にしていたスケボーの板に記された手書きのメッセージに目が止まった。
「Fuck that.I don’t wanna die.Life is way too beautiful.But you know that I’ll try」
(筆者訳:ちくしょう。俺は死にたくない。
人生はあまりにも
美しすぎる。でも
俺はやってやる)
すでに戦時下という異常な暮らしが2年以上も続いている。毎日のようにミサイルが落ちてくるこの街で、彼らは今日と明日の違いもわからない鬱々とした日々を過ごさなければならない。
だからこそ彼らはスケボーに乗り、自分自身の意思で体を動かす。ありていに言えば、生きている実感ということだろうか。今この瞬間を自らのために生きる。その確かさを求めているのだ。
最近ではスケートボードは趣味やスポーツとしても親しまれているが、かつては反逆の象徴として若者たち自身が文化を育んできたものだ。私が出会った彼らのうちの1人は「今は人も少ないし多くの店が休業や廃業しているから、ストリートはかなり滑りやすくなった。追い出されることもなく自由になった」とも言っていた。
しかし、彼らは非常にまっとうに生きようとしていると私は感じた。真面目で正直であるがゆえに、今の状況ではその姿が反逆的に見えるのだ。生きていることを実感するためにスケートボードに乗り続ける。
それは明日をも知れぬ身に置かれた彼らが正常であり続けるための反逆的な方法なのだ。彼らにとって、異常なのはこの世界なのだ。
取材・文・撮影/児玉浩宜