東部とうぶを中心ちゅうしんに激はげしい攻防こうぼうが続つづくウクライナで、前線ぜんせんから遠とおく離はなれた首都しゅとキーウ(キエフ)と周辺しゅうへんの街まちの人々ひとびとは、戦禍せんかと向むき合あい、乗のり越こえようと前まえを向むく。
6月がつ中旬ちゅうじゅん、ヤスノホロドカの村むらで、楽たのしげにネコと戯ざれる女おんなの子こと出会であった。アナスタシア・ヘラシメンコちゃん(5)。彼女かのじょの背せには、屋根やねと壁かべの一部いちぶが吹ふき飛とんだ家いえが立たっていた。
父親ちちおやのオレクサンダさん(30)と母親ははおやのニカさん(33)は、2014年ねんにウクライナ中部ちゅうぶから、この村むらに引ひっ越こしてきた。土地とちを買かい、家いえを建たて、アナスタシアちゃんを授さずかった。穏おだやかな暮くらしが崩くずれ落おちたのは、侵攻しんこうが始はじまって1週間しゅうかん後ごの3月がつ3日にち。それからは、砲撃ほうげきで壊こわれた家いえのそばに置おいた小ちいさなコンテナで暮くらす。
「少すこしでも生活せいかつに彩いろどりを」と、ニカさんは庭にわに花はなを植うえた。家いえを建たて直なおすことが、オレクサンダさんの今いまの目標もくひょうだ。「難むずかしくはないよ。この家いえだって、自分じぶんの手てで建たてたんだから」
ビタ・ホーラシュさん(42)は、砲撃ほうげきされたイルピンの集合しゅうごう住宅じゅうたくの部屋へやで、思おもい出での品しなを捜さがしていた。電灯でんとうがつかず、窓まどから差さし込こむ薄うす明あかりを頼たよりに、幼おさない頃ころの息子むすこの写真しゃしんを見みつけた。
「私わたしたちの暮くらしの証あかしだ」。涙なみだぐみ、自みずからにい聞いきかせるようにつぶやいた。「これから、また一いちから未来みらいを組くみ立たてていくわ」
侵攻しんこう下かで人生じんせいを決断けつだんした人ひとたちもいる。オレクシーさん(24)とクリスティーナさん(23)。2人ふたりでの暮くらしは長ながく、すでに夫婦ふうふ同然どうぜんだったが、今月こんげつ上旬じょうじゅん、キーウで結婚式けっこんしきを挙あげた。
「先さきが見みえないからこそ、一緒いっしょにいたい」。長期ちょうき化かする侵攻しんこう下か、人々ひとびとは、それぞれの一いち歩ほを踏ふみ出だそうとしている。(写真しゃしんと文ぶん 三浦みうら邦彦くにひこ)
破壊はかいされ尽つくした自宅じたくにたたずむ男性だんせい(6月がつ4日にち、キーウ近郊きんこうモシュンで)
キーウ中心ちゅうしん部ぶでロシアの軍事ぐんじ侵攻しんこうの犠牲ぎせい者しゃを悼いたみ設置せっちされたウクライナの国旗こっき(6月がつ6日にち、キーウで)
キーウ中心ちゅうしん部ぶに展示てんじされている破壊はかいされたロシア軍ぐんの戦車せんしゃの上うえに登のぼる子こどもたち(6月がつ7日にち、キーウで)
地面じめんを掘ほって作つくった兵士へいしたちの寝室しんしつで、銃じゅうを手てにポーズを決きめるディアナさん(23)。チョコレートの会社かいしゃの人事じんじ部ぶで働はたらいていたが、古里ふるさとを守まもりたいと領土りょうど防衛ぼうえい隊たいに入隊にゅうたいした(6月がつ7日にち、キーウ近郊きんこうで)
地元じもとボランティアによる食料しょくりょうの配給はいきゅうに炎天下えんてんか、住民じゅうみんたちが何なん時じ間あいだも並ならんでいた(6月がつ8日にち、キーウ近郊きんこうホレンカで)
セベロドネツクの戦禍せんかで5月がつに妻つまを亡なくし、双子ふたごのマルガリタちゃん(右みぎ)とミロスラワちゃんとベルブカ村むらに避難ひなんしたドミトリさん(6月がつ10日とおか、ウクライナ西部せいぶベルブカ村むらで)
妻つまを亡なくした時ときのことを振ふり返かえるドミトリさん(6月がつ10日とおか、ウクライナ西部せいぶベルブカ村むらで)
ウクライナ西部せいぶのフメルニツキーでは、ロシア軍ぐんの侵攻しんこうで命いのちを落おとした町まちの住民じゅうみんの顔写真かおじゃしんとウクライナ国旗こっきが目抜めぬき通どおりに展示てんじされていた(6月がつ10日とおか)
ブチャで射殺しゃさつされた孫まごが眠ねむる墓地ぼちで、悲かなしみに暮くれる女性じょせい(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうブチャで)
