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阿部 あかね「1970年代日本の精神医療改革運動に与えた「反精神医学」の影響」
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阿部あべ あかね「1970年代ねんだい日本にっぽん精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうあたえた「はん精神せいしん医学いがく」の影響えいきょう

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし 於:立命館大学りつめいかんだいがく
20090927


報告ほうこく要旨ようし
 阿部あべ あかね立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう
 「1970年代ねんだい日本にっぽん精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうあたえた「はん精神せいしん医学いがく」の影響えいきょう

  日本にっぽんにおける精神せいしん医療いりょうは1969ねん5がつ日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい総会そうかい金沢かなざわ学会がっかい)の紛糾ふんきゅうをきっかけに、従来じゅうらい精神せいしん医療いりょう体制たいせい反省はんせい見直みなおしがおこなわれ、精神せいしん医療いりょう全般ぜんぱんへの改革かいかく運動うんどうへと発展はってんしてゆく。まず、この学会がっかい議論ぎろんされた大学だいがく精神せいしん医局いきょく制度せいど解体かいたい問題もんだいは、大学だいがく医局いきょく教授きょうじゅ頂点ちょうてんとしたヒエラルキー構造こうぞうがあり、それが無給むきゅうをはじめとした構造こうぞう下部かぶ犠牲ぎせいのうえにっていることを指摘してきしたものである。しかし、それはたんに大学だいがく医局いきょくないだけの問題もんだいにとどまるのではなく、日本にっぽん精神せいしん医療いりょう構造こうぞうにおいて、そのした医療いりょう従事じゅうじしゃが、そして一番いちばん精神病せいしんびょう患者かんじゃ位置いちづけられる階級かいきゅう構造こうぞう、すなわち差別さべつ抑圧よくあつ構造こうぞうであることを糾弾きゅうだんしたものであった。その保安ほあん処分しょぶん新設しんせつ阻止そし悪徳あくとく精神せいしん病院びょういん告発こくはつなどがなされてゆくのだが、この時期じき患者かんじゃ自由じゆう人権じんけん保護ほご主眼しゅがんいた医療いりょう体制たいせいへの改革かいかく議論ぎろんされたといえる。
  そのようななか従来じゅうらい伝統でんとうてき精神せいしん医学いがくへの異議いぎもうてとしての「はん精神せいしん医学いがく」の思想しそうがイギリスを中心ちゅうしん発生はっせいし、日本にっぽんにも紹介しょうかいされることとなった。その旗手きしゅといえるR・D・レインとD・クーパーは、分裂ぶんれつびょうしんいんろん家族かぞく研究けんきゅうもとめたほかに、分裂ぶんれつびょう社会しゃかい共謀きょうぼういんモデル(狂気きょうき病気びょうき仕立したてげるために、社会しゃかい成員せいいん暴力ぼうりょくをふるい「精神病せいしんびょう」のレッテルをった)を主張しゅちょうした。
  日本にっぽん展開てんかいされていた精神せいしん医療いりょう改革かいかくは、精神病せいしんびょうしゃ自由じゆう人権じんけん保護ほご根差ねざした医療いりょう追求ついきゅうだい目的もくてきであったことから、このはん精神せいしん医学いがくがいう「社会しゃかい体制たいせいがわからの抑圧よくあつされた存在そんざい」という精神病せいしんびょうしゃのとらえかた共鳴きょうめいしたとかんがえる。しかし、レインやクーパーらがべる家族かぞく研究けんきゅう分裂ぶんれつびょうろん実践じっせんめんでの<社会しゃかい医療いりょうしゃ患者かんじゃらが一体いったいとなったコミューンのごとき共同きょうどう生活せいかつ>がそのまま踏襲とうしゅうされたわけでもない。
  そこで、ほん研究けんきゅうでは、日本にっぽんにおける精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうなかで「はん精神せいしん医学いがく思想しそうがどのように採用さいようされ、また採用さいようされなかったのかを整理せいりし、現在げんざいつづ日本にっぽん精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうあたえた影響えいきょう考察こうさつしたい。

