(Translated by https://www.hiragana.jp/)
映画『やまぶき』山﨑樹一郎監督最新作

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TRAILER

INTRODUCTION

たらない場所ばしょく「山吹やまぶき」から着想ちゃくそう
資本しほん主義しゅぎ家父長制かふちょうせい社会しゃかいひそ悲劇ひげきと、そのてにある希望きぼう

かつて韓国かんこく乗馬じょうば競技きょうぎのホープだったチャンスは、父親ちちおや会社かいしゃ倒産とうさん多額たがく負債ふさい背負せおった。岡山おかやまけん真庭まにわながき、いまはヴェトナムじん労働ろうどうしゃたちとともに採石さいせきじょうはたらいている。一方いっぽうで、刑事けいじちちにんらしの女子高じょしこうせい山吹やまぶきは、交差点こうさてんでひとりサイレントスタンディングをはじめる。二人ふたりとその周囲しゅうい人々ひとびと運命うんめいは、本人ほんにんたちのらぬあいだしずかに交錯こうさくはじめる−−。たりづらい場所ばしょにしかかぬ野生やせいはな山吹やまぶき」をモチーフに、資本しほん主義しゅぎ家父長制かふちょうせい社会しゃかいゆがみにひそ悲劇ひげき希望きぼうえがきだす群像ぐんぞうげきだ。政治せいじてき主題しゅだい声高こわだかではなく繊細せんさいえが作風さくふう評価ひょうかされ、今年ことし5がつおこなわれたカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいのACID部門ぶもん日本にっぽん映画えいがとしてはじめて選出せんしゅつされる快挙かいきょたしたほか、多数たすう海外かいがい映画えいがさい招待しょうたいされている。

山間さんかん農業のうぎょう映画えいが製作せいさくつづけるやま﨑樹いちろう監督かんとく長編ちょうへんだいさんさく
地方ちほうきる人々ひとびとつつましい抵抗ていこう国際こくさいてき視座しざえが

ほんさくは、岡山おかやまけん真庭まにわ山間さんかん農業のうぎょうたずさわりながら、地方ちほうきる人々ひとびとひかりをあてて映画えいが製作せいさくつづけるやま﨑樹いちろう監督かんとく長編ちょうへんだいさく長編ちょうへんデビューさく『ひかりのおと』(11)では、故郷こきょう岡山おかやまもど酪農らくのう若者わかもの苦悩くのう葛藤かっとうえがき、『あたらしきみん』(15)では江戸えど時代じだい農民のうみん一揆いっき題材だいざいとし時代じだいげき挑戦ちょうせんした。『やまぶき』は、ふたた地元じもとでロケをしはじめて16じゅうろくミリフィルムで撮影さつえいいどんだ野心作やしんさくだ。

チャンスやくえんじるのは、イギリスで演劇えんげきまなび、今回こんかいはじめての日本にっぽん映画えいが出演しゅつえんとなる韓国かんこくじん俳優はいゆうのカン・ユンス。山吹やまぶきやくは、『サマーフィルムにのって』(21)や『セイコグラム~転生てんせいしたら戦時せんじちゅう女学生じょがくせいだったけん~』(NHK/22)など話題わだいさくへの出演しゅつえん相次あいつ演技えんぎ俳優はいゆういのりキララ。そのはたに、川瀬かわせようふとし和田わだひかりすな三浦みうらまことおのれ松浦まつうら祐也ゆうや青木あおきたかしだからの実力じつりょく俳優はいゆうたちが集結しゅうけつし、田舎町いなかまちらす人々ひとびとのほとばしるせい体現たいげんしている。

ほんさくは、フランスのSurvivance(シュルヴィヴァンス)との国際こくさい共同きょうどう製作せいさくによって完成かんせいされた。『大人おとなのためのグリム童話どうわ をなくした少女しょうじょ』(16)でアヌシー国際こくさいアニメーション映画えいがさいで2かんたセバスチャン・ローデンバックがアニメーションパートを、オリヴィエ・ドゥパリが音楽おんがく担当たんとう。また、フランソワ・トリュフォーやモーリス・ピアラ、フィリップ・ガレルなど巨匠きょしょう監督かんとく作品さくひんがけた、フランス映画えいが伝説でんせつてき編集へんしゅうマンであるヤン・ドゥデが編集へんしゅう協力きょうりょくをしている。

STORY

かつて韓国かんこく乗馬じょうば競技きょうぎのホープだったチャンスは、父親ちちおや会社かいしゃ倒産とうさん多額たがく負債ふさい背負せおった。岡山おかやまけん真庭まにわながき、いまはヴェトナムじん労働ろうどうしゃたちとともに採石さいせきじょうはたらき、日本人にっぽんじん恋人こいびととそのむすめつつましくらしている。真面目まじめ誠実せいじつ勤務きんむ態度たいどみとめられ、正社員せいしゃいんへのみちけたとおもわれた矢先やさき不幸ふこう事故じこ見舞みまわれてしまう。一方いっぽうで、刑事けいじちちにんらしの女子高じょしこうせい山吹やまぶきは、交差点こうさてんでひとりサイレントスタンディングをはじめる。このちいさな田舎町いなかまちでも、こえちいさくても、いつかだれかの人生じんせいつながるかもしれない。そのおもいは山吹やまぶきははからがれたものだった。二人ふたりとその周囲しゅうい人々ひとびと運命うんめいは、本人ほんにんたちのらぬあいだしずかに交錯こうさくはじめる。