ブチャで射殺しゃさつされた息子むすこの死しを悲かなしむ母親ははおや(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうブチャで)
ロシア軍ぐんの占領せんりょう時じのブチャで亡なくなった親友しんゆうが眠ねむる墓地ぼちで、抱だき合あう人ひとたち(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうブチャで)
ロシア軍ぐんの攻撃こうげきで自宅じたくが跡形あとかたもなくなったリュドミラ・トカチェンコさん(70)。少すこしでも彩いろどりをと、花はなを日々ひび添そえている(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうモシュンで)
ロシア軍ぐんの攻撃こうげきで自宅じたくに大おおきな被害ひがいを受うけたセルヒーさん。行政ぎょうせいからの支援しえんが届とどかず、森もりで集あつめた木材もくざいを使つかい、天井てんじょうが崩くずれないように自みずから応急おうきゅう処置しょちを施ほどこした(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうモシュンで)
SNSを使つかって集あつめた洋服ようふくなどの物資ぶっしを古里ふるさとに届とどけるレーシャさん(中央ちゅうおう)(6月がつ12日にち、キーウ近郊きんこうモシュンで)
夜間やかん外出がいしゅつ禁止きんし令れいが短縮たんしゅくされ、夜よるのにぎわいを取とり戻もどしつつあるキーウ中心ちゅうしん部ぶ(6月がつ13日にち、キーウで)
破壊はかいされ、広場ひろばに展示てんじされたロシアの軍事ぐんじ車両しゃりょうを背せに記念きねん写真しゃしんに収おさまる女性じょせい(6月がつ13日にち、キーウで)
ドニエプル川がわを背景はいけいに自じ撮とりする女性じょせいたち(6月がつ13日にち、キーウで)
独立どくりつ広場ひろばに土どのうで描えがかれた「HELP」の文字もじ。各国かっこくの国旗こっきも貼はられ、国際こくさい的てきな支援しえんを呼よびかけていた(6月がつ13日にち、キーウで)
避難ひなん所しょとして用意よういされた列車れっしゃに入居にゅうきょしたオレニク・オリハさん(78)(6月がつ15日にち、キーウ近郊きんこうイルピンで)
避難ひなん所しょとして用意よういされた列車れっしゃに入居にゅうきょしたセルヒ・サムソノブさんとオレナさん夫妻ふさい。自宅じたくは破壊はかいされ、市外しがいに避難ひなんしていたが開設かいせつに合あわせてイルピンに戻もどった。「何なにが起おきてもこの街まちに住すみ続つづけます」と話はなした(6月がつ15日にち、キーウ近郊きんこうイルピンで)
ロシア軍ぐんの攻撃こうげきで大おおきな被害ひがいを受うけたというパン工場こうじょうの片付かたづけに追おわれる男性だんせい(6月がつ17日にち、キーウ近郊きんこうマカリフで)
ロシア軍ぐんの攻撃こうげきで大おおきな被害ひがいを受うけたという町まちの文化ぶんか施設しせつで、支援しえん物資ぶっしの仕分しわけをする人ひとたち(6月がつ17日にち、キーウ近郊きんこうマカリフで)
東部とうぶの戦線せんせんで犠牲ぎせいになった兵士へいし、ロマン・ラトゥシュニさん(24)の葬儀そうぎで、ひつぎに花はなを手向たむける市民しみんら(6月がつ18日にち、キーウで)
ひつぎを前まえに涙なみだする女性じょせい(6月がつ18日にち、キーウで)
ロマン・ラトゥシュニさんの葬儀そうぎで、ひつぎに手てを触ふれる女性じょせい(6月がつ18日にち、キーウで)
ロマン・ラトゥシュニさんの葬儀そうぎ後ご、埋葬まいそうのため運はこばれるひつぎ(6月がつ18日にち、キーウで)
7月がつ下旬げじゅんに収穫しゅうかくを予定よていする小麦こむぎを確認かくにんするペトロ・ポタペンコさん。ロシアの黒海こっかい封鎖ふうさで輸出ゆしゅつが難むずかしく、当面とうめんは倉庫そうこに保管ほかんするという(6月がつ30日にち、キーウ州しゅうホロビイフカで)
ロシアの黒海こっかい封鎖ふうさで輸出ゆしゅつが難むずかしくなり、倉庫そうこに積つみ上あがった小麦こむぎ(左ひだり)と大豆だいず(6月がつ30日にち、キーウ州しゅうホロビイフカで)