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松本学「容貌の自己受容──口唇口蓋裂の場合」
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容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう──口唇こうしん口蓋こうがいきれ場合ばあい

松本まつもと まなぶ 1999 卒業そつぎょう論文ろんぶん
大阪教育大学おおさかきょういくだいがく障害しょうがい教育きょういく教員きょういん養成ようせい課程かてい

last update: 20151221


容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう──口唇こうしん口蓋こうがいきれ場合ばあい

 ※文字もじけしている部分ぶぶんがあります。著者ちょしゃよりその部分ぶぶんについて情報じょうほうのち
  再度さいど掲載けいさいする予定よていです。(立岩たついわ 19990201)

大阪教育大学おおさかきょういくだいがく障害しょうがい教育きょういく教員きょういん養成ようせい過程かてい4ねん
松本まつもと まなぶ (まつもと まなぶ)
1999 卒業そつぎょう論文ろんぶん

T 序論じょろん
1 問題もんだい提起ていき
 疾患しっかん固有こゆうかおひとがいる。機能きのうてき問題もんだいがないからという理由りゆうだけで、いままでほとんど問題もんだいとしてげられてこなかった。たとえば口唇こうしん口蓋こうがいきれたとえば血管腫けっかんしゅ。ことわざにされ、物語ものがたりげられ、ということからも人生じんせいおおきな影響えいきょうあたえるようにおもえるのに、いままでげられることはなかった。本当ほんとう機能きのうてき問題もんだいがなければいいのだろうか。かおは「うつくしさ」におおきくかかわるところである。このてんで、かお疾患しっかんがおこるということは身体しんたいほか部分ぶぶん疾患しっかんことなる意味いみつ。つまり、かお以外いがい疾患しっかんにおいて、うつくしさということはほとんど問題もんだいにならないが、かお疾患しっかん場合ばあい機能きのうてき問題もんだいしょうじなくてもなんらかの心理しんりてき問題もんだいしょうじる可能かのうせいがあるのだ。
 ただし、この心理しんりてき問題もんだい原因げんいんは(よくあるように)ただちに疾患しっかん程度ていどもとめられるわけではない。実際じっさいかお疾患しっかん程度ていど心理しんりてき問題もんだい程度ていどとのあいだには直接ちょくせつ関係かんけいはないと報告ほうこくされている。(Baker,1992;Macgregor,1990;Love et al.,1987;Malt&Ugland,1989)つまり、かお疾患しっかんにするかしないかは、各人かくじんしんのありかたにもとめられそうなのである。かおにほんのわずかのきずがあったとしても、とてもになって、外出がいしゅつするもおきなくなるひともおれば、その反対はんたいに、周囲しゅういひと困惑こんわくしてしまうほどの重度じゅうどかお疾患しっかんったひとでも、社会しゃかいてき適応てきおうしている場合ばあいもあるということである。では、このちがいをもたらすものは一体いったいなにものであろうか。かおにこだわってしまうひととそうでないひとなにちがうのであろう。
 ここで、さきおもたるものは、みにくがた恐怖きょうふであるが、みにくがた恐怖きょうふ場合ばあい容貌ようぼう疾患しっかん固有こゆうせいがない。本論ほんろんげるのはあくまで疾患しっかんによって固有こゆう容貌ようぼうしょうじている場合ばあいである。疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうつものが自身じしん容貌ようぼうをどのようにかんじ、どのように他者たしゃ影響えいきょうけて、そのうえきとしたせい実現じつげんしているのか。また、きとしたせい実現じつげんのために障害しょうがいとなるものはなにか。実際じっさい当事とうじしゃ言葉ことばにあたって、その実態じったい調査ちょうさこころみたい。ただし、固有こゆう容貌ようぼうといっても様々さまざまであるから、本論ほんろんでは固有こゆう容貌ようぼう疾患しっかんれいとして口唇こうしん口蓋こうがいきれげる。
 口唇こうしん口蓋こうがいきれ先天的せんてんてき奇形きけいである。現在げんざいその発現はつげん頻度ひんど母集団ぼしゅうだん人種じんしゅ地域ちいきとう多少たしょうはばがあるが、日本人にっぽんじんではおよそ500〜600にん一人ひとり割合わりあいといわれる。これは先天的せんてんてき奇形きけいなか比較的ひかくてき頻度ひんどたかいものである。これまで日本にっぽんでの口唇こうしん口蓋こうがいきれたいするアプローチは、医学いがくてきなもの、言語げんご療法りょうほうてきななもの、おやかい活動かつどうられる。
 ところが、おやかい会報かいほうおや本人ほんにん記事きじにおいて、容貌ようぼうかんする記事きじおおいにもかかわらず、口唇こうしん口蓋こうがいきれひとにおける固有こゆう容貌ようぼう心理しんりてき問題もんだいは、現在げんざいまであまりげられていない1)。口唇こうしん口蓋こうがいきれ固有こゆう容貌ようぼうは、まれたときに口唇こうしん口蓋こうがいひらいたままであるこ
とからしょうじる。口唇こうしん口蓋こうがいひらいていれば結果けっかてきくちはななどのかお造作ぞうさく固有こゆうになるの
である。生後せいご2〜3ヶ月かげつからひらいた部位ぶいじる手術しゅじゅつおこなうことにはなるが、手術しゅじゅつ傷痕きずあとのこり、かおかたち口唇こうしん口蓋こうがいきれ固有こゆうのものになる。つまり、傷痕きずあとと、かおかたち変形へんけいという2側面そくめんで、「普通ふつう」とはことなった状態じょうたいしょうじる2)。
ちか将来しょうらいかれ自身じしん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいするしんのありかた考察こうさつは、口唇こうしん口蓋こうがいきれかぎ
固有こゆう容貌ようぼうひと一般いっぱんこりうる心理しんりてき問題もんだいにも敷衍ふえんされるものだろう。それゆえ、その第一歩だいいっぽとして口唇こうしん口蓋こうがいきれ実態じったい調査ちょうさおこなうことにした。


用語ようご検討けんとう
 ここで再度さいど本論ほんろん主題しゅだいについて確認かくにんしておきたい。「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう」とはなんらかの先天的せんてんてきまたは後天的こうてんてき疾患しっかん奇形きけい外傷がいしょうふくむ)が原因げんいんこされる特徴とくちょうてき容貌ようぼうのことである。
 今回こんかい筆者ひっしゃは「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう」という言葉ことば使つかうべきであると提唱ていしょうするのだが、では、いままでに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうという言葉ことばわりにどのようなものがもちいられてたのかを概観がいかんしたい。この分野ぶんやにおける用語ようご一致いっちはその当初とうしょこころみからして困難こんなんであったようで3、様々さまざまなものがられる。いくつかの観点かんてん整理せいりすると、まず、医学いがく用語ようごには、奇形きけい欠損けっそん、facial anomalies, malformationとうがある。しかし医学いがく用語ようご難解なんかいで、当人とうにんきずつける言葉ことばともなりうるのでもちいない。(たとえば、本人ほんにんが「奇形きけい」とばれたら、どうおもうだろうか。)だい障害しょうがいであるということに視点してんいた用語ようごには、かおのハンディfacial handicapがある。しかし、固有こゆう容貌ようぼうひとすべてが、かならずしもかおにハンディ(社会しゃかいてき不利ふり)があるとはかぎらない。だいさんは、新造しんぞうである。facial difference,visible difference,異形いぎょう4などはあらたにかんがえられた言葉ことばである。「異形いぎょう」は、「イケイ」というみで「たんなるかたちちがい、ちがったすがた」をあらわすとともに、「イギョウ」というみでは「異様いようなすがた、普通ふつうでないあやしいすがた」を意味いみする。facial difference は「イケイ」にちか意味いみであろう。visible differenceの意味いみは、可視かしせい――つまりじん視線しせん――をかいして容貌ようぼう差異さい増幅ぞうふくされるということをとらえていて5)興味深きょうみぶかいが、日本語にほんごやくしたとき可視かしせい相違そうい、いいかえればちがい、見掛みかけのちがいとなってしまう。この日本語にほんごやくは「かけだおし」とか「わるい」といったいいまわしとつうていし、誤解ごかいまねおそれがある。
そこで本論ほんろんでは@善悪ぜんあく良否りょうひなどの評価ひょうか視点してんはいらない言葉ことばであること、Aかりやすく、誤解ごかいされないこと。Bがおだけでなく身体しんたい疾患しっかんにも表現ひょうげん応用おうようできること、というさんてん前提ぜんていとして、疾患しっかん原因げんいん特徴とくちょうてき容貌ようぼうであることを、「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう」と表現ひょうげんすることにした。
 以下いかにこれまで「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう」をあらわすためにもちいられてきた言葉ことばひょうにしてげた。


ひょう1 かおかんする用語ようご一覧いちらん
用語ようご        意味いみ
異形いぎょう       「イケイ」 ことなるかたちちがったすがた
         「イギョウ」 異様いようかたち普通ふつうでないあやしいすがた(『しん字源じげん』)
奇形きけい(畸形)   「」は「人並ひとなみでない」のがある。
         「畸」も同様どうよう意味いみあり。(角川かどかわしん字源じげん』)

そこなわれた容貌ようぼう   そこなわれたものと断言だんげんすることは不可能ふかのうである。

見掛みかけ       そとから様子ようす外観がいかん、うわべ(『岩波いわなみ国語こくご辞典じてん))
          外観がいかんからける印象いんしょうかけだおし」

みにくひと       評価ひょうか視点してんはいる。

       にうつる姿すがた様子ようす(『岩波いわなみ国語こくご辞典じてん』)「わるい」

えるかたちのハンディキャップ  かならずしもハンディとはかぎらない。

ルックス      Looks (略式りゃくしき容貌ようぼう風采ふうさい美貌びぼう(GENIUS)

Abnormal (appearance) (しばしばけなして)異常いじょうな、例外れいがいてきな(GENIUS)

Anomary      例外れいがい変則へんそくわりだね合理ごうり(GENIUS)

Craniofacial deformities  頭骨とうこつかお奇形きけい不具ふぐ)、欠陥けっかん
              deformity:make ugly or misshapen (POD)

Defect       欠点けってん欠陥けっかん(GENIUS)

Difference     相違そういちがい、相違そういてん(GENIUS)

Disfigurement   外観がいかん形状けいじょう美観びかん)をそこなうこと、きず欠点けってん(GENIUS)
          disfigure:spoil the appearance of (POD)