報告ほうこく原稿げんこう

1970年代ねんだい日本にっぽん精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうあたえた「はん精神せいしん医学いがく」の影響えいきょう
  立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう研究けんきゅう  阿部あべあかね  
                                                              
1、はん精神せいしん医学いがくとは
 「はん精神せいしん医学いがくとは、一言ひとことでいえば、伝統でんとうてき正統せいとうてき主流しゅりゅうてき精神せいしん医学いがく狂気きょうきかんたいする根本こんぽんてき異議いぎもうてである。つまり伝統でんとうてき精神せいしん医学いがくが19世紀せいき以来いらい身体しんたい医学いがく枠組わくぐみや概念がいねんをそのまま踏襲とうしゅうし、『狂気きょうき正気しょうき』の問題もんだいじゅん医学いがくてき立場たちばから考察こうさつし、狂気きょうきイコール疾患しっかんとみなしつづけてきたとしての異議いぎもうてである」(笠原かさはら 1976: 675)。つまり、従来じゅうらい精神せいしん医学いがく主流しゅりゅうであった身体しんたい生物せいぶつがくてき側面そくめんや、精神せいしん分析ぶんせきへの研究けんきゅう治療ちりょうアプローチをとし、社会しゃかいのひずみ――資本しほん主義しゅぎ構造こうぞうもとめる効率こうりつせい合理ごうりせい――の結果けっかとしてもたらされる階級かいきゅう制度せいど疎外そがい構造こうぞうというによって、「精神分裂病せいしんぶんれつびょう」とレッテルをられたにすぎない、精神病せいしんびょうなど存在そんざいしないとする主張しゅちょうである。
 このあたらしい思想しそうは、イギリスを中心ちゅうしんとした欧米おうべいまれるが、その代表だいひょうてき論者ろんしゃとしてR・D・レイン(えい)、D・クーパー(えい)がいる。ともに家族かぞく研究けんきゅうとおして、家族かぞくなか精神分裂病せいしんぶんれつびょうしゃつくされていくとの研究けんきゅう発端ほったんであった。

2、実践じっせんとしてのキングスレィホール
 では、精神病せいしんびょうのレッテルをなくし、医療いりょうにおける医師いし患者かんじゃといった役割やくわりやヒエラルキーをはらい、患者かんじゃ開放かいほうするというはん精神せいしん医学いがく実践じっせんするとはどのようなものなのだろうか。ここではレインがこころみたキングスレィホールを紹介しょうかいする。

 キングスリーホールでは、患者かんじゃいちじるしい退行たいこう許容きょようされ、看護かんご対抗たいこうした患者かんじゃにおむつをあてがい、哺乳ほにゅうびんでミルクをませ、身体しんたいいてやった。毎夜まいよ9時半じはんになるとレインによって仕切しきられるディナーがはじまり、ながいテーブルをかこんでレインが哲学てつがく医学いがく宗教しゅうきょうなどについていたという。真夜中まよなかにはテーブルをはらい、夜明よあけまで自由じゆうなダンスがひろげられた。キングスリーホールはロンドンのはん体制たいせい文化ぶんか活動かつどう中心ちゅうしんとなり、わか精神せいしん医学いがくしゃたちだけではなく、ロック・グループ、実験じっけんてき演劇えんげきグループ、画家がか詩人しじんはん体制たいせい学生がくせいなどおおくの有名ゆうめい無名むめい人々ひとびとまりとなった。(北西ほくせい小谷おたにいけふかし磯田いそだ武井たけい西川にしかわ西村にしむらへん武井たけい担当たんとう 2003: 146)。

 実験じっけんとしてのこころみだったとはいえ、従来じゅうらい精神せいしん病院びょういん姿すがたとはかけはなれたものであったことは間違まちがいない。このような実践じっせん許容きょようされたイギリスにはそれなりの下地したじがあったようだ。だいは「イギリスでは、福祉ふくし国家こっか理念りねんはやくからわたっていたので、国民こくみん保険ほけんサービス(NHS)のかさした精神病せいしんびょうしゃだつ施設しせつ地域ちいき医療いりょうすすんでおり、治療ちりょう共同きょうどうたいこころみもなされていた。そこで、はん精神せいしん医学いがく主張しゅちょう現実げんじつてき提案ていあんになるなら、それをめるだけのゆとりがあった(だい 1993: 213)」と説明せつめいしている。イギリスでは精神せいしん障害しょうがいしゃだつ施設しせつ地域ちいき医療いりょうという方向ほうこうせいがすでに明確めいかくであり、その方法ほうほうとしての治療ちりょう共同きょうどうたい延長線えんちょうせんじょうにあるものとして許容きょようできたということである。