CAST

カン・ユンス(ユン・チャンスやく

1978ねんまれ、韓国かんこくソウル出身しゅっしん西にしこうだい学校がっこう哲学てつがくまなぶ。その大手おおて航空こうくう会社かいしゃめ、ロンドンの大学院だいがくいん演劇えんげきまなぶために留学りゅうがく。そこで出会であった6カ国かこくにんのアーティストと「Caketree Theatrer」を結成けっせいし、芸術げいじゅつ監督かんとくつとめる。演出えんしゅつ出演しゅつえんした作品さくひん『IF ONLY』(12ねん/えいかん製作せいさく)でイギリスと韓国かんこくにて上演じょうえんツアーする。どうさくにおいて韓国かんこく芸術げいじゅつ経営けいえい支援しえんセンターとBritish Councilが共同きょうどう主催しゅさいするリサーチプログラムに選出せんしゅつされ芸術げいじゅつ支援しえん政策せいさく劇団げきだん運営うんえいまなぶ。その活動かつどう日本にっぽんうつし、『若返わかがえりのいずみ』(13ねん/東京とうきょう) 、『オバケノガッコウニキテクダサイ』(14ねん)を上演じょうえん映画えいがほんさく『やまぶき』がはつ主演しゅえんとなる。

いのりキララ早川はやかわ山吹やまぶきやく

2000ねんまれ、大阪おおさか出身しゅっしん。『堀川ほりかわ中立ちゅうりつうり』(09ねん/柴田しばたつよし監督かんとく)でデビュー。その『Dressing Up』(13ねん/安川やすかわゆうはて監督かんとく)ではつ主演しゅえんたす。おも出演しゅつえん作品さくひんに『だつだつだつだっ17』(16ねん/松本まつもとはな監督かんとく)、『左様さようなら』(18ねん/石橋いしばしゆう監督かんとく)、『アイネクライネナハトムジーク』(19ねん/今泉いまいずみつとむ監督かんとく)、『ファンファーレがひびく』(20ねん/森田もりた和樹かずき監督かんとく)、『サマーフィルムにのって』(21ねん/松本まつもとたけし監督かんとく)などがある。映画えいがだけではなくドラマや舞台ぶたいCMなどでも活躍かつやくちゅうで、2022ねん9がつ23にちから10がつ2にちまで玉田たまだ企画きかく最新さいしん公演こうえん『영(ヨン)』に出演しゅつえん決定けっていしている。

川瀬かわせようふとし山吹やまぶき父親ちちおややく

1969ねんまれ、神奈川かながわけん出身しゅっしん。
1995ねん助監督じょかんとく参加さんかをしていた福居ふくいショウジン監督かんとく自主じしゅ映画えいが『RUBBER‘SLOVER』で主演しゅえんデビュー。その敬久たかひさ監督かんとく作品さくひんをはじめとする無数むすうのピンク映画えいが活躍かつやく以来いらい現在げんざいいたるまで自主じしゅ映画えいがから大作たいさくまでボーダーレスに活動かつどうしている。やま監督かんとくとは『あたらしきみん以来いらいのタッグ。2022ねん8がつ26にち最新さいしん主演しゅえんさく激怒げきど』が公開こうかいされた。

和田わだひかりすな美南みなみやく

1983ねんまれ、東京とうきょう出身しゅっしん。『くつはま温泉おんせんコンパニオン控室ひかえしつ』(08/緒方おがたあきら監督かんとく)でデビュー。映画えいが中心ちゅうしんに、定期ていきてき舞台ぶたいにも出演しゅつえん代表だいひょうさくに『きくとギロチン』(18/敬久たかひさ監督かんとく)、『められるか、おれたちを』(18/白石しらいし和彌かずや監督かんとく)、『ハード・コア』(18/山下やましたあつしひろ監督かんとく)、『みさき兄妹きょうだい』(18/片山かたやままことさん監督かんとく)、『由宇ゆう天秤てんびん』(20/春本しゅんぽん雄二郎ゆうじろう監督かんとく)、『だれかのはな』(22/奥田おくだ裕介ゆうすけ監督かんとく)、『ふゆ薔薇ばら』(22/阪本さかもと順治じゅんじ監督かんとく)などがある。

三浦みうらまことおのれ柴田しばたやく

1975ねんまれ、和歌山わかやまけん出身しゅっしんおも出演しゅつえん作品さくひんに、映画えいがうみずみ叙景じょけい』(くまきりかずよしみ監督かんとく)、『ディストラクション・ベイビーズ』(真利子まりこ哲也てつや監督かんとく)、『アウトサイダー』(マーチン・サントフリート)監督かんとく、『太陽たいよう』(黒崎くろさきひろし監督かんとく)などがあるほか映画えいが母性ぼせい』(廣木ひろき隆一りゅういち監督かんとく)、『ラーゲリよりあいめて』(敬久たかひさ監督かんとく)、だい72かいベルリン映画えいがさい エンカウンター部門ぶもん正式せいしき出品しゅっぴんされた『ケイコ ませて』(三宅みやけ監督かんとく)、『母性ぼせい』(廣木ひろき隆一りゅういち監督かんとく)などが公開こうかいひかえる。

青木あおきたかしだかかんかいやく

1980ねんまれ、大阪おおさか出身しゅっしん映画えいがやドラマを中心ちゅうしん活躍かつやくおも出演しゅつえんさくに、NHK連続れんぞくテレビ小説しょうせつ『ちりとてちん』、NHK大河たいがドラマ『龍馬りょうまでん』、『平清盛たいらのきよもり』、『西郷さいごうどん』。映画えいが『るろうにけんしん』シリーズ、2022ねんNHK大河たいがドラマ『鎌倉かまくら殿どのの13にん』(木曽きそ義仲よしなかやく)、韓国かんこく映画えいが犯罪はんざい都市とし3」など。