Disorder     (心身しんしん機能きのうの)不調ふちょう異常いじょう障害しょうがい、     (かるい)病気びょうき

malformation    faulty formation (POD)

stigma       差別さべつてき刻印こくいん恥辱ちじょく不名誉ふめいよ

Visible difference える相違そうい

*なお、ひょうちゅうの『岩波いわなみ国語こくご辞典じてん』は『岩波いわなみ国語こくご辞典じてんだい4はん(1989、岩波書店いわなみしょてん)、『しん字源じげん』は『角川かどかわしん字源じげん』(1983、角川書店かどかわしょてん)、(GENIUS)は『ジーニアス英和えいわ辞典じてん改訂かいていばん(1994、だいおさむかん)であり、PODは“The Pocket Oxford Dictionary”(1996)である。

疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう原因げんいんこる心理しんりてき問題もんだい
 では、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることで、どのような問題もんだいがおこるのであろうか。現在げんざいまでに、やけどや口唇こうしん口蓋こうがいきれ血管腫けっかんしゅなど、かお疾患しっかんをめぐってその心理しんりてき影響えいきょう研究けんきゅうした文献ぶんけんのなかで、ここでは、現在げんざいまでに指摘してきされてきた心理しんりてき問題もんだい口唇こうしん口蓋こうがいきれ中心ちゅうしんげる。
 まず、口唇こうしん口蓋こうがいきれしゃは、たい人間にんげんのやりりが苦手にがてである(Kapp,1979)。Noar(1991)は質問しつもんによる調査ちょうさで、口唇こうしん口蓋こうがいきれしゃ異性いせいとの関係かんけい構築こうちく困難こんなんかんじるとした。Lansdown(1981)によれば、口唇こうしん口蓋こうがいきれ青年せいねんには家族かぞく以外いがいひとから凝視ぎょうしされたり、誤解ごかいけたりという経験けいけんがある。さらに、他者たしゃとの初対面しょたいめん不得手ふえてであるということがいわれている(Kapp,1979)。
 Leonard(1991)によれば調査ちょうさ対象たいしょうとなった105にん口唇こうしん口蓋こうがいきれ児童じどうの98%が、平均へいきんもしくは平均へいきん以上いじょう自己じこイメージをっていたが、青年せいねん女子じょし(12~18さい)は少年しょうねん女子じょし(8~11さい)よりも自己じこイメージの評価ひょうかひくく、青年せいねん男子だんし少年しょうねん男子だんしより肯定こうていてき自己じこイメージを経験けいけんしているという。Broder&Strauss(1989)は7さい口唇こうしん口蓋こうがいきれ58めい自己じこ概念がいねん調査ちょうさをした。すると統制とうせいぐんくらべてひく自己じこイメージ評価ひょうかられた。固有こゆう容貌ようぼうのためにかれらの自己じこ概念がいねん(self-concept)は否定ひていてきである。Kapp(1979)も11~13さい口唇こうしん口蓋こうがいきれ34めい自己じこイメージ検査けんさおこない、口唇こうしん口蓋こうがいきれどもは性別せいべつかかわらず、容姿ようしおおきな失望しつぼうをあらわすという結果けっかた。また、口唇こうしん口蓋こうがいきれ女子じょしほう不満ふまん学校がっこうでの成功せいこうかん不安ふあん報告ほうこくした。Haper&Richman(1978)は、MMPIをもちいて、口唇こうしん口蓋こうがいきれ肢体したい不自由ふじゆうどもを調しらべ、口唇こうしん口蓋こうがいきれ行動こうどうじょうふか抑制よくせい対人たいじん関係かんけいにおけるつよ自意識じいしき自己じこ不信ふしん感情かんじょうをもつとした。Richman(1983)は口唇こうしん口蓋こうがいきれぐん社会しゃかいてき適応てきおうしているが、固有こゆう容貌ようぼうとの関連かんれん社会しゃかいてき適応てきおう問題もんだいがあると認識にんしきしているとしている。また、青年せいねんには社会しゃかいてき内向ないこう言葉ことば心配しんぱいよりもかお心配しんぱい関係かんけいしておこるとしている。
 以上いじょう報告ほうこくから、口唇こうしん口蓋こうがいきれ人々ひとびとがいかにおおくの問題もんだいかかえるかということがかってくる。

U ほんろん目的もくてき方法ほうほう
 前項ぜんこうのような心理しんりてき問題もんだいかかえる人々ひとびとはどのようにきていくのであろうか。日本にっぽんにおいて、口唇こうしん口蓋こうがいきれひときていくうえで、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう問題もんだいをどうとらえているかというてん実態じったい調査ちょうさしようとこころみる。当人とうにんなんごろ自分じぶん容貌ようぼう認識にんしきし、どうそれとかかわってきたのか。疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうつことで、どういった心理しんりてき問題もんだいしょうじるのか。なに原因げんいん固有こゆう容貌ようぼう意識いしきしたりしなかったりするのか。当事とうじしゃ本人ほんにんかおたいするしんのありかた推移すいい考察こうさつすることで、すうめい当事とうじしゃ容貌ようぼうかんする体験たいけん理解りかいしようとつとめたい。また、心理しんりてき問題もんだいそのものをあきらかにするよりも、様々さまざま心理しんりてき問題もんだいがどうしておこるのか、そしてどのように解消かいしょうしていくのかということを援助えんじょかた焦点しょうてんてて、ろんすすめたい。そのため、こりうる心理しんりてき問題もんだい念頭ねんとうにおいて質問しつもん作成さくせいし、すうにん当事とうじしゃ面接めんせつでききとりをおこなった。
 面接めんせつ調査ちょうさおこなったのは、質問しつもん調査ちょうさではえにくいしんのゆれをとらえたかったからである。こうして面接めんせつ回答かいとうをもとに、様々さまざま出版しゅっぱんぶつにある本人ほんにん記録きろくあわせて、考察こうさつすすめる。
 具体ぐたいてき方法ほうほうは、以下いかとおりである。疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいする本人ほんにんしんのありかた実態じったい調査ちょうさするために、ふたつの方法ほうほう採用さいようした。@口唇こうしん口蓋こうがいきれ人数にんずうめいにききとりをおこない、全体ぜんたいぞう把握はあくしようとこころみた。情報じょうほうかたよりをすこしでもすくなくするために、A既存きそん資料しりょうおやかい会報かいほう記事きじ口唇こうしん口蓋こうがいきれひと発言はつげんしている書籍しょせきとう)を調査ちょうさした。@については、近畿きんきけん在住ざいじゅう社会しゃかいてき適応てきおうしているとおもわれる口唇こうしん口蓋こうがいきれひと(5めい)、およびその母親ははおや(4めい)と配偶はいぐうしゃ(1めい)にたいして、インタビューをおこなった。インタビューの内容ないようあらかじ筆者ひっしゃ用意よういしたものをインタビューの1〜2週間しゅうかんまえ対象たいしょうしゃ送付そうふした。インタビューにはMD(Mini Disc)による録音ろくおん採用さいようした。インタビューおよびその録音ろくおんについてはあらかじ本人ほんにん許可きょかた。インタビューの項目こうもくは、おもくことを出来できるだけかまえずにべてもらうために包括ほうかつてき質問しつもん用意よういされた。かくインタビューのあと、筆者ひっしゃがテープこしをし、インタビュー発言はつげん整理せいりした。さらに問題もんだいをいくつかの焦点しょうてんにわけ、既存きそん資料しりょうにある患者かんじゃ記述きじゅつわせ、検討けんとうした。インタビューの場所ばしょ人気にんきすくない場所ばしょ使つかわれた。

V 結果けっか考察こうさつ

容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう過程かてい仮説かせつてきモデル
 どうして固有こゆう容貌ようぼうにするひとにしないひとてくるのか。そのちがいはなにか。記録きろく発言はつげんから、筆者ひっしゃはそのちがいの原因げんいん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうについての本人ほんにんしんのありかた考察こうさつすることであきらかにしようとこころみた。するといくつかのありかたちがいが見受みうけられた。そこで、たんしんのありかた分類ぶんるいとして整理せいりするよりも、仮説かせつてきではあるが、ひとつの受容じゅよう過程かていなかでおのおののありかた提示ていじするほうしんうごきがよりあきらかになるとかんがえられた。(本来ほんらい受容じゅよう過程かてい調査ちょうさする場合ばあい縦断じゅうだん調査ちょうさによっておこなうのが通例つうれいである。)また、本論ほんろん意図いとのひとつに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう問題もんだい認知にんちということがあり、受容じゅよう過程かてい仮説かせつてきモデルが援助えんじょ方法ほうほうさぐるにあたっておおきながかりになるとかんがえられたので、今回こんかい調査ちょうさ資料しりょうもとづいて、仮説かせつてき容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう過程かてい構築こうちくするこころみをおこなった。よって、以下いか提示ていじする受容じゅよう過程かていのモデルはあくまで仮説かせつモデルである。
 以下いか例示れいじしながらじゅんくわしくていくことにする。なお、筆者ひっしゃ質問しつもん括弧かっこ( )にくくってある。また、インタビューと区別くべつするために、会報かいほうとう資料しりょうには出典しゅってん明記めいきした。

(1)容貌ようぼう無自覚むじかく時期じき
 口唇こうしん口蓋こうがいきれひと場合ばあい疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう先天的せんてんてきなものであった。しかし、今回こんかい調査ちょうさ口唇こうしん口蓋こうがいきれひと疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう無自覚むじかく期間きかん存在そんざいすることがわかった。なお、無自覚むじかく期間きかんには個人こじんがあり、今回こんかい調査ちょうさでは明確めいかくにその期間きかんしめすことが出来できなかった。

幼稚園ようちえん年長ねんちょう女子じょし母親ははおや じゅう周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう(1986)pp.29−30
 子供こども近所きんじょ友達ともだちに「Nちゃんのおくちどうしてそうしているの」とかれて「Nちゃんどうしてこうしているのかわからへんもん」と返答へんとうしていましたが、最近さいきんそとあそんでいておにいちゃんに「おまえくちきたないなあ」といわれたよとっていましたがあまりたいしてにはしていないようです。

T.H (25さい 男性だんせい会社かいしゃいん
 (他人たにんからはどういうふうわれました?)ありますよ。それはずばり、くちいがんでるとか、なにや?とか、気色けしきわるいとか。(われはじめたのは?)小学校しょうがっこうのころからですかね。てい学年がくねんのころ。幼稚園ようちえんはあまり記憶きおくにない。