3、はん精神せいしん医学いがく日本にっぽんへの導入どうにゅう
3‐1 日本にっぽん精神せいしん医療いりょう背景はいけい
1970ねん前後ぜんこう日本にっぽん精神せいしん学会がっかいは、精神せいしん医療いりょう改革かいかくぶたをったともいえる1969ねん日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい金沢かなざわ大会たいかい)を皮切かわきりに、それまでの精神せいしん医療いりょう内容ないよう体制たいせい構造こうぞうのありかたをめぐっておおきくれていた時期じきである。この時期じきはん精神せいしん医学いがく思想しそう日本にっぽんにもひろがった。

3‐2 はん精神せいしん医学いがくへの関心かんしんたかまり
 この1969ねん日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい金沢かなざわ大会たいかい)は、そもそも精神せいしん問題もんだいとしての認定にんてい制度せいどをめぐって紛糾ふんきゅうしたのだが、それだけにとどまらずこれを契機けいきにその保安ほあん処分しょぶん問題もんだい中心ちゅうしんとする社会しゃかい防衛ぼうえいてき精神せいしん医療いりょう体制たいせい保安ほあん処分しょぶん新設しんせつ阻止そし悪徳あくとく精神せいしん病院びょういん告発こくはつ精神せいしん外科げか・ロボトミー批判ひはんてい医療いりょう政策せいさくもとづく病院びょういん統廃合とうはいごううごき、など次々つぎつぎ問題もんだい提起ていきがなされ議論ぎろんつづけられてゆくことになる。
 はん精神せいしん医学いがくろんしゃ主張しゅちょうはそれぞれにちがいはあるものの、“既成きせい精神せいしん医学いがくのありようへの異議いぎもうて”というてんにおいては一致いっちしており、そしてそれは日本にっぽん精神せいしん医学いがくかい動向どうこうおなじといえた。そして日本にっぽんにおいてははん精神せいしん医学いがく思想しそうは、それら精神せいしん医療いりょう改革かいかく運動うんどうむすびついたというてん欧米おうべいとはちがったのである。