さくらまゆみ山吹やまぶき母親ははおややく

1983ねんまれ、愛媛えひめけん出身しゅっしん吉田よしだめぐみ監督かんとくの『犬猿けんえん』(18)に出演しゅつえんをしたことをきっかけに、『あいしのアイリーン』(18)主人公しゅじんこう岩男いわおのお見合みあ相手あいて真嶋ましま琴美ことみやくだい抜擢ばってき同年どうねん、ドラマ『宮本みやもとからきみへ』富永とみながやく出演しゅつえんする。近年きんねんおも出演しゅつえん作品さくひんは、映画えいが空白くうはく』(21/吉田よしだめぐみ監督かんとく)、『ずっと独身どくしんでいるつもり?』(21/ふくだももこ監督かんとく)、『PLAN75』(22/早川はやかわ千絵ちえ監督かんとく)、TV『シェフはめい探偵たんてい』『真夜中まよなかにハロー』『メンタルつよ美女びじょ白川しらかわさん』など。2022ねん10がつ29にち~@下北沢しもきたざわ駅前えきまえ劇場げきじょうにて小松台東こまつだいひがし新作しんさく公演こうえん左手ひだりて右手みぎて』(さく演出えんしゅつ松本まつもと哲也てつや)がひかえる。

松浦まつうら祐也ゆうや美南みなみ夫役ぶやく

1981ねんまれ、埼玉さいたまけん出身しゅっしん代表だいひょうさくに『マイ・バック・ページ』(11/山下やましたあつしひろ監督かんとく)、『ローリング』(15/冨永とみながあきらけい監督かんとく)、『素敵すてきなダイナマイトスキャンダル』(18/冨永とみながあきらけい監督かんとく)、『船長せんちょうさんのかわいいおくさん』(18/ちょうもと香織かおり監督かんとく)、『むししょったんの奇跡きせき』(18/豊田とよだ利晃としあき監督かんとく)、『みさき兄妹きょうだい』(18/片山かたやままことさん監督かんとく)、『はいねぇが』(20/佐藤さとうかいすり監督かんとく)、『由宇ゆう天秤てんびん』(20/春本しゅんぽん雄二郎ゆうじろう監督かんとく)、『ONODAいちまんえて』(21/アルチュール・アラリ監督かんとく)、『コンビニエンス・ストーリー』(22/三木みきさとし監督かんとく)、『”それ”がいるもり』(22/中田なかた秀夫ひでお監督かんとく)などがある。

黒住くろずみ尚生ひさお山吹やまぶき彼氏かれし/祐介ゆうすけやく

1993ねんまれ、大阪おおさか出身しゅっしん。2019ねん主演しゅえんさく『されど青春せいしゅんはしくれ』(森田もりた和樹かずき監督かんとく)がゆうばり国際こくさいファンタスティック映画えいがさいオフシアター・コンペティション部門ぶもんグランプリを受賞じゅしょう注目ちゅうもくされる。近年きんねんおも出演しゅつえんさく映画えいが東京とうきょうバタフライ』(20)『かたそでさかな』(21)、大河たいがドラマ『青天せいてんけ』など近作きんさくでは、2022ねんあいちゃん物語ものがたり♡』(大野おおのキャンディス真奈まな監督かんとく)、『とおくへ、もっととおくへ』(いまおかしんじ監督かんとく)、無声むせい映画えいが活弁かつべんSFファンタジー『I AM JAM ピザの惑星わくせい危機一髪ききいっぱつ!』(つじ凪子なぎこ監督かんとく)などの公開こうかい作品さくひんがある

DIRECTOR & STAFF

監督かんとく

やま﨑樹一郎いちろう

1978ねん12月11にちまれ、大阪おおさか出身しゅっしん京都きょうと文教大学ぶんきょうだいがく文化ぶんか人類じんるいがくまなかたわら、京都きょうと国際こくさい学生がくせい映画えいがさい企画きかく運営うんえい自主じしゅ映画えいが製作せいさくはじめる。2006ねん岡山おかやまけん真庭まにわ山間さんかん移住いじゅうし、農業のうぎょうたずさわりながら映画えいが製作せいさくはじめる。はつ長編ちょうへん作品さくひん『ひかりのおと』(2011)は岡山おかやま県内けんない51カ所かしょ巡回じゅんかい上映じょうえいおこな一方いっぽう東京とうきょう国際こくさい映画えいがさいやロッテルダム国際こくさい映画えいがさいブライト・フューチャー部門ぶもんにも招待しょうたいされる。また、ドイツのニッポンコネクション映画えいがさいにてニッポン・ヴィジョンズ・アワードを受賞じゅしょうだいさくあたらしきみん』(2014)はニューヨーク・ジャパンカッツ映画えいがさいにてクロージング上映じょうえいされ、ニューヨーク・タイムスでもたか評価ひょうかされた。さらに、高崎たかさき映画えいがさい新進しんしん監督かんとくグランプリを受賞じゅしょう映画えいが制作せいさく並行へいこうして、フランスのメソッドをモデルにした映画えいが鑑賞かんしょう教育きょういく真庭まにわ市内しない学校がっこうなどで実践じっせんしている。

音楽おんがく

オリヴィエ・ドゥパリ

1961ねんまれ。クラシック音楽家おんがくか両親りょうしんのもとにそだつ。一時期いちじき俳優はいゆうとして活動かつどうしたのち音楽おんがく活動かつどう専念せんねんはじめ、がけるジャンルはロックやポップ、実験じっけん音楽おんがくなど多岐たきわたる。映画えいが映像えいぞう作品さくひん演劇えんげきげきとも数多かずおおがけており、近年きんねん活動かつどう中心ちゅうしんとなっている。最新さいしんさくはギヨーム・ボニエ監督かんとく映画えいが『Tout le monde m'appelle Mike』(22ねん)。現在げんざい、ナタリー・ルノワール監督かんとく新作しんさくげきとも準備じゅんびちゅう