 最初さいしょれいでは疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうについて他人たにんからたずねられて返答へんとうこまっている。この時点じてんではまだはっきりとしたかお自覚じかくがないとおもわれる。この状態じょうたいがいつまでつづくかは個人こじんがあるが、今回こんかい調査ちょうさでは、後者こうしゃれいのようにおおよそはじめての社会しゃかい参加さんかである幼稚園ようちえんから小学校しょうがっこう入学にゅうがくくらいまでに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくするれいられた。これは、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくは、他者たしゃによる疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう指摘してきがきっかけであることを示唆しさしている。自覚じかく以前いぜんはおおよそ家庭かていない他者たしゃからのかおについての指摘してきなしにごしていると予想よそうされる。まんいち指摘してきされても、たいていの場合ばあい両親りょうしん本人ほんにんのかわりに質問しつもん対応たいおうしてくれる。さらに、以下いかのように母親ははおや口唇こうしん口蓋こうがいきれどもをいえそとさない傾向けいこう影響えいきょうしているだろう。

T.Hの母親ははおや主婦しゅふ
 いちねん保育ほいく幼稚園ようちえんすまでは、ほんとにあんまりそとませんでしたものね、もう幼稚園ようちえんくようになって仕方しかたがないからたってかんじ。

H.Nの母親ははおや教員きょういん
 3さいくらいまではもうひたかくしにかくして、そとにはほとんどしてはいません。(はい。)(ひたかくしにかくして。)だから3さいのときに幼稚園ようちえんれるようにって、いわれたんですね、ことばの教室きょうしつ先生せんせいから、(ええ)で、それが、地域ちいき社会しゃかい第一歩だいいっぽでしたね、

 ではつぎに、このように家族かぞくによってまもられている本人ほんにんが、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくする様子ようすていきたい。

(2)疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくする時期じき
 口唇こうしん口蓋こうがいきれぬし幼稚園ようちえん保育園ほいくえんへの入園にゅうえん小学校しょうがっこう入学にゅうがくなどによって集団しゅうだん生活せいかつはいるとともだちとうから疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうについて一方いっぽうてき指摘してきされるようになる。調査ちょうさでは、おだやかにたずねられるというよりは、一方いっぽうてきかつ断定だんていてき指摘してきされたという記録きろくおおられた。他者たしゃ指摘してきされることで、口唇こうしん口蓋こうがいきれひとはじめて自分じぶんかおについての説明せつめいをする必要ひつようせまられる。また、説明せつめいをするために自分じぶんかおかがみとうでよく観察かんさつし、他者たしゃかお比較ひかくする。ここに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいする自覚じかく形成けいせいされる。

H,Nのはは
 4さいときくらいからね、やっぱりなんか「ぼくへんかおっていわれる、ぼくへんかおっていわれる」って、いえでいうようになりましたね。

 4さいはH.Nが幼稚園ようちえん入園にゅうえんしたとしであるが、そのときからさっそく他者たしゃからかおのことを指摘してきされるようになる。以下いかれいもH.Nの場合ばあい同様どうよう小学校しょうがっこう社会しゃかい参加さんかしたときから「はなペチャ」と指摘してきされるようになっている。

小学しょうがく2年生ねんせい母親ははおや 会報かいほうNo.56ごう(1996.8.30)p.11
 去年きょねん入学にゅうがくして“はなペチャ”とひとによくわれ、おまけに学童がくどう保育ほいく他校たこうっている)でもわれ、懇談こんだんかいとかおやつどいにって、まれたとき状況じょうきょうとう説明せつめいして、学校がっこうのクラスで先生せんせいから生徒せいと説明せつめいしてもらって、学級がっきゅう全体ぜんたいまもってもらった。2ねんになって、担任たんにんあたらしくわり、はじめて“学校がっこうたのしい”とってくれたことがうれしかったこの4がつです。

 ここで注意ちゅういすべきてんは、かお自覚じかく契機けいき他者たしゃからの一方いっぽうてき指摘してきであるということである。自分じぶんかお差異さい気付きづくよりさき他者たしゃ差異さい指摘してきされる。このことは自己じこ概念がいねん形成けいせいじょう重大じゅうだい影響えいきょうおよぼす可能かのうせい危惧きぐされる。つまり本人ほんにんかおのイメージは混乱こんらんし、混乱こんらんをもたらした他者たしゃとのかかわりに不安ふあんかんじ、自己じこイメージを健全けんぜん形成けいせいすることが不可能ふかのうになる可能かのうせいがある。先行せんこう研究けんきゅうでいわれている対人たいじん関係かんけい能力のうりょくひくさ――たい人間にんげんやりりの苦手にがてかん異性いせいとの関係かんけい構築こうちく困難こんなん初対面しょたいめん苦手にがてかんなど――の原因げんいんひとつがここにある可能かのうせいがある。

(3)苦悩くのう時期じき
 疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくすることで苦悩くのうしょうじる。調査ちょうさでは幼年ようねんから青年せいねんにかけて幅広はばひろ苦悩くのうられた。苦悩くのうおおきくけて否認ひにん失望しつぼういかりのかたち表現ひょうげんされている。さて発言はつげんのなかから、否認ひにんこうにまとめたのは、まず疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう一見いっけんにしていないようにえる態度たいど――つまり苦悩くのう潜在せんざいしている場合ばあいである。さらに「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう個性こせい」であるとして、かおについてなにおもわないとしたれいである。失望しつぼういかりは感情かんじょう内向ないこうするか、外向がいこうするかのちがいだけで、表裏一体ひょうりいったいのものであるとかんがえられ、同一どういつこうとした。否認ひにん失望しつぼういかりともに容貌ようぼうについての苦悩くのう原因げんいんとなっていることは共通きょうつうである。
 ここで注意ちゅういすべきてんは、容貌ようぼうについてのなやみは一生いっしょうつづ可能かのうせいがあるということである。しかし後述こうじゅつするように、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう容認ようにんしてしまっているひと場合ばあい苦悩くのうめる位置いちすくないようにおもわれた。よってここげる発言はつげん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることをいまだ容認ようにんしていないとおもわれるひと苦悩くのうである。
 さて、他者たしゃからの一方いっぽうてき指摘してきによってどのように苦悩くのうしょうじてくるか、苦悩くのう萌芽ほうがれい以下いかに2れいあげる。

小学生しょうがくせい男子だんし 会報かいほうNo.14(1982.11.28)p.3 
 ぼくはこうしんこうがいれつというびょうきだ。いつも「はなペチャ」といわれるけれどそんなこときにしない。おとうさんもおかあさんも「にするな」。とう。だから「はなペチャ」てわれても「うるさいなあ」とおもいながらいている。でもしんのおくではすごくはらがたつ。でもにしたってどうにもならないから、ぼくはにしない。ひと自分じぶん反対はんたいわれたらどうおもうのかなかんがえたことあるのかな。

Y.Y (小学しょうがく男子だんし、インタビューのY.Y) 15周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう(1991)p.41
 AのなかのBくんが、「あのタラコくちびる、このいえんどる。」といました。ぼくのくちびるは、みんなのくちびるとおなじです。なのに、タラコくちびるとわれてすごくいやでした。

 このれいでは、他者たしゃからの指摘してきによって本人ほんにんいかりをおぼえるようになっている。以下いかにあげる苦悩くのうれいは、このれいのような状況じょうきょうから派生はせいしてしょうじたものとかんがえられる。

1)否認ひにん
 否認ひにんにはふたつのパターンがられた。まず、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることの苦悩くのう抑圧よくあつしてしまっている場合ばあいをあげる。

中学ちゅうがく2ねん女子じょし母親ははおや 会報かいほうNo.47(1994.5.29)p.11
 むすめこん矯正きょうせい時期じきです。ヘッドキャップをかぶって学校がっこうっていますが、なにいません。小学校しょうがっこうころはよくからかわれて、いつも学校がっこうからかえると、わたしに「今日きょうはこんなにわれた」とかいっていたこともありました。いまつよくなりました。むすめ今年ことしちゅうになります。

 このれい母親ははおやむすめが「つよくなった」といているが、とくにヘッドキャップは目立めだつものであるからなにわないとうのは不自然ふしぜんおもわれる。このあたりから、感情かんじょうころしている様子ようすえてこないだろうか。本人ほんにんが、容貌ようぼうのことや、ヘッドキャップのことをなにもわないのには、べつ理由りゆうもないだろうか。つまり、母親ははおや援助えんじょもとめてもどうしようもないとかんがえている場合ばあい。また、本当ほんとうかおのことがになるのだが、つとめてかおのことをかんがえようとしていない場合ばあいさらに、将来しょうらい手術しゅじゅつによって劇的げきてき容貌ようぼうが「普通ふつう」になると期待きたいする場合ばあいなどがかんがえられる。H.Nの中学ちゅうがく時代じだいれい参考さんこうになるので以下いかしめす。

H.Nの母親ははおや
 ちいさいときにね、もっときれいに、手術しゅじゅつしてもらったらきれいになるから、あの、手術しゅじゅつしてもらおうねって、そだててきたわけでしょ、で、中学校ちゅうがっこうのときに手術しゅじゅつをして、で、もう、あの、手術しゅじゅつして、ま、ほんとにきれいになるかとおもってたら、あの、「こんなんやったんか。」って。まあ、息子むすこがいったわけですよね。手術しゅじゅつしたらきれいになる、手術しゅじゅつしたらきれいになるっていってそだててきたのに、中学校ちゅうがっこう手術しゅじゅつしたときにこんだけしかきれいにならないんだったらね、あの、「きれいっていってもちがうじゃない」って、だから、「もうぼくはもう絶対ぜったい手術しゅじゅつしない、これからは。」っていったんですね。でね、なんでおまえはこうやってこのかおきていくんやっていってくれなかったのかって、あのおこったんですよ。

 このように、どものかおについての心配しんぱいかんがえて、母親ははおやなどが手術しゅじゅつ過剰かじょう期待きたいいだかせるような発言はつげんをするのは、のちにどもがよりおおきな失望しつぼうをうけることからも注意ちゅういようする。中田なかた(1998b)は「ってまれたこのかおがこのかおだ。わたし大好だいすきだ。」というこころかまえが必要ひつようであるとべている。以下いか苦悩くのう抑圧よくあつしているれいである。

幼稚園ようちえん年中ねんじゅう男子だんし母親ははおや 会報かいほうNo.46(1994.3.27)p.7
 いま幼稚園ようちえん年中ねんじゅうぐみ元気げんき友達ともだちあそんでいます。なつに、いえかがみていて「おかあさん、ぼくのはなつぶれている」とったときにはドキッとしました。「あかちゃんのときに、入院にゅういんして先生せんせいにきれいにしてもらったから心配しんぱいないよ。」といいましたら、それ以後いごはなにもいません。

会報かいほうNo.52(1995)p.8
 ろく年生ねんせい女児じょじですが、くちしてはなにもいわないのですが、かがみをじっとているときにはすこしつらいです。(まだ子供こども本当ほんとうのことをっていないので)本人ほんにんあかるく友達ともだちおおほうです。

