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すめらぎ大神宮だいじんぐう内宮ないくう宇治橋うじばしうじばし五十鈴川いすずがわいすずがわ

内宮ないくうほとりの清流せいりゅうにかかる、
⽇常から神聖しんせい世界せかいへのはし

内宮ないくうへの入口いりくち五十鈴川いすずがわにかかる宇治橋うじばしは、日常にちじょう世界せかいから神聖しんせい世界せかいむすはしといわれています。宇治橋うじばし正面しょうめんうつくしいだい鳥居とりい姿すがたながめると、すべての人々ひとびとしんあらわれ、しんただして清浄せいじょうみやいきはい心構こころがまえの大切たいせつさをかんじさせてくれます。内宮ないくうのおまいりは宇治橋うじばしまえ一礼いちれいし、みどりゆたかな神路かんじさんかみじやましまやましまじやま四季しきうつろいをかんじながら宇治橋うじばしわたることからはじまります。

あお用語ようご説明せつめい表示ひょうじします

宇治橋うじばし

宇治橋うじばしは、全長ぜんちょう101.8m、はば8.4mで、欄干らんかんうえに16擬宝珠ぎぼうしゅぎぼしえたじゅん日本にっぽんふうはしです。床板とこいた欄干らんかんひのきひのきつくられていますが、橋脚きょうきゃく部分ぶぶんみずつよけやきけやき使用しようします。

宇治橋うじばし本来ほんらいいたみがひどいさい修繕しゅうぜんえをおこなっていましたが、明治めいじ22ねん(1889)だい56かい式年しきねん遷宮せんぐうから遷宮せんぐうわせて20ねんいちえされるようになり、いま宇治橋うじばし平成へいせい21ねん11月3にちわたりはじめしきおこなわれました。宇治橋うじばしえは遷宮せんぐうの4ねんまえ。それはだい世界せかい大戦たいせん混乱こんらんによってだい59かい式年しきねん遷宮せんぐう昭和しょうわ28ねん(1953)に延期えんきされたさいに、全国ぜんこく崇敬すうけいしゃからせめて宇治橋うじばしだけでもえようとの熱意ねついによって、予定よていどお昭和しょうわ24ねんえられ、以来いらい遷宮せんぐうの4ねんまえ恒例こうれいとなっています。

宇治橋うじばしそとうちたかさ7.44mの大鳥居おおとりいっていますが、内側うちがわ鳥居とりいは、内宮ないくうきゅう正殿せいでんむねばしらむなもちばしらが、外側そとがわ鳥居とりい外宮げくうきゅう正殿せいでんむねばしらもちいられます。さらに20ねんたつと、内側うちがわ鳥居とりい鈴鹿峠すずかとうげのふもとの「せき追分おいわけせきのおいわけ」、外側そとがわ鳥居とりい桑名くわなの「ななさとわたしちりのわたし」の鳥居とりいとなり、正殿せいでんむねばしらとなって以来いらい、60ねんのおつとめをたしています。

平成へいせい21ねん11⽉3⽇にえられた宇治橋うじばし
宇治橋うじばしの⼤⿃きょきゅう正殿せいでんむねばしらさい⽤されます

⼗鈴がわ⼿洗じょうみたらし

五十鈴川いすずがわは、「濯川みもすそがわ」ともばれ、やまとひめいのちやまとひめのみことのすそをそそいだことから名付なづけられたとつたえられます。神路かんじさん水源すいげんとする神路かんじがわと、しまやまみなもととするしまかわふたつのながれが、合流ごうりゅうして五十鈴川いすずがわとなります。

御手洗みたらしじょうながれはきよらかさの象徴しょうちょう内宮ないくう参道さんどう右手みぎてのゆるやかな斜面しゃめんりていくと、元禄げんろく5ねん(1692)徳川とくがわ綱吉つなよし生母せいぼかつらあきらいんけいしょういん寄進きしんしたといわれる石畳いしだたみめた御手洗みたらしじょうえ、ここでは手水ちょうずしゃおなじようにおきよめができます。むかしながらに五十鈴川いすずがわんだながれでしんきよめてからおまいりしましょう。

きょう⼟橋ひめ神社じんじゃあえどはしひめじんじゃ

宇治橋うじばし対面たいめんする位置いち鎮座ちんざし、はしまもがみまつります。きょうあえどとは神様かみさままつ土地とち意味いみし、きょう土橋どばしひめ神社じんじゃ宇治橋うじばしからわるいものがはいらないようにおりしています。宇治橋うじばし完成かんせいしたさいにはこのおしゃでおまつりをおこない、「宇治橋うじばしわたりはじめしきうじばしわたりはじめしき」がおこなわれます。

宇治橋うじばしわたりはじめしき

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