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障害学会第12回大会(2015年度)報告要旨 | 塙 幸枝
 

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障害しょうがい学会がっかいだい12かい大会たいかい(2015年度ねんど報告ほうこく要旨ようし


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はなわ 幸枝ゆきえ (ばん ゆきえ) 国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく大学院だいがくいん / 日本にっぽん学術がくじゅつ振興しんこうかい

報告ほうこく題目だいもく

なぜ『バリバラ』はわらえないのか──テレビメディアにおける障害しょうがいしゃわらいの表象ひょうしょう

報告ほうこくキーワード

わらい / 障害しょうがいしゃ表象ひょうしょう / テレビメディア

報告ほうこく要旨ようし

 メディア表象ひょうしょう水準すいじゅんにおいて、しばしば障害しょうがいしゃは、わらいといういとなみ(あるいは、おわらいやコメディというジャンル)から排除はいじょされてしまう傾向けいこうにあった。とくにテレビメディアにおいては、障害しょうがいしゃ同情どうじょうや憐みの対象たいしょうとしてえがかれることはあっても、わらいの発信はっしんしゃたんわらいの対象たいしょうとなるのではなく、わらいを主体しゅたいてき提起ていきし、人々ひとびとわらわせる存在そんざい)として位置いちづけられることはまれであったともいえる。

 このような状況じょうきょうのなかで、NHKで放送ほうそうされている番組ばんぐみ『バリバラ(バリアフリー・バラエティ)』には、従来じゅうらいとはことなる障害しょうがいしゃぞう提示ていじしようとする企図きとみとめられる。とくに『バリバラ』が画期的かっきてきこころみであるとされてきたのは、わらいをもちいながら障害しょうがいしゃをとりまく様々さまざま問題もんだいえがこうとしてきたてんにある。そこでは、障害しょうがいしゃたいして無関心むかんしん社会しゃかいわらうことによって、あるしゅ批判ひはんせい表明ひょうめいされると同時どうじに、過去かこ歴史れきしにおいて「健常けんじょうしゃ障害しょうがいしゃ」のあいだに設定せっていされていた「わらものわらわれるしゃ(あるいはわらいを受容じゅようするもの)」というステレオタイプされた構図こうず逆転ぎゃくてん、あるいは「健常けんじょうしゃから障害しょうがいしゃへ」という情報じょうほうフローの逆転ぎゃくてん企図きとされている。

 しかし上記じょうき意義いぎみとめつつも、それとはべつ水準すいじゅんひとつの疑問ぎもん――すなわち『バリバラ』が提起ていきするわらいは、すべての視聴しちょうしゃにとって本当ほんとうにおもしろいのか、という疑問ぎもん――が浮上ふじょうしてくる。当該とうがい番組ばんぐみではわらいを許容きょようするフレーム(「ここはわらってよいところですよ」という様々さまざま合図あいず)が用意よういされているにもかかわらずわらえない、あるいはだからこそ、おもしろくないのにわらわなければならない気持きもちになるのは、いったいなぜなのだろうか。さらにいえば、とりわけ「健常けんじょうしゃ視聴しちょうしゃ」が『バリバラ』の提起ていきするわらいの共同きょうどうたいからされてしまうのはなぜなのだろうか。

 ほん研究けんきゅう目的もくてきは、なぜ『バリバラ』はわらえない(可能かのうせいがある)のか、といういを出発しゅっぱつてんとしながら、当該とうがい番組ばんぐみにおける障害しょうがいしゃわらいの表象ひょうしょうあん想定そうていする障害しょうがい受容じゅようについて批判ひはんてき検討けんとうをくわえることにある。とくにほん研究けんきゅうでは、当該とうがい番組ばんぐみがどのようなテレビてき状況じょうきょうにおかれているのかというてん着目ちゃくもくしながら考察こうさつをおこなう。なお、そのさい有効ゆうこう視座しざあたえてくれるのは、ウンベルト・エーコが提起ていきする「パレオTV/ネオTV」の概念がいねんである。かれによれば、テレビをめぐる状況じょうきょう昨今さっこん、ネオTV(表象ひょうしょう外部がいぶ現実げんじつ世界せかいうつすものとしてのテレビ)からパレオTV(外部がいぶ世界せかいとの関係かんけいせいうばわれたテレビ)へと移行いこうしてきたという(エーコ,2008)。たしかにこのネオTVてき状況じょうきょうは、「お約束やくそく」や「テレビをパロディするテレビ」といった自己じこ言及げんきゅうせい・メタせいささえられた今日きょうのバラエティ番組ばんぐみにも該当がいとうするといえる。