編集へんしゅう協力きょうりょく

ヤン・ドゥデ

1946ねんまれ。フランソワ・トリュフォー監督かんとくこいのエチュード』(71ねん)で編集へんしゅう技師ぎしとしてデビューし、そのほんのトリュフォー作品さくひん編集へんしゅう技師ぎしつとめる。以降いこう、ジャン=フランソワ・ステヴナンやモーリス・ピアラ、フィリップ・ガレルなど、フランス映画えいが辿たどるように様々さまざま監督かんとくと、100ほん以上いじょう作品さくひん編集へんしゅうしている。最新さいしんさくとして、フィリップ・ガレルの新作しんさく公開こうかい待機たいきちゅうである。

アニメーション

セバスチャン・ローデンバック

1973ねんまれ。フランス国立こくりつ高等こうとう装飾そうしょく美術びじゅつ学校がっこうでアニメーションをまなぶ。在学ざいがくちゅう制作せいさくした最初さいしょ短編たんぺん『JOURNAL』(98ねん以降いこう、8作品さくひんすべてが、数々かずかず映画えいがさいなどでたか評価ひょうかされる。ひとりですべての原画げんがえがいたはつ長編ちょうへん大人おとなのためのグリム童話どうわ をなくした少女しょうじょ』(16ねん)は、カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいACID部門ぶもんのオープニングをかざり、アヌシー国際こくさいアニメーション映画えいがさいで2かんた。現在げんざい長編ちょうへんだいさく製作せいさくちゅう

COMMENTS

にも不幸ふこうほししたまれたおとこ韓国かんこくじんのユン・チャンス。ユン・チャンスのすべてにケチのついた地獄じごくまわりのような人生じんせいも、かれ人生じんせい一番いちばんはじめに手放てばなしたゆめである“うま”に辿たどくまでの些細ささい出来事できごとだったかもしれない。 
    井口いぐち奈己映画えいが監督かんとく) 
いぬわらわいちしん監督かんとくが、この「やまぶき」という映画えいがをごらんになって、是非ぜひわたしにとすすめてくださったのだそうだ。
タイトルバックの暗転あんてんけた瞬間しゅんかんだけで、いぬわらわさんが「是非ぜひに」とおっしゃった意味いみが、一瞬いっしゅんでわかったようながしました。

この、おくほうからこころがふるえる感覚かんかくって、いったいなんなのでしょう。
画面がめんなか密度みつどみたいなものに圧倒あっとうされていました。その真摯しんしおもいはエンドロールにいたるまで、しんしんとつたわってくるようでした。
言葉ことばにならないとはまさにこのことで。つよおもうのに、かたろうとおも言葉ことばは、どれも陳腐ちんぷおもえてしまってくだらない。
そんなもんだから、かんがえるほどに自分じぶんしにされてしまったような気持きもちになってきて、ただただ「映画えいがって本当ほんとうにいいもんですね」って言葉ことば大声おおごえいたくなりました。

とにかく、ほんとうに素晴すばらしかった。
    市川いちかわ実和子みわこ(モデル・俳優はいゆう) 
トマトの収穫しゅうかくいそがしく、試写ししゃえないとアナウンスがあった。うれしくなった。
監督かんとくがいない理由りゆう史上しじょうベストワン。
『やまぶき』は、「勇気ゆうき」をって世界せかいかってす。にぎかえすと受粉じゅふんして、世界中せかいじゅう街角まちかどに『やまぶき』はいていくんだな、と、17さいみたいな気持きもちになれた。
スクリーンに「いつか」「きっと」ふたつの言葉ことばが、くものようにかんでは、える。
人生じんせい不安定ふあんてい斜面しゃめんれてしまうことをたのしむユーモア、それがきのびるコツだとっていた。同意どういします。やま監督かんとく次回じかいさくでもっとわらいたいな。   
    いぬわらわいちしん映画えいが監督かんとく
岡山おかやま地方ちほう都市とし

そこにきる人々ひとびとかれらがいだくささやかなゆめ。それが交差こうさし、きびしい現実げんじつ直面ちょくめんすると同時どうじに、あらたな関係かんけいまれ、明日あしたす。
山際やまぎわに、あえかなはなかす山吹やまぶきのように、もないひと、ひとりひとりのいのちかがや瞬間しゅんかんを、やま﨑樹いちろうは、見事みごとかびがらせた。
    上野うえの昻志映画えいが評論ひょうろん
あの少女しょうじょ、やまぶきという名前なまえだなんて、素敵すてきですね。刑事けいじやってる親父おやじがつけたんですかね。だけどこの映画えいが説明せつめいされるやまぶきというはなは、日陰ひかげきがちだの、賄賂わいろだの。なんでだよ。やまぶきは、素敵すてきです。

