各かく家いえの家紋かもんと同おなじようにそれぞれの神社じんじゃにも紋章もんしょうが用もちいられており、これを神かみ紋もんしんもんと称しょうしています。
我わが国くににおける紋章もんしょうの起源きげんは、平安へいあん時代じだいに公家くげ社会しゃかいにおいて用もちいられた紋章もんしょうに遡さかのぼることができます。初はじめは各自かくじの好このみの文様もんようを、それぞれの衣装いしょうや調度ちょうどに装飾そうしょく的てきな意味いみで用もちいていましたが、だんだんと父祖ふそ伝来でんらいの文様もんようが慣用かんようされるようになり、一族いちぞくの文様もんようとして定着ていちゃくしていきました。
その後ご、武家ぶけ社会しゃかいにおいては、戦地せんちにおいて敵てきと味方みかたを瞬時しゅんじに判別はんべつする必要ひつようから、旗指物はたさしものなどに一族いちぞくの文様もんようを描えがくようになりました。一族いちぞくの団結だんけつの象徴しょうちょうでもあるこの文様もんようは、目印めじるしとしての実際じっさい的てきな意味合いみあいが強つよくなり、次第しだいに簡略かんりゃく化かされて、現在げんざいのような家紋かもんの形かたちとなっていったのです。
さて、神社じんじゃにおける神かみ紋もんについてですが、この成立せいりつに関かんして幾いくつかに分わけることができます。
まず一ひとつは、神社じんじゃに縁えん深ふかい神木しんぼくなどの植物しょくぶつ、祭器さいき具ぐなどを表あらわしたものが神かみ紋もんとして用もちいられる場合ばあいで、大神おおがみおおみわ神社じんじゃの神かみ杉すぎなどを例れいとしてあげることができます。
二ふたつ目めは伝説でんせつや伝承でんしょうなどに基もとづくもので、菅原すがわら道真みちざね公おおやけを祀まつる天満宮てんまんぐうの梅うめ紋もんは、道真みちざね公おおやけが生前せいぜんに梅うめの花はなをこよなく愛めでたという伝承でんしょうにより、神かみ紋もんとして用もちいられたものといわれています。
三みっつ目めは家紋かもんから転用てんようされたもので、これは歴史れきし上じょうの人物じんぶつをお祀まつりする神社じんじゃに見みられるものです。徳川とくがわ家康いえやす公おおやけをお祀まつりする東照宮とうしょうぐうでは、徳川とくがわ家かの家紋かもんである葵あおい紋もんが、神かみ紋もんとなっています。
このほかにも、神かみ紋もんには神仏しんぶつ習合しゅうごうに関かかわるものや、天文てんもん気象きしょうに関かんするものなど、さまざまな文様もんようが用もちいられており、人々ひとびとの篤あつい信仰しんこうと歴史れきし的てき背景はいけいを現あらわす象徴しょうちょうということができます。
(『神道しんとういろは』32頁ぺーじ参照さんしょう)