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障害学会第12回大会(2015年度)報告要旨 | 深田 耕一郎
 

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障害しょうがい学会がっかいだい12かい大会たいかい(2015年度ねんど報告ほうこく要旨ようし


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深田ふかた 耕一郎こういちろう (ふかだ こういちろう) 立教大学りっきょうだいがく社会学部しゃかいがくぶ

報告ほうこく題目だいもく

荒木あらき義昭よしあき・オーラルヒストリー──免許めんきょ運転うんてん走行そうこう距離きょり68,000キロが意味いみするもの

報告ほうこくキーワード

荒木あらき義昭よしあき / 障害しょうがいしゃ運動うんどう / 社会しゃかい参加さんか

報告ほうこく要旨ようし

1.研究けんきゅう目的もくてき――荒木あらき裁判さいばん闘争とうそうなにうったえたのか

 ほん研究けんきゅう目的もくてきは、戦後せんご日本にっぽん障害しょうがいしゃ自立じりつ生活せいかつ運動うんどう重要じゅうようになであった、荒木あらき義昭よしあきのオーラルヒストリーをききとり、かれ実践じっせんした社会しゃかい運動うんどう意味いみ再考さいこうすることである(以下いか敬称けいしょうりゃく)。荒木あらきは1942ねん東京とうきょうまれの脳性のうせい麻痺まひしゃであり、現在げんざい練馬ねりま介護かいごじん派遣はけんセンターの代表だいひょうつとめている。
 かれの「運動うんどう」のはじまりは1960~70年代ねんだいにおける「荒木あらき裁判さいばん闘争とうそう」である。これは、荒木あらき免許めんきょ運転うんてん審理しんりする裁判さいばんであったが、全国ぜんこくからかれ支援しえんする学生がくせい労働ろうどうしゃあつまり、障害しょうがいしゃ社会しゃかい参加さんかのありかた異議いぎもう運動うんどう性格せいかくった。かれ裁判さいばんちゅう免許めんきょ運転うんてんつづけ、その走行そうこう距離きょりは68,000kmにおよんだ。
 現在げんざい視点してんかられば、およそ不可解ふかかいおもえるこの行動こうどうは、いかなる意味いみつものだったのか。この闘争とうそうなにうったえようとしたのか。ほん研究けんきゅうは、荒木あらき裁判さいばん闘争とうそう経過けいかを、のこされたふみ資料しりょうとオーラルヒストリー・インタビューによってあきらかにし、この闘争とうそう意味いみ考察こうさつする。

2.研究けんきゅう方法ほうほう――インタビューとふみ資料しりょう分析ぶんせきによる質的しつてき研究けんきゅう

 裁判さいばん闘争とうそう過程かてい意味いみあきらかにするためには、インタビューやふみ資料しりょう分析ぶんせきによる、質的しつてき研究けんきゅう適切てきせつであると判断はんだんした。とく当事とうじしゃである荒木あらき本人ほんにんかたりをききとることが重要じゅうようであるとかんがえ、オーラルヒストリーの方法ほうほう採用さいようした。そのため、だい1に荒木あらきへのインタビューを3かい実施じっしした。また、だい2に荒木あらき介護かいごにかかわった介護かいごしゃから裁判さいばん闘争とうそうかんするふみ資料しりょうゆずけ、それらをんだ。
 なお、倫理りんりてき配慮はいりょとして、オーラルヒストリーにもとづいた質的しつてき研究けんきゅう実施じっしするにあたり、荒木あらきには研究けんきゅう趣旨しゅし説明せつめいし、調査ちょうさへの協力きょうりょく承諾しょうだくしていただいた。また、情報じょうほう研究けんきゅう目的もくてきのみにもちいることを確約かくやくし、報告ほうこく原稿げんこう事前じぜん内容ないよう確認かくにんることとした。また、実名じつめいでの報告ほうこく了承りょうしょうしてもらった。