チャンスという名前なまえ素敵すてきです。不幸ふこう見舞みまわれっぱなしのチャンスさんに、すこし、わらってしまいます。
見過みすごされがちなひとぶつ交差こうささせながら、16じゅうろくミリフィルムのうえにぐいっとせてされた政治せいじてき映画えいがですが、チンピラ、ドンパチもてくるし、ボーイミーツガールなんかもてくる。それらが「ぎゅっ」とまさしくおさめられたショットの連続れんぞく。すると素敵すてき映画えいがになりましたとさ!という魔法まほうかんじました。山吹やまぶきしょくあざやか。
    だいきゅう明子あきこ映画えいが監督かんとく
坂道さかみちころがる小石こいし次第しだいおおきな落石らくせきともなるように、ひとびとのあいだちいさな思惑おもわくちがい、こい裏切うらぎりがすこしずつちがっただれかをとっうごかし、ちがったなにかをしていく群像ぐんぞうげきやま﨑樹いちろうは、カメラとカメラのちいさなうごきだけで、そのすべてのあらましをおだやかにまるごとえがすことができる希有けう才能さいのう作家さっかである。人々ひとびと交差点こうさてんには、ちいさなはながひっそりといている。そのはなは、やまぶきとばれる。
    大寺おおてらしん映画えいが批評ひひょう
『やまぶき』は人間にんげん尊厳そんげんについて、こえにならないこえあらがい、つづけることについて、おしえてくれる。「なんかさけびたいことないの?」といういはしずかにげられるが、波紋はもんおおきくひろがっていく。やま﨑樹一郎いちろうさんは映画えいがといういとなみをしんじている。やみなか映画えいがといういとなみを人間にんげんしんじている。 
    小田おだかおり映画えいが作家さっか
やま﨑樹いちろう映画えいがてき感受性かんじゅせいは、仰角ぎょうかく俯瞰ふかん物理ぶつりてき高低こうてい権力けんりょく関係かんけい直接ちょくせつむすびつけるようなにぶいものではない。 (劇場げきじょうようパンフレット寄稿きこうぶんより抜粋ばっすい
    木下きのした千花ちか映画えいが研究けんきゅうしゃ
ひと他者たしゃたいしておこないをするのは、自分じぶん自身じしんへの罪滅つみほろぼしなのかもしれない。

それぞれことなる場所ばしょきた、はじまりはほんのちいさな出来事できごとたちが、出会であい、おおきなかたまりとなって「困難こんなん」として登場とうじょう人物じんぶつたちにせまってくる。本来ほんらい出会であうはずのなかった二人ふたり人間にんげんが、道端みちばた出会であってしまう。「ふたり」も「困難こんなん」となってしまった出来事できごとたちも、出会であいは偶然ぐうぜんではなく必然ひつぜんだったのだろう。なぜならこれは「フィクション」でありつくられた物語ものがたりなのだから。それなのになぜこんなにもむねせまってくるのか。まだったことのない監督かんとくやま﨑樹一郎いちろうさんの誠実せいじつ切実せつじつさと真摯しんしさに、えりただされるおもいがした。
    草野くさのなつか映画えいが作家さっか
『やまぶき』は、わたしたちが路傍ろぼういしもしくははなぎないということ、そして予測よそくできない自然しぜんなか因果応報いんがおうほうきざるをないということをやま﨑樹いちろうやさしさでみつめている。
    そらぞく [富田とみた克也かつや相澤あいざわ虎之助とらのすけ]映画えいが監督かんとく脚本きゃくほん
これはなんとも不思議ふしぎだった。どこかの地方ちほう都市とし些細ささい出来事できごとているうちに、突然とつぜん視界しかいとおくまでける。人々ひとびと行動こうどう開始かいしする。時間じかんさえ自由じゆうただよはじめる。作者さくしゃ不思議ふしぎなのか、映画えいがというものがそもそも不思議ふしぎなのか。たぶん両方りょうほうだ。
    黒沢くろさわきよし映画えいが監督かんとく
どれだけ悲惨ひさんでも、奇跡きせきでも、べつ劇的げきてきじゃない。こんなったのに、だれていなくて、みじめさにけたりわらえたりする。この映画えいがは、人々ひとびとおおいかぶさる理不尽りふじんさや矛盾むじゅんに、地方ちほう日本にっぽんというくにかしながらも、それさえも素朴そぼくなままにえがこうとしているとおもえるのです。(劇場げきじょうようパンフレット寄稿きこうぶんより抜粋ばっすい) 
    小森こもりはるか映像えいぞう作家さっか
ローカルエリアの過疎かそ外国がいこくじん労働ろうどう保証ほしょう保健ほけん制度せいどきびしい題材だいざい何処どこおだやかな眼差まなざしでつつんで我々われわれ日常にちじょうつなげてくれるサイレントスタンディングのよう作品さくひん
    斎藤さいとうたくみ俳優はいゆう映画えいが監督かんとく
映画えいがながら、だからニッポンはダメなんだ、ついでに、オレもダメなんだと、おもつづけた。それゆえ、ラストショットにどれだけすくわれたことか。
ふくあいてきでありながら、監督かんとく意図いとはひとつ。日陰ひかげにあるものに、あえてひかりをそそぐのが、映画えいが。どんなジャンルの映画えいがであろうと、ひとびとの自尊心じそんしんをえがくのが、映画えいが。さまざまな科白せりふが、しんさったが、カン・ユンスはじ俳優はいゆうじんのなにもかたらないショットが、もっと印象いんしょうのこった。そして、物事ものごと善悪ぜんあく単純たんじゅんさせないところに、監督かんとく覚悟かくごかんじ、感銘かんめいけた。これは、アジアとニッポンの映画えいがだ。
    阪本さかもと順治じゅんじ映画えいが監督かんとく
映画えいがえがかれるしょ問題もんだいは、ビリヤードのたまのようにキューにかれてチリヂリバラバラなってひろがっていく。
どのたまひとつとしてあなちようとはせず、見事みごと卓上たくじょうひろがるいろとりどりのたま夜空よぞら満天まんてんほしのようにうつくしい。
16じゅうろくミリフィルムでられたこのヘンテコな映画えいがはやまぶきの視点してんで、しょ問題もんだいすこしずつうごいていくさまをそっとみている。 
    佐藤さとうれいろう映画えいが監督かんとく
『やまぶき』は、どこかにありそうな現実げんじつしんじさせようとするたんなるフィクションではない。映画えいがつくるという行為こういによって、この地上ちじょうと、そこからとおへだたった外側そとがわ世界せかいとのめられない距離きょり測定そくていし、あゆみち見出みいだそうとする勇敢ゆうかん思考しこう現実げんじつなのだ。  
    諏訪すわ敦彦あつひこ映画えいが監督かんとく
映画えいが後半こうはんいたらんとするあるシーン、「わりたい」「えたい」というようなやりりをていたらおもわずかおがクシャクシャになってしまっていた。その展開てんかいは、感動かんどうとかむねせまったとかではかたづけられない。こんな体験たいけんはじめてだった。岡山おかやまけん真庭まにわから日本にっぽんへ、世界せかいへ、またもげられたいしツブテ。やま﨑樹いちろう映画えいがつづけて本当ほんとうかった。 
    敬久たかひさ映画えいが監督かんとく
何気なにげない日常にちじょう淡々たんたんえが映画えいがなのかとおもいきや、奇想天外きそうてんがい展開てんかいおどろいた。でもギリギリのところで滅茶苦茶めちゃくちゃにはならない。決壊けっかいせずにみとどまるのは、つくしゅった生活せいかつをしているからであろう。不思議ふしぎ手触てざわりの映画えいがである。 
    そう田和たわひろし映画えいが作家さっか
おおきい」ものが、ぼくたちをほろぼしにやってる。だから、「やまぶき」は、ほろぼされようとするあらゆる「ちいさな」もののために、彼女かのじょまわりにある「ちいさな」ものたちのために、「かお」をこちらにけるのである。そのときには、もうプラカードも不要ふようだ。なぜなら、「かお」は、「なんじひところすなかれ」とかれたことばだからである。(劇場げきじょうようパンフレット寄稿きこうぶんより抜粋ばっすい) 
    高橋たかはし源一郎げんいちろう小説しょうせつ
いつしか流浪るろうしゃになってしまったもの自分じぶんさきがまだなにえていないもの意図いとせずこの場所ばしょしばけられたもの
固有こゆう物語ものがたり背負せおった人々ひとびとがてんでばらばらに奔走ほんそうし、ロードムービー、家族かぞく映画えいが、チンピラ映画えいが青春せいしゅん映画えいが、いくつものちいさな映画えいがをそれぞれに展開てんかいする。
そしてこの無数むすう映画えいがぐんは、一瞬いっしゅんまじわり、またもばらばらにけていく。
こんなユニークな映画えいがはじめてだ。
    月永つきなが理絵りえ(ライター、編集へんしゅうしゃ
ひとはこんなにもポロポロとかわき、くずち、それでもなお、しずかにあゆみだす。
16mmじゅうろくみり撮影さつえい(とスパイスのようなアニメーション)がうつす、人間にんげんのありかたについてのザラザラとした寓話ぐうわ。 
    土居どいしんあきら(ひろしまアニメーションシーズンプロデューサー)
長年ながねん写真しゃしんフィルムの開発かいはつしゃであったちちは、「フィルムは粒子りゅうし世界せかいで、デジタルはせん世界せかい」とっては、いままれになってしまったフィルムの映像えいぞうるたびにあら粒子りゅうしやわらかさにほそめる。

