(Translated by https://www.hiragana.jp/ )
青木千帆子・渥美公秀「障害者の就労場面を通して見る「普通」の仕事」
last update: 20151224
◆要旨 ようし
◆報告 ほうこく 原稿 げんこう
■要旨 ようし
□研究 けんきゅう の背景 はいけい
障害 しょうがい 者 しゃ の雇用 こよう や就労 しゅうろう に関 かん する方策 ほうさく を検討 けんとう することが、発表 はっぴょう 者 しゃ の研究 けんきゅう 目的 もくてき である。発表 はっぴょう 者 しゃ は、これまで職場 しょくば 適応 てきおう 援助 えんじょ 者 しゃ (ジョブコーチ)に対 たい するインタビューを実施 じっし し、その役割 やくわり が、援助 えんじょ 対象 たいしょう 者 しゃ である障害 しょうがい 者 しゃ を「障害 しょうがい 者 しゃ 」というカテゴリーから「普通 ふつう 」のカテゴリーに移 うつ す作業 さぎょう であることを見出 みいだ した(青木 あおき ・渥美 あつみ , 2007)。また、Reid & Bray (1998)によると、障害 しょうがい 者 しゃ の労働 ろうどう は周囲 しゅうい の労働 ろうどう 者 しゃ が持 も っている「仕事 しごと 」に対 たい するイメージを揺 ゆ るがす、と指摘 してき している。
では、障害 しょうがい 者 しゃ 受 う け入 い れ事業 じぎょう 所 しょ において「普通 ふつう の仕事 しごと 」はどのように捉 とら えられ、障害 しょうがい 者 しゃ とともに働 はたら くことでどのように変化 へんか していくのであろうか。発表 はっぴょう 者 しゃ は障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう している事業 じぎょう 所 しょ にてフィールドワークを行 おこな い、各 かく 事業 じぎょう 所 しょ で共有 きょうゆう されている「普通 ふつう の仕事 しごと 」とは何 なに かを確認 かくにん した。
□研究 けんきゅう 方法 ほうほう
関西 かんさい 圏 けん にある障害 しょうがい 者 しゃ 受入 うけいれ 事業 じぎょう 所 しょ 5ヶ所 かしょ に在籍 ざいせき する、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 10名 めい 、障害 しょうがい 者 しゃ 手帳 てちょう を所有 しょゆう する従業 じゅうぎょう 員 いん 7名 めい を対象 たいしょう に、個別 こべつ /グループインタビューを実施 じっし した。また、合意 ごうい の取 と れた事業 じぎょう 所 しょ に関 かん しては、参与 さんよ 観察 かんさつ を実施 じっし した。
そして、障害 しょうがい 者 しゃ とともに働 はたら く健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう 、及 およ びこの傾向 けいこう の背景 はいけい にあると推測 すいそく される前提 ぜんてい 、つまり「仕事 しごと における普通 ふつう 」とそうでないものを分 わ けるルールを軸 じく に、障害 しょうがい 当事 とうじ 者 しゃ および周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん による語 かた りを分析 ぶんせき した。
□結果 けっか
障害 しょうがい 者 しゃ 受入 うけいれ 事業 じぎょう 所 しょ では、受 う け入 い れ当初 とうしょ 、障害 しょうがい 者 しゃ をどう戦力 せんりょく 化 か するのかが問題 もんだい となる。この時点 じてん においては、「あらかじめ一定 いってい 能力 のうりょく を兼備 かねそな え仕事 しごと が出来 でき ることが普通 ふつう 」という前提 ぜんてい が働 はたら いていると推測 すいそく され、「一定 いってい 能力 のうりょく を兼 か ね備 そな えていない」と考 かんが えられている障害 しょうがい 者 しゃ には、仕事 しごと として作業 さぎょう が与 あた えられる。この部分 ぶぶん において、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の仕事 しごと は周囲 しゅうい の健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん によって決定 けってい されるため、依存 いぞん 的 てき なものとなる。そして、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん による障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の管理 かんり が、その従業 じゅうぎょう 員 いん の力量 りきりょう を超 こ えるようになると、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の能力 のうりょく をあきらめる傾向 けいこう が見 み られるようになる。
しかし、周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん が仕事 しごと の教 おし え方 かた を心得 こころえ ていくと、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に対 たい する関 かか わり方 かた も変化 へんか する。ここでは、「教 おし えられる事 こと で仕事 しごと を身 み につけることが普通 ふつう 」となるため、障害 しょうがい 者 しゃ ・健常 けんじょう 者 しゃ の境 さかい があいまいになっていく。やがて、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の教 おし え方 かた が上達 じょうたつ し、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の技術 ぎじゅつ が上 あ がるに伴 ともな って、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の作業 さぎょう に障害 しょうがい 者 しゃ による自己 じこ 決定 けってい が加 くわ えられていく。
