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平井佑典「授業困難と相談と配慮依頼のやり取りにまつわる当事者の関係のエピソード」
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平井ひらい たすくてん授業じゅぎょう困難こんなん相談そうだん配慮はいりょ依頼いらいのやりりにまつわる当事とうじしゃ関係かんけいのエピソード」

障害しょうがい学会がっかいだいかい大会たいかい報告ほうこく原稿げんこう 於:立命館大学りつめいかんだいがく
20090926


報告ほうこく原稿げんこう
シンポジウムT「障害しょうがい学生がくせい支援しえんかたる」

授業じゅぎょう困難こんなん相談そうだん配慮はいりょ依頼いらいのやりりにまつわる当事とうじしゃ関係かんけいのエピソード

 はじめまして、わたし和光大学わこうだいがく発達はったつ学科がっか4年生ねんせい平井ひらいたすくてんもうします。本日ほんじつは、貴重きちょうなシンポジウムにおまねきくださりまして、まことにありがとうございます。わたしは、大学だいがくいち年生ねんせい後期こうきごろに、発達はったつ障害しょうがいひとつであるADHDを病院びょういん診断しんだんされて、いくつかの困難こんなん問題もんだい現場げんばごとにかかえながら生活せいかつしております。
そこで本日ほんじつは、当事とうじしゃとして学内がくない体験たいけんなかから、授業じゅぎょうにおける困難こんなん配慮はいりょ依頼いらい、そのプロセスに内包ないほうされる困難こんなんとトラブル、具体ぐたいてき配慮はいりょ支援しえんについてのエピソードをご紹介しょうかいいたします。

 また、その内容ないようには、みっつの立場たちばちが登場とうじょう人物じんぶつてきます。授業じゅぎょう困難こんなんかかえるわたし授業じゅぎょうおこな配慮はいりょかんがえてくださる先生せんせいかた、そして、両者りょうしゃ相互そうご理解りかいのための協力きょうりょくしゃとなる発達はったつ障害しょうがいかんする専門せんもんてき知識ちしきった先生せんせいです。つまり、はなしなかでは、わたし自身じしんかかえる問題もんだいのひとつに側面そくめんてながら、関係かんけいするまわりの先生せんせいかた第三者だいさんしゃてき立場たちば専門せんもんとのやりりを紹介しょうかいしていくことになります。

 それを本日ほんじつ、このでおはなしすることで、ぜひ皆様みなさま当事とうじしゃ問題もんだいまわりの協力きょうりょくしゃとの関係かんけいについて、さまざまな角度かくど視点してんから一緒いっしょかんがえていけたらとおもいます。では、よろしくおねがいいたします。

 さて、まずは、授業じゅぎょう先生せんせいとのやりりでしょうじる困難こんなんについておはなしいたします。わたしは、学業がくぎょうにおいては90ぶん講義こうぎ形式けいしき授業じゅぎょうつづけることが大変たいへんであったり、課題かだいやそのとき内面ないめん状況じょうきょうによっては成果せいかせたりせなかったり、また、日頃ひごろ生活せいかつてきなコントロールもふくめて、学校がっこうけたりけなかったりということがあります。

 そして、大学だいがく生活せいかつは、日々ひび授業じゅぎょうおおきな割合わりあいめているとおもうのですが、わたしは、とく困難こんなんかんじる授業じゅぎょうにおいては、事前じぜん先生せんせいかたに、相談そうだんをするようにしています。たとえば、先生せんせい研究けんきゅうしつったさいには「自分じぶんはADHDを診断しんだんされています。授業じゅぎょう履修りしゅう条件じょうけんたせるように課題かだいをこなそうとしているのですが、どうも上手うまくいきません。それでも学習がくしゅう意欲いよくはあります。そこで、なに履修りしゅう条件じょうけんたしつつ、形式けいしきえて学習がくしゅうができるような課題かだいをおねがいします」というようなことをいます。

 しかし、このような相談そうだんでは、先生せんせいかた困惑こんわくされることがおおいようにおもいます。どうしても困難こんなん問題もんだいがつかみきれておらず、どのようなやりかた相手あいて先生せんせい依頼いらいしているのか、ということが不明瞭ふめいりょうになってしまうからです。相談そうだんした先生せんせいによっては「じゃあ、わりの課題かだいすから、とりあえず、やってみますか?」など、個人こじんてきなご配慮はいりょをしてくださるようなことはありました。

