玉串たまぐしは神前しんぜんにお供そなえするものとして、米べい・酒さけ・魚さかな・野菜やさい・果物くだもの・塩しお・水みず等とうの神饌しんせんと同様どうようの意味いみがあると考かんがえられています。しかし、神饌しんせんと異ことなる点てんは、玉串たまぐし拝礼はいれいという形かたちで自みずからの気持きもちをこめて供そなえ、お参まいりをするということです。勿論もちろん、神饌しんせんも注意ちゅういして選えらび、心しんをこめてお供そなえをしますが、玉串たまぐしは祭典さいてんの中なかで捧ささげて拝礼はいれいすることから、格別かくべつな意味いみを有ゆうするものであることが分わかります。
『神社じんじゃ祭式さいしき同どう行事ぎょうじ作法さほう解説かいせつ』(神社じんじゃ本庁ほんちょう編へん)では玉串たまぐしを捧ささげることを「玉串たまぐしは神かみに敬意けいいを表あらわし、且かつ神威しんいを受うけるために祈念きねんをこめて捧ささげるものである」と説明せつめいされています。
玉串たまぐしの由来ゆらいは、神かみ籬ませひもろぎとも関連かんれんして『古事記こじき』の天てんの岩戸いわとあまのいわや隠かくれの神話しんわに求もとめられるものといわれています。すなわち天照大御神あまてらすおおみかみの岩戸いわと隠がくれの際さいに、神かみ々がおこなった祀まつりでは真ま榊さかきに玉たまや鏡かがみなどをかけて、天照大御神あまてらすおおみかみの出御しゅつぎょを仰あおいだことが記しるされています。
その語源ごげんには幾いくつかの説せつがあり、本ほん居きょもとおり宣長のりながのりながは、その名称めいしょうの由来ゆらいを神前しんぜんに手向たむけるため「手向とうげ串くしたむけぐし」とし、供物くもつ的てきな意味いみを有ゆうするものと解かいしています。また平田ひらたひらた篤胤あつたねあつたねは、本来ほんらいは木き竹ちく(串くし)に玉たまを着つけたものであったために「玉串たまぐし」と称しょうしたと述のべています。このほか、六ろく人にん部ぶむとべ是ぜ香がよしかは真ま榊さかきが神霊しんれいの宿やどります料りょうとして、「霊れい串くしたまぐし」の意いがあるなどとしています。
こうしたことから玉串たまぐしは神かみ籬ませと同様どうように神霊しんれいを迎むかえる依よ代だいであり、また玉串たまぐしを捧ささげて祈いのる人ひとの気持きもちがこめられることにより、祀まつられる神かみと祀まつる人ひととの霊れい性せいを合あわせる仲立なかだちとしての役割やくわりを果はたす供物くもつであるということができるのではないでしょうか。