4、クーパーとサズの来日らいにち
 1975ねん5がつ12・13・14にち東京とうきょうにおいてだい72かい日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい総会そうかいおこなわれた。ここに、はん精神せいしん医学いがく旗手きしゅともいえるD・クーパーとT・サズがまねかれて講演こうえんおこなう。
 サズは、ここでも従来じゅうらいからのはん精神せいしん医学いがく総論そうろんといえる主張しゅちょうかえす。
 @精神分裂病せいしんぶんれつびょう症状しょうじょうといわれている現象げんしょうがあることはみとめるが、精神分裂病せいしんぶんれつびょうなるものは存在そんざいしない。なぜなら、精神分裂病せいしんぶんれつびょう診断しんだんは「行動こうどうじょうしょ症状しょうじょう」を基礎きそっているものであり、はっきりした細胞さいぼうじょう病理びょうりなどをしめされていないからである。精神分裂病せいしんぶんれつびょうとは絶対ぜったいてき科学かがくてき研究けんきゅう結果けっかではなく倫理りんりてき政治せいじてき判断はんだんによってしょうじたものである。すなわち発見はっけんされたものではなく、社会しゃかいてき構成こうせいされかんがえだされたものであるとする。症状しょうじょうはあるが病因びょういん不明ふめいのまま作為さくいてき病名びょうめいだけがあたえられているとする従来じゅうらいはん精神せいしん医学いがく主張しゅちょうである。
 Aサズはこのような精神分裂病せいしんぶんれつびょう社会しゃかいてきなものであるという前提ぜんていにたち、患者かんじゃ市民しみんけん法的ほうてき権利けんりにおいて人権じんけん侵害しんがいがなされていることにふれる。
 B医学いがく一般いっぱん精神せいしん医学いがく対比たいひし、医師いし患者かんじゃ関係かんけいについてのべている。自由じゆう資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいにおいて、精神せいしん医学いがく需要じゅよう供給きょうきゅう、すなわち検査けんさ診断しんだん治療ちりょうといったものは当事とうじしゃである医師いし患者かんじゃのどちらかが拒否きょひすれば成立せいりつしないはずである。しかし、「伝統でんとうてきなにおいては、医師いし患者かんじゃ代理だいり行為こういしゃであるが、伝統でんとうてきなにおいては、医師いし社会しゃかい代理だいり行為こういしゃ」(傍点ぼうてん筆者ひっしゃ)であるという現実げんじつじょう医師いしによって患者かんじゃ精神分裂病せいしんぶんれつびょう診断しんだんめいかんされてしまうことにより、患者かんじゃはどのように危険きけんなのかも明確めいかくでないまま危険きけんされ、患者かんじゃ意思いしはんしても施設しせつ監禁かんきんすることが精神せいしん医学いがくにも必要ひつよう法的ほうてきにも正当せいとうされていること、また患者かんじゃはその診断しんだん診断しんだん過程かてい診断しんだんによって正当せいとうされた治療ちりょう拒否きょひすることができず、そのような同意どういないままの診断しんだん治療ちりょうおこなわれていることは暴行ぼうこうひとしいとのべられる(日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい 1976: 308)。
 Cそうしたうえで、分裂ぶんれつびょう問題もんだい解決かいけつするのは「医学いがくてき研究けんきゅうであるよりも、むしろ分裂ぶんれつびょう患者かんじゃ行動こうどう哲学てつがくてき道徳どうとくてき法律ほうりつてき観点かんてんからさい検討けんとうするということである。」と展望てんぼうする。つまり、「なやむことと病気びょうき相違そうい個人こじんてきな(あやまった)行動こうどう病態びょうたい生理学せいりがくてき機能きのう障害しょうがいとの相違そうい治療ちりょう規制きせいくわえることの相違そういあきらかにしたうえで、精神せいしん患者かんじゃたいしてなにおこなうのか」(日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい 1976: 297)という問題もんだい方向ほうこうせいししたといえる。

 つぎにクーパーもサズと同様どうよう精神分裂病せいしんぶんれつびょうなど存在そんざいしない」と前置まえおきしたうえで講演こうえんはじめている。クーパーは自身じしん理論りろん出発しゅっぱつてんである“家族かぞく研究けんきゅうについてふれている。「精神分裂病せいしんぶんれつびょう一人ひとり個人こじん内部ないぶ生起せいきするものではなく、複数ふくすう人間にんげんあいだ生起せいきする」ものであり、その「複数ふくすう人間にんげん」にあたいするのが家族かぞくである。レインやエスターソンの家族かぞく研究けんきゅういにしつつ、精神分裂病せいしんぶんれつびょうおおくは家族かぞく内部ないぶにおいて「しゃによって価値かちされ、かれりぬかれ、一定いっていのやりかたで『精神せいしんてき病的びょうてき』とめられるにいたる」(日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい 1976: 316-321)という。クーパーは「家族かぞく」はマクロな社会しゃかいにつながるミクロ社会しゃかいととらえている。ゆえに、クーパーは「家族かぞく」を「ブルジョア社会しゃかい疎外そがいてき服従ふくじゅう順応じゅんのう主義しゅぎ体制たいせいを、たん媒介ばいかいするもの」と名指なざしている。