 なお、口唇こうしん口蓋こうがいきれであるという事実じじつ本人ほんにんげていないれい散見さんけんされた。事実じじつ本人ほんにんげていないとしても、現実げんじつには容貌ようぼう疾患しっかん固有こゆうなのだから、本人ほんにん様々さまざま疾患しっかんについての憶測おくそくをする。たとえば18さい女性じょせい自身じしん口唇こうしん口蓋こうがいきれであると事実じじつらされていないとき心境しんきょう以下いかのようにつづっている。

18さい女性じょせい 口唇こうしん口蓋こうがいきれ 会報かいほうNo.56 p.6
 本当ほんとうのことをおしえてもらえないことがなぜそんなに大変たいへんなのか、おはなしします。まず、どもは世界せかい自分じぶんひとりなのでは…とおもい、だれにもわかってもらえず一人ひとりなやんでしまいます。そしてまわりの人達ひとたちから、鼻曲はなまがりとかはなしたきずはどうしたの?などとわれたとき、自分じぶんでもなぜなのかわからないのでいかえすことができず、ただ我慢がまんするしかないのです。

 疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうは、事実じじつっていてもありのままにれることが困難こんなんなものである。本人ほんにん事実じじつらなければ、容貌ようぼうたいする本人ほんにん苦悩くのうさら困難こんなんみち辿たどるものと予想よそうされる。以下いか疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう無意識むいしき否認ひにんしているれいである。

K.N(24さい女性じょせい会社かいしゃいん
 (というてんでは)そんなに、いまはそんなにっかからないけど、中学ちゅうがくときにはやっぱり、わりとうちにこもるほう、あんまりかないほう一人ひとりくのはあるけども、みんなと一緒いっしょにはかない、(それは問題もんだいで、ということですか?)う〜ん、やっぱりね、どうえばいいかなあ、ふふふ(ためいきわらい)、どうでしょう、どうえばいいかなあ、う〜ん、、、、、、、、、どうえばいいかなあ、、、

 彼女かのじょ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう問題もんだいについての質問しつもんたいしていよどみ、直接ちょくせつこたえはさず
に、中学校ちゅうがっこう在学ざいがくには容貌ようぼうのためにきこもり傾向けいこうがあったことをべる。しかし、彼女かのじょは、かおについてはんでいたと明言めいげんしない。ここに容貌ようぼうたいする無意識むいしきてき否認ひにん意識いしきがあるのではなかろうか。べつ発言はつげんてみると幾分いくぶん彼女かのじょ否認ひにん意識いしきあきらかにされる。

K.N
 (いま自分じぶんかおについてどのようにかんがえておられるでしょうか?)う〜ん、いまですか?、う〜ん、いまはだいぶなおったし、今別いまべつ普通ふつうちか状態じょうたい?うん。(中略ちゅうりゃくにんよりはきずとか、はなひくいとか、(はい?)はなひくいとかそういうの、おもってたけども、べつ普通ふつうなんで、しゃべっててもわりはなしつうじるとか、そんなには、、、この、よこきずよこにあるきずれないっていうんで、それがなおればもっといいかなと、、、、

 この発言はつげんでの「普通ふつうちか状態じょうたい」は、普通ふつうそのものの状態じょうたいではないということを含意がんいしている。つまり彼女かのじょ場合ばあい自分じぶん容貌ようぼう疾患しっかん固有こゆうであるということを認識にんしきしていることになる。ただし、この場合ばあいでも、きずになることを消極しょうきょくてきみとめているにぎず、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうというよりはむしろごく普通ふつう容貌ようぼうとさほど相違そういがないということを強調きょうちょうしている。つまり彼女かのじょはありのままの自分じぶん容貌ようぼう疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうみとめることに消極しょうきょくてきなのである。
 否認ひにんでもうひとられたのは、「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう個性こせいである」といってとく疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることをみとめなかったれいである。

Y.Y(高校こうこう3ねん男子だんし
自分じぶんかおについて)とくなにおもわない。
異形いぎょうであることは?)個性こせいでしょう。

 高校こうこうねん男子だんしれいである。この事例じれいだけは文書ぶんしょこたえをいただいた。かれ主張しゅちょう疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうりたててろんじるものではなく、一人ひとりいちにんかおことなるのとおなじように、自分じぶんかおもそういったかおのひとつであるということである。しかし、個性こせいとはなにだろうか。個性こせいとはそのひと特有とくゆう性質せいしつ特質とくしつあらわす言葉ことばである。疾患しっかん固有こゆうかお個性こせい――たんなる特質とくしつ性質せいしつなされるようになれば、これこそのぞむべきことである。しかし疾患しっかん固有こゆうかおひと現状げんじょうは、容貌ようぼう自覚じかくこうべてきたように、他者たしゃから一方いっぽうてき決定的けっていてき差異さい指摘してきされてしまうのである。この現状げんじょうまえたとき、「かお個性こせい」と闇雲やみくもとなえることは疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであるという事実じじつ隠蔽いんぺいする惧れがあるとおもわれる。もっとも「疾患しっかん固有こゆうかお個性こせいてきかお」という主張しゅちょうのメッセージせい重要じゅうようであろう。かお差異さいはどんな差異さいであっても(一般いっぱん差異さい疾患しっかん固有こゆう差異さいも)たんなる差異さいであって、それ以上いじょうのものではないとなれば、これは疾患しっかん固有こゆうかおぬしのぞむことであろうから。
 以下いか男子だんし母親ははおやはなしである。

Y.Y(高校こうこう3ねん男性だんせい)の母親ははおや
 [本人ほんにんの「とくなにおもわない」について]うん、これはかなりつよがってってますね。まったくなにおもってないわけじゃないんだけども、だけどこうやってかれたら、つよ気持きもちをしていこうということだとおもいますよ。だから、自分じぶんがそれをずっとにして、きてるんじゃないっていうことをね、(中略ちゅうりゃく)もう、まったくなにおもわないわけじゃないっていう。やっぱり、かがみたりとか、してますし、、、、

 本人ほんにんこたえと母親ははおやこたえを総合そうごうすると、自分じぶん容貌ようぼうについて自分じぶん気持きもちとはべつに、他人たにん自分じぶんよわさ(容貌ようぼうについてなやんでいること)をせないための「公式こうしき見解けんかい」(タテマエ)があるようにおもわれる。このタテマエは、前述ぜんじゅつしたように疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうかかえている本人ほんにん他者たしゃがともに固有こゆう容貌ようぼうを「にしない」こと、つまりがお差異さいたんなる個性こせいであるということをうったえるメッセージである。しかしタテマエを前面ぜんめんにだしたために、本人ほんにんかおのことをどうなやんでいるかということはかくされてしまっているのである。ここでは疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうってきることの苦悩くのうをありのままに表現ひょうげんすることが出来できないのである。

2)悲哀ひあいいか
 つぎ苦悩くのうのもうひとつの類型るいけいである悲哀ひあいいかりをみていきたい。悲哀ひあいいかりは本人ほんにん疾患しっかん固有こゆうかおであることをしぶしぶみとめているが、納得なっとくはしていない状態じょうたいであるとおもわれる。特徴とくちょうとしては、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることをかなしみ、失望しつぼうし、疾患しっかん固有こゆうかお将来しょうらい治癒ちゆする可能かのうせい期待きたいする、固有こゆうかお自分じぶん将来しょうらい悲観ひかんする、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうまれるように宿命しゅくめいづけられた自分じぶん存在そんざい不条理ふじょうりせい(「まれてきたくてまれてきたのではない」)をうったえるとうがみられた。

小学しょうがく6年生ねんせい女子じょしはは じゅう周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう大空おおぞら」(1986)p.32
 むすめ来春らいしゅん中学生ちゅうがくせいになります。くちびるきれ手術しゅじゅつかいいたしましたが、きずは、はっきりわかりはな普通ふつうひととはちがいます。むすめちいさいときは、にしていなかったのですが、このころかがみ機会きかいもふえ、おとこきずことわれたりすると、とてもつらいらしく「わたしきずはもうなおらないの」ときながらわたしきます。わたし絶対ぜったいにきれいになおるし、およめにもちゃんといけるから、心配しんぱいしないでいいと、はっきりこたえます。どんなにからくてもけたら駄目だめつよくなろうね、そして、だれにもけないやさしいしんったおんなになってねと、いいかせます。でも、わたししんなみだでいっぱいです。

 この女子じょしかがみることで、自分じぶんかお疾患しっかん固有こゆうのものであることを確認かくにんしている。また、しゃによって指摘してきされてもいる。ははに「わたしきずはもうなおらないの」とせま本人ほんにん悲哀ひあい切実せつじつなものがある。自分じぶん容貌ようぼう失望しつぼうするひとは、容貌ようぼうの、とくきず部分ぶぶん治癒ちゆ期待きたいする。このひと場合ばあい、そのたずかたから判断はんだんして、いち生傷なまきずえないことにもがついているようである。医学いがくてきなおることはたしかにのぞましいことだが、現在げんざい口唇こうしん口蓋こうがいきれ医学いがくてき治療ちりょう跡形あとかたもなくきずがなくなることは不可能ふかのうである。母親ははおやむすめに「絶対ぜったいきれいになおる」と断言だんげんしていながら、内心ないしんでは困惑こんわくしている。
 以下いか中学生ちゅうがくせい女性じょせいれいである。

中学ちゅうがく女子じょし平成へいせい2ねん〜4ねん活動かつどう記録きろく』(1997) p.75
 服装ふくそう髪型かみがたにもくば思春期ししゅんきになりました。先日せんじつなにかの拍子ひょうしに「わたし結婚けっこんしないでずっといえにいるからよろしく。」とうのです。「どうして?」とくと「出来できないもの。」とこたえます。「じゃあ、しっかりはたらいて下宿げしゅくだいいれてもらわなきゃ。」とわらばしましたが、むねおくがキリキリいたみました。くちびるきれ口蓋こうがいきれについてはかくさず年齢ねんれいおうじてはなしてきたつもりです。でもこれから就職しゅうしょく結婚けっこんおおきな転機てんきひかえています。まだまださきことだとおもっていましたが、そんな心配しんぱいをする年齢ねんれいちかづいたかと感慨かんがいにふけりました。

