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障害学会第12回大会(2015年度)報告要旨 | 桐原 尚之
 

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障害しょうがい学会がっかいだい12かい大会たいかい(2015年度ねんど報告ほうこく要旨ようし


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桐原きりはら 尚之なおゆき (きりはら なおゆき) 立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう

報告ほうこく題目だいもく

ニーズの社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅうと「精神病せいしんびょうしゃ当事とうじしゃせい──“クレイム”と“反逆はんぎゃく

報告ほうこくキーワード

クレイム / 反逆はんぎゃく / 当事とうじしゃ

報告ほうこく要旨ようし

 ほん報告ほうこくでは、当事とうじしゃ研究けんきゅうばれている“ニーズの社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅう”にたいして「精神病せいしんびょうしゃ運動うんどうになである吉田よしだおさみの主張しゅちょうから当事とうじしゃ概念がいねんさい構築こうちく必要ひつようであることを指摘してきする。なおほん報告ほうこくは、研究けんきゅう倫理りんり倫理りんりてき配慮はいりょについて所属しょぞく研究けんきゅうおよ指導しどう教員きょういん指導しどうけて作成さくせいした。
中西なかにし正司せいじ上野うえの千鶴子ちづこ(2000)によれば当事とうじしゃとは、特定とくていのニーズの主体しゅたいとなる立場たちばのことである。せきみずてっひらめ(2011)は、上野うえの当事とうじしゃろんたいして、
①(a)ニーズの帰属きぞく引受ひきうける主体しゅたいという動態どうたいてきなプロセスを視野しやれた当事とうじしゃ、(b)ニーズを判定はんていする位置いちとして第三者だいさんしゃ対比たいひされる当事とうじしゃ、(c)ニーズの帰属きぞく主体しゅたいとしての当事とうじしゃ、というみっつの用法ようほう混在こんざいしていること、
上野うえの否定ひていしたはずの属性ぞくせいによる当事とうじしゃ定義ていぎ密輸みつゆされていること、
指摘してきした (ちゅう1)。
 これにたいして上野うえの(2013)は、当事とうじしゃ定義ていぎ主観しゅかんてき定義ていぎ客観きゃっかんてき定義ていぎ分類ぶんるいし、属性ぞくせいによる当事とうじしゃ定義ていぎ客観きゃっかんてき定義ていぎ位置付いちづけたうえ両者りょうしゃ調停ちょうていするこころみが必要ひつようであるとした。具体ぐたいてきには、(a)当事とうじしゃ概念がいねん状況じょうきょう依存いぞんてきであるため当事とうじしゃによる状態じょうたい見立みたてからニーズ測定そくていをしていく、(b)ニーズは承認しょうにんニーズ、庇護ひごニーズ、要求ようきゅうニーズと類型るいけいされ当事とうじしゃによるクレイムからえるのは要求ようきゅうニーズである、(c)帰属きぞく主体しゅたいとしてのカテゴリーの行為こういによって当事とうじしゃ属性ぞくせい内面ないめんしていく、といったものである。ここでは、主体しゅたいという概念がいねんもちいられ、存在そんざいするカテゴリーへの従属じゅうぞくとカテゴリーの行為こうい主体しゅたい)を同義どうぎのものととらえられている(上野うえの 2013)。
 筆者ひっしゃは、上述じょうじゅつしたニーズの社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅうたいして一定いってい意義いぎみとめる。というのも「精神病せいしんびょうしゃ運動うんどうになである吉田よしだおさみ(1980)は、「精神病せいしんびょうしゃ運動うんどう抵抗ていこう様式ようしきを“主張しゅちょう”と“反逆はんぎゃく”の2つを想定そうていしており、ニーズの社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅうでは“主張しゅちょう”を分析ぶんせきできるからである。しかし、一方いっぽうの“反逆はんぎゃく”は、ニーズの社会しゃかい問題もんだい研究けんきゅうではとらえられず限界げんかいがある。
 吉田よしだは、精神せいしん障害しょうがい差別さべつされる理由りゆうひとつとして日常にちじょう世界せかい既存きそん法則ほうそく倫理りんり価値かち感覚かんかく欲求よっきゅうやぶ規範きはん違反いはんであることをげている。たしかに、精神病せいしんびょう症状しょうじょうは、はなし筋道すじみちかんかた因果いんがづけ、ひとひととの関係かんけいなどにかんする社会しゃかい暗黙あんもくめにたいして違反いはんするものがある。吉田よしだは、こうした健常けんじょうしゃがわ見方みかたたいして「精神病せいしんびょうしゃ立場たちばから“精神せいしん障害しょうがいとは、健常けんじょう社会しゃかい抑圧よくあつたいして自己じこ解放かいほうしようとする反逆はんぎゃくである”と説明せつめいする。そして、反逆はんぎゃく健常けんじょうしゃ社会しゃかいからの離反りはん健常けんじょうしゃ社会しゃかい抑圧よくあつたいするこうそうであると位置いちづける(吉田よしだ 1980)。
 ここでは、狂気きょうきげん存在そんざいすで社会しゃかい変更へんこうせまるだけの他者たしゃせいびていることが指摘してきされていることがわかる。では、上野うえのがいうように当事とうじしゃという立場たちばがニーズとの関係かんけいにおいて出現しゅつげんするのだとしたら、上述じょうじゅつ吉田よしだの“反逆はんぎゃく”はニーズ概念がいねんとどのようにかかわりるのか。
 筆者ひっしゃは、“反逆はんぎゃく”にとってニーズ概念がいねん基本きほんてき不要ふようであるとかんがえる。なぜなら、反逆はんぎゃくは(a)特定とくてい問題もんだいたいするニーズの判断はんだんやニーズの帰属きぞくという手続てつづきを必要ひつようとしない、(b)ニーズの主体しゅたいという過程かてい必要ひつようとしない――そのままの状態じょうたいでもってそこにいるだけで反逆はんぎゃくとなる――からである。とはいえ、“反逆はんぎゃく”の行為こういしゃである精神せいしん障害しょうがいしゃは、“当事とうじしゃ”ではないことにはならないだろう。そもそも当事とうじしゃという地位ちいは、集合しゅうごうアイデンティティを背景はいけいとして無条件むじょうけんにマイノリティにたいしてあたえられてきたものである。カテゴリーは、引受ひきうけるまでもなく社会しゃかい存在そんざいし、カテゴリーが当事とうじしゃという地位ちいあたえるのである。
 当事とうじしゃ定義ていぎにおいてニーズの帰属きぞく主体しゅたいという説明せつめい有効ゆうこうとなるのは、クレイム申立もうした活動かつどう文脈ぶんみゃくにおいてである。ただそこにいるだけで抵抗ていこうである、という当事とうじしゃによる社会しゃかい運動うんどうのスタンスは、言説げんせつ分析ぶんせきとらえきれない領域りょういきである。
 上野うえの主体しゅたいという概念がいねんまでもちいて説明せつめいした当事とうじしゃぞうとは、当該とうがいカテゴライズにかかわっていて、かつ社会しゃかい変更へんこう要求ようきゅうする主体しゅたいである。これが当事とうじしゃであるのだとしたら、精神せいしん障害しょうがいしゃの“反逆はんぎゃく”は、精神せいしん障害しょうがいという属性ぞくせいゆうし、社会しゃかい変更へんこうさせていく主体しゅたいというてん当事とうじしゃである。よってニーズによる当事とうじしゃ概念がいねん把握はあくは、精神せいしん障害しょうがいしゃの“反逆はんぎゃく”をふくみこまないてん不完全ふかんぜん――精神せいしん障害しょうがいしゃ排除はいじょした枠組わくぐみ――であり、あらためられなければならない。

