”靖国神社”について聴きました。当時の古い絵もみました。
靖国神社は、招魂場づくりのベテランである長州藩出身の木戸孝允と、大村益次郎が創建に尽力したそうです。建てられる前は、剣術道場としての「練兵館」で、九段坂上の高台であったため 眺望がよく、江戸の街が一望出来 富士山もみえたようです。
靖国神社を創建したものの、人が集まらづ賑わいを求めて、旧武家地に,盛り場をつくったとあります。
その結果、靖国神社一帯は、東京最大の縁日会場に様変わり、その間 堀端、路線端の桜並木整備し、花見の出来る電車も誕生したそうです。
関東大震災で、神社一帯も壊滅するが、参道脇にバラック小屋が立ち並ぶが、一年半で撤去解体。
100年前の東京には大工やとび職がたくさん存在していて、まちをつくるのも 壊すのも早かったようです。
能登震災で復興がままならない 今とは 状況が大きく違う事を思い知ります。
戦後山口県で育った私、台所や茶の間が近所の小父さんや、父親の手で 簡単に改修されていた景色が、原風景として未だに残っています。
かまど、火吹きだけ、ちゃぶ台、五右衛門風呂、洗濯板、箒、はたき・・・・昭和40年頃までまで、明治、大正時代の生活が、しっかりと残っていました。
懐かしく思い出しています。年寄りは変化を求めません。