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阿部 あかね「1970年代日本の精神医療改革運動に与えた「反精神医学」の影響」
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阿部 あべ あかね「1970年代 ねんだい 日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう に与 あた えた「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」の影響 えいきょう 」
障害 しょうがい 学会 がっかい 第 だい 6回 かい 大会 たいかい ・
報告 ほうこく 要旨 ようし 於:
立命館大学 りつめいかんだいがく
20090927
◆報告 ほうこく 要旨 ようし
阿部 あべ あかね (立命館大学 りつめいかんだいがく 大学院 だいがくいん 先端 せんたん 総合 そうごう 学術 がくじゅつ 研究 けんきゅう 科 か )
「1970年代 ねんだい 日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう に与 あた えた「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」の影響 えいきょう 」
日本 にっぽん における精神 せいしん 医療 いりょう は1969年 ねん 5月 がつ の日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 総会 そうかい (金沢 かなざわ 学会 がっかい )の紛糾 ふんきゅう をきっかけに、従来 じゅうらい の精神 せいしん 医療 いりょう や体制 たいせい の反省 はんせい と見直 みなお しが行 おこな われ、精神 せいしん 医療 いりょう 全般 ぜんぱん への改革 かいかく 運動 うんどう へと発展 はってん してゆく。まず、この学会 がっかい で議論 ぎろん された大学 だいがく 精神 せいしん 科 か 医局 いきょく 制度 せいど の解体 かいたい 問題 もんだい は、大学 だいがく 医局 いきょく が教授 きょうじゅ を頂点 ちょうてん としたヒエラルキー構造 こうぞう があり、それが無給 むきゅう 医 い をはじめとした構造 こうぞう 下部 かぶ の犠牲 ぎせい のうえに成 な り立 た っていることを指摘 してき したものである。しかし、それはたんに大学 だいがく 医局 いきょく 内 ない だけの問題 もんだい にとどまるのではなく、日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 構造 こうぞう において、その下 した に医療 いりょう 従事 じゅうじ 者 しゃ が、そして一番 いちばん 下 か に精神病 せいしんびょう 患者 かんじゃ が位置 いち づけられる階級 かいきゅう 構造 こうぞう 、すなわち差別 さべつ 抑圧 よくあつ 構造 こうぞう であることを糾弾 きゅうだん したものであった。その後 ご 保安 ほあん 処分 しょぶん 新設 しんせつ 阻止 そし 、悪徳 あくとく 精神 せいしん 病院 びょういん の告発 こくはつ などがなされてゆくのだが、この時期 じき 、患者 かんじゃ の自由 じゆう と人権 じんけん 保護 ほご に主眼 しゅがん を置 お いた医療 いりょう 体制 たいせい への改革 かいかく が議論 ぎろん されたといえる。
そのような中 なか 、従来 じゅうらい の伝統 でんとう 的 てき 精神 せいしん 医学 いがく への異議 いぎ 申 もう し立 た てとしての「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」の思想 しそう がイギリスを中心 ちゅうしん に発生 はっせい し、日本 にっぽん にも紹介 しょうかい されることとなった。その旗手 きしゅ といえるR・D・レインとD・クーパーは、分裂 ぶんれつ 病 びょう の心 しん 因 いん 論 ろん を家族 かぞく 研究 けんきゅう に求 もと めたほかに、分裂 ぶんれつ 病 びょう の社会 しゃかい 共謀 きょうぼう 因 いん モデル(狂気 きょうき を病気 びょうき に仕立 したて て上 あ げるために、社会 しゃかい の成員 せいいん が暴力 ぼうりょく をふるい「精神病 せいしんびょう 」のレッテルを張 は った)を主張 しゅちょう した。
日本 にっぽん で展開 てんかい されていた精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく は、精神病 せいしんびょう 者 しゃ の自由 じゆう と人権 じんけん 保護 ほご に根差 ねざ した医療 いりょう の追求 ついきゅう が大 だい 目的 もくてき であったことから、この反 はん 精神 せいしん 医学 いがく がいう「社会 しゃかい 体制 たいせい の側 がわ からの抑圧 よくあつ された存在 そんざい 」という精神病 せいしんびょう 者 しゃ のとらえ方 かた に共鳴 きょうめい したと考 かんが える。しかし、レインやクーパーらが述 の べる家族 かぞく 研究 けんきゅう と分裂 ぶんれつ 病 びょう 論 ろん 、実践 じっせん 面 めん での<社会 しゃかい や医療 いりょう 者 しゃ 、患者 かんじゃ らが一体 いったい となったコミューンのごとき共同 きょうどう 生活 せいかつ >がそのまま踏襲 とうしゅう されたわけでもない。