5、はん精神せいしん医学いがく反対はんたい理論りろん――秋元あきもと波留はるおっとより
 はん精神せいしん医学いがく従来じゅうらい精神せいしん医療いりょう体制たいせいへの異議いぎもうてであったことはのべたが、その体制たいせいがわにたつ秋元あきもとは、明確めいかくはん精神せいしん医学いがく批判ひはんする。
秋元あきもと議論ぎろん出発しゅっぱつてん終着しゅうちゃくてんは、狂気きょうき実存じつぞんをどうかんがえるのかということにある。
 @はん精神せいしん医学いがくがいう、患者かんじゃ資本しほん主義しゅぎ社会しゃかいによる抑圧よくあつ構造こうぞう犠牲ぎせいしゃであるとすれば「“はん精神せいしん”は革命かくめい運動うんどうのうちに自己じこ解消かいしょうせざるをないことになる」(秋元あきもと 1976: 223)とのべる。すなわち、狂気きょうき原因げんいんをその患者かんじゃ個人こじんではなく社会しゃかいもとめるのであるならば、社会しゃかい変革へんかく以外いがいみちはないのではないかというのである。
 A秋元あきもとはレインのキングスレィホールの実践じっせんれいり、そこでおこったさまざま問題もんだい――地域ちいき近隣きんりんでのぬすみや侵入しんにゅう排泄はいせつぶつりたくった臭気しゅうき妄想もうそうにとらわれたかい行動こうどう器物きぶつ破損はそん、ヘロインの蔓延まんえん放火ほうかとう――にれ、秋元あきもとは「レインの治療ちりょう共同きょうどうたいではどうしようもなく、はん精神せいしん医学いがくが“強制きょうせい収容しゅうようしょ”であるとして告発こくはつするところの“精神せいしん病院びょういん”が必要ひつようであること、さらに、また、もっと重要じゅうようなことは、分裂ぶんれつびょう一片いっぺんのレッテルなんぞではなく、ましてそれは“超越ちょうえつてき旅立たびだち”なんていう優雅ゆうが文学ぶんがくてき状況じょうきょうではさらさらなく、れっきとした異常いじょうであり、病気びょうきであることを、“キングスレイ・ホールが実践じっせんうえおしえていることである」(秋元あきもと 1976: 208)とのべている。
 B「はん精神せいしん医学いがくがなしたことはたん分裂ぶんれつびょうのレッテルをはがすことの要求ようきゅう」(秋元あきもと 1976: 220)とし、たとえ結果けっかとしてレッテルがはがれることがあったとしても、自由じゆう抑圧よくあつのない社会しゃかいがあったとしても、狂気きょうきそのものは存在そんざいするし、精神せいしんであるならばそれを治療ちりょうするのは宿命しゅくめいだと揶揄やゆするのである。
 Cしかし、そのうえで秋元あきもとは、“そうではないべつはん精神せいしん医学いがく”の意味いみ方向ほうこう提示ていじしているのは興味深きょうみぶかい。秋元あきもとも、当時とうじ現状げんじょうとしておおくの悪徳あくとく精神せいしん病院びょういん法体ほうたいせいのもとでくすり医療いりょう懲罰ちょうばつてき電気でんきショック療法りょうほう人権じんけん無視むし処遇しょぐうなど患者かんじゃ劣悪れつあく環境かんきょうかれていることはみとめており、そのような医療いりょう否定ひていせねばならないとかんがえている。それこそが本来ほんらいの“はん精神せいしん医学いがく状況じょうきょうであり、それをだっすることこそがめざす方向ほうこうだと主張しゅちょうする。いいかえれば、はん精神せいしん医学いがくしゃたちのように精神せいしん医学いがくそのものを否定ひていしたり、社会しゃかい体制たいせいとするのではなく、現状げんじょう体制たいせい劣悪れつあく精神せいしん医療いりょう蔓延まんえんしている状況じょうきょうこそが、本来ほんらい患者かんじゃいや治療ちりょうするそもそもの精神せいしん医学いがくはんしている、という意味いみでの「はん精神せいしん医学いがく状況じょうきょうであるから、その医療いりょう改善かいぜんすることが目指めざすべき方向ほうこうせいだというのである(秋元あきもと 1976: 193-194)。

