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米どころの手仕事 次世代へ…[藁を探して]<6> : 読売新聞
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こめどころの手仕事てしごと 次世代じせだいへ…[わらさがして]<6>

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祖父そふわざぎたい」

全国ぜんこくでも有数ゆうすうこめどころである山形やまがたけんでは、きびしいゆきぶし数々かずかず見事みごとわら(わら) 製品せいひんされてきた。なかでも、庄内しょうない地方ちほう荷物にもつ運搬うんぱん使つかわれた背中せなかて「ばんどり」は、民芸みんげい運動うんどう主導しゅどうした思想家しそうかやなぎ そうえつ(むねよし) が「日本にっぽん農民のうみん工芸こうげい代表だいひょうしゃ」と絶賛ぜっさんしたほどだ。その「わら文化ぶんか」の伝統でんとうをつなごうとするうごきもみられる。(編集へんしゅう委員いいん 古沢ふるさわ由紀子ゆきこ

AKBスピリット海外かいがい根付ねつく、もとメンバー伊豆田いずた莉奈りな仲川なかがわ遥香はるか献身けんしん文化ぶんかかべえたアイドルりょく
斎藤栄市さん(右)と孫の有里さん。手にしているのは色布をあしらったばんどり。注連縄は庄内地方独特の俵形が美しい(山形県鶴岡市で)
斎藤さいとう栄市えいいちさん(みぎ)とまご有里ありさん。にしているのはいろぬのをあしらったばんどり。注連縄しめなわ庄内しょうない地方ちほう独特どくとくたわらがたうつくしい(山形やまがたけん鶴岡つるおかで)

88さいわら細工ざいくの「名手めいしゅ」 真夏まなつ青刈あおが

 きびしい残暑ざんしょつづいた今年ことしがつ下旬げじゅんいちめん水田すいでんひろがる山形やまがたけん鶴岡つるおか藤島ふじしま地区ちくでは、例年れいねんよりはやいねはじめていた。「青々あおあおとしたわら確保かくほするために、すですうかいけてりをませた」とはなすのは、地域ちいきでもわら細工ざいく名手めいしゅとしてられる斎藤さいとう栄市えいいちさん(88)。近隣きんりん神社じんじゃ注連しめ(しめ) なわづくりをにない、京都きょうと有名ゆうめい神社じんじゃから奉納ほうのうよう 草鞋わらじ(わらじ)注文ちゅうもんけたこともある。

 いねみのまえ収穫しゅうかくするのが「青刈あおがり」。わら専用せんよう水田すいでんそだてたササニシキをかまりし、 みず(みずみず) しい緑色みどりいろたもつよう丁寧ていねいてん日干ひぼしをしたわらが、自宅じたく倉庫そうこまれていた。

 その作業さぎょうまご有里ありさん(32)が手伝てつだい、年末ねんまつけてすうひゃく出荷しゅっかするという注連飾しめかざりの製作せいさくなども手分てわけしてすすめる。山形大やまがただい美術びじゅつまなび、山形やまがた市内しない写真しゃしん撮影さつえい仕事しごとをしていたが、新型しんがたコロナウイルスの感染かんせん拡大かくだいした3ねんまえ鶴岡つるおかもどった。写真しゃしんスタジオを併設へいせつしたかし衣装いしょうてんはたらきながら、休日きゅうじつなどに実家じっか工房こうぼう祖父そふわら仕事しごとはげむようになった。「おぼえがはやく、かたもしっかりしている」と栄市えいいちさんはほそめる。

 有里ありさんがわら細工ざいくほどきをけたのは地元じもと小学校しょうがっこうのクラブ活動かつどうで、「なわのないほうなどがいた」という。「祖父そふ高齢こうれいになり地域ちいきでもつくひとすくなくなって、このわざえさせたくないとおもうようになった。伝統でんとうてきつくかたひとひとならっていきたい」と意欲いよくせる。

稲穂が実る前の真夏に藁専用の田で「青刈り」をする齋藤栄市さん(今年8月、斎藤有里さん撮影)
稲穂いなほみのまえ真夏まなつわら専用せんようで「青刈あおがり」をする齋藤さいとう栄市えいいちさん(今年ことしがつ斎藤さいとう有里ありさん撮影さつえい

山形やまがた庄内しょうない農協のうきょうに「わら部会ぶかい

 藤島ふじしま地区ちくでは、栄市えいいちさんも所属しょぞくするJA庄内しょうないたがわの「わら工芸こうげい部会ぶかい」が30ねんあままえ発足ほっそくし、学校がっこうでの講習こうしゅうかいなどもになってきた。有里ありさんも指導しどうけた一人ひとりだ。会員かいいん作品さくひん展示てんじわら細工ざいく体験たいけんかいおこなう「わら文化ぶんか大祭たいさい」は今秋こんしゅう32かいむかえた。フランスでひらかれた農業のうぎょう国際こくさい交流こうりゅう行事ぎょうじ部会ぶかいまねかれたこともある。

