|
国道 183号線 を庄原 に入 る手前 、標識 は口和 町 比和 町 を指 している、その七塚 西 交差点 信号 を北 に曲 がるんだよ。
道 はたんぼの中 をゆったりと横 たわっている、のんびりじりじりと坂道 を登 り始 めるころ、たんぼの向 こうに山 が衝立 になって立 ち上 がる。
もう少 し走 ればカントリーエレベーターだが、その手前 に案内 の標識 がある。
円通寺 本堂 、甲山 城址 、こう書 いてある、この案内 に従 えば間違 いない。
たんぼの中 の細道 を右 へ左 へ、どこまで行 くんだろうと不安 になってくるが、谷 の小 橋 を渡 って山 への道 に入 るので、この方向 なんだなと、ようやくロケーションが明確 になるね。
道 は、坂道 になって急 傾斜 になってくる、この先 はたしてこのまま行 けるだろうか。不安 だなぁ、ここに駐車 しとこうか。
歩 いて登 ることにして、道 は鉢巻 きに山腹 を渡 りながら進 んで行 く。
参道 には石仏 が点々 とあるが、どうやら西国 札所 のレプリカのようだね。
もともと、禅宗 で観音 札所 というのが納得 いかないのだがね。禅宗 とは、自己 研磨 自己 陶冶 の教義 じゃなかったのかい、観音 信仰 とは相容 れないと思 うがどうなんだろう。
この備後西 国 の札所 の中 には禅宗 の寺 がたくさんある、これではわたしの認識 と違 う、いささか驚 いています。
杉 並木 を潜 って、その先 に庫裏 が見 えてきた。続 いて本道 の屋根 も見 えてきた。
石段 を登 って山門 を潜 る、正面 が本堂 なんだろうな。円 通 閣 と書 いてある。14番 の大慈寺 で円 通 閣 という建物 を見 たことがある、三原 に円通寺 という大 きな寺 がある、円 通 という概念 には何 か特別 な意味 があるのだろうな。
この円 通 閣 、常識 的 な本堂 の大 きさよりずいぶんと小 さいよ。
小 さいのだが、国 の重文 と看板 が出 ている、建築 年代 は看板 に書 いてない、どこがどうだからこれは重文 の価値 があると、その理由 を知 りたいもんだね。
本堂 の後 ろには避雷針 が大 きく伸 びている、なるほど、大事 にされているのはよく解 ったよ。
境内 には、甲山 城址 の案内 が出 ている。
地元 のひとの言葉 では「こうやま」と読 むんだとさ。
この裏山 は城址 だそうな、戦国 時代 、毛利 尼子 の時代 に両 勢力 の間 で加勢 したり裏切 ったりしながら、結局 は消耗 していった地方 領主 なんだね。
登 ってみようか。三 の丸 二 の丸 本丸 、けっこう本格 的 な構造 じゃないか、軍勢 を収容 する広場 もあるね。
その広場 は草 が刈 ってあって、庄原 の盆地 が一望 できる、見 える範囲 が城 の勢力 だったのかしらね。
トップページに |