6、むすび
 結果けっかとして、その世界せかいてきにも、またおおきな関心かんしんあつめた日本にっぽんでもはん精神せいしん医学いがく衰退すいたいしていった。「精神分裂病せいしんぶんれつびょう存在そんざいしない、だから精神せいしん病院びょういんらない」とするはん精神せいしん医学いがく主張しゅちょうのとおりにはならなかった。日本にっぽんおおくの精神せいしんたちが問題もんだいにした、精神せいしん病院びょういん患者かんじゃ拘束こうそくしているという現実げんじつへの改善かいぜんさくにはむすびつかなかったからである。そして、結果けっかとすれば、反対はんたい秋元あきもとべたように「精神せいしん医療いりょう精神せいしん病院びょういん中身なかみ改善かいぜん」の方向ほうこうかったといえるだろう。しかし、一方いっぽう精神せいしん障害しょうがいしゃ社会しゃかいてき要因よういん存在そんざいへの着眼ちゃくがんてんたこと、すなわち医学いがくがわから社会しゃかいをまなざし、「精神病せいしんびょう」というレッテルをられることづけられることで病者びょうしゃがこうむる「害悪がいあく」への視点してん、そして医療いりょう社会しゃかいとの関係かんけいきにはかたれないことを明確めいかくにしたてんでは、はん精神せいしん医学いがく成果せいかともいえるであろう。

文献ぶんけん
秋元あきもとなみ留夫とめお,1976,『精神せいしん医学いがくはん精神せいしん医学いがく金剛こんごう出版しゅっぱん
David Cooper,1967,Psychiatry and Anti-Psychiatry,Tavistock Publications London.
笠原かさはらよしみ,1976,「レインのはん精神せいしん医学いがくについて」『臨床りんしょう精神せいしん医学いがく』5(5), 675-682.
北西ほくせい憲二けんじ小谷おたに英文ひでふみ池淵いけぶち恵美えみ磯田いそだ雄二郎ゆうじろう武井たけい麻子あさこ西川にしかわ昌弘まさひろ西村にしむらかおるへん,2003,『集団しゅうだん精神療法せいしんりょうほう基礎きそ用語ようご金剛こんごう出版しゅっぱん
Laing.R.D,1960a,The Divided Self. An Existential Study in Sanity and Madness Tavistock Publications Ltd London.(=1971,阪本さかもと健二けんじ志貴しき春彦はるひこ笠原かさはらよしみやく『ひきかれた自己じこ』みすず書房しょぼう.→参照さんしょうは1974年版ねんばん
――――,1960b,Self and Others, Tavistock Publications London.(=1975,志貴しきはる笠原かさはらよしみやく自己じこ他者たしゃ』みすず書房しょぼう.→参照さんしょうは1998年版ねんばん
――――,1967,The Politics of Experience and the Bird of Paradise,Tavistock Publications London.(=1973,笠原かさはらよしみ塚本つかもとよしみことぶきやく経験けいけん政治せいじがく』みすず書房しょぼう.)
――――,1969,The Politics of the Family,Tavistock Publications London.(=1979,阪本さかもと良男よしお笠原かさはらよしみやく家族かぞく政治せいじがく』みすず書房しょぼう.)
Laing.R.D and Esterson.A,1964,Sanity, madness and the family,Tavistock Publications London.(=1972,笠原かさはらよしみつじ和子かずこやく狂気きょうき家族かぞく』みすず書房しょぼう.)
日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい, 1969,「だい66かい日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい議事ぎじろく」『日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい』71(11) : 1029-1206.
――――,1976,「だい72かい日本にっぽん精神せいしん神経しんけい学会がっかい総会そうかい特集とくしゅう(U)戦後せんご日本にっぽん精神せいしん医療いりょう医学いがく反省はんせいさい検討けんとう――今後こんご展望てんぼうをひらくために――」78(4):.249-379.
T.S.Szasz,1970,Ideology and Insanity――Essay on the Psychiatric Dehumanization of Man,ed.A Doubleday Anchor 1970.(=1975,石井いしいあつし広田ひろたおっとやく狂気きょうき思想しそう――人間にんげんせい剥奪はくだつする精神せいしん医学いがく――』新泉しんいずみしゃ.)
たいひろ,1993,『だれふうたか』星和せいわ書店しょてん


UP:20090905 REV:20090921
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