 和光大学わこうだいがくは、障害しょうがい支援しえんたいしての独自どくじ歴史れきし伝統でんとうがある学校がっこうらしく、また、教職員きょうしょくいん支援しえんたいしての意識いしき非常ひじょうたかいときます。ですから、わたしたいしても、どの先生せんせいかた問題もんだいないがしろにすることはけっしてありませんでした。

 ただ、わたしとしては、課題かだいをいただいたことにかんしてのおれいうとともに、結局けっきょく、それで上手うまくいくかどうかもわからないなぁ…と見通みとおしのてない不安ふあん気持きもちで研究けんきゅうしつのちにすることがおおいです。

 ちなみに、こうした相談そうだん毎年まいとし、10科目かもく前後ぜんこうかえします。これは、すべての授業じゅぎょうではなく、あくまでも困難こんなん必要ひつようかんじる授業じゅぎょう厳選げんせんした結果けっか科目かもくすうです。和光大学わこうだいがくないでは、発達はったつ障害しょうがいかんして、支援しえん枠組わくぐみや具体ぐたいてきみが確立かくりつされていない状況じょうきょうですから、わたし問題もんだいにおいてもそれぞれの職員しょくいんかた個別こべつ対応たいおうをおねがいすることになります。それで相談そうだん依頼いらい交渉こうしょうをすることは、学内がくないのあらゆる場面ばめん必要ひつようになってきますが、先生せんせいかたとの授業じゅぎょうかんする相談そうだんというのはむずかしく、またプレッシャーをかんじるものです。

 わたし自身じしんが、成果せいかせるときせないとき、できない理由りゆうなどを把握はあくしきれない部分ぶぶんもあり、また、まわりのひとにもそれらが、よくわからないことが理由りゆうのひとつにあるとおもいます。実際じっさい適切てきせつ相談そうだん出来できない状況じょうきょうで、上手うまくいかない結果けっかのこり、仕方しかたないことですがそれで評価ひょうかされてしまうこともあります。たとえば、りのおくれ、まとまりのないレポート、授業じゅぎょう欠席けっせきつづき、連絡れんらくもよこさない…などの結果けっかからの評価ひょうかです。

 また、わたし教員きょういんとのやりりにおいては、わたし特有とくゆう感覚かんかくてき説明せつめい、それを表現ひょうげんする言葉ことばづかい、態度たいどなどから、つたえたいことが上手うまつたわらずにトラブルがきてしまうこともあります。はしてきうとやりりによっては、「サボるな」「障害しょうがいげにするな」「自己じこちゅうだ」「相談そうだんするくせに、えらそうだ」「無礼ぶれいだ」などのことを直接ちょくせつ、あるいはメールなどでわれてしまいます。

 わたしは、表面ひょうめんてきには困難こんなんがあるようにはえないのに成果せいかせないことがあり、また、その背景はいけいえにくいことから、よく怠惰たいだ指摘してきされてしまうのです。また、怠惰たいだなどを指摘してきされるなかにあっても、わたしは、問題もんだい相対そうたいしてかんがえる部分ぶぶんがあります。自分じぶんのことを指摘してきされているのにもかかわらず、どこかよそごとふうえてしまうようです。どうも、ADHDの認知にんち特性とくせい関連かんれんしているらしいですが、状況じょうきょうなかのいろいろなところにどうしても注意ちゅういくので、進行しんこうちゅう碁盤ごばんながめるようなもの見方みかたで、自分じぶん相手あいて先生せんせい課題かだいみを位置いちづけながら意見いけんをいいます。そうした言動げんどうから、配慮はいりょをしている立場たちば先生せんせい不快ふかいにしてしまうこともあるようです。すると、態度たいどが「うえから目線めせんえらそうだ」ということになってしまいます。

 これらの指摘してきけることは、ひどくわたし精神せいしんてき消耗しょうもうさせてしまいます。どうしても、無力むりょくかん理解りかいされないかなしさやくやしさ、あるいはそうした言葉ことばたいするいかりなどの感情かんじょうまらなくなってしまいます。切羽詰せっぱつまって努力どりょくをしているからこそ、なかなかゆるせない言葉ことばがあり、過敏かびん反応はんのうしてしまうのです。

 そして場合ばあいによっては、その先生せんせいとの相談そうだん上手うま継続けいぞくすることができなくなってしまいます。そうしたときは、先生せんせいからすれば、わたし一方いっぽうてき音信いんしん不通ふつうになってしまうでしょう。もちろん、単位たんいなどもとすことになります。

