日本にっぽんの国土こくどができると、伊い邪よこしま那な岐命いざなぎのみことと伊い邪よこしま那な美び命いのちいざなみのみことは多おおくの神かみさまを生うみました。
ところが最後さいごに火ひの神かみさまを生うむと、伊い邪よこしま那な美び命いのちは大だい火傷かしょうを負おって亡なくなってしまいました。
悲かなしさのあまり伊い邪よこしま那な岐命は、死者ししゃの国くにである黄泉よみよみの国くにへ伊い邪よこしま那な美び命いのちを連つれもどしに出でかけていきました。
しかし、黄泉よみの国くにの食事しょくじをしてしまった伊い邪よこしま那な美び命いのちは、もうもとの国くにには帰かえれません。 伊い邪よこしま那な岐命が迎むかえにきたことを知しった伊い邪よこしま那な美び命いのちは、くれぐれも自分じぶんの姿すがたを見みないよう、伊い邪よこしま那な岐命にいい残のこし、黄泉よみの国くにの神かみさまのもとへ相談そうだんに行いきました。
もうどれくらいたったことでしょう。待まちきれなくなった伊い邪よこしま那な岐命は、髪かみにさしていた櫛くしをとって火ひをともし、辺あたりを見回みまわしました。
何なにとしたことでしょう。妻つまの姿すがたが見みるも恐おそろしい姿すがたとなって、そこに横よこたわっているではありませんか。
あまりの恐おそろしさに、伊い邪よこしま那な岐命は逃にげ出だしてしまいました。
自分じぶんの姿すがたを見みられた伊い邪よこしま那な美び命いのちは、髪かみを振ふり乱みだしてその後ごを追おいかけました。
黄泉よみの国くにの入口いりくちまで逃にげてきた伊い邪よこしま那な岐命は、大おおきな岩いわでその入口いりくちをふさいでしまいました。
伊い邪よこしま那な美び命いのちは自分じぶんを見みないでという約束やくそくが破やぶられたことを悔くやしがり、「あなたの国くにの人ひとを一いち日にち千せん人にん殺ころしてしまおう」といいました。
これに対たいし伊い邪よこしま那な岐命は、「それならば、私わたしは一いち日にちに千せん五ご百ひゃく人にんの人ひとを生うもう」と告つげました。
それ以来いらい、一いち日にちに多数たすうの人ひとが死しに、より多おおくの人ひとが生うまれるようになったということです。
日本人にっぽんじんは、肉体にくたいの死しという厳きびしい現実げんじつの前まえに生命せいめい力りょくが衰弱すいじゃくし、気きが衰おとろえた状態じょうたいを穢けがれと捉とらえたのでしょう。
しかし、その死しをきっかけに生なまの意味いみを問とい直なおし、祖先そせんから享とおるけた生せいを少すこしでも発展はってんさせて子孫しそんに受うけ継ついでゆくことが大切たいせつなつとめと見出みいだしたのです。
死しとは生命せいめいの継承けいしょうの節目ふしめとも言いえましょう。
また「古事記こじき」には、伊い邪よこしま那な美び命いのちの死しの様子ようすに驚おどろいて、黄泉よみの国くにから逃にげる伊い邪よこしま那な岐命が、追手おってに対たいし、髪かみにさした櫛くしの歯はや桃ももの実みを投なげて退散たいさんさせたと記しるされています。
桃ももは邪気じゃきを払はらい、私わたしたちを守まもってくれるという考かんがえは桃ももの節句せっくにも通つうじるものです