 このれい疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることに苦悩くのうしているれいである。こちらのれい失望しつぼう度合どあいがよりつよく、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであるために本人ほんにん結婚けっこんができないとかんがえている。たしかに口唇こうしん口蓋こうがいきれしゃ婚姻こんいんりつ同胞どうほう婚姻こんいんりつよりもひくいという報告ほうこくもいくつかなされている(Bull&Rumsey,1988)。しかし、婚姻こんいんりつという数字すうじを以って個々人ここじん結婚けっこんについてろんじてもなん解決かいけつももたらされないであろう。また、中田なかた(1998a)も、やはり長年ながねん口唇こうしん口蓋こうがいきれ児童じどうおやかいとのかかわりから「わずかな異形いぎょう結婚けっこんという時期じきむかえて一変いっぺんする。たちまち口唇こうしん口蓋こうがいきれによる異形いぎょう理由りゆうにその選択せんたく機会きかいせばめられる。このことをおそれておやたちはどもに真実しんじつげず、口唇こうしん口蓋こうがいきれであることをかくそうとする場合ばあいもいまだにおおい。このことがじわじわと本人ほんにんおやたちの気持きもちをむしばんでいく。」と指摘してきする。筆者ひっしゃ現時点げんじてんでこの結婚けっこん問題もんだい明確めいかくこたえをすことが出来できない。ただ、結婚けっこん問題もんだいは、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることの苦悩くのうはしてき表現ひょうげんのひとつとすれば、この解決かいけつ疾患しっかん固有こゆう要望ようぼうであることの苦悩くのううすらいでいくとともにもたらされるのではないだろうか。
 思春期ししゅんき本人ほんにん気持きもちをつづったものとしてつぎ文章ぶんしょうがある。

女性じょせい18さい 学生がくせい 会報かいほう No.56ごう
(1996.8.30)p.7
 中高生ちゅうこうせいおんなというのは、だれよりもかわいくなりたいとおも年頃としごろ自分じぶんはそうなれないというおもいや、どうして自分じぶんだけというおもいがどんどんおおきくなっていくものです。そうおもうと同時どうじにそうおもってはいけないんだという気持きもちもあって、ずっとしん葛藤かっとうがありました。そのころはとにかく自分じぶん自信じしんがなくてほこりをてなかった時期じきです。

 疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうぬしが「うつくしい」といわれることはおそらくまれであろう。「うつくしい」といわれたとしても、本人ほんにんはその言葉ことば素直すなおれない可能かのうせいがあろう。ところが、中高生ちゅうこうせい時代じだいには、うつくしくなりたいという気持きもちがつよくおこる。しかし、「そうおもってはいけない」つまり、「内面ないめんこそが本当ほんとううつくしい」のだから、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであっても(「うつくしい」といわれなくても)にする必要ひつようはないともおもう。こうした苦悩くのう苦悩くのうでなくするためには自分じぶんなりに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自分じぶんとの関係かんけいつめなければなるまい。
 こうして容貌ようぼうについて苦悩くのうするうちに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうってまれてたことをうらむことにもなる。

 小学しょうがく男子だんし  じゅう周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう大空おおぞら」(1986)p8
 「ぼく、まれてたくて、まれたんとちがうのに」と、ある、ポッと、子供こどもった。なにかあったのかは、わからないけれど、たったいちっきりだったが…。わたしにしても、このを、こんなにくるしめるために、んだわけではないのに。

 まれてきたくてまれてくる人間にんげん一人ひとりとしていない。これは、人間にんげん存在そんざい不条理ふじょうりであるが、しかしこの厳然げんぜんたる事実じじつづかされてしまうほど、口唇こうしん口蓋こうがいきれ本人ほんにん自己じこさとしせまるのである。

Y.Yのはは(Y.Y中学ちゅうがく2ねん)No.49(1995.3.10)p.5
 あるとき矯正きょうせい治療ちりょうさまたげになるので永久歯えいきゅうしいたところ、かなりいたいらしくすうびょうおきにうがいをし、自分じぶんわるくて虫歯むしばになったわけでもないのにとだんだんはらってきて、わたしたりして「こんなにまれたくなかった」とったのです。

 このれいさきれい同様どうよう自分じぶん存在そんざい不条理ふじょうりせいうったえている。Y.Yのれい歯痛しつうがきっかけで「こんなにまれたくなかった」といいだす。しかし、まれたくないとおもったのは、歯痛しつうのためだけとはかんがえにくい。口唇こうしん口蓋こうがいきれつことのなやみ、ふか失望しつぼうしたものとおもわれる。
 そしてこのふか失望しつぼういかりにもてんじうる。

H.Nのはは(H.Nの中学ちゅうがく時代じだいについて)
 だって、本人ほんにん責任せきにんでないのにね、いろいろいわれるわけでしょ、だから、なんでこんながおんだんやってわたしっかかってきますから、だから、わたしも、そんなかおみたくなかったわよって、いいかえして、(なるほど)そんなかんじ。

 本人ほんにんはやりのないいかりを自分じぶんんだ母親ははおやにぶつけざるをない。しかし、母親ははおやもわざわざ口唇こうしん口蓋こうがいきれどもをんだわけではないのである。そして自分じぶん存在そんざい理由りゆうにまで苦悩くのう対象たいしょうひろげた本人ほんにんはようやくだれめても仕方しかたがないことにがついていくようである。

(4)容認ようにん時期じき
 失望しつぼういかり、絶望ぜつぼうかんじても、責任せきにんはどこにも、だれにもない。また、この苦悩くのう克服こくふくするためには物理ぶつりてきな――医学いがくてき手段しゅだんでは解決かいけつできないことにも気付きづく。ここにおいて本人ほんにんはある地点ちてん辿たどく。自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうきるほかはないとみとめるのである。こうしたおもいは、苦悩くのうなかから徐々じょじょ獲得かくとくされていくようだ。この状態じょうたい疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう容認ようにんぶことにする。容認ようにん時期じき特徴とくちょうとして、自分じぶん容貌ようぼうをありのままにつめるまなざしの獲得かくとく治療ちりょう不可能ふかのうせい容認ようにんや、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自己じこ体験たいけんさい統合とうごうが、あげられる。

成人せいじん女性じょせい口唇こうしんきれ
会報かいほうNo.39(1991.12.8)p.3 
 たいするコンプレックス・…そして、アッ!!わたしもそうだったんだ。やっぱりしん奥深おくふかくに口唇こうしんきれのことあったのだ。意識いしきしないようにしてきたことに気付きづいた。そうか、しんそこから仲良なかよしになれなかったのはひとのせいではなくて、わたしのせい、無意識むいしきじてしまうしんのクセだった。

 このれいでは、自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうかんがえないようにしてきたことをさい認識にんしきしている。これは疾患しっかん固有こゆうかおであることを否認ひにんしていた自分じぶんがつくことである。このように苦悩くのうする/していた自分じぶん気付きづくメタ認知にんちはありのままの自分じぶん見据みすえる視線しせんからまれている。以下いか同様どうよう視点してん自分じぶんかおについての意識いしきかたっている。

T.H
 どっかでやせ我慢がまんじゃないけどね、意識いしきをせんとこうという意識いしきはたらいているかもわからないですけどね。だから、意識いしきがまるでないというわけではないんですが、でもやっぱり意識いしきはないんですよね。だから多分たぶん障害しょうがいっているという意識いしき否定ひていしているとおもいますね。かおいがんでいるとかの意識いしきを。

 T.Hの場合ばあいも、日常にちじょう生活せいかつで、口唇こうしん口蓋こうがいきれであることについてこだわらないようにしたことと、容貌ようぼうのことからたんをそむける傾向けいこうがあることをみとめている。こうした疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいするメタ認知にんちたん障害しょうがいそむけているだけではまれない。これもさい統合とうごうれいであろう。
 このメタ認知にんち獲得かくとくしたひとにはこたえにも余裕よゆうかんじられる。こうした認知にんち――ありのままの自分じぶん客観きゃっかんてき視線しせん――は以下いかのようなかおたいするかんがえからしょうじるとかんがえられる。

青年せいねん男性だんせい母親ははおや じゅう周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう大空おおぞら」(1986)P8〜9
 「にしたって、どうにもできへん。」ケロッとってのけるつよさも、いつのにか出来できた。

 この発言はつげんもおそらくは苦悩くのう時期じき経過けいかしたのちに、この心境しんきょう辿たどいたとおもわれる。にせざるをないことはそとからなく、本人ほんにんしんのありかたとは関係かんけいなくやってくるが、にすることは解決かいけつにはならない。このことを苦悩くのうとおして体感たいかんしたのだ。「どうにもできへん。」とおも気持きもちは母親ははおやがいうようなつよさだけではなく、一種いっしゅあきらめでもあるのだ。T.Hが自分じぶん容貌ようぼうについていった以下いか言葉ことばも、おなじように一種いっしゅあきらめのおもいがめられている。

T.H
 (自分じぶんかお一語いちごであらわすと、どうですか?)奇形きけい。それはそれでとらまえてますよ。それでよくせようと努力どりょくすることはしない。よくせようとはしない。そういう努力どりょく一切いっさいかんがえてない。

 自分じぶんかおを「奇形きけい」と表現ひょうげんするかなしさはいかなるものだろう。自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであり、このかおきていくほかない。このようにあきらめることで、ありのままの自分じぶん視線しせん獲得かくとくされていく。そしてその獲得かくとくした視線しせん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自分じぶんさい統合とうごうしていく。
 さて、ここでの自己じこさい統合とうごうとは、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう交換こうかん不可能ふかのうなかけがえのない自分じぶんかおであることを理解りかいし、医学いがくてきかおえることなしにひとりの人間にんげんとしてできるかぎりのことをしていこうとする過程かていともえよう。かおについての自己じこ概念がいねん形成けいせいされたあとで疾患しっかん固有こゆうかおになったひと場合ばあい自己じこさい統合とうごうとく劇的げきてきになされると予想よそうされる。以下いか、どのように自己じこさい統合とうごうがなされるかていく。

H.N 会報かいほうNo.37(1991.6.9)p.3
 あきらめるものはあきらめ、自分じぶんなおせることなおそう。わらかたも、みぎからわらったら口唇こうしんがあがる。かがみて、注意ちゅういし、くちじて、をつけてあるいている。しかし、をつけていることにならない。いまあるかおすこしでもせたい。

 H.Nは、かお造作ぞうさく自体じたいえることは困難こんなんであるとかんがえ、かわりに表情ひょうじょう注意ちゅういすることで自分じぶん魅力みりょくをつくろうとかんがえている。「いまあるかお」で出来できるだけのことをするというかんがかたであるだろう。
 また、H.Nは同様どうよう主張しゅちょう口唇こうしん口蓋こうがいきれ人達ひとたちけてはっしている。

