エフエム豊橋の番組で被災地を応援している前川さん(愛知県豊橋市で)=伊藤紘二撮影 仙台市出身のラジオパーソナリティー前川みどりさん(63)(愛知県岡崎市)は、東日本大震災の直後から被災地の情報をリスナーに届けることで、傷ついた故郷を応援してきた。コロナ禍で休止した現地訪問も再開し、被災者の生の声も再び伝えようとしている。(中村亜貴)
「山元町のイチゴ狩り、皆さんにも行ってもらいたい! 『もういっこ』という品種があるんです。思わずもう1個食べたくなるから、もういっこ……」
コミュニティーFM局「エフエム豊橋」(同県豊橋市)の番組「ここなっつふらいでぇ」の一コーナー「~
閖上
・亘理・山元から届く~東北の風」。この日の話題は、600人超が亡くなった宮城県山元町。原則第1、3、5金曜放送のこの枠で前川さんは、被災地の情報を届けてきた。
14年前のあの日。担当番組の放送中、スタジオが大きく揺れた。三陸沖が震源との情報に、頭が真っ白になった。結婚まで過ごした宮城には親戚や友人がいた。番組をどう終わらせたか、今も思い出せない。
翌月、夫と宮城県に入った。石巻市では伯父が津波に襲われ亡くなった。見慣れた場所の変わり果てた姿に涙を流す一方、「地元を離れた自分は部外者なんだ」との思いもこみあげた。だが、学生時代の友人の言葉に奮い立った。「来てくれただけでうれしい。仙台のこと、忘れないで」
番組で義援金を募り、自治体の広報などを基に現地の情報も届け始めた。2013年には正式な放送枠に。小さなまちも応援したいと、タイトルに名取市の閖上と亘理、山元両町を入れた。
同じ年、局の理解もありリスナーらの参加を募り、復興応援ツアーも始めた。下見で交流を依頼した時には、「何しに来た」といぶかしむ訪問先もあったが、「ぜひ愛知でも伝えたい」と頼み込み、被災状況や現状を語ってもらった。毎年訪ねるうち、山元町の災害FM局では番組に出させてもらい、亘理町の漁師は「堤防ができっと海から町が見えなくなっから、眺めを覚えといてくれ」と船に乗せてくれた。防潮林の植樹も手伝い、参加者も「来なければ実情は分からなかった」と言ってくれた。
だが、コロナ禍でツアーは休止。前川さんにはもどかしさも残った。「きっかけさえあれば、被災地のことを知りたい人は多いはず」との確信があったからだ。
コロナ禍後、有志での再開を模索し、昨年、局員の村田賢蒔さん(32)やツアーの常連を誘い、被災地を訪れた。「震災遺構の小学校では津波ってこんなに高いのかと驚いた。体感するって大事ですね」。村田さんはそう話す。
3月がまた巡ってきた。前川さんは今月の放送で、専門家に南海トラフ地震について尋ね、親戚から聞いた復興の状況や今の思いも話すつもりだ。そして今年も仲間と東北を訪れたいと考えている。「パーソナリティーの仕事は『つなぐ』こと。これからも、被災地とリスナーをつなぐ役割を果たしたい」