そこで、本 ほん 研究 けんきゅう では、日本 にっぽん における精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう の中 なか で「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」思想 しそう がどのように採用 さいよう され、また採用 さいよう されなかったのかを整理 せいり し、現在 げんざい に続 つづ く日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう へ与 あた えた影響 えいきょう を考察 こうさつ したい。
◆報告 ほうこく 原稿 げんこう
1970年代 ねんだい 日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう に与 あた えた「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」の影響 えいきょう
立命館大学 りつめいかんだいがく 大学院 だいがくいん 先端 せんたん 総合 そうごう 研究 けんきゅう 科 か 阿部 あべ あかね
1、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく とは
「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく とは、一言 ひとこと でいえば、伝統 でんとう 的 てき 正統 せいとう 的 てき 主流 しゅりゅう 的 てき 精神 せいしん 医学 いがく の狂気 きょうき 観 かん に対 たい する根本 こんぽん 的 てき な異議 いぎ 申 もう し立 た てである。つまり伝統 でんとう 的 てき 精神 せいしん 医学 いがく が19世紀 せいき 以来 いらい 身体 しんたい 医学 いがく の枠組 わくぐ みや概念 がいねん をそのまま踏襲 とうしゅう し、『狂気 きょうき と正気 しょうき 』の問題 もんだい を純 じゅん 医学 いがく 的 てき 立場 たちば から考察 こうさつ し、狂気 きょうき イコール疾患 しっかん とみなしつづけてきたとしての異議 いぎ 申 もう し立 た てである」(笠原 かさはら 1976: 675)。つまり、従来 じゅうらい の精神 せいしん 医学 いがく の主流 しゅりゅう であった身体 しんたい の生物 せいぶつ 学 がく 的 てき 側面 そくめん や、精神 せいしん 分析 ぶんせき への研究 けんきゅう や治療 ちりょう アプローチを否 ひ とし、社会 しゃかい のひずみ――資本 しほん 主義 しゅぎ 構造 こうぞう が求 もと める効率 こうりつ 性 せい や合理 ごうり 性 せい ――の結果 けっか としてもたらされる階級 かいきゅう 制度 せいど ・疎外 そがい 構造 こうぞう というによって、「精神分裂病 せいしんぶんれつびょう 」とレッテルを貼 は られたにすぎない、精神病 せいしんびょう など存在 そんざい しないとする主張 しゅちょう である。
この新 あたら しい思想 しそう は、イギリスを中心 ちゅうしん とした欧米 おうべい で生 う まれるが、その代表 だいひょう 的 てき な論者 ろんしゃ としてR・D・レイン(英 えい )、D・クーパー(英 えい )がいる。ともに家族 かぞく 研究 けんきゅう を通 とお して、家族 かぞく の中 なか で精神分裂病 せいしんぶんれつびょう 者 しゃ が作 つく り出 だ されていくとの研究 けんきゅう が発端 ほったん であった。
2、実践 じっせん としてのキングスレィホール
では、精神病 せいしんびょう のレッテルをなくし、医療 いりょう における医師 いし や患者 かんじゃ といった役割 やくわり やヒエラルキーを取 と り払 はら い、患者 かんじゃ を開放 かいほう するという反 はん 精神 せいしん 医学 いがく を実践 じっせん するとはどのようなものなのだろうか。ここではレインが試 こころ みたキングスレィホールを紹介 しょうかい する。
キングスリーホールでは、患者 かんじゃ の著 いちじる しい退行 たいこう も許容 きょよう され、看護 かんご 師 し は対抗 たいこう した患者 かんじゃ におむつをあてがい、哺乳 ほにゅう 瓶 びん でミルクを飲 の ませ、身体 しんたい を拭 ふ いてやった。毎夜 まいよ 9時半 じはん になるとレインによって取 と り仕切 しき られるディナーが始 はじ まり、長 なが いテーブルを囲 かこ んでレインが哲学 てつがく 、医学 いがく 、宗教 しゅうきょう などについて説 と いたという。真夜中 まよなか にはテーブルを取 と り払 はら い、夜明 よあ けまで自由 じゆう なダンスが繰 く り広 ひろ げられた。キングスリーホールはロンドンの反 はん 体制 たいせい 文化 ぶんか 活動 かつどう の中心 ちゅうしん となり、若 わか い精神 せいしん 医学 いがく 者 しゃ たちだけではなく、ロック・グループ、実験 じっけん 的 てき 演劇 えんげき グループ、画家 がか 、詩人 しじん 、反 はん 体制 たいせい 派 は の学生 がくせい など多 おお くの有名 ゆうめい ・無名 むめい の人々 ひとびと の溜 た まり場 ば となった。(北西 ほくせい ・小谷 おたに ・池 いけ 淵 ふかし ・磯田 いそだ ・武井 たけい ・西川 にしかわ ・西村 にしむら 編 へん ・武井 たけい 担当 たんとう 2003: 146)。
