元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。
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順調というより日本好調のパリ五輪。体操の男子団体総合の金メダルなど歓喜に沸くテレビスタジオでは、新聞の号外紹介も恒例行事だ。ただ近ごろ号外は、ほとんど読売1紙だけ。メダル獲得の保証もない…[続きを読む]
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