屈こごめ申さる(?—前まえ537年ねん),羋姓せい,屈こごめ氏し,名めい申さる,中国ちゅうごく春秋しゅんじゅう時期じき楚すわえ國こく的てき大夫たいふ。屈こごめ蕩とろけ之子ゆきこ[1]。
前ぜん538年ねん(鲁昭公こう四よん年ねん、楚すわえ灵王三さん年ねん)七なな月がつ,楚すわえ灵王耀兵带领诸侯进攻吴国,宋そう国こく太子たいし佐さ(宋そう元もと公おおやけ)、郑简公こう先行せんこう回国かいこく。宋そう国こく的てき华费遂とげ、郑国大夫たいふ随ずい军。八はち月がつ,楚すわえ将はた屈こごめ申さる攻おさむ下か了りょう朱しゅ方かた,逮住了りょう齐国庆封[2]。
前ぜん537年ねん(鲁昭公こう五ご年ねん、楚すわえ灵王四よん年ねん)楚すわえ灵王认为屈こごめ申さる倾向吴国,就杀了りょう他た。让屈こごめ生せい做莫敖[3]。