実験 じっけん としての試 こころ みだったとはいえ、従来 じゅうらい の精神 せいしん 病院 びょういん の姿 すがた とはかけ離 はな れたものであったことは間違 まちが いない。このような実践 じっせん が許容 きょよう されたイギリスにはそれなりの下地 したじ があったようだ。臺 だい は「イギリスでは、福祉 ふくし 国家 こっか の理念 りねん が早 はや くから行 い き渡 わた っていたので、国民 こくみん 保険 ほけん サービス(NHS)の傘 かさ の下 した に精神病 せいしんびょう 者 しゃ の脱 だつ 施設 しせつ 化 か と地域 ちいき 医療 いりょう が進 すす んでおり、治療 ちりょう 共同 きょうどう 体 たい の試 こころ みもなされていた。そこで、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の主張 しゅちょう も現実 げんじつ 的 てき な提案 ていあん になるなら、それを受 う け止 と めるだけのゆとりがあった(臺 だい 1993: 213)」と説明 せつめい している。イギリスでは精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ の脱 だつ 施設 しせつ 化 か 、地域 ちいき 医療 いりょう という方向 ほうこう 性 せい がすでに明確 めいかく であり、その方法 ほうほう としての治療 ちりょう 共同 きょうどう 体 たい の延長線 えんちょうせん 上 じょう にあるものとして許容 きょよう できたということである。
3、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく ・日本 にっぽん への導入 どうにゅう
3‐1 日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう 背景 はいけい
1970年 ねん 前後 ぜんこう の日本 にっぽん の精神 せいしん 医 い 学会 がっかい は、精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく の火 ひ ぶたを切 き ったともいえる1969年 ねん の日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい (金沢 かなざわ 大会 たいかい )を皮切 かわき りに、それまでの精神 せいしん 医療 いりょう の内容 ないよう や体制 たいせい 構造 こうぞう のあり方 かた をめぐって大 おお きく揺 ゆ れていた時期 じき である。この時期 じき に反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の思想 しそう が日本 にっぽん にも広 ひろ がった。
3‐2 反 はん 精神 せいしん 医学 いがく への関心 かんしん の高 たか まり
この1969年 ねん の日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい (金沢 かなざわ 大会 たいかい )は、そもそも精神 せいしん 科 か 医 い の問題 もんだい としての認定 にんてい 医 い 制度 せいど をめぐって紛糾 ふんきゅう したのだが、それだけにとどまらずこれを契機 けいき にその後 ご 、保安 ほあん 処分 しょぶん 問題 もんだい を中心 ちゅうしん とする社会 しゃかい 防衛 ぼうえい 的 てき 精神 せいしん 医療 いりょう 体制 たいせい と保安 ほあん 処分 しょぶん 新設 しんせつ 阻止 そし 、悪徳 あくとく 精神 せいしん 病院 びょういん の告発 こくはつ 、精神 せいしん 外科 げか ・ロボトミー批判 ひはん や低 てい 医療 いりょう 費 ひ 政策 せいさく に基 もと づく病院 びょういん 統廃合 とうはいごう の動 うご き、など次々 つぎつぎ に問題 もんだい 提起 ていき がなされ議論 ぎろん が続 つづ けられてゆくことになる。
