ここ数 すう 年 ねん 、テレビアニメの放映 ほうえい 数 すう が減少 げんしょう 傾向 けいこう にある中 なか 、劇場 げきじょう アニメが注目 ちゅうもく されている。2009年 ねん には、『サマーウォーズ 』や『ONE PIECE 』といった劇場 げきじょう アニメが大 だい 規模 きぼ に展開 てんかい してヒットした。一方 いっぽう 、数 かず 館 かん から数 すう 十 じゅう 館 かん の小規模 しょうきぼ な劇場 げきじょう 公開 こうかい でも大 おお きく注目 ちゅうもく されるような作品 さくひん も次々 つぎつぎ と生 う まれており、新 あら たなトレンドとなっている。その代表 だいひょう がテレビシリーズから始 はじ まり、劇場 げきじょう 版 ばん 2作 さく を公開 こうかい した『東 ひがし のエデン 』だ。
『東 ひがし のエデン』はフジテレビ系列 けいれつ のノイタミナ※枠 わく で2009年 ねん 4〜6月 がつ に放映 ほうえい されたアニメで、深夜 しんや としては異例 いれい の5%前後 ぜんこう の視聴 しちょう 率 りつ を毎回 まいかい 記録 きろく 、東京 とうきょう アニメアワードではテレビ部門 ぶもん 優秀 ゆうしゅう 作品 さくひん 賞 しょう も受賞 じゅしょう した。そしてその続編 ぞくへん として2009年 ねん 11月28日 にち に公開 こうかい された『東 ひがし のエデン 劇場 げきじょう 版 ばん I The King of Eden(劇場 げきじょう 版 ばん パート1)』、2010年 ねん 3月 がつ 13日 にち に公開 こうかい された『東 ひがし のエデン 劇場 げきじょう 版 ばん II Paradise Lost(劇場 げきじょう 版 ばん パート2)』も好調 こうちょう に推移 すいい している。
※ノイタミナ枠 わく ……フジテレビの深夜 しんや アニメ枠 わく で木曜 もくよう 深夜 しんや 0時 じ 45分 ふん から放映 ほうえい 。ノイタミナの名前 なまえ は、アニメーションのスペル(Animation)を逆 ぎゃく 読 よ みしたもので、「アニメの常識 じょうしき をくつがえしたい」というスタッフの思 おも いに由来 ゆらい している。
3月26日 にち に東京 とうきょう 国際 こくさい アニメフェアで行 おこな われたシンポジウム「劇場 げきじょう アニメビジネス 2010年 ねん の新 あら たな潮流 ちょうりゅう 」(主催 しゅさい :アニメアニメジャパン )では、『東 ひがし のエデン』プロデューサーの石井 いしい 朋彦 ともひこ 氏 し (プロダクション・アイジー)、アニメ評論 ひょうろん 家 か の氷川 ひかわ 竜介 りゅうすけ 氏 し 、映画 えいが ジャーナリストの斉藤 さいとう 守彦 もりひこ 氏 し がアニメアニメジャパンの数 すう 土 ど 直志 ただし 氏 し を司会 しかい として、『東 ひがし のエデン』を代表 だいひょう とする小規模 しょうきぼ 展開 てんかい の劇場 げきじょう アニメビジネスについて語 かた った。
数 かず 土 ど 日本 にっぽん のアニメ業界 ぎょうかい では近年 きんねん 、上映 じょうえい 館 かん 数 すう が数 かず 館 かん から数 すう 十 じゅう 館 かん という小規模 しょうきぼ の劇場 げきじょう アニメからヒットに出 で るようになっています。そのなかでも、「映画 えいが 化 か を前提 ぜんてい として、テレビアニメを放映 ほうえい する」という珍 めずら しい試 こころ みをした『東 ひがし のエデン』について取 と り上 あ げたいと思 おも います。まず、氷川 ひかわ さんと斉藤 さいとう さん、劇場 げきじょう アニメの動向 どうこう についてひと言 こと いただけますか。
アニメ評論 ひょうろん 家 か の氷川 ひかわ 竜介 りゅうすけ 氏 し
氷川 ひかわ 私 わたし は今年 ことし で52歳 さい になるのですが、30分 ふん テレビアニメシリーズの『鉄腕 てつわん アトム 』が日本 にっぽん で初 はじ めてオンエアされた1963年 ねん の時 とき に5歳 さい で、テレビアニメ第 だい 一 いち 世代 せだい とも言 い われています。
以来 いらい 、テレビアニメに接 せっ してきて、今日 きょう に至 いた るわけですが、その40数 すう 年間 ねんかん のアニメの編成 へんせい を見 み ていくと、商業 しょうぎょう アニメである以上 いじょう 、媒体 ばいたい の変遷 へんせん とその中 なか でとられてきたコマーシャリズムの影響 えいきょう を受 う けていることが分 わ かります。例 たと えば、初期 しょき はナショナルクライアントがテレビアニメのスポンサーになっていましたが、次 つぎ におもちゃ会社 かいしゃ がスポンサーになって、そしてビデオグラムを販売 はんばい するビジネスになる、という3段 だん 変化 へんか が大 おお きく分 わ けてありました。
※ビデオグラム……映画 えいが やテレビ番組 ばんぐみ などの映像 えいぞう 作品 さくひん を、VHSテープやDVD、Blu-ray Discなどの媒体 ばいたい に記録 きろく したもの。
私 わたし は40代 だい のころまでは、「アニメそのものがビデオグラムとして商品 しょうひん になればゴールではないか」と考 かんが えていたのですが、それがある種 しゅ の限界 げんかい にきていて、またさらに次 つぎ のステージに向 む かいつつあるという問題 もんだい 意識 いしき をここ数 すう 年 ねん 強 つよ く抱 いだ くようになっています。