大空おおぞら」15周年しゅうねん記念きねん文集ぶんしゅう(1991)pp.42-43
 でも、もしあなたかたすこしでもファッションに興味きょうみがあるなら、お洒落しゃれになりなさい。そして自分じぶんかおをよく研究けんきゅうしなさい。かおというものは本人ほんにんのつけかた次第しだいでボーっとしたかおにもなるし、ひきしまったかおにもなるものです。たとえば、「くちじてあるく」「清潔せいけつにしておく」ということぐらいはをつけておいたほうがよいでしょう。ひとかお判断はんだんするようなやつらははなっとけ!とぼくおもう。でも、自分じぶんでは、とことん普通ふつうひとよりも、もっとかおをつかったほうがいいとおもう。

 H.Nの主張しゅちょうは、かおについてになるのなら、いまできる範囲はんいかおかた工夫くふうしようという積極せっきょくてきなものである。この主張しゅちょう疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうなやんでいるひととしてはいささか逆説ぎゃくせつてきではあるが、自己じこさい統合とうごうこころみとしてとらえることが出来できよう。「いまある自分じぶん容貌ようぼう」をみとめなくてはないものであろう。このようにして、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうぬしはじめてよくきることが出来できるのではないだろうか。


ひょう2 容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう過程かてい仮説かせつモデル
過程かてい 特徴とくちょう  容貌ようぼう自己じことの関係かんけい
容貌ようぼう無自覚むじかく時期じき
    特徴とくちょう      疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくなし
    自己じことの関係かんけい  明確めいかくではない。

容貌ようぼう自覚じかく時期じき
    特徴とくちょう      他者たしゃからの一方いっぽうてき断定だんていてき指摘してきによる疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかく
    自己じことの関係かんけい  自己じこ容貌ようぼう自分じぶんのものとしてうまく位置いちづけられない。

苦悩くのう時期じき
   特徴とくちょう      疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることの否認ひにんによる意識いしき抑圧よくあつ
           疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることの悲哀ひあいいかり・絶望ぜつぼうなど
   自己じことの関係かんけい  ありのままの容貌ようぼう自己じこのものとしてみとめられない
           ありのままの容貌ようぼう自己じこ有機ゆうきてきむすけるための葛藤かっとう
           られる。

容認ようにん時期じき
   特徴とくちょう      ありのままの容貌ようぼうつめるまなざし
           ありのままのかおきていくほかないというあきら
           疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうつ「わたし」としての自己じこ体験たいけんさい統合とうごうがおこ
           る 苦悩くのう完全かんぜんにはえず、「間遠まどお」になる。


かく段階だんかいごとの援助えんじょのありかた提言ていげん
 前節ぜんせつ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自己じこ受容じゅよう過程かてい仮説かせつとしてあげた。そこで本節ほんぶしではさきにあげ
仮説かせつモデルにもとづき、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとがありのままの容貌ようぼうきるために、どのような援助えんじょのありかたがあるべきか、かく段階だんかいごとの援助えんじょ方法ほうほう提言ていげんしてみたい。

(1)容貌ようぼう無自覚むじかくである時期じき援助えんじょ
 疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう本人ほんにん自覚じかくしていない時期じき援助えんじょしゃはどのように本人ほんにんかかわるべきであろうか。この時期じき幼稚園ようちえん小学校しょうがっこうとうども社会しゃかいへの加入かにゅう以前いぜん期間きかんてはまるとおもわれる。この時期じき援助えんじょがわ特徴とくちょうとして、母親ははおやなど保護ほごしゃ混乱こんらんられる。だから、本人ほんにんせっする母親ははおや態度たいども、不安定ふあんていなものになっている可能かのうせいがある。実際じっさい容貌ようぼう無自覚むじかく時期じき(T.HやH.Nの母親ははおやれい)で例示れいじしたように、母親ははおやどもをそとさない。「ひたかくしにかくして」、「仕方しかたなく」そとす。このような母親ははおや混乱こんらんなかで、それでも疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう本人ほんにん理解りかいさせる努力どりょくとしては、T.Hの母親ははおやれい参考さんこうになる。彼女かのじょはT.Hの生後せいごヶ月かげつのはじめての手術しゅじゅつえてから、本人ほんにんかおかがみうつしてはなけている。

T.Hの母親ははおや
 かがみはねえ、あかちゃんでっこしているときからせてたんですよ、意識いしきてきに、「ほら、ほら」、いうて「ここいたかったでしょ」手術しゅじゅつしてここくっつけましたわねえ、3ヶ月かげつ最初さいしょ手術しゅじゅつを、そのあときょうて「ほら、ここいたかったねえ」とかいながら、ずっとってたんですよ。「いたかったけどくっついたねえ。」どももまだようしゃべりませんよ、だからまだ4ヶ月かげつ、か6ヶ月かげつくらいのときからずっとそうやってたんです。やっぱりかがみせておかないとかわいそうでしょ。ある突然とつぜんバッとかがみてあっとおもったらかわいそうじゃないですか、いやだからそれこそみですよね、みんなとはちがうのよ、っていうことをやっぱりっておいてやらないと、、、、

 あかぼうをあやす技術ぎじゅつとして、かがみせる方法ほうほう一般いっぱんてきである。幼児ようじがいつごろからかがみうつった自分じぶんかおきず自分じぶんのものと認知にんちするかはという発達はったつ心理しんりがくてき問題もんだいのこるが、本人ほんにんにありのままの容貌ようぼう理解りかいさせるだてとしては、また母親ははおや自身じしん不安ふあんやわらげるためには有効ゆうこうであるとおもわれる。
 また、おやかい活動かつどう本人ほんにん参加さんかすることで、自分じぶんおな口唇こうしん口蓋こうがいきれひと交流こうりゅうすることもありのままの容貌ようぼう本人ほんにん大切たいせつ機会きかいであろう。

(2)容貌ようぼう自覚じかくする時期じき援助えんじょ
 この時期じきしょう集団しゅうだん加入かにゅう時期じきでもある。この時期じき重要じゅうようなことは、他者たしゃからの一方いっぽうてき指摘してきによってはじめて疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくするというような事態じたいけることである。この他者たしゃからの一方いっぽうてき指摘してきによって本人ほんにん非常ひじょうきずつく可能かのうせいについてはさきべた。このてんから、どもが、口唇こうしん口蓋こうがいきれであるという事実じじつおしえられる場合ばあい、この時期じきおやからおしえられることがおおいとおもわれる。(関西かんさい地区ちく口唇こうしん口蓋こうがいきれともあゆかいでは、どもに口唇こうしん口蓋こうがいきれである事実じじつげる適切てきせつ時期じきを、学童がくどうとしている。)ところで、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであることの苦悩くのうがすぐ間近まぢか予想よそうされるということをかんがえると、おやからつたえるべき事実じじつ内容ないよう問題もんだいとされる。本人ほんにん事実じじつとしてつたえられる内容ないようは、往々おうおうにして疾患しっかん自体じたいのみであり、疾患しっかん原因げんいんで(この場合ばあい口唇こうしん口蓋こうがいきれ原因げんいんで)疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうになっているという事実じじつ本人ほんにん明確めいかくつたえるということには力点りきてんかれていないようにおもわれる。さきに、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうであるということが将来しょうらい本人ほんにん重大じゅうだい苦悩くのうをもたらすことをべたが、これは以下いかのような構造こうぞうささえられているとおもわれる。なお、この議論ぎろん手術しゅじゅつなどによって治癒ちゆ不可ふか容貌ようぼうにたいしての一方いっぽうてき指摘してきが、他者たしゃ倫理りんり未熟みじゅくさにあり、他者たしゃ指摘してき自体じたいさき非難ひなんされなくてはならないということは前提ぜんていにおいてのものである。まず、かおひと価値かちかんがえるとき、おもたるのは「ひと価値かち外見がいけんではなく中身なかみによって決定けっていされる」という価値かちかんである。かおうつくしさではなく、性格せいかく性質せいしつ能力のうりょくによってひと判断はんだんされるべきものであるという価値かちかんである。口唇こうしん口蓋こうがいきれぬしも、おさなころからこの価値かちかんおしえられている。ところが、口唇こうしん口蓋こうがいきれぬしおさなころから他者たしゃ疾患しっかん固有こゆう容姿ようし指摘してきされる。この指摘してきおしえられた価値かちかん裏切うらぎ出来事できごとである。
 一方いっぽうわたしたちは「うつくしければうつくしいほどよい」という視覚しかくてき至上しじょう主義しゅぎともえる価値かちかんをもっている。たとえばテレビや雑誌ざっしなどには「かっこいい」「うつくしい」あるいは「個性こせいてき」なひとがおおあらわれる。そして疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうぬしはまずないといっていい。(かつてソビエト連邦れんぽう指導しどうしゃゴルバチョフがくのあざがしばしば風刺ふうし対象たいしょうになって新聞紙しんぶんしじょうなどにえがかれたのは、例外れいがいであろう。)追求ついきゅうする人間にんげん本性ほんしょうは、美術びじゅつからもいえることである。たしかに表現ひょうげん主義しゅぎ構成こうせい主義しゅぎのように内面ないめんうつくしさの精華せいか表面ひょうめんあらわれたものにようとする主張しゅちょう存在そんざいするが、外面がいめんてきうつくしさを追求ついきゅうする傾向けいこう否定ひていないだろう。美容びよう整形せいけい隆盛りゅうせいもこれを裏付うらづけるだろう。また、社会しゃかい心理しんりがく領域りょういきでは、松井まつい山本やまもと(1985)が、男性だんせい女性じょせい交際こうさい対象たいしょうとして選択せんたくする場合ばあい、「うつくしさ」がもっともおおきな判断はんだん基準きじゅんであることをしめしている。
 結局けっきょくひと価値かちはその中身なかみまるという倫理りんりとはべつに、わたしたちには外見がいけんうつくしさをもっとものぞましいものと習慣しゅうかんてき思考しこうがあるとかんがえられる。口唇こうしん口蓋こうがいきれぬしけっして例外れいがいではない。げん形成けいせい手術しゅじゅつ過剰かじょう期待きたいをして、いつか「うつくしい白鳥はくちょう」になることを夢見ゆめみる。つまり、タテマエとしては前者ぜんしゃ価値かちかんしんじているのだが、自分じぶん容貌ようぼうたいしては価値かちかんにも影響えいきょうけているということになる。ここにひとつのジレンマがしょうじる。本当ほんとううつくしくなりたいのに、うつくしくなれない、しかも、うつくしさは本当ほんとう人間にんげん価値かち関係かんけいのものであるはずだ。いったいどうしたらいいのか、というようなジレンマが。
 このジレンマは疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとかぎらずだれでもちうるものであろうが、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとはこのジレンマをよりつよ意識いしきさせられる。というのは幼時ようじから自身じしん容貌ようぼう説明せつめいされるとき前者ぜんしゃ価値かちかんもちいて説明せつめいけるからである。具体ぐたいてきれいげてみよう。