反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 論 ろん 者 しゃ の主張 しゅちょう はそれぞれに違 ちが いはあるものの、“既成 きせい の精神 せいしん 医学 いがく のありようへの異議 いぎ 申 もう し立 た て”という点 てん においては一致 いっち しており、そしてそれは日本 にっぽん の精神 せいしん 医学 いがく 界 かい の動向 どうこう と同 おな じといえた。そして日本 にっぽん においては反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の思想 しそう は、それら精神 せいしん 医療 いりょう 改革 かいかく 運動 うんどう を結 むす びついたという点 てん で欧米 おうべい とは違 ちが ったのである。
4、クーパーとサズの来日 らいにち
1975年 ねん 5月 がつ 12・13・14日 にち 東京 とうきょう において第 だい 72回 かい 日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 総会 そうかい が行 おこな われた。ここに、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の旗手 きしゅ ともいえるD・クーパーとT・サズが招 まね かれて講演 こうえん を行 おこな う。
サズは、ここでも従来 じゅうらい からの反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の総論 そうろん といえる主張 しゅちょう を繰 く り返 かえ す。
@精神分裂病 せいしんぶんれつびょう の症状 しょうじょう といわれている現象 げんしょう があることは認 みと めるが、精神分裂病 せいしんぶんれつびょう なるものは存在 そんざい しない。なぜなら、精神分裂病 せいしんぶんれつびょう の診断 しんだん は「行動 こうどう 上 じょう の諸 しょ 症状 しょうじょう 」を基礎 きそ に行 い っているものであり、はっきりした細胞 さいぼう 上 じょう の病理 びょうり などを示 しめ されていないからである。精神分裂病 せいしんぶんれつびょう とは絶対 ぜったい 的 てき ・科学 かがく 的 てき な研究 けんきゅう の結果 けっか ではなく倫理 りんり 的 てき ・政治 せいじ 的 てき な判断 はんだん によって生 しょう じたものである。すなわち発見 はっけん されたものではなく、社会 しゃかい 的 てき に構成 こうせい され考 かんが えだされたものであるとする。症状 しょうじょう はあるが病因 びょういん は不明 ふめい のまま作為 さくい 的 てき な病名 びょうめい だけが与 あた えられているとする従来 じゅうらい の反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の主張 しゅちょう である。
Aサズはこのような精神分裂病 せいしんぶんれつびょう が社会 しゃかい 的 てき なものであるという前提 ぜんてい にたち、患者 かんじゃ の市民 しみん 権 けん や法的 ほうてき 権利 けんり において人権 じんけん 侵害 しんがい がなされていることにふれる。
B医学 いがく 一般 いっぱん と精神 せいしん 医学 いがく を対比 たいひ し、医師 いし と患者 かんじゃ 関係 かんけい についてのべている。自由 じゆう な資本 しほん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい において、精神 せいしん 医学 いがく の需要 じゅよう と供給 きょうきゅう 、すなわち検査 けんさ や診断 しんだん 、治療 ちりょう といったものは当事 とうじ 者 しゃ である医師 いし か患者 かんじゃ のどちらかが拒否 きょひ すれば成立 せいりつ しないはずである。しかし、「伝統 でんとう 的 てき なにおいては、医師 いし は患者 かんじゃ の代理 だいり 行為 こうい 者 しゃ であるが、伝統 でんとう 的 てき なにおいては、医師 いし は社会 しゃかい の代理 だいり 行為 こうい 者 しゃ 」(傍点 ぼうてん は筆者 ひっしゃ )であるという現実 げんじつ 上 じょう 、医師 いし によって患者 かんじゃ が精神分裂病 せいしんぶんれつびょう の診断 しんだん 名 めい を冠 かん されてしまうことにより、患者 かんじゃ はどのように危険 きけん なのかも明確 めいかく でないまま危険 きけん 視 し され、患者 かんじゃ の意思 いし に反 はん しても施設 しせつ に監禁 かんきん することが精神 せいしん 医学 いがく にも必要 ひつよう で法的 ほうてき にも正当 せいとう 化 か されていること、また患者 かんじゃ はその診断 しんだん や診断 しんだん 過程 かてい 、診断 しんだん によって正当 せいとう 化 か された治療 ちりょう を拒否 きょひ することができず、そのような同意 どうい を得 え ないままの診断 しんだん や治療 ちりょう が行 おこな われていることは暴行 ぼうこう に等 ひと しいとのべられる(日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 1976: 308)。
