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[夫夫善哉(めおとぜんざい)] 風の道<三> ―風の道(兵庫とお半シリーズ)―
風の道<三> ―風の道(兵庫とお半シリーズ)―
飛丸の
持つ
龕灯(がんどう)のあかりが、
導(しるべ)のごとく
雪闇を
照らす。
総じて
足腰の
弱い
鵺衆だが
飛丸は
頭抜けた
健脚の
持ち
主で、
勘も
良く、
聡明さは
目を
見張るものがある。されども
兵庫介とて
黒堂へゆけるし、
灯も
要らぬ。
本心では
飛丸など
蹴散らしたいところであるも、ここで
暴れたら
半太夫をまた
困らせることになる。さらには
半太夫に
馴れ
馴れしい
古弦太(こげんた)の
態度も
甚だ
気に
入らぬが、
半太夫から
乱暴狼藉を
許してもらったばかりであったから、ぐっと
我慢した
兵庫介だ。
息を
白く
煙らせながら
後ろへ
振り
向く。
半太夫が
雪を
積もらせた
菅笠のつばを
上げ、
兵庫介を
見る。
「なにかござりましたか?」
整った
白い
面が
雪闇に
灯る。やさしげだが
眼は
鋭く、きりりとした
口元の
米粒ほどのほくろが、
凛々しさに
一点の
艶を
添えている。
兵庫介が
長い
間恋い
焦がれ、ようやく
手に
入れた
十も
年嵩の
恋女房だ。
「
体は……
大事ないか?」
兵庫介はぼそっと
訊いた。
兵庫介のせいで
半太夫は
怪我を
負っている。
記憶はおぼろであるも、
下半身は
血に
濡れていた。
「
大事ありませぬ」
「
無理はならぬぞ」
兵庫介がそう
云うと、
半太夫の
切れ
長の
目がやさしさを
滲ませて
細まる。
「おやさしい。
彦兵衛殿が
申していた
通りにござりますな」
「
彦兵衛に……
会うたのか?」
「はい。
初めて
紅葉山を
登ったおりに」
「
生きて、おったのか」
「
貴方様をたいそう
案じておりました」
「そうか……」
兵庫介は
涙が
出そうになり、
顔を
前へと
向けた。
黒部伝右衛門といいになり、
杜へと
走りでたあの
時より
姿が
見えなくなったから、
黒部の
爺と
同じく
死んだものと
思っていた
兵庫介である。
「
彦兵衛殿は
脚を
痛められ、
黒部様より
山を
降りるよう
言われたそうにござります」
後ろで
半太夫が
言う。
兵庫介は
背を
向けたまま
頷き、こぼれる
涙を
手の
甲で
拭った。
彦兵衛の
皺深い
温顔や
居眠りする
姿が
思い
浮かぶや
胸のあたりが
暖かくなる。
「
兵庫介様のご
立派な
姿を
見たら、きっと
喜ばれることでござりましょう」
「うむ」
兵庫介は
彦兵衛を
想い、
亡き
黒部伝右衛門を
想った。そして
想いは
暗鬼(くらやみおに)であるという
鷹見頼近へと
向けられる。
兵庫介は
鷹見頼近を
知っている。その
日は、
修行をおこなう
蓬莱堂の
白椿が
時期でもないのに
一晩で
狂い
咲いたのだった。それも
全ての
花が
血を
吸ったかのような
紅色で、
兵庫介は
不思議でならず、
日が
沈みかけているにも
関わらず
匂いを
嗅いだりして
異変のもとを
探していた。その
時だ。
見たことのない
若者が
声を
掛けてきたのだ。
「そなたが、お
印か?」
若者はそう
訊ね、
「わしは
鷹見頼近、
陰狩の
鷹じゃ」
蝋のような
白い
顔にやさしげな
微笑をのせてそう
名乗った。
兵庫介はしかし、
返答をしなかった。
木翁(もくおう)が
死んでから、妖(あやかし)の
類があらわれては
好き
勝手なことをほざき
散らすようになっていたからだ。それゆえその
若者もその
類のものであろうと
思ったのである。
「
東国の
鷹は、
礼儀を
知らぬのか」
無視を
決め
込む
兵庫介に
若者が
重ねる。すっきりと
整った
美しい
面立ち。
明るい
色目の
小袖に
上等な
綾織の
袖無し
羽織と
袴をつけ、
細い
躰に
釣り
合わぬ
武張った
大小を
挿している。
「おまえは
人か?」
そう
返すと、
若者が
声を
立てて
笑う。
「ほう。
人ではないなら、わしは
何者じゃ?」
「
分からぬゆえ
