お賽銭さいせんの意味いみや起源きげんには諸説しょせつがあります。現在げんざいでは神社じんじゃにお参まいりすると、お賽銭さいせん箱ばこに金銭きんせんでお供そなえしますが、このように金銭きんせんを供そなえることが一般いっぱん的てきとなったのは、そう古ふるいことではありません。
もともと、御ご神前しんぜんには海うみや山やまの幸さちが供そなえられました。その中なかでも特とくに米こめを白紙はくしで巻まいて包つつみ「おひねり」としてお供そなえしました。
私わたしたちは祖先そせんの時代じだいから豊ゆたかな自然しぜんに育はぐくまれ暮くらし、秋あきになるとお米べいの稔みのりに感謝かんしゃをして刈かり入いれた米こめを神様かみさまにお供そなえしました。こうした信仰しんこうにもとづき、米こめを「おひねり」としてお供そなえするようになったのです。しかし、貨幣かへいの普及ふきゅうとともに米べいの代かわりに、金銭きんせんも供そなえるようになりました。
そもそも米べいは、天照大御神あまてらすおおみかみがお授さづけになられた貴重きちょうなものとされ、人々ひとびとはその大だい御ご恵めぐみおおみめぐみを受うけ、豊ゆたかな生活せいかつを送おくることができるよう祈いのったのです。現在げんざいでも米こめをお供そなえする方ほうもいますが、金銭きんせんをお供そなえすることも、この感謝かんしゃの気持きもちには変かわりはありません。
お賽銭さいせん箱ばこにお金かねを投なげ入いれるところをよく見みかけますが、お供物くもつを投なげてお供そなえすることには、土地とちの神様かみさまに対たいするお供そなえや、祓はらいの意味いみがあるともいわれています。しかし、自みずからの真心まごころの表現ひょうげんとしてお供そなえすることなので、箱はこに投なげ入いれる際さいには丁重ていちょうな動作どうさを心掛こころがけたいものです。