2006年6月30日付の産経新聞に掲載した連載「わたしの失敗」のアーカイブ記事です。肩書、年齢、名称などは掲載当時のまま。
解散以外に道はなかった
フォーク・ブームに乗って、次々にヒット曲を出すかつての仲間を横目に、絶頂期に活動を休止し、一から出直しを図った高石。「俺は失敗したんじゃないか」との思いを反芻(はんすう)しながらも、昭和四十四年に大阪・千里ニュータウンから福井・名田庄村(現・おおい町)に移住し、ランニングと発声練習の日々を送っていた。
そんな時、高石は後にマネジメントを担当することになる榊原詩朗や、バンジョーの名手、城田じゅんじらに出会う。こうして今や“伝説”となっているグループ「高石ともやとザ・ナターシャセブン」を結成し、京都を拠点に活動を開始する。
ナターシャセブンでは、アメリカで出合った“フォークの原点”と、日本的サウンドの融合を目指した。そして客と対面するコンサートをどれだけ多くやれるかにこだわった。関西の深夜放送からじわじわと広がった人気が、やがて全国区になるころには、既に日本中を回り尽くしていた。
「これでいい? と問いかける僕らに、『いいよ』と言ってくれるお客さんがいるから、続けていけた。毎回が勝負だから、移動の電車の中でも練習を続けるほど、陰では大変な努力をした」