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すめらぎ大神宮だいじんぐう内宮ないくう別宮べつみや

せいみやぐおみや別宮べつみやといいます。内宮ないくう域内いきないには「あらまつりみやあらまつりのみや」・「ふういのりみやかざひのみのみや」の2しょ別宮べつみや鎮座ちんざしています。

あらまつりみやあらまつりのみや

祭神さいじん天照大御神あまてらすおおみかみ荒御魂あらみたまあまてらすおおみかみのあらみたま

天照大御神あまてらすおおみかみの「荒御魂あらみたま」を
まつりする、内宮ないくうだいいち別宮べつみや

あらさいみやは、内宮ないくう所属しょぞくするじゅうしょ別宮べつくのうち、だいいちくらいしています。殿舎でんしゃ規模きぼ別宮べつくよりもおおきく、せいみやおおきさです。ご祭神さいじんは、天照大御神あまてらすおおみかみ荒御魂あらみたまあらみたま神様かみさまたましいのおだやかなはたらきを、「和御魂にぎみたまにぎみたま」ともうげるのにたいして、荒々あらあらしく格別かくべつ顕著けんちょなご神威しんいをあらわされるたましいはたらきを、「荒御魂あらみたま」とたたえます。

鎮座ちんざ
あらさいみやいね御倉おぐらみしねのみくらそとぬさ殿どのげへいでんえて、石段いしだんりるとせいみや北方ほっぽう、やや小高こだかところ鎮座ちんざしています。

あお用語ようご説明せつめい表示ひょうじします

あらさいみや由緒ゆいしょ沿革えんかく

のべれき23ねん(804)せんしんの『すめらぎふと神宮じんぐう儀式ぎしきちょうこうたいじんぐうぎしきちょう』に、「あらまつりみや一院いちいん 大神宮だいじんぐうきたにあり、そうることじゅうよんたけ 大神宮だいじんぐう荒御魂あらみたまみやしょうす」とあり、延長えんちょう5ねん(927)成立せいりつの『延喜えんぎ太神おおがみやしきえんぎだいじんぐうしき』に「あらさいみや一座いちざ 大神おおがみあらたましい」ともえます。

まつりについては、せいみやじゅんじるだいいちべつみやとして特別とくべつ丁重ていちょうおこなわれます。
祈年祭としごいのまつり神嘗祭かんなめさい新嘗祭にいなめさい奉幣ほうへいも、せいみやにつづき勅使ちょくしちょくし参向さんこうして幣帛へいはくへいはくたてまつられます。また神饌しんせんしんせん種類しゅるい数量すうりょうせいみやとほとんどおなじものがおそなえされます。

神嘗祭かんなめさい奉幣ほうへい 勅使ちょくし参向さんこうされて幣帛へいはくたてまつられます

大祭たいさいちゅう大祭たいさい式年しきねん遷宮せんぐうも、ふるくからせいみやじゅんじておこなわれています。応仁おうにんらんのころ、なが中絶ちゅうぜつむなきにいたった時代じだいもありましたが、寛永かんえい8ねん(1631)にはふたた式年しきねんみやつこがえせい復興ふっこうされ現在げんざいいたっています。また、ふるくからの大祭たいさいかみ御衣おんぞさいおこなわれるのは、すめらぎ大神宮だいじんぐうあらさいみやのみであることからも、このみや特別とくべつ神位しんいがうかがわれます。

平成へいせい25ねん10がつときぎょうされた遷御の

ふういのりみやかざひのみのみや

祭神さいじん 級長きゅうちょう彦命しなつひこのみこと
級長きゅうちょうあたりいのちしなとべのみこと

外宮げくうふうみや同様どうように、
神風かみかぜ」をかせた
風雨ふううかみまつ別宮べつく

祭神さいじんは、弉諾みこといざなぎのみこと御子みこしんで、とく風雨ふううつかさどかみ級長きゅうちょう彦命、級長きゅうちょうあたりいのち雨風あめかぜ農作物のうさくもつおおきな影響えいきょうあたえますので、神宮じんぐうではいにしえよりせいみやじゅんじて丁重ていちょうにおまつりしています。
ふういのりみやつうじるふういのりみやきょうかざひのみのみやばしうえからは、うつくしい新緑しんりょく紅葉こうようのぞむことができます。