T.Hのはは
 ちいさいときからね、ひとてくれだけとちがうよって、かおだけでそのひと判断はんだんしたらあかんって、姿すがたかたちだけで判断はんだんしたらあかん、やっぱり内面ないめんてきなことが大事だいじだからっていうてずっとうてたんですよ、ちいさいときから。

 こうした助言じょげんは、おや疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうどもがかおについての苦悩くのうをいくらかでもらそうという配慮はいりょからたものであり、母親ははおや自身じしんなぐさめる意味合いみあいもふくんでいるとおもわれる。しかし、こうした助言じょげんによって口唇こうしん口蓋こうがいきれひと苦悩くのう潜在せんざいさせてしまったり、さきべたジレンマにおちい可能かのうせいがある。苦悩くのう潜在せんざいすると、援助えんじょするがわは(疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとたいするカウンセリングがおそらく存在そんざいしていない現在げんざい日本にっぽんでは、援助えんじょする役割やくわりをになうのはおも母親ははおやであろうが)どのように援助えんじょしたらよいか困惑こんわくすることになる。また、本人ほんにん苦悩くのう潜在せんざいさせてしまうのだから、容貌ようぼうについてしっかり見据みすえることは出来できない。そして他者たしゃから疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうについて指摘してきけ、混乱こんらんし、母親ははおやからの助言じょげん矛盾むじゅんかんじるばかりである。つまり、このようなかたち助言じょげんでは、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとがよりよくきることにはつながらないのではないだろうか。
 では、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくする時期じき以降いこう本人ほんにん苦悩くのう潜在せんざいこさず、うつくしさにたいしてもそむけずにいられるためにどういった助言じょげんかんがえられるのであろうか。参考さんこうになるのは、容認ようにん時期じきこうであげた記録きろくである。たとえばH.Nは自分じぶん容貌ようぼうについて「あきらめるものはあきらめ、自分じぶんなおせること自分じぶんなおそう」とべている。このようなわりりがないと、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうでありながらうつくしさをもとめることはむずかしい。また、H.Nは母親ははおやとの葛藤かっとうなか疾患しっかん固有こゆうのこの容貌ようぼう自分じぶんきていかなくてはならないとってしかったとっている。
 自分じぶん容貌ようぼう自覚じかく時期じきに、自分じぶんのありのままの容貌ようぼうみとめることは困難こんなんなことであろう。しかし、ありのままの容貌ようぼう本人ほんにん関係かんけいづける努力どりょくうながすことが援助えんじょがワニは必要ひつようなのではないだろうか。 すくなくとも、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう手術しゅじゅつによって治癒ちゆすると期待きたいさせたりすることは、本人ほんにんにありのままのかおれる気持きもちをこさせないというてんのぞましくない。

(3)苦悩くのう時期じき援助えんじょ
 苦悩くのう時期じき特徴とくちょうは、とく否認ひにん時期じきにおいて、ありのままの自分じぶん容貌ようぼう自分じぶんのものとして素直すなおみとめられないということであった。ここでがかりとなるのは、今回こんかいのインタビュー対象たいしょうの5めいのうち3めいが、なんらかのかたち口唇こうしん口蓋こうがいきれとはことなる障害しょうがいかかえるひと交流こうりゅうがあったということである。こうした交流こうりゅうなかで、障害しょうがいたいする意識いしき明確めいかくになり、自身じしんのありのままの容貌ようぼう受容じゅようにすすむということは十分じゅうぶんかんがえられる。

H,N
 予備校よびこう時代じだい障害しょうがい目立めだたない。)のと、いっしょに勉強べんきょうしたことがあった。その障害しょうがいにしていた。やっぱり自分じぶん不細工ぶさいくやからとおもうこともありますやん。正真正銘しょうしんしょうめい五体ごたい満足まんぞくひとなんていないとおもった。にしなければ障害しょうがいにはならない。見据みすえているうちにとことんうことで、障害しょうがいえられる。

 H.Nの場合ばあい障害しょうがいかかえるひととの出会であいが結果けっかてき自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいする態度たいど見直みなお契機けいきになった。2人ふたりは、障害しょうがいかかえるひととの交流こうりゅうによってなに自分じぶん認識にんしき変化へんかきたとはかたらなかったが、自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう、あるいは口唇こうしん口蓋こうがいきれという障害しょうがい認知にんちなんらかの影響えいきょうあたえているということは想像そうぞうかたくない。
 もうひとつは疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうそのものをくわしくだてを援助えんじょするということである。容貌ようぼう苦悩くのうしている本人ほんにんが、疾患しっかんについてよくることは、ありのままの容貌ようぼうれるための重要じゅうよう作業さぎょうであろう。なお、ここで重要じゅうようなことは、援助えんじょするがわ価値かちかんけないということである。むしろ本人ほんにんみずからがろうとする態度たいどそだてることが重要じゅうようであろう。
 悲哀ひあいいかりについては、上記じょうきのこともあわせて、ともかなしむことや、おやとしての悲哀ひあいがどのようなものであるか、発言はつげんすることが重要じゅうようであろう。
 以上いじょう調査ちょうさ結果けっかからかおひと価値かちとの関係かんけいを、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう正面しょうめんからありのままに理解りかいすることが出来できるようなありかたについてべてきた。今後こんご、どのようにして疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとがありのままに容貌ようぼう理解りかいすればよいのか、さらに検討けんとうすべき課題かだいであろう。


疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうちながらよりよくきること――容認ようにん援助えんじょにかえて

 さきにべたように、自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうをありのままに理解りかいする体験たいけんは、自己じこさい統合とうごうにつながることであった。このこうでは自己じこさい統合とうごう、どのようにかおかかわっていくのかていく。H.Nは、27さい現時点げんじてん(インタビュー)では固有こゆう容貌ようぼうについてまったくかんがえていないとべている。

H.N
 だからね、正味しょうみかんがえてないんですわ、かおについては。そやからね、ぎゃくに、その、まあ、口唇こうしん口蓋こうがいきれとしてインタビューをしたいと、われるとなると、ぎゃくわたし口唇こうしん口蓋こうがいきれであったことをおもすわけですわ。だ、それで、ま、いうたら、そんな必要ひつようないんちがうのっていういきどおりがある、わけですわ。

H.N
 かおについては、いまとなってはまったくかんがえていないですよ。たとえば営業えいぎょういったときに口唇こうしん口蓋こうがいきれだからどうとかね、ひとたいしてどうられてるとかね、そういった部分ぶぶんいまはもうまったく、、、まったくないですね。そういうハンディっていうのをかんじる部分ぶぶんは、、、

 ここでいままでおさなころからのH.Nの疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうたいする態度たいどをもう一度いちど整理せいりしてみる。幼稚園ようちえん入園にゅうえんするころから他者たしゃかおのことを指摘してきされるようになり、中学ちゅうがくまでは手術しゅじゅつによって容貌ようぼう劇的げきてき改善かいぜんすると期待きたいする。しかし、手術しゅじゅつ結果けっか本人ほんにん期待きたいとは程遠ほどとおいものであり、自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうや、そういう容貌ようぼうってまれてきてしまった自分じぶん失望しつぼうする。と同時どうじ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうってきていくように運命うんめいけられた自分じぶんをむけるようになる。そして自分じぶん見据みすえる方向ほうこうせい予備校よびこうのときに出会であった目立めだたない障害しょうがいをもつ友人ゆうじんとの出会であいで決定的けっていてきになる。「にするから障害しょうがいになるんだ」と。かれかおについての積極せっきょくてき努力どりょくはじまる。最後さいご手術しゅじゅつ中学ちゅうがく卒業そつぎょうのときであるから、手術しゅじゅつのち容貌ようぼう認知にんち転換てんかんてんとすれば、それ以来いらい12ねん経過けいかしている。12年間ねんかん、おおよそ自分じぶん容貌ようぼうをありのままに見据みすえる努力どりょくつづけて、かおのことを「まったくかんがえ」ないところに辿たどいたことになる。
 さて、かれ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうをまったく顧慮こりょしないというのはどういうことなのだろうか。否認ひにんとはどうちがうのだろうか。筆者ひっしゃはH.Nが正確せいかくにはかおのことを「かんがえていない」のではなく、本人ほんにんにせざるをない機会きかいすくなくなったといったほう適切てきせつであるようにかんがえる。27年間ねんかん生活せいかつなかで、口唇こうしん口蓋こうがいきれひととしてかんがえられうる体験たいけんをおおよそしてしまった、そして経験けいけんした出来事できごとへの対処たいしょ可能かのうである。だから、あらためて容貌ようぼうについてかんがえる必要ひつようはない。つまり、自分じぶん固有こゆう容貌ようぼうについての苦悩くのう間遠まどおになったとかんがえるわけである。そうしてはじめて口唇こうしん口蓋こうがいきれひとは「普通ふつう」に生活せいかつできるわけだ。興味深きょうみぶかいことにこの男性だんせいつまはなしいてみると、かれけっしてかおのことをまったかんがえていないわけではないことがあきらかにされる。

H.Nのつま(26さい 主婦しゅふ
 こう(H.Nのこと)は冗談じょうだんぽく、なんてうのかな、テレビとかうじゃないですか、「ほんまやったらこんなに男前おとこまえやったのに。」、とか(H.Nが)うんですよ。「いまでも男前おとこまえや、なにいっとん!」とか(H.Nにたいしてつまが)うんですよ。「普通ふつうかんじやったらこんなんやろなあ。」とか(H.Nが)うから、やっぱ、ぽろっといったりするんですよ、本人ほんにんはそんなもりないのかもしれないけど、わたしが、だから、もう「どこがちがうん?普通ふつうやんか?なにいっとん!」とかって、それではなしわるんですけど。

 このような夫婦ふうふあいだ会話かいわ表現ひょうげんは、本人ほんにん(H.N)の(固有こゆう容貌ようぼうについての)不安ふあん解消かいしょう手段しゅだんであるようだ。ここでこのやりり(つまおっとかおを「普通ふつう」だという対話たいわ形式けいしき)が、おっと自身じしん容貌ようぼうかんする不安ふあんやわらげるものになっている。H.N自身じしんがまったくかおについて不安ふあんがないわけではないのである。
 ここから、ありのままの容貌ようぼう容認ようにんした本人ほんにんが、それでも容貌ようぼうについてのいくらかの不安ふあんかかえながらきていく姿すがたえてくる。ただし、不安ふあんたいするせっかたとしるにしたがって熟練じゅくれんしてくるし、配偶はいぐうしゃとう家族かぞくや、友人ゆうじんなどにささえられることで自信じしんてくる。疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひときとその人生じんせいきるためにまず必要ひつようなことは、ありのままに容貌ようぼう容認ようにんすることであった。また、容認ようにんした自分じぶん容貌ようぼう自分じぶんせい感情かんじょうをぶつけることであった。こうしてがりなりにも自分じぶんのかけがえのない容貌ようぼうった本人ほんにんには、次第しだいにかつての苦悩くのう間遠まどおになっていく。しかし、間遠まどおななかにも容貌ようぼう問題もんだいせてしまったわけではない。容貌ようぼう問題もんだいつね自分じぶんかお存在そんざいしている。つねにそばにる。そして本人ほんにん油断ゆだんしているところにふっと「かおを」す。
 青年せいねん以降いこう、よりよくきるために疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとがどのように自分じぶん容貌ようぼうとかかわっていくかということは、今後こんご課題かだいとして留保りゅうほしておきたい。