 このようにADHDの困難こんなんゆうするわたしと、大学だいがく先生せんせいあいだでのやりりや関係かんけいには、色々いろいろ問題もんだいきてしまうようです。そうした問題もんだい対処たいしょ考察こうさつ着眼ちゃくがんてん色々いろいろあるとおもいます。まずは、わたし実際じっさいてき相談そうだんスキルを訓練くんれん向上こうじょうすることや、学校がっこうがわ教職員きょうしょくいん適切てきせつ理解りかい配慮はいりょ認識にんしきつこと、などの双方そうほうみが、相互そうご理解りかいのためには必須ひっす条件じょうけんだとおもいます。

 とはえ、学校がっこうにおける当事とうじしゃ立場たちばとしては、あるいは、学生がくせい教員きょういんという関係かんけいにおいては、当然とうぜんわたしほうがいくつかのめん立場たちばよわく、基本きほんてきには、ひたすら自分じぶん出来でき努力どりょく工夫くふうつづけるしかありませんでした。ですが、3年生ねんせいまでの大学だいがく生活せいかつにおいて、4年生ねんせいでの卒業そつぎょうがほとんど絶望ぜつぼうてき単位たんいしかれなかったときには、途方とほうにくれてしまいました。このような生活せいかつなんねんつづくならば、いっそのこと、大学だいがくをあきらめてべつ進路しんろえらんだほうがよいのでは、ともかんがえました。

 そのことは、ゼミの臨床りんしょう発達はったつ心理しんりがくせんもん先生せんせい相談そうだんしました。わたしのこれまでの実践じっせん困難こんなん葛藤かっとうなどをはなしながら、4年生ねんせいをどうごすかを一緒いっしょかんがえていただきました。
 結果けっか大学だいがく支援しえんとしては非公式ひこうしきでありながらも実践じっせんてきこころみとして、わたし授業じゅぎょうごとの先生せんせいかたとの相談そうだん円滑えんかつにするためのご協力きょうりょくをいただけることになりました。わたしも、もう1ねん頑張がんばろうとおもいました。おそらくは、発達はったつ障害しょうがい支援しえん体系たいけいのない大学だいがくないにおいて、研究けんきゅうてきにコーディネータの役割やくわりってていただいているということかとおもいます。

 ゼミの先生せんせいにいただく具体ぐたいてき協力きょうりょくよっつあります。相談そうだんのスケジュールや方針ほうしん調整ちょうせい相談そうだんようメールの文面ぶんめん添削てんさく相談そうだんときもちいる障害しょうがい特徴とくちょうなどの文書ぶんしょ作成さくせい相談そうだんさき先生せんせいとのあいだにトラブルがきたさい仲裁ちゅうさい、になります。

 なお、4つ仲裁ちゅうさいというのは、つまり、さきほどおはなししたように、わたしはどうも相談そうだんさき先生せんせいとミスコミュニケーションからのトラブルをこすことがあるので、適切てきせつ相互そうご理解りかいができるように調整ちょうせいをしていただく、ということになります。実際じっさいに、今年ことし相談そうだん相手あいて先生せんせいに、わたし感覚かんかくてき困難こんなんかんして、上手うまつたわらなかったときに、説明せつめい手助てだすけしていただいたり、ぎゃくに、わたしにとってわかりにくい、相手あいて先生せんせい立場たちば意見いけんを、くだいて説明せつめいしていただいたり、ということがありました。そのときには、大変たいへんたすかりました。

 また、ゼミの先生せんせいは、わたしたいして、ゼミの指導しどう教員きょういんとしての立場たちばからだけではなく、支援しえん形作かたちづくるための学内がくない実践じっせん研究けんきゅう一環いっかんとして、色々いろいろ提案ていあん協力きょうりょくをしてくださいます。ですから、たとえば、このようなわたし相談そうだん相手あいて先生せんせいとのやりりも、いったん現場げんばはなれて、ゼミの先生せんせい一緒いっしょ検討けんとうくわえることができます。その過程かていでは、学生がくせい教員きょういんという枠組わくぐみをはなれ、学内がくないでの支援しえん構築こうちく観点かんてんから当事とうじしゃ問題もんだい対策たいさくとしてかんがえていけるので、精神せいしんてき意味いみでも余裕よゆうができ、もうすこ頑張がんばろう、という気持きもちもてくるのです。
これらは障害しょうがい学生がくせい支援しえんでありながらも、わたしたいしての一方いっぽうてきなサポートではなく、わたしとゼミの先生せんせいあいだには、むしろ、学内がくない障害しょうがい学生がくせい支援しえんかたちをつくるための実践じっせんてき共同きょうどう研究けんきゅうのような位置いちづけもあるのではないか、とおもっています。