3.調査ちょうさ結果けっか――裁判さいばん闘争とうそう前史ぜんし

 荒木あらきへのオーラルヒストリー・インタビューにもとづいて、かれ生活せいかつかえろう。荒木あらき両親りょうしんはどちらも高校こうこう理系りけい教員きょういんであった。ちち工業こうぎょう高校こうこうつとめていたため、電気でんき機械きかい精通せいつうしており、小学生しょうがくせい荒木あらきに、改造かいぞうしたさんりん自転車じてんしゃあたえたりした。
 両親りょうしん希望きぼう東京とうきょう光明こうみょう養護ようご学校がっこう入学にゅうがくした。高等こうとう3ねんつぎ原動機げんどうきづけ自転車じてんしゃ原付げんつき)の免許めんきょ試験しけん合格ごうかく利用りようをはじめる。1962ねん卒業そつぎょう国立こくりつ身体しんたい障害しょうがいしゃ更生こうせい指導しどうしょはいる。そこでテレビ修理しゅうり技術ぎじゅつ習得しゅうとくし、クラブ活動かつどうでは自動車じどうしゃ運転うんてん練習れんしゅうをした。1965ねんには自営じえいのテレビ修理しゅうりぎょう開業かいぎょうしている。この修理しゅうりぎょう自動車じどうしゃくことができず、運転うんてん免許めんきょ受験じゅけん申請しんせいする。しかし、受験じゅけん拒否きょひされ、試験しけんさえけられなかった。仕方しかたなく免許めんきょ運転うんてんしテレビ修理しゅうりぎょうつづけた。このときの3ねんあまりの走行そうこう距離きょりが68,000kmである。当時とうじ荒木あらきはテレビの修理しゅうりまわり、警察けいさつしょりょうにも修理しゅうり出向でむいた。地元じもと警察けいさつ荒木あらき行動こうどうぬふりをしたという。

荒木あらき警察けいさつは、学校がっこう校庭こうてい運転うんてんしているのをっていた。免許めんきょっていないこともっていた。「つかまえたってしょうがいない」とおもっていた。

 この3年間ねんかん地元じもと警察けいさつ免許めんきょ運転うんてんをつぶっていたというのだ。しかし、荒木あらきによれば、警察けいさつしょから「おたくはなんでつかまえないんだ」と告発こくはつがあり、1968ねん6がつ19にち検挙けんきょされる(以降いこう7かい検挙けんきょ)。69ねんには道路どうろ交通こうつうほう違反いはん起訴きそされ、公判こうはんひらかれる。

4.まとめにえて――裁判さいばん闘争とうそう展開てんかい

 裁判さいばん闘争とうそう展開てんかい過程かていについては、今後こんご詳述しょうじゅつする。ここでは荒木あらき裁判さいばん闘争とうそう意味いみ仮説かせつてき記述きじゅつしてまとめにえよう。荒木あらき公判こうはんべた意見いけん陳述ちんじゅつに、かれ主張しゅちょう意識いしき明確めいかくあらわれている。

 わたしがこのような裁判さいばんにかけられていることはいかりそのものである。このまれた以上いじょう人間にんげんとしてきることがわるいのか。なぜ、このように生活せいかつうばわれねばならないのか(りゃく)。わたし運転うんてんできる。くるまわたしあしであり、生活せいかつそのものである。(荒木あらき1972:4)


 このように、自動車じどうしゃ運転うんてんは、だい1に生活せいかつかすことのできない資源しげんであり、だい2に荒木あらき存在そんざいけた、社会しゃかいへの自己じこ表現ひょうげんであった。しかし、今後こんごるように、裁判さいばんにおいては、「公共こうきょう安全あんぜん」の観点かんてんからかれ希望きぼうかえりみられることがなかった。ここには障害しょうがいしゃ社会しゃかい参加さんか社会しゃかいの「公共こうきょうせい」のジレンマといういがげかけられている。報告ほうこく当日とうじつはこのてんについて考察こうさつふかめる。

*参考さんこう文献ぶんけん
荒木あらき義昭よしあき,2001,「いろいろやってきた結果けっかとしていまがある」全国ぜんこく自立じりつ生活せいかつセンター協議きょうぎかいへん自立じりつ生活せいかつ運動うんどう障害しょうがい文化ぶんか――当事とうじしゃからの福祉ふくしろん』225-230.
荒木あらき義昭よしあきへん,1971,『資料しりょう 荒木あらき裁判さいばん闘争とうそう その1』.
――――,1972,『資料しりょう 荒木あらき裁判さいばん闘争とうそう その2』.



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