 部会ぶかい発足ほっそくのきっかけは、いね脱穀だっこくんぼでわらやす「わらき」が社会しゃかい問題もんだいになったことだ。道路どうろ充満じゅうまんするけむり交通こうつう妨害ぼうがいになるほどで、地元じもと農家のうか農協のうきょう職員しょくいんらが「わら用品ようひんあつかいせず大切たいせつにし、工芸こうげい活用かつようしよう」とびかけて活動かつどうはじめた。小学生しょうがくせいころからわら草履ぞうりつくっていた栄市えいいちさんは60さいごろから部会ぶかい参加さんかし、高齢こうれいの「先輩せんぱい」に本格ほんかくてきわら細工ざいくならった。

 現在げんざい会員かいいんは60~90さいだいの9にんで、次世代じせだいへの継承けいしょう課題かだいだ。農協のうきょう退職たいしょくわら細工ざいくはじめたげん会長かいちょう富樫とかし秀幸ひでゆきさん(76)によると、新型しんがたコロナウイルスの5るい移行いこう各地かくちまつりが復活ふっかつし、「つくしゅもいなくなったのか、あちこちから草鞋わらじづくりなどをたのまれるようになった」という。「有里ありさんのようなわかひとわら細工ざいく関心かんしんってくれれば」と期待きたいする。

わら背中せなかて「ばんどり」のコレクション

 鶴岡つるおか中心ちゅうしんの「致道博物館はくぶつかん」はきゅう庄内しょうないはん屋敷やしきあと明治めいじ建築けんちく江戸えど後期こうきてられた多層たそう民家みんかなどが移築いちくされ、近隣きんりん農村のうそん使つかわれたみん展示てんじ充実じゅうじつしている。戦後せんごの1950~60年代ねんだい近隣きんりん民家みんかなどで収集しゅうしゅうした農具のうぐわら細工ざいくなどが中心ちゅうしんだ。

華やかな「祝いばんどり」は「嫁入り道具の運搬に使われた」と説明する本間さん(鶴岡市の致道博物館で)
はなやかな「しゅくいばんどり」は「嫁入よめい道具どうぐ運搬うんぱん使つかわれた」と説明せつめいする本間ほんまさん(鶴岡つるおかの致道博物館はくぶつかんで)

 なかでも多彩たさいかたちわらせいなどのばんどりは貴重きちょうなコレクションで、やく300てん収蔵しゅうぞうされ、戦前せんぜんつくられたものなど116てんくに重要じゅうよう有形ゆうけい民俗みんぞく文化財ぶんかざい指定していされている。庄内しょうない地方ちほうのばんどりは荷物にもつ背負せおとき背中せなかてた運搬うんぱんす。語源ごげん不明ふめいだが、バンドリともばれるムササビの姿すがたているからとのせつもある。

 わら背中せなかてはおおくの地域ちいきつくられていたが、「これほどデザインせいたかいのは庄内しょうないのものだけではないか。現代げんだい美的びてき感覚かんかくい、民芸みんげいてき要素ようそつよい」と同館どうかん本間ほんまゆたか学芸がくげい部長ぶちょう指摘してきする。とく婚礼こんれいさい嫁入よめい道具どうぐ運搬うんぱん使つかわれたという「しゅくいばんどり」は、いろとりどりの古布こふいろいとなどがまれ、ったつくりとなっている。

雪国ゆきぐに振興しんこうへ 戦前せんぜんわら細工ざいく輸出ゆしゅつ構想こうそう――「民芸みんげい」の精神せいしんいまいきづく

 戦前せんぜんから戦後せんごにかけて、農村のうそんでは身近みぢか存在そんざいだったわら細工ざいくなどの生活せいかつ用具ようぐひかりてたのは、民芸みんげい運動うんどう提唱ていしょうしたやなぎ宗悦むねよしだった。

藤島の農学校で藁細工を見る柳宗悦(左から2人目)、河井寛次郎(左端)ら=新庄市雪の里情報館提供
藤島ふじしまのう学校がっこうわら細工ざいくやなぎ宗悦むねよしひだりから2人ふたり)、河井かわい寛次郎かんじろう左端ひだりはし)ら=新庄しんじょうゆきさと情報じょうほうかん提供ていきょう

 昭和しょうわ初期しょきから東北とうほく調査ちょうさはじめ、東京とうきょう百貨店ひゃっかてん各地かくち民芸みんげいひん展示てんじしておおきな反響はんきょうた。「だい恐慌きょうこう凶作きょうさく疲弊ひへいした東北とうほく農村のうそんを、地元じもと手仕事てしごと再生さいせいしようというこころみだった」と日本にっぽん民芸みんげいかん杉山すぎやま享司きょうじ常務じょうむ理事りじ説明せつめいする。