Cそうしたうえで、分裂 ぶんれつ 病 びょう の問題 もんだい を解決 かいけつ するのは「医学 いがく 的 てき な研究 けんきゅう であるよりも、むしろ分裂 ぶんれつ 病 びょう 患者 かんじゃ の行動 こうどう を哲学 てつがく 的 てき ・道徳 どうとく 的 てき ・法律 ほうりつ 的 てき な観点 かんてん から再 さい 検討 けんとう するということである。」と展望 てんぼう する。つまり、「悩 なや むことと病気 びょうき の相違 そうい 、個人 こじん 的 てき な(誤 あやま った)行動 こうどう と病態 びょうたい 生理学 せいりがく 的 てき な機能 きのう 障害 しょうがい との相違 そうい 、治療 ちりょう と規制 きせい を加 くわ えることの相違 そうい を明 あき らかにしたうえで、精神 せいしん 科 か 医 い は患者 かんじゃ に対 たい して何 なに を行 おこな うのか」(日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 1976: 297)という問題 もんだい の方向 ほうこう 性 せい を指 さ ししたといえる。
次 つぎ にクーパーもサズと同様 どうよう 「精神分裂病 せいしんぶんれつびょう など存在 そんざい しない」と前置 まえお きしたうえで講演 こうえん を始 はじ めている。クーパーは自身 じしん の理論 りろん の出発 しゅっぱつ 点 てん である“家族 かぞく ”研究 けんきゅう についてふれている。「精神分裂病 せいしんぶんれつびょう は一人 ひとり 個人 こじん の内部 ないぶ で生起 せいき するものではなく、複数 ふくすう の人間 にんげん の間 あいだ で生起 せいき する」ものであり、その「複数 ふくすう の人間 にんげん 」に値 あたい するのが家族 かぞく である。レインやエスターソンの家族 かぞく 研究 けんきゅう も引 ひ き合 あ いに出 だ しつつ、精神分裂病 せいしんぶんれつびょう を多 おお くは家族 かぞく 内部 ないぶ において「他 た 者 しゃ によって無 む 価値 かち 化 か され、彼 かれ は選 よ りぬかれ、一定 いってい のやり方 かた で『精神 せいしん 的 てき に病的 びょうてき 』と決 き められるに至 いた る」(日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 1976: 316-321)という。クーパーは「家族 かぞく 」はマクロな社会 しゃかい につながるミクロ社会 しゃかい ととらえている。ゆえに、クーパーは「家族 かぞく 」を「ブルジョア社会 しゃかい の疎外 そがい 的 てき な服従 ふくじゅう ・順応 じゅんのう 主義 しゅぎ 体制 たいせい を、単 たん に媒介 ばいかい するもの」と名指 なざ している。
5、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 反対 はんたい 派 は の理論 りろん ――秋元 あきもと 波留 はる 夫 おっと より
反 はん 精神 せいしん 医学 いがく は従来 じゅうらい の精神 せいしん 医療 いりょう 体制 たいせい への異議 いぎ 申 もう し立 た てであったことはのべたが、その体制 たいせい 側 がわ にたつ秋元 あきもと は、明確 めいかく に反 はん 精神 せいしん 医学 いがく を批判 ひはん する。
秋元 あきもと の議論 ぎろん の出発 しゅっぱつ 点 てん と終着 しゅうちゃく 点 てん は、狂気 きょうき の実存 じつぞん をどう考 かんが えるのかということにある。
@反 はん 精神 せいしん 医学 いがく がいう、患者 かんじゃ が資本 しほん 主義 しゅぎ 社会 しゃかい による抑圧 よくあつ 構造 こうぞう の犠牲 ぎせい 者 しゃ であるとすれば「“反 はん 精神 せいしん 科 か 医 い ”は革命 かくめい 運動 うんどう のうちに自己 じこ を解消 かいしょう せざるを得 え ないことになる」(秋元 あきもと 1976: 223)とのべる。すなわち、狂気 きょうき の原因 げんいん をその患者 かんじゃ 個人 こじん ではなく社会 しゃかい に求 もと めるのであるならば、社会 しゃかい 変革 へんかく 以外 いがい に道 みち はないのではないかというのである。
A秋元 あきもと はレインのキングスレィホールの実践 じっせん を例 れい に取 と り、そこでおこったさまざま問題 もんだい ――地域 ちいき 近隣 きんりん での盗 ぬす みや侵入 しんにゅう 、排泄 はいせつ 物 ぶつ を塗 ぬ りたくった臭気 しゅうき 、妄想 もうそう にとらわれた奇 き 怪 かい な行動 こうどう 、器物 きぶつ 破損 はそん 、ヘロインの蔓延 まんえん 、放火 ほうか 等 とう ――に触 ふ れ、秋元 あきもと は「レインの治療 ちりょう 共同 きょうどう 体 たい ではどうしようもなく、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく が“強制 きょうせい 収容 しゅうよう 所 しょ ”であるとして告発 こくはつ するところの“精神 せいしん 病院 びょういん ”が必要 ひつよう であること、さらに、また、もっと重要 じゅうよう なことは、分裂 ぶんれつ 病 びょう が一片 いっぺん のレッテルなんぞではなく、ましてそれは“超越 ちょうえつ 的 てき 旅立 たびだ ち”なんていう優雅 ゆうが な文学 ぶんがく 的 てき 状況 じょうきょう ではさらさらなく、れっきとした異常 いじょう であり、病気 びょうき であることを、“キングスレイ・ホールが実践 じっせん の上 うえ で教 おし えていることである」(秋元 あきもと 1976: 208)とのべている。