 これをまえて『バリバラ』についてかんがえてみると、それは形式けいしきめんでは、ネオTVてき昨今さっこんのバラエティ番組ばんぐみをシミュレートしながらも、内容ないようめんでは、現実げんじつ社会しゃかい参照さんしょうこうとした告発こくはつ改善かいぜん企図きとしたパレオTVてき側面そくめんみとめられる。この「ネオTVをよそおったパレオTV」というアンヴィヴァレントな状況じょうきょうは、「健常けんじょうしゃ視聴しちょうしゃ」と「障害しょうがいしゃ視聴しちょうしゃ」の双方そうほうたいして違和感いわかんのない番組ばんぐみ受容じゅよう同時どうじ可能かのうにするための方略ほうりゃくであるともいえる。ただし、そこでのネオTVせいがあくまでもレトリカルな水準すいじゅんでのよそおいであり、おおくの「健常けんじょうしゃ視聴しちょうしゃ」を装置そうちとして機能きのうしえない背景はいけいには、いくつかの要因よういん――「障害しょうがいしゃみずからの障害しょうがいについてかたわらい」が一般いっぱんてき視聴しちょうしゃ馴染なじみのある「メタ・コミュニケーション」としてのわらいとは一線いっせんかくすものであるてん、また「健常けんじょうしゃ視聴しちょうしゃ」が一方いっぽうでは障害しょうがいしゃへの同一どういつ共感きょうかんもとめられつつ、他方たほうではわらいや批判ひはん対象たいしょうとして位置いちづけられるてんなど――がかんがえられる。このような状況じょうきょうは、「一緒いっしょわらって、一緒いっしょかんがえる」(NHK『バリバラ』,2015)という番組ばんぐみ趣旨しゅしとは裏腹うらはらに、そもそも「健常けんじょうしゃ」と「障害しょうがいしゃ」がおな水準すいじゅんでテレビを視聴しちょうする、あるいは、それにもとづいてわらいを共有きょうゆうすることの困難こんなんせいりにしているのではないだろうか。

引用いんよう文献ぶんけん
エーコ,U.(2008)「うしなわれた透明とうめいせい西にしけんこころざしやく水島みずしま久光ひさみつ西にしけんこころざしまどあるいはかがみ:ネオTVてれびてき日常にちじょう生活せいかつ批判ひはん慶応義塾大学けいおうぎじゅくだいがく出版しゅっぱんかい、1-22。
NHKバリバラ「バリバラとは」http://www.nhk.or.jp/baribara/about/index.html(2015/07/14)。

倫理りんりてき配慮はいりょ
 ほん研究けんきゅう文献ぶんけん調査ちょうさとテクスト分析ぶんせきおもとした研究けんきゅうになる。先行せんこう研究けんきゅう知見ちけん引用いんよう参照さんしょうするさいには、かなら原典げんてん確認かくにんし、引用いんよう参照さんしょうもと文献ぶんけん情報じょうほう明示めいじする。また面接めんせつ調査ちょうさやインタビュー調査ちょうさ必要ひつようとなった場合ばあいには(1)個人こじん情報じょうほうとう保護ほご事前じぜん研究けんきゅう内容ないようやその使用しようかんして同意どういる、録音ろくおん録画ろくがについては承諾しょうだくる、本人ほんにん氏名しめいやプライバシーを保護ほごする)、(2)研究けんきゅう対象たいしょうしゃ募集ぼしゅう選択せんたくにおける任意にんいせい確保かくほほん研究けんきゅうへの参加さんか自由じゆう意思いしにもとづくものであることを明示めいじする)に配慮はいりょし、研究けんきゅうをおこなう。なお、上記じょうきについては国際基督教大学こくさいきりすときょうだいがく研究けんきゅう倫理りんり委員いいんかい承認しょうにんる。



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