訊いた」
「
陰狩の
鷹と
申したぞ」
「
陰狩の
鷹がなにゆえ
此処におる?」
「おってはおかしいか?」
若侍が
背に
垂らした
結髪をゆらして
笑う。あまりに
楽しそうなので、
兵庫介は
毒気を
抜かれて
黙った。
「
陰狩の
鷹とて
骨休めをしてはならぬという
法はないぞ」
兵庫介は
頷いた。
黒部の
爺や
彦兵衛、
木翁や
木菟(みみずく)
以外の
大人と、こんなふうに
話をするのは
初めてだった。しかも
歳が
若いからか、さらには
同じ
定めを
負う
鷹ゆえか、
人見知りの
兵庫介が
珍しく
親(したしみ)を
覚え、
白椿の
異変を
忘れた。
「
骨休めはいつまで?」
そう
問うと、
頼近はしばらくと
答えた。
「
実は
女房の
塩梅が
悪くてな。
骨休めといったが、
療養をしに
参ったのじゃ」
「
女房」
「うむ」
「なれば
鵺の
翁どもに
伝えて
霊薬をもらうとよい。
爺に
申すゆえ、そなたの
女房を
奥院へ」
「それはできぬ。そなたの
好意は
有難いが、
我が
女房の
病は
他人には
診せられぬ」
「なれど……」
「
然れば、
山頂の
御堂をしばし
借してはもらえまいか」
兵庫介は
応えに
窮した。
紅葉山の
頂に
建つ
阿弥陀堂から邑井
本家を
眺めるのが、
兵庫介の
日々の
楽しみであったから。
だが——
「よかろう。なれど
病人の
療養には
向かぬぞ」
「
大事ない。わしも
女房も
只人ではないゆえな。ただ、このことは
他言無用に
願う。
此処にいると
知れたら
骨休めどころではなくなるゆえな」
頼近が
寂しげに
言う。
兵庫介はうなずいた。
それからしばらく
雨が
続いた。
薬どころか
水も
食物も
不要と
云われていたが、
気になって
様子を
見に
行ったことがある。されど
三坪ほどの
小さな
阿弥陀堂に
鷹の
主従の
姿はなかった。
長雨が
止むと、
阿弥陀堂のまわりに
赤い
花が
咲きだした。
夜になると
咲く
赤い
花の
群生は
次第に
山をくだり、
蓬莱堂から
奥院へ、その
奥の
雑木林をも
覆いつくすかのように
広がっていった。
噎せ
返るほどのきつい
芳香に
黒部の
爺が
寝込むようになり、
彦兵衛と
飛丸が
花を
刈りだしたが、
花の
勢いはとまらずあたり
一面を
覆い
尽くすようになった。
邑井
助次郎が
蓬莱堂に
現れたのは、そんな
折だ。
鵺の
年寄衆より
女房職を
押し
付けられ
迷惑していると
言い、さらには
女房になる
気はないと
言い
切った。
兵庫介は
憤りを
覚えた。おのれの
女房を、なにゆえ
鵺の
年寄衆が
勝手に
決めるのか。
鷹の
女房は、ただ
一頭で
戦わねばならぬ
陰狩の
鷹の
唯一の
味方だ。そのたった
一人の
身内とも
言える
女房が、あのような
男なら、おらぬ
方がましではないか。
「
我が
女房の
病は
他人には
診せられぬ」
憂を
掃いた
頼近の貌が、
兵庫介の
心に
浮かんだ。
悲しげな
沈んだ
面持ちから、
兵庫介は
頼近とその
女房は
心が
通じあっているのに
違いないと
感じた。それゆえ
大事な
阿弥陀堂を
貸したのだ。
助次郎を
女房にしたいなど
微塵も
思わぬも、
女房になって
欲しいと
思い
続けてきた
一郎太には
手が
届かない。それが、どうしようもないほど
悲しかったし、
苦しかった。そして
起こった
悲劇——
「
爺殿は
死んだか」
黒部伝右衛門の
亡骸が
横たわる
蒲団に
潜りこんでいると、
哀切を
帯びた
声が
聞こえた。
顔をだすと、
蒲団のすぐ
傍に
頼近がひっそりと
座っていた。
「
気の
毒であったな」
火影にうかぶ
白い貌は
憂に
満ち、やさしい
声でいたわられ、はじめて
涙がこぼれた。
「わしがいけないのじゃ。わしが
爺に
無理をさせたゆえ……」
兵庫介の
泣き
言を
黙って
聞いていた
頼近が、つと
眼を
上げる。
漆黒の
瞳がみるみる
紅に
染まる。
「さよう
悲しむな。わしが
爺殿を
蘇らせてやろう」
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