  『やまぶき』も、岩山いわやまくだかれるオープニングシーンから、16mmじゅうろくみりフィルムの粒子りゅうし世界せかいるものを魅了みりょうする。えがかれるのは、さまざまな距離きょりかんたもちながらとなわせにきる人々ひとびと群像ぐんぞうげき粒子りゅうしのように彷徨うろついながら化学かがく反応はんのうこし、運命うんめい連鎖れんさし、交差こうさしていく。分断ぶんだん世界せかいきるわたしたちに、フィルムでえがかれる物語ものがたりは、予期よきせぬながれにあらがえず、まりながらもうごかされ、すれちがいながらもすぶられるわたしたちいちにん一人ひとりつながりのうごきをせてくれる。くだけたやまになり、そこに芽吹めぶくのは、分断ぶんだん線引せんひきの世界せかいではなく、それぞれの視点してんから未来みらいつめるようにやさしくうながしてくれる『やまぶき』そのものであるとかんじた。 
    戸田とだひかる映画えいが監督かんとく
たねをまくと、芽吹めぶきのおそいもの、つよいのにけてしまうかならてくる。びられないもある。「そういうにこそ、もっとひかりを」そんなおもいをったような気持きもちになった。
    はくひさし篤司あつし(フードライター)
タイトルを役名やくめいとするいのりキララの姿すがた、そのはなのような可憐かれんかつ無骨ぶこつ存在そんざいかんがひときわむねせまった。どうにもきほぐせない現実げんじつまえにして、できることはきわめてすくない。行動こうどう言葉ことば実効じっこうせいにはおおきな疑問符ぎもんふがつく。そのきわめてわずかな、現実げんじつえるにはあきらかに不足ふそくなにかを、ひとはそれでもなおすべきだろうか。こたえはない。が、『やまぶき』はいそのものをきる。しんどい映画えいがだ。それをもの当然とうぜん解決かいけつしがたいいをけられる。でも、そのいだけが安易あんいこたえからひとまもるだろう。いまだからこそ、この映画えいが存在そんざいすることの意義いぎかぎりなくおおきい。いをかかつづけるやま﨑樹いちろうあゆみは力強ちからづよく、本人ほんにんにそんなはなくてもおな時代じだいきるもの勇気ゆうきづけている。 
    濱口はまぐち竜介りゅうすけ映画えいが監督かんとく
映画えいがこえなきこえ可視かしする。表現ひょうげんたせるおおいなる役割やくわりたりまえのようなしずけさでやってのけてくれた作品さくひんでした。
いのりキララさんの透徹とうてつ視線しせんがとてもきでした。
そういえば山吹やまぶき花言葉はなことばは「気品きひん」だった。この作品さくひんにとても相応ふさわしい言葉ことばだとおもう。監督かんとく否定ひていするかもだけど。
    深田ふかた晃司こうじ映画えいが監督かんとく
映画えいが隅々すみずみに、無駄むだとした画面がめん経済けいざいせいとはっとむねひかりうつくしさが同居どうきょしている。ぼくたちに、このひかりけっして見逃みのがしてはならないとかたりかける画面がめん緊張きんちょうこそが、きつけてはなさない映画えいがちからとなる。
    舩橋あつし映画えいが作家さっか
一人ひとりいちにんいのちのカケラたち。
両手りょうてでかきあつめても、ゆびあいだからこぼれちてしまう。
けっしてあまくない人生じんせいなのだけど、
なんでだろう、
かれらのなみだやさしくってとてもあたたかい。 
    美波みなみ女優じょゆう、アーティスト)
やま﨑さんの映画えいがはデビューさく『ひかりのおと』からずっとつづけているが、かれほど映画えいが純愛じゅんあいささげているひとぼくらない。たらない場所ばしょつくつづけたたましいは『やまぶき』でたしかに芽吹めぶいた。かれ一番いちばん仕事しごとだ。おな時代じだいはしってきた朋輩ほうばいとしてうれしく、その純粋じゅんすいさに背筋せすじびるおもいだ。 
    向井むかいやすしかい脚本きゃくほん
岡山おかやま採石さいせきじょう街頭がいとうからはっせられる、グローバルな物語ものがたり個人こじんレベルから国際こくさい政治せいじレベルまで、じつ多彩たさい主題しゅだいをまとめあげるやま監督かんとくかたりの上手じょうずさが際立きわだっている。山吹やまぶきというはな可憐かれん姿すがたは、現代げんだいのさまよえるたましいたちの平穏へいおん希求ききゅうするかのようだ。日本にっぽんのインディペンデント映画えいが土壌どじょうゆたかさを証明しょうめいする作品さくひんであり、本年ほんねん必見ひっけんの1ほん。 
    矢田部やたべ吉彦よしひこぜん東京国際映画祭とうきょうこくさいえいがさいディレクター)
16じゅうろくミリフィルムのあらつめたい粒子りゅうしえがしんのざらつきを、ぬぐるかのごとく、誠実せいじつなストーリーテリングといのりキララの真直まっすぐすぎる目線めせんまぶしい。生活せいかつなかかんじる矛盾むじゅん問題もんだい意識いしきすこしでもクリアになる可能かのうせいせてくれる。 
    山村やまむら浩二こうじ(アニメーション作家さっか絵本えほん作家さっか
うつくしく、はかなく、言葉ことばたよらずに、おおくをつたえてくれる。るいない方法ほうほう隣人りんじんたちときる方法ほうほう探求たんきゅうする作品さくひん政治せいじてき主題しゅだいを、声高こわだかにではなく、非常ひじょう繊細せんさいとらえている。わたしにとって『やまぶき』は恩寵おんちょうだ。
    カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいACID部門ぶもん選考せんこう委員いいん
主人公しゅじんこうたちのしんらぎが16じゅうろくミリフィルムのざらついた映像えいぞう見事みごと表現ひょうげんされている。編集へんしゅう秀逸しゅういつで、とりわけシーンの移行いこう素晴すばらしい。いたカメラのうごきがわたしたちを物語ものがたり自然しぜんさそう。だが、それらの技術ぎじゅつてき要素ようそ以上いじょうに『やまぶき』がしんすぐれているのは、人生じんせいのあらゆる困難こんなんにポジティヴにみちしめしていることだ。
    スプリト国際こくさい映画えいがさい・グランプリ授賞じゅしょう理由りゆう
たらぬ場所ばしょ山吹やまぶきのように不可視ふかし人々ひとびと物語ものがたりを、やさしさとともに、あきらかに政治せいじてき視点してんからえが作品さくひんだ。しあわせをるには岩場いわば芽吹めぶくしか手段しゅだんがない、日陰ひかげきる人々ひとびと物語ものがたりだ。
    ルッカ国際こくさい映画えいがさい・グランプリ授賞じゅしょう理由りゆう