W 総括そうかつ
従来じゅうらいかお疾患しっかんによる差異さい一般いっぱんてき用語ようごとして定着ていちゃくしていなかったので、これまでの用語ようご検討けんとうしたうえあたらしい用語ようご――疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう――を提唱ていしょうした。そのうえで、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひと対象たいしょう口唇こうしん口蓋こうがいきれ限定げんていして考察こうさつしてきた。
考察こうさつ結果けっか口唇こうしん口蓋こうがいきれひと本人ほんにんの、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう受容じゅよう過程かていをひとつの仮説かせつとして提唱ていしょうした。
・まず出生しゅっしょうからはじめての社会しゃかい参加さんかである幼稚園ようちえん小学校しょうがっこう入学にゅうがくまでの疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう
自覚じかく時期じきがある。
つぎに、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくこる。これは自分じぶんから自発じはつてき自覚じかくするのではなく、他者たしゃからの一方いっぽうてき断定だんていてき指摘してきによって自覚じかくがなされるというてん特色とくしょくであった。
・そして疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自覚じかくすると同時どうじ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうつことの苦悩くのうはじまる。これは幼年ようねんから青年せいねんまでひろられた。
苦悩くのう否認ひにん失望しつぼういかりとにおおきくけられた。
否認ひにん苦悩くのう潜在せんざいする場合ばあいと、「疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう個性こせい」として疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自分じぶん苦悩くのう素直すなお表現ひょうげんできない場合ばあいとおりがられた。
失望しつぼういかりは特徴とくちょうとして、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう将来しょうらい手術しゅじゅつによって完全かんぜん治癒ちゆする可能かのうせい期待きたいする、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自分じぶん将来しょうらい悲観ひかんする、自分じぶん存在そんざい不条理ふじょうりせいうったえるなどがられた。この時期じき自己じこ疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう有機ゆうきてきむすけるための葛藤かっとう時期じきかんがえられた。
さらにこの苦悩くのう体験たいけんて、本人ほんにん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう自分じぶん容認ようにんするようになる。ここでの特徴とくちょうは、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうきていくほかないというあきらめ、ありのままの自己じこ見据みすえる客観きゃっかんてき視線しせん、などを獲得かくとくして自己じこのこれまでの体験たいけんさい統合とうごうするということである。この自己じこさい統合とうごうによって、自分じぶん疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう交換こうかん不可能ふかのうなかけがえのないかおであることを理解りかいし、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひととして、できるかぎりのことをしようとするようになる。こうして獲得かくとくされた姿勢しせいこそが疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうってよくきることにつながるのではないかと結論けつろんした。
以上いじょうてんまえて、この自己じこ受容じゅよう過程かていかく段階だんかいごとの本人ほんにんへの援助えんじょかた提言ていげん
た。
とく疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうぬしは「ひと価値かち中身なかみまる」という価値かちかんと「うつくしければうつくしいほどよい」」という価値かちかんあいだでジレンマにおちいりがちであるから、いたずらに疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう治癒ちゆ期待きたいさせてしまうような助言じょげんや、苦悩くのう潜在せんざいさせてしまうような正論せいろん助言じょげんとしてあたえることのあやうさを指摘してきした。
・そしてここから疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひとがよくきるためにということを念頭ねんとうにおいて、ありのままの容貌ようぼう自分じぶんみとめられるような助言じょげん援助えんじょをする必要ひつようせいについて言及げんきゅうした。
最後さいご自己じこさい統合とうごう、どのように疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうひときていくのか、中井なかい
(1998)がPTSDの回復かいふくについて説明せつめいした言葉ことば、「間遠まどおになる」を使つかって考察こうさつした。
今後こんご課題かだいとして縦断じゅうだんてき調査ちょうさによる容貌ようぼう受容じゅよう過程かてい研究けんきゅうかく段階だんかいごとの援助えんじょのありかた
研究けんきゅう必要ひつようであろう。また、疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼうになった時期じきによって受容じゅよう過程かていことなるとおもわれる。さら様々さまざま疾患しっかんごとの研究けんきゅう必要ひつようになるとおもわれる。


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謝辞しゃじ
 まず、わたし論文ろんぶんのため貴重きちょう時間じかんいてくださり、たくさんの貴重きちょう教示きょうしたまわりました藤田ふじた裕司ゆうじ先生せんせいあつ御礼おれいもうげます。また、本論ほんろんくにあたって、インタビューの機会きかい会報かいほう記事きじ提供ていきょうしていただいた関西かんさい地区ちく口唇こうしん口蓋こうがいきれともあゆかい深謝しんしゃいたします。唐突とうとつで、気分きぶんがいするかもしれないような不躾ぶしつけ質問しつもんをぶつけても、真摯しんしにインタビューにおうじてくださった方々かたがたがいなければ、本論ほんろん完成かんせいすることがなかったとおもわれます。また、最後さいごに、わたし粘着ねんちゃくてき文章ぶんしょうにもかかわらず、最後さいごまで論文ろんぶん討論とうろんしてくれた藤田ふじたゼミの方々かたがた感謝かんしゃします。


資料しりょう
以下いか質問しつもん項目こうもく今回こんかい調査ちょうさ使用しようしたものである。「異形いぎょう」という用語ようご使つかわれているのは、調査ちょうさ時点じてんでは、適切てきせつ用語ようご見当みあたらなかったためである。なお、調査ちょうさには、「異形いぎょう」の意味いみするところを本論ほんろんべたような疾患しっかん固有こゆう容貌ようぼう定義ていぎのようにおぎなった。

本人ほんにんうかがいたいこと
1、 病名びょうめい障害しょうがいをもった時期じき年齢ねんれい
2、 自分じぶんかおについてどうおもわれますか?
3、 他人たにんからかおについてどうわれてきましたか?
4、 3で、他人たにんからわれたことをどうかんじましたか?
5、 あなたにとって一般いっぱんに「障害しょうがい」とはどういうものですか?
6、 異形いぎょうであることは障害しょうがいであるとおもえますか?
7、 6でこたえられたことをどうしてそうおもえますか?
8、 周囲しゅうい視線しせんかんじますか?
9、 かんじるとすれば、それはどうしてですか、また、どうおもいますか?
10、 どんなときに自分じぶんらしくきているとおもいますか
11、 身近みぢかかおにハンディをもつものがいますか?
12、 このインタビューをける感想かんそうをおかせください。

かあさんにうかがいたいこと
1、 なんさいときどもさんでしょうか?
2、 どもの容貌ようぼう異形いぎょうについてどうおもわれますか?
3、 他人たにんからどもの異形いぎょうについてどうせっしてこられましたか?
4、 だい人数にんずうまえどもと一緒いっしょにいるとき不安ふあんかんじたり、視線しせんかんじたりしますか?
5、 どもが容貌ようぼうについてなやんでいる、あるいはっているとかんじたことがありますか?
6、 異形いぎょうであることをどうおもうか?どもの容貌ようぼうのことでども自身じしんはなしたことはありますか?
あるとすれば、それはどんな内容ないようでしたか?
7、 容貌ようぼうのことで親戚しんせき知己ちき見知みしらぬひとからなにかいわれたことはありませんか、いわれた
とすればどういう内容ないようでしたか?
8、 容貌ようぼうのせいで学業がくぎょう成績せいせき友人ゆうじん関係かんけい異性いせい関係かんけいとう影響えいきょうけたとおもわれますか?
9、 どもは容貌ようぼうのせいでいじめられたことがありますか?
10、どもとのあいだ異形いぎょうのことをなんといいますか?
11、どもの容貌ようぼうのことで相談そうだん相手あいておもにどなたでしたか?

1) 筆者ひっしゃかぎり、日本にっぽんでは三浦みうら(1995)が思春期ししゅんき口唇こうしんきれ口蓋こうがいきれ患者かんじゃ治療ちりょう指針ししん目的もくてきでアンケート調査ちょうさおこなったものだけである。
2) 容貌ようぼうちがいのほかに、口唇こうしん口蓋こうがいきれ場合ばあい機能きのうてき障害しょうがいもある。身体しんたい障害しょうがいしゃ福祉ふくしほうにより、口唇こうしん口蓋こうがいきれしゃ音声おんせい言語げんご咀嚼そしゃく機能きのう障害しょうがいてはまり、4きゅう身体しんたい障害しょうがいしゃということになっている。つまり、具体ぐたいてきには、風船ふうせんふくらますことが出来できなかったり、ハーモニカやリコーダーがけなかったりする。また、言葉ことばがききとりにくいこともよくある。
3) フィードラー (1978)は、かおかぎらず「生理せいりてき逸脱いつだつかかえた人々ひとびと」の確定かくていすることが出来できずに、「伝統でんとうてきにフリークとばれてきた人々ひとびとあいだには、今後こんご綱領こうりょうとしてなにばれたいかという合意ごうい存在そんざいしないのである。なにべつ名称めいしょうで、という意志いしがあるばかりなのだ。」(p8)とべている。
4) たとえば、中田なかた(1997)は、「容貌ようぼう異形いぎょう」とかたをしている。
5) Partridge,J.(1997)はvisible differenceを@文化ぶんかてき規定きていされた基準きじゅんらしてはっきりと特異とくいなために周囲しゅういひとから凝視ぎょうしされるという意味いみと、A自身じしん容貌ようぼうがとりわけ客観きゃっかんてきには問題もんだいがなくとも、個人こじんてき特異とくいに「かんじられる」という意味いみとにけている。Aの文脈ぶんみゃくではみにくがた恐怖きょうふもその範疇はんちゅうはいる。この言葉ことばは、かお問題もんだいけっして本人ほんにん次第しだいではないということを指摘してきしている。ぎゃくにいえば、この「本人ほんにん次第しだい」という視点してんが、この問題もんだいいままでおおきくげられなかった原因げんいんひとつだろう。



松本まつもと まなぶ  ◇ARCHIVES
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