ちゅう1.
せきすい(2011)の要約ようやくは、上野うえの(2013: 26)を参考さんこうにして作成さくせいした。

参考さんこう文献ぶんけん
中西なかにし正司せいじ上野うえの千鶴子ちづこ,2000,『当事とうじしゃ主権しゅけん岩波書店いわなみしょてん
せきみずてっひらめ,2011,「『ひきこもり』問題もんだいと『当事とうじしゃ』――『当事とうじしゃろんさい検討けんとうから」『年報ねんぽう社会しゃかいがく論集ろんしゅう』24,関東かんとう社会しゃかい学会がっかい
上野うえの千鶴子ちづこ,2008,「ことしゃとはだれか?」中西なかにし正司せいじ上野うえの千鶴子ちづこへん)『ニーズ中心ちゅうしん福祉ふくし社会しゃかいへ――当事とうじしゃ主権しゅけん次世代じせだい福祉ふくし戦略せんりゃく医学書院いがくしょいん
────,2011,『ケアの社会しゃかいがく太田おおた出版しゅっぱん
────,2013,「『当事とうじしゃ研究けんきゅうから『当事とうじしゃ研究けんきゅう』へ」副田そえだ義也よしやへん)『闘争とうそうせい福祉ふくし社会しゃかいがく――ドラマツゥルギーとして(シリーズ福祉ふくし社会しゃかいがく)』東京大学とうきょうだいがく出版しゅっぱんかい
吉田よしだおさみ,1980,『狂気きょうきからの反撃はんげき精神せいしん医療いりょう解体かいたい運動うんどうへの視点してん新泉しんいずみしゃ
吉田よしだおさみ,1983,『精神せいしん障害しょうがいしゃ解放かいほう連帯れんたい新泉しんいずみしゃ



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