REVIEW

『やまぶき』のにぶいがゆえにするど特異とくいさは、田舎町いなかまちいつわりのしずけさのなかに、破裂はれつするようにあらわれる。韓国かんこくじん労働ろうどうしゃチャンスを中心ちゅうしんはじまる物語ものがたりは、すこしずつ多様たよう登場とうじょう人物じんぶつむかえて肉体にくたいし、いくつかのすじ分岐ぶんきする。いがんだ家族かぞく関係かんけい世界せかいからその明白めいはくさをうばり、ちがった関係かんけいせいこすのだ。チャンスは、美南みなみとそのむすめちいさな家庭かていきずきあげ、山吹やまぶきはサイレントスタンディングに参加さんかする。ヒロインの名前なまえ山吹やまぶき」は、黄色きいろはな名前なまえであり、かつては賄賂わいろ隠語いんごでもあった。この意味いみろんてき曖昧あいまいさにならうように、やま﨑樹いちろうは、不安定ふあんていで、自由じゆううごきをうばわれた世界せかいをつくりだす。金銭きんせんとのさまざまなかかわりのなかで、人間にんげんよわさがかおすのだ。カメラのわずかなうごきがこの不確ふたしかさを表現ひょうげんする。このメランコリックな作品さくひんでは、すべての技巧ぎこう内的ないてき必然ひつぜんせいがあるようだ。ざらついた16じゅうろくミリフィルムの撮影さつえいによって混濁こんだくをさらにふかめながら、やま﨑は、たしかなつきで、予想よそうがいなフレーミングとおどろくべきモンタージュでこの曖昧あいまい世界せかいえがいているのだ。
    カイエ・デュ・シネマ