 …と、じつは、この内容ないようつくったときに、ゼミの先生せんせいにおたがいの関係かんけいについて部分ぶぶんのご確認かくにんをおねがいしたところ、先生せんせいは、そのでいきなりわらころげてしまいました。
先生せんせいいわく、「すでに、えらそうだ」とのことです。

 わたしには自覚じかくがなくよくわからなかったのですが、なるほど、たしかに先生せんせいにご協力きょうりょくをいただいている立場たちばでありながらも「共同きょうどう研究けんきゅうをしています」態度たいどは、えらそうととらえられても仕方しかたいかもれません。わたしは、さきほど、相談そうだんした先生せんせいには「相談そうだん態度たいどえらそうだ」とわれて、んだりしてしまう、といながら、またも、無自覚むじかくにそうした態度たいどってしまっているらしいです。

 もちろん、わたしえらそうにしているつもりはまったくなく、ゼミの先生せんせいにも、これまでの関係かんけいから、そうしたわたし内面ないめんもご理解りかいいただいているので、今回こんかいは、さいわいにもわらいごとでみました。しかし、日常にちじょうてき問題もんだいこるので、わたしとしてはまるで地雷じらい地帯ちたいあるいているようなもので、こまったものです。

 さて、ゼミの先生せんせいとの関係かんけいはなしにもどりますが、このように共同きょうどう研究けんきゅうてきに、あるいは「えらそうに」できることはわたしにとっては、とてもうれしいことがあります。

 なぜなら、わたしこまっていることをなんとかしなければ、とまず自分じぶん学生がくせい生活せいかつ問題もんだいだいいちんでいるのですが、さらに、そうした自分じぶん実践じっせんてき事例じれいを、大学だいがくのこ環境かんきょう改善かいぜんしていくのに役立やくだてたいともかんがえているからです。わたし身内みうち友人ゆうじんにも、おなじような困難こんなんほうもいるので、そうした人々ひとびとちからになりたい、いずれにせよ困難こんなんかかえる大学生だいがくせいちからになりたい、といつもおもうのです。また、学校がっこう全体ぜんたい役立やくだつことをかんがえることは、あちらこちらにひとやモノにくばわたし散漫さんまんてき性質せいしつてきしていて、非常ひじょう行動こうどうしやすい部分ぶぶんもあります。つまり、自分じぶん問題もんだいでありならも、俯瞰ふかんてき目線めせんで、それをやくかたちあつかうということが、自分じぶん感性かんせいくあうということなのです。

 ですから、わたしには、支援しえんをされている、という自覚じかくもあまりなく、むしろおたがいに協力きょうりょくっている、くらいの気持きもちで気軽きがるに、あるいは「えらそう」に、それゆえに、積極せっきょくてき現状げんじょう問題もんだいたいしての対処たいしょつづけていけるのです。
 なお、実際じっさいには、先生せんせいには大分おおいた、ご苦労くろうをおかけしているのはわかりますし、いつも感謝かんしゃはしております。

 さて、これで冒頭ぼうとうにおはなししたように、和光大学わこうだいがく舞台ぶたいにした、わたし授業じゅぎょう困難こんなん相談そうだん様相ようそう先生せんせいかたとの対応たいおう、コーディネータの役割やくわり、などの様相ようそう紹介しょうかいしたことになるとおもいます。これらのはなしは、まだまだ現在進行形げんざいしんこうけいはなしですから、いまのところ結論けつろんというか、としどころがありません。

 しかし、このをおりして発表はっぴょうすることで、当事とうじしゃ大学だいがくにおけるドラマのひとつが、具体ぐたいてき支援しえんかた目指めざすべき方向ほうこうせいとの関係かんけいなどとどのように位置いちづいていくのか、また、当事とうじしゃはどのような自覚じかくち、行動こうどうるべきなのか、などを、多様たよう側面そくめん観点かんてんからかんがえていき、そして、出来できれば、この共有きょうゆうしたことを、大学だいがくかえって、ふたた役立やくだてていきたいとかんがえておりますので、皆様みなさまかた、どうか、よろしくおねがいいたします。

わたしからの発表はっぴょう以上いじょうになります。ありがとうございました。


作成さくせい
UP:20090921 REV:20090930
全文ぜんぶん掲載けいさい  ◇障害しょうがい学会がっかいだい6かい大会たいかい  ◇障害しょうがい学会がっかいだい6かい大会たいかい報告ほうこく要旨ようし
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