障害 しょうがい 者 しゃ の技術 ぎじゅつ が向上 こうじょう するに従 したが い、徐々 じょじょ に周囲 しゅうい の健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん も障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の働 はたら きに支 ささ えられながら仕事 しごと をするようになる。この時点 じてん で、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に与 あた えられる仕事 しごと は、もはや作業 さぎょう ではなく、周囲 しゅうい の管理 かんり に依存 いぞん するものでもなくなる。周囲 しゅうい の健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に責任 せきにん を持 も たせることを覚 おぼ えていき、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 本人 ほんにん も責任 せきにん に応 こた えようとする。このような状況 じょうきょう の受 う け入 い れ事業 じぎょう 所 しょ には、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん ・障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん が互 たが いに協力 きょうりょく を求 もと める傾向 けいこう が見 み られ、そこでは「健常 けんじょう 者 しゃ ・障害 しょうがい 者 しゃ に関 かか わらず限界 げんかい を開示 かいじ し、支 ささ え合 あ うことが普通 ふつう 」という前提 ぜんてい が成立 せいりつ しているように推測 すいそく される。同時 どうじ に、「責任 せきにん に応 こた えようとすることが普通 ふつう 」という前提 ぜんてい も存在 そんざい していると考 かんが えられる。
やがて、障害 しょうがい 者 しゃ 受入 うけいれ 事業 じぎょう 所 しょ において健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん が障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の成長 せいちょう を確信 かくしん する傾向 けいこう が見 み られるようになり、普通 ふつう とそうでないものを分 わ ける前提 ぜんてい は、成長 せいちょう に対 たい する取 と り組 く みの有無 うむ のみになる。
□考察 こうさつ
障害 しょうがい を持 も った従業 じゅうぎょう 員 いん が、障害 しょうがい 者 しゃ 雇用 こよう 率 りつ に影響 えいきょう を及 およ ぼすこと以上 いじょう の意味 いみ を就労 しゅうろう に見出 みいだ すためには、何 なに が必要 ひつよう であろうか。本 ほん 発表 はっぴょう においては、以上 いじょう に述 の べた結果 けっか を踏 ふ まえ、ベイトソン(1972)の遊 あそ びと空想 くうそう の理論 りろん を通 とお して考察 こうさつ する。
□引用 いんよう 文献 ぶんけん
青木 あおき 千帆 ちほ 子 こ ・渥美 あつみ 公秀 きんひで (2007)職場 しょくば 適応 てきおう 援助 えんじょ 者 しゃ 事業 じぎょう に関 かん する一 いち 考察 こうさつ 大阪大学 おおさかだいがく 人間 にんげん 科学 かがく 研究 けんきゅう 科 か 紀要 きよう , 33, 113-128.
Bateson 1972 Steps to an ecology of mind. (ベイトソン〔佐藤 さとう 義明 よしあき 訳 やく 〕精神 せいしん の生態 せいたい 学 がく 新 しん 思索 しさく 社 しゃ 2000)
Reid, P. M. & Bray, A. (1998) Real Jobs: the perspectives of workers with learning difficulties. Disability & Society, 13 (2), 229-239.
■報告 ほうこく 原稿 げんこう
障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう 場面 ばめん を通 とお して見 み る仕事 しごと における「普通 ふつう 」
青木 あおき 千帆 ちほ 子 こ 渥美 あつみ 公秀 きんひで
大阪大学 おおさかだいがく 人間 にんげん 科学 かがく 研究 けんきゅう 科 か 大阪大学 おおさかだいがく コミュニケーションデザインセンター
1.序論 じょろん
1.1.目的 もくてき
本稿 ほんこう の目的 もくてき は、障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう している事業 じぎょう 所 しょ において「普通 ふつう の仕事 しごと 」もしくは「仕事 しごと 」の枠組 わくぐ みがどのように捉 とら えられており、「普通 ふつう の仕事 しごと 」が障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん とともに働 はたら くことでどのように変化 へんか していくのかを把握 はあく することである。筆者 ひっしゃ らは障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう している事業 じぎょう 所 しょ にてフィールドワークを行 おこな い、各 かく 事業 じぎょう 所 しょ で共有 きょうゆう されている普通 ふつう の仕事 しごと とは何 なに かを調 しら べる。そして調査 ちょうさ の結果 けっか を、「仕事 しごと 」と「遊 あそ び」に関 かん する議論 ぎろん を通 とお して考察 こうさつ する。
1.2.背景 はいけい
障害 しょうがい 者 しゃ の雇用 こよう は、日本 にっぽん において大 おお きな問題 もんだい である。筆者 ひっしゃ らは、職場 しょくば 適応 てきおう 援助 えんじょ 者 しゃ (ジョブコーチ)に対 たい するインタビュー調査 ちょうさ を実施 じっし した。この調査 ちょうさ にて得 え られた職場 しょくば 適応 てきおう 援助 えんじょ 者 しゃ の語 かた りからは、その仲介 ちゅうかい 者 しゃ としての役割 やくわり が、障害 しょうがい 者 しゃ 受 う け入 い れ事業 じぎょう 所 しょ に対 たい する単 たん なる技術 ぎじゅつ 指導 しどう だけではなく、「障害 しょうがい 者 しゃ 」というカテゴリーに疎外 そがい されていた存在 そんざい を「普通 ふつう 」のカテゴリーに戻 もど すことであったという点 てん が指摘 してき された。
この結果 けっか から、「障害 しょうがい 者 しゃ 」と言 い うイメージが障壁 しょうへき となり、障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう を困難 こんなん にしていると筆者 ひっしゃ らは考 かんが えた。しかし、その後 ご の調査 ちょうさ の過程 かてい で、障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう で大 おお きな障壁 しょうへき となっているものは「普通 ふつう の仕事 しごと 」というイメージであることが推測 すいそく された(青木 あおき ・渥美 あつみ , 2007b)。この推測 すいそく は、障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう が、周囲 しゅうい の労働 ろうどう 者 しゃ の持 も つ「普通 ふつう の仕事 しごと 」に関 かん するイメージを揺 ゆ るがす(Reid & Bray, 1998)という指摘 してき と一致 いっち するものである。
「普通 ふつう 」とは、絶対 ぜったい 的 てき なものではなく相対 そうたい 