うつくしく、はかなく、言葉ことばたよらずに、おおくをつたえてくれる。るいない方法ほうほう隣人りんじんたちときる方法ほうほう探求たんきゅうする作品さくひん政治せいじてき主題しゅだいを、声高こわだかにではなく、非常ひじょう繊細せんさいとらえている。わたしにとって『やまぶき』は恩寵おんちょうだ。
    カンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさいACID部門ぶもん選考せんこう委員いいん

しずかに抵抗ていこうしるし見出みいだ作品さくひんである。
    ル・モンド

あらががたいほど魅惑みわくてきいのりキララが、繊細せんさい役柄やくがら見事みごとえんくしている。
    SCEEN DAILY

今年ことししん発見はっけんやま﨑樹いちろう監督かんとくの『やまぶき』だった。孤独こどくきずついたたましいたちをえが作品さくひんだ。
    Caimán Cuadernos de Cine(スペイン/映画えいが批評ひひょう

ゆたかなはずのくに見捨みすてられた土地とちで、みずからの居場所いばしょもとめてもがく人々ひとびと共同きょうどうたいへの人間にんげんてき誠実せいじつ賛歌さんか
    The Film Verdict国際こくさい映画えいが批評ひひょうサイト)

やま監督かんとくは、セリフが一言ひとことしかない端役はやくふくすべての登場とうじょう人物じんぶつたちを、おなじように繊細せんさいくばりながら観察かんさつしている。
    Accréds(フランス/映画えいが批評ひひょうサイト)

おだやかなかけのうらに、移民いみん家族かぞく形態けいたい問題もんだい、そして若者わかものたちの理想りそうれる世界せかいかくしている作品さくひんだ。
    OTROS CINES(アルゼンチン/映画えいが批評ひひょうサイト)

やま監督かんとく物語ものがたり要素ようそ誇張こちょうせず、たしかに共感きょうかんしながら、ヒューマニストな視点してんつめている。
    LETRAS LIBRES(メキシコ・スペイン/カルチャー

『やまぶき』はおおきなやさしさで、ひとひとつながりを繊細せんさいかつ多彩たさいつむぎあげる。複数ふくすうであることこそが世界せかいだからだ。
    On se fait un ciné(フランス/映画えいがサイト)

FESTIVALS

※2022ねん10がつ時点じてん

だい30かいカンヌ国際映画祭かんぬこくさいえいがさい ACID部門ぶもん 日本にっぽん映画えいが史上しじょうはつ選出せんしゅつ
だい51かいロッテルダム国際こくさい映画えいがさい タイガーコンペティション部門ぶもん
だい27かいスプリト国際こくさい映画えいがさい グランプリ
だい18かいルッカ国際こくさい映画えいがさい グランプリ
だい19かいウラジオストク国際こくさい映画えいがさい 審査しんさいん特別とくべつしょう
だいかいブラジリア国際こくさい映画えいがさい 最優秀さいゆうしゅう男優だんゆうしょう(カン・ユンス)
だいかいフィルマドリッド国際こくさい映画えいがさい クロージング作品さくひん
だい19かいエレバン国際こくさい映画えいがさい 正式せいしき出品しゅっぴん
だい25かいグアナフアト国際こくさい映画えいがさい  インターナショナル・コンペティション
だい29かいバルディビア国際こくさい映画えいがさい 新人しんじんコンペティション
だい25かいオーシュ国際こくさい映画えいがさい 正式せいしき出品しゅっぴん
だいかいリマ・アルテルナ国際こくさい映画えいがさい 正式せいしき出品しゅっぴん
だい19かい香港ほんこんアジア映画えいがさい 正式せいしき出品しゅっぴん
だいかいインランディメンションズ国際こくさい芸術げいじゅつさい 正式せいしき出品しゅっぴん

CREDITS

監督かんとく脚本きゃくほんやま﨑樹一郎いちろう
出演しゅつえんカン・ユンスいのりキララ川瀬かわせようふとし和田わだひかりすな三浦みうらまことおのれ青木あおきたかしだか
黒住くろずみ尚生ひさおさくらまゆみしゃむらなし西山にしやましんらい千田せんだ知美ともみ大倉おおくら英莉えり松浦まつうら祐也ゆうや
グエン・クアン・フイ柳原やなぎはら良平りょうへい齋藤さいとう徳一とくいち中島なかじまともじん中垣なかがき直久なおひさほたる佐野さの和宏かずひろ

プロデューサー:小山内おさないあきら太郎たろう赤松あかまつ章子あきこ渡辺わたなべあつしじん真砂まさごつよしやま﨑樹一郎いちろう
制作せいさくプロデューサー:松倉まつくらだいなつ 撮影さつえいたわら謙太けんた 照明しょうめい福田ふくだひろし 録音ろくおん寒川さむかわ聖美きよみ
美術びじゅつ西村にしむら立志りっし 助監督じょかんとく鹿川かのかわ裕史ゆうじ 衣装いしょう田口たぐちとし ヘアメイク:菅原すがわら美和子みわこ ぞくおん近藤こんどうたかしせい 音楽おんがく:オリヴィエ・ドゥパリ
アニメーション:セバスチャン・ローデンバック 編集へんしゅう協力きょうりょく:ヤン・ドゥデ、秋元あきもとみのり

製作せいさく真庭まにわフィルムユニオン、Survivance 配給はいきゅう:boid/VOICE OF GHOST

2022ねん日本にっぽん・フランス|16mmじゅうろくみり→DCP|カラー|5.1ch|1:1.597ふん

© 2022 FILM UNION MANIWA SURVIVANCE

THEATER