1966年、1人のアメリカ人科学者が日本での産業講演会に招かれました。招待されたのは「ロボットの父」と呼ばれるジョセフ・エンゲルバーガー博士で、招待したのは川崎重工(旧川崎航空機)。産業用ロボットの講演会でした。
博士は、世界で最初の産業用ロボットの製造会社「ユニメーション社」を設立して産業用ロボット「ユニメート」を発表していました。博士は、アメリカでの経験から講演会の参加者は10人ぐらいと予想していたそう。しかし200人を超える国内企業の経営者が押し寄せる盛況ぶりで、講演後の質疑応答は2時間余りも続いたといいます。
アメリカでは、労働組合は職能別の単能工組合であり、産業用ロボットは「仕事を奪うもの」との反発があって普及は遅々として進みませんでした。一方、1960年代の日本は高度成長期に入り、若年労働力の不足が深刻化していました。また日本では『鉄腕アトム』などの「ロボットは人を助ける」イメージや親しみがあり、ものづくりの自動化や無人化への関心が強まっていました。
川崎重工は、1968年にユニメーション社と産業用ロボットに関する技術契約を結び、国産化に乗り出します。これが日本における産業用ロボットの創始であり、2018年には50年目を迎えます。それは同時に、世界のものづくりにおけるロボット活用の歴史そのものでもあるのです。
1969年には、わが国初の油圧駆動式ロボット「川崎ユニメート2000型」の国産化に成功します。飛躍への転機となったのは1973年。自動車ボディのスポット溶接用として、ユニメートがトヨタ自動車と日産自動車に相次いで採用されたのです。これが日本の自動車メーカーで産業用ロボットが大量に使われるきっかけとなりました。
そして今、川崎重工のロボット事業は次なる半世紀に向けた新たな指針も示しています。
産業用ロボットの半世紀の歴史は、絶えることのない技術革新の歴史でもありました。油圧・空気圧駆動から位置指令によりモータの回転角度と回転速度を変えられる制御精度の高いサーボモータの導入、動作範囲が広く高度な軌跡制御ができる機能の実現、より人間の動きに近い柔軟な動作を実現する機構の開発、マイクロプロセッサーの高性能化による機構の動きの演算処理の高速化等々。
そもそもロボット工学は、「融合技術」そのもの。日本には機械やエレクトロニクス、センサーなどのさまざまな技術が整い、融合しやすかったことがロボットの革新を促しました。
川崎重工 ロボットビジネスセンターの真田 知典 営業企画部長は、「例えば自動車ボディーの溶接ラインでは、1台の車に左右6台ずつ合計12台のロボットが一斉に作業を行い、1分間に1台の完成車を生み出す高速化の立役者になっています。それらのロボットは、決して衝突や干渉が起きないよう制御されています」と説明します。
川崎重工は、半導体製造分野でもロボット活用をリードしてきました。微少な塵も許されない半導体ウェハの搬送をクリーンルーム内で行うクリーンロボットがそれで、これにより半導体産業の歩留まりの向上などに貢献。この分野に於ける川崎重工のシェアは50%を超え、クリーンロボットの技術は、同じくクリーン環境下でのものづくりが必要な食品や医薬の分野へとつながっています。
2009年に上市された高速ピッキングロボットは、パラレルリンク式と呼ばれるタイプの新ロボットで、部品や商品に吸着して並べ直したり箱詰めにしたりします。新ロボットの登場により食品や薬品、化粧品などのロボットを導入できずにいた分野での活用が広まり、その実績から電気・電子・機械部品の組み立てや整列などにも活用されるようになりました。
真田部長は、「川崎重工が技術革新をリードできたのには2つの理由があります。まず、お客さまに密着して共に課題解決のソリューションを開発してきたこと。もう1つがロボット単体ではなくシステムとして導入することで適用ノウハウの蓄積が進み、ロボットの新たな分野での活用に挑戦しやすかったことです」と語ります。
課題解決のソリューションを開発するとは、まさに作業の内容や手順を分析し「ロボットになにをやらせると課題を解決できるか」を実現することであり、ここで重要なのは、川崎重工自身が多様な製品を持つ総合メーカーであることに他なりません。「川崎重工には、航空機、船、モーターサイクルなど多様な事業領域があり、ものづくりの高度化や高品質化のための総合的な視点でロボット導入を提案できるのです」(真田部長)
総合的な視点での検証がシステム化を促し、機構