「テレビアニメは1963年 ねん から始 はじ まった」と言 い いましたが、今年 ことし で47年 ねん 目 め ということは、景気 けいき 循環 じゅんかん の1つであるコンドラチェフの波 なみ (技術 ぎじゅつ 革新 かくしん によって50年 ねん 周期 しゅうき で景気 けいき が循環 じゅんかん するという理論 りろん )でいう物事 ものごと が変化 へんか する節目 ふしめ の時 とき に当 あ たります。なおかつ、2011年 ねん 7月 がつ に地上波 ちじょうは デジタルに完全 かんぜん 移行 いこう して、テレビそのものの存在 そんざい も変 か わってしまうという時 とき に、期 き せずしてか、同期 どうき してかは分 わ からないのですが、テレビアニメ以前 いぜん に東映動画 とうえいどうが がやっていたような、小規模 しょうきぼ のお客 きゃく さんと接 せっ する興行 こうぎょう に戻 もど っているということは、必 かなら ず意味 いみ があると思 おも っていて、興味 きょうみ を持 も っています。
映画 えいが ジャーナリストの斉藤 さいとう 守彦 もりひこ 氏 し
斉藤 さいとう 私 わたし は今年 ことし で49歳 さい になりましたが、1987年 ねん 〜1996年 ねん に今 いま はない映画 えいが の業界 ぎょうかい 紙 し 『興行 こうぎょう 通信 つうしん 』で働 はたら いていました。そこでいろんな取材 しゅざい や編集 へんしゅう をしていたのですが、映画 えいが の業界 ぎょうかい 紙 し は(映画 えいが の内容 ないよう より)映画 えいが のビジネスを扱 あつか うのが主流 しゅりゅう なので、制作 せいさく 発表 はっぴょう の時 とき 以外 いがい で制作 せいさく 現場 げんば などには行 い かなかったのですが、配給 はいきゅう と興行 こうぎょう の現場 げんば には毎日 まいにち 行 い きました。配給 はいきゅう 会社 かいしゃ を1日 にち に4〜5社 しゃ くらい回 まわ ったり、映画 えいが 館 かん で支配人 しはいにん の話 はなし を聞 き いたりしていたので、私 わたし にとっては「映画 えいが =ビジネス」という感覚 かんかく です。
私 わたし が生 う まれた1961年 ねん は、映画 えいが 産業 さんぎょう が斜陽 しゃよう になり、映画 えいが 人口 じんこう が減 へ り始 はじ めた最初 さいしょ の年 とし です。だから、私 わたし の49年間 ねんかん の人生 じんせい で、日本 にっぽん の映画 えいが 産業 さんぎょう が斜陽 しゃよう でなかった時期 じき はないんです。「悪 わる いのが当 あ たり前 まえ 」みたいな感 かん じなのですが、「じゃあ、斜陽 しゃよう しか経験 けいけん していない僕 ぼく たちが、これからの映画 えいが 業界 ぎょうかい をどうやって盛 も り上 あ げていくのか」といろいろ考 かんが えます。
今 いま の映画 えいが 興行 こうぎょう 、特 とく に1990年代 ねんだい 以降 いこう の映画 えいが 業界 ぎょうかい を見 み ていくと、アニメ映画 えいが の存在 そんざい が大 おお きくなる一方 いっぽう です。みなさんご存 ぞん じのスタジオジブリ作品 さくひん 、ファミリーアニメでは『ドラえもん 』と『ポケットモンスター 』という両 りょう 横綱 よこづな がいますので、1990年代 ねんだい に日本 にっぽん 映画 えいが がホントにダメになった時 とき にそれを支 ささ えたのはアニメ映画 えいが なんですね。ここ数 すう 年 ねん はテレビ局 てれびきょく 主導 しゅどう で制作 せいさく 委員 いいん 会 かい 方式 ほうしき で作 つく る実写 じっしゃ 映画 えいが が多 おお くありましたが、それも若干 じゃっかん 減 へ ってきています。
「またこれからアニメ映画 えいが が日本 にっぽん 映画 えいが を支 ささ えないといけないのか。実写 じっしゃ 映画 えいが の人 ひと たちは何 なに をやっているんだ」という気持 きも ちもあるのですが、そこでいろんな数字 すうじ を見 み てみると、アニメ映画 えいが はアンダー200(200スクリーン以下 いか で公開 こうかい する作品 さくひん )と僕 ぼく は勝手 かって に名付 なづ けているのですが、小規模 しょうきぼ 展開 てんかい の作品 さくひん がたくさんあります。今 いま 、全国 ぜんこく 映画 えいが 館 かん のスクリーン数 すう は3396(2009年 ねん ) で、『アバター 』(2009年 ねん )のような勝負 しょうぶ 作 さく だと830スクリーンで公開 こうかい 、『カールじいさんの空 そら 飛 と ぶ家 いえ 』(2009年 ねん )だと560スクリーンで公開 こうかい しています。アニメ映画 えいが でも『ドラえもん』などは500スクリーンくらいとるのですが、マーケットの大小 だいしょう がはっきり分 わ かれていて面白 おもしろ いですね。
『東 ひがし のエデン』の劇場 げきじょう 版 ばん パート2は今 いま 、15スクリーンでの公開 こうかい なのですが、それくらい小規模 しょうきぼ で公開 こうかい しても、1スクリーン当 あ たりの売 う り上 あ げは『ドラえもん』に負 ま けないくらいの数字 すうじ が出 で ています。今日 きょう はいろいろデータを持 も ってきたので、そういうところをお話 はな ししていきたいと思 おも っています。
映画 えいが 館 かん スクリーン数 すう (出典 しゅってん :日本 にっぽん 映画 えいが 製作 せいさく 者 しゃ 連盟 れんめい )
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