鎮座ちんざ
内宮ないくう神楽かぐら殿どの授与じゅよしょむかがわ参道さんどうすすみ、ふういのりみやきょうわたると右手みぎて鎮座ちんざしています。ふういのりみやきょう五十鈴川いすずがわはしともいわれます。

あお用語ようご説明せつめい表示ひょうじします

ふういのりみや由緒ゆいしょ沿革えんかく

このみやにちなむおまつりがあります。毎年まいとし5がつ14にちと8がつ4にちの2風雨ふうう災害さいがいいよう、また五穀ごこくゆたかにみのることを祈願きがんするふういのりさいです。その由緒ゆいしょは、のべれき23ねん(804)の『すめらぎふと神宮じんぐう儀式ぎしきちょうこうたいじんぐうぎしきちょうよんがつれいじゅうよんにちじょうに「以御笠縫かさぬいみかさぬいのうちじんうちんどみやつこたてまつみの廿にじゅうりょう御笠みかさ廿にじゅうぶたそくたてまつふと神宮じんぐうさん中略ちゅうりゃく風神ふうじんしゃいち」とあり、ふるくは「風神ふうじんしゃ」ともしょうされていたことがわかります。

笠縫かさぬいないじん」とは、延長えんちょう5ねん(927)の『延喜えんぎ太神おおがみやしきえんぎだいじんぐうしき』には、「旧暦きゅうれき4がつ10日とおかをさす)笠縫かさぬいないじんとうきょうしん蓑笠みのかさ」とあって、4がつ10日とおか風雨ふううたいらかなることを祈願きがんして、みのみのかさかさたてまつるためにもうけられた特別とくべつ職掌しょくしょうでした。後世こうせい鎌倉かまくら時代じだいごろには、このおまつりを「御笠みかさ神事しんじ」ともしょうしました。

ふういのりさい みの(みみの)、御笠みかさ(みかさ)がたてまつられます

さらに、『すめらぎふと神宮じんぐう儀式ぎしきちょう』には笠縫かさぬいないじんの4がつのおまつりのほかに、旧暦きゅうれきの7がつ・8がつの2ヶ月かげつあいだ風雨ふうう平安へいあん五穀ごこく豊穣ほうじょう朝夕あさゆう日毎ひごと祈願きがんする「にちいのりないじんひのみのうちんど」とばれる特別とくべつ職掌しょくしょうによる神事しんじおこなわれていたことがしるされています。この2ヶ月かげつあいだ神事しんじは、『延喜えんぎ太神おおがみやしき』に「凡毎年まいとしなながつにちいのりない人為じんいいのりひら風雨ふううところ須絹よんたけ」とありに7がつ神事しんじとなっていたことがわかります。

時代じだいくだるにつれ、1ヶ月かげつちょうきにわたって祭祀さいしおこなうことが困難こんなんとなり、いつしか7がつ4にちいまの8がつ4にち)の1にちのみに限定げんていされ、4がつ14にちいまの5がつ14にち)の神事しんじわせてとし2の「ふういのりさい」としょうされるようになりました。

このように、時代じだいおうじて変遷へんせんがありましたが、おまつりの本義ほんぎはいささかもわることなく現在げんざいがれ、古式こしきゆかしくおこなわれています。

もともと「風神ふうじんしゃ」とばれていました「しゃ」がみやごうをもつ「ふういのりみや」となったのは、鎌倉かまくら時代じだいこうむ襲来しゅうらいさい、ご神威しんいによってもうかぜおこり、襲来しゅうらいしたてきぐん10まんへい全滅ぜんめつさせ、ゆう国難こくなんをおすくいになったご霊験れいけんこたえるべくせいおう6ねん(1293)3がつ20日はつか太政官だじょうかんだじょうかんぷもっみやごう宣下せんげきゅうごうせんげはっせられたことによります。

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