段だん勤つとむ(?—359年ねん),中國ちゅうごく十じゅう六ろく國こく時期じき兵へい變へん首領しゅりょう之の一いち。鮮卑人ひと,屬ぞく於段だん部ぶ鮮卑一系いっけい,是ぜ段だん部ぶ鮮卑首領しゅりょう、遼東りゃおとん公こう段だん末まつ波なみ之子ゆきこ。段だん部ぶ鮮卑的てき遼りょう西にし公國こうこく政權せいけん滅亡めつぼう後ご,歸き後こう趙ちょう。
350年ねん,後こう趙ちょう冉閔叛變,建立こんりゅう冉魏,中原なかはら再さい次つぎ大亂たいらん,時じ為ため後ご趙ちょう建たて義よし將軍しょうぐん的てき段だん勤つとむ據よりどころ守もり黎はじむ陽ひ(今こん中國ちゅうごく河南かなん省しょう浚縣)。
352年ねん集結しゅうけつ胡えびす、羯部眾一萬餘人據守繹幕(今こん中國ちゅうごく山東さんとう省しょう平原ひらばら縣けん),自稱じしょう趙ちょう帝みかど。不ふ久ひさ,前ぜん燕つばめ將領しょうりょう慕容霸率りつ軍ぐん抵達,段だん勤つとむ隨ずい即そく投降とうこう。359年ねん,為ため前ぜん燕つばめ所しょ殺ころせ。