 戦争せんそうかげ色濃いろこくなった1937ねんごろから、やなぎは、山形やまがたけん出身しゅっしん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん松岡まつおか俊三しゅんぞう尽力じんりょくどうけん新庄しんじょう開設かいせつされた「積雪せきせつ地方ちほう農村のうそん経済けいざい調査ちょうさしょゆき調ちょう)」に協力きょうりょくした。ゆき調ちょう雪国ゆきぐに過酷かこく生活せいかつ改善かいぜん目的もくてき様々さまざま事業じぎょうおこない、藤島ふじしままち当時とうじ)の荘内そうないのう学校がっこう現在げんざい山形やまがた県立けんりつ庄内しょうない農業のうぎょう高校こうこう前身ぜんしん)でも地元じもとつくられたわら細工ざいくなど工芸こうげいひん展覧てんらんかいひらかれて、地域ちいき青年せいねんらがこぞって出品しゅっぴんした。なかでも、藤島ふじしままちのあった東田川ひがしたがわぐんつくられたわら細工ざいく軒並のきな入賞にゅうしょうするなどたか評価ひょうかけ、ばんどりなどの素朴そぼくうつくしさがひろられるきっかけにもなったという。

 ゆき調ちょう活動かつどうでは、あらたな工芸こうげいひん開発かいはつすすめられた。戦後せんごかたしみ人間にんげん国宝こくほうになった染色せんしょく芹沢せりざわけいかいは、わら細工ざいく技術ぎじゅつ活用かつようしたモダンな椅子いす製作せいさく指導しどうした(※けいかいの「けい」は「かねへん」に「けい」)。政府せいふまねいたフランスじん女性じょせいデザイナー、シャルロット・ペリアンは1940ねん11がつ新庄しんじょうおとずれて民芸みんげいひんつよ関心かんしんしめし、わら背中せなかてや みの(みの)たデザインのりたたみしき椅子いす提案ていあんした。ペリアンは世界せかいてき建築けんちく、ル・コルビジェの弟子でしで、自身じしんもデザイナーとしてインテリアの分野ぶんや中心ちゅうしんおおくの名作めいさくのこした。

急勾配の屋根が特徴の「雪調」の建物は「雪の里情報館」として利用されている(新庄市で)
きゅう勾配こうばい屋根やね特徴とくちょうの「ゆき調ちょう」の建物たてものは「ゆきさと情報じょうほうかん」として利用りようされている(新庄しんじょうで)

 当時とうじやなぎゆき調ちょう山口やまぐち弘道ひろみち所長しょちょうらがえがいていたのは、洋式ようしき生活せいかつ工芸こうげいひんゆきざされる冬季とうき農民のうみんたちが製作せいさくし、海外かいがい輸出ゆしゅつして雪国ゆきぐに農村のうそん振興しんこうにつなげる構想こうそうだった。現代げんだい地域ちいきおこしにつうじるような先進せんしんてき事業じぎょう戦況せんきょう悪化あっか実現じつげんしなかったが、東北とうほく農村のうそん生活せいかつ技術ぎじゅつ注目ちゅうもくされ、評価ひょうかけることにつながった功績こうせきおおきい。豪雪ごうせつ対策たいさくきゅう勾配こうばいの「とんがり屋根やね」をゆき調ちょう庁舎ちょうしゃは、「ゆきさと情報じょうほうかん」として新庄しんじょういまのこる。

 やなぎ戦後せんごの1948ねん刊行かんこうした著書ちょしょ手仕事てしごと日本にっぽん」で、一部いちぶ工芸こうげいひんが「あいだもなくえようとしている」と危機ききかんしめし、伝統でんとうが「いちたおれるとふたたがることはむずかしい」といた。

 斎藤さいとう栄市えいいちさんは致道博物館はくぶつかんかよってむかしわら細工ざいく製法せいほう研究けんきゅうし、県内けんないがいからおしえをいにひとたちにも、ばんどりのつくかたなどをおしえてきた。自作じさくのばんどりが、日本にっぽん民芸みんげいかんてん公募こうぼてん入選にゅうせんしたこともある。生活せいかつざした手仕事てしごとへのおもいは、このいまいきづく。

民芸みんげい運動うんどうもない職人しょくにんらがつくった生活せいかつ用具ようぐ素朴そぼくいだしたやなぎ宗悦むねよし提唱ていしょうし、陶芸とうげい浜田はまだ庄司しょうじ河井かわい寛次郎かんじろうらと1920年代ねんだいなかばにはじめた。民芸みんげいは「民衆みんしゅうてき工芸こうげい」のりゃくやなぎ全国ぜんこく工芸こうげいひんなどの調査ちょうさ収集しゅうしゅうすすめ、日本にっぽん民芸みんげいかん初代しょだい館長かんちょうつとめた。
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