B「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく がなし得 え たことは単 たん に分裂 ぶんれつ 病 びょう のレッテルをはがすことの要求 ようきゅう 」(秋元 あきもと 1976: 220)とし、たとえ結果 けっか としてレッテルがはがれることがあったとしても、自由 じゆう で抑圧 よくあつ のない社会 しゃかい があったとしても、狂気 きょうき そのものは存在 そんざい するし、精神 せいしん 科 か 医 い であるならばそれを治療 ちりょう するのは宿命 しゅくめい だと揶揄 やゆ するのである。
Cしかし、そのうえで秋元 あきもと は、“そうではない別 べつ の反 はん 精神 せいしん 医学 いがく ”の意味 いみ と方向 ほうこう を提示 ていじ しているのは興味深 きょうみぶか い。秋元 あきもと も、当時 とうじ の現状 げんじょう として多 おお くの悪徳 あくとく 精神 せいしん 病院 びょういん や法体 ほうたい 制 せい のもとで薬 くすり 漬 づ け医療 いりょう や懲罰 ちょうばつ 的 てき な電気 でんき ショック療法 りょうほう や人権 じんけん 無視 むし の処遇 しょぐう など患者 かんじゃ が劣悪 れつあく な環境 かんきょう 下 か に置 お かれていることは認 みと めており、そのような医療 いりょう を否定 ひてい せねばならないと考 かんが えている。それこそが本来 ほんらい の“反 はん 精神 せいしん 医学 いがく ”状況 じょうきょう であり、それを脱 だっ することこそがめざす方向 ほうこう だと主張 しゅちょう する。い換 いか えれば、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 者 しゃ たちのように精神 せいしん 医学 いがく そのものを否定 ひてい したり、社会 しゃかい 体制 たいせい を非 ひ とするのではなく、現状 げんじょう の体制 たいせい 下 か で劣悪 れつあく な精神 せいしん 医療 いりょう が蔓延 まんえん している状況 じょうきょう こそが、本来 ほんらい 患者 かんじゃ を癒 いや し治療 ちりょう するそもそもの精神 せいしん 医学 いがく に反 はん している、という意味 いみ での「反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 」状況 じょうきょう であるから、その医療 いりょう を改善 かいぜん することが目指 めざ すべき方向 ほうこう 性 せい だというのである(秋元 あきもと 1976: 193-194)。
6、むすび
結果 けっか として、その後 ご 世界 せかい 的 てき にも、また大 おお きな関心 かんしん を集 あつ めた日本 にっぽん でも反 はん 精神 せいしん 医学 いがく は衰退 すいたい していった。「精神分裂病 せいしんぶんれつびょう は存在 そんざい しない、だから精神 せいしん 病院 びょういん は要 い らない」とする反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の主張 しゅちょう のとおりにはならなかった。日本 にっぽん の多 おお くの精神 せいしん 科 か 医 い たちが問題 もんだい にした、精神 せいしん 病院 びょういん に患者 かんじゃ を拘束 こうそく しているという現実 げんじつ への改善 かいぜん 策 さく には結 むす びつかなかったからである。そして、結果 けっか とすれば、反対 はんたい 派 は の秋元 あきもと が述 の べたように「精神 せいしん 医療 いりょう と精神 せいしん 病院 びょういん の中身 なかみ の改善 かいぜん 」の方向 ほうこう に向 む かったといえるだろう。しかし、一方 いっぽう で精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ を取 と り巻 ま く社会 しゃかい 的 てき 要因 よういん の存在 そんざい への着眼 ちゃくがん 点 てん を得 え たこと、すなわち医学 いがく 側 がわ から社会 しゃかい をまなざし、「精神病 せいしんびょう 」というレッテルを貼 は られること名 な づけられることで病者 びょうしゃ がこうむる「害悪 がいあく 」への視点 してん 、そして医療 いりょう が社会 しゃかい との関係 かんけい 抜 ぬ きには語 かた れないことを明確 めいかく にした点 てん では、反 はん 精神 せいしん 医学 いがく の成果 せいか ともいえるであろう。
文献 ぶんけん
秋元 あきもと 波 なみ 留夫 とめお ,1976,『精神 せいしん 医学 いがく と反 はん 精神 せいしん 医学 いがく 』金剛 こんごう 出版 しゅっぱん .
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北西 ほくせい 憲二 けんじ ・小谷 おたに 英文 ひでふみ ・池淵 いけぶち 恵美 えみ ・磯田 いそだ 雄二郎 ゆうじろう ・武井 たけい 麻子 あさこ ・西川 にしかわ 昌弘 まさひろ ・西村 にしむら 馨 かおる 編 へん ,2003,『集団 しゅうだん 精神療法 せいしんりょうほう の基礎 きそ 用語 ようご 』金剛 こんごう 出版 しゅっぱん .
Laing.R.D,1960a,The Divided Self. An Existential Study in Sanity and Madness Tavistock Publications Ltd London.(=1971,阪本 さかもと 健二 けんじ ・志貴 しき 春彦 はるひこ ・笠原 かさはら 嘉 よしみ 訳 やく 『ひき裂 さ かれた自己 じこ 』みすず書房 しょぼう .→参照 さんしょう は1974年版 ねんばん )
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――――,1967,The Politics of Experience and the Bird of Paradise,Tavistock Publications London.(=1973,笠原 かさはら 嘉 よしみ ・塚本 つかもと 嘉 よしみ 壽 ことぶき 訳 やく 『経験 けいけん の政治 せいじ 学 がく 』みすず書房 しょぼう .)
――――,1969,The Politics of the Family,Tavistock Publications London.(=1979,阪本 さかもと 良男 よしお ・笠原 かさはら 嘉 よしみ 訳 やく 『家族 かぞく の政治 せいじ 学 がく 』みすず書房 しょぼう .)
Laing.R.D and Esterson.A,1964,Sanity, madness and the family,Tavistock Publications London.(=1972,笠原 かさはら 嘉 よしみ ・辻 つじ 和子 かずこ 訳 やく 『狂気 きょうき と家族 かぞく 』みすず書房 しょぼう .)
日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい , 1969,「第 だい 66回 かい 日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 議事 ぎじ 録 ろく 」『日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 誌 し 』71(11) : 1029-1206.
――――,1976,「第 だい 72回 かい 日本 にっぽん 精神 せいしん 神経 しんけい 学会 がっかい 総会 そうかい 特集 とくしゅう (U)戦後 せんご 日本 にっぽん の精神 せいしん 医療 いりょう ・医学 いがく の反省 はんせい と再 さい 検討 けんとう ――今後 こんご の展望 てんぼう をひらくために――」78(4):.249-379.
T.S.Szasz,1970,Ideology and Insanity――Essay on the Psychiatric Dehumanization of Man,ed.A Doubleday Anchor 1970.(=1975,石井 いしい 毅 あつし ・広田 ひろた 伊 い 蘇 そ 夫 おっと 訳 やく 『狂気 きょうき の思想 しそう ――人間 にんげん 性 せい を剥奪 はくだつ する精神 せいしん 医学 いがく ――』新泉 しんいずみ 社 しゃ .)
臺 たい 弘 ひろ ,1993,『誰 だれ が風 ふう を見 み たか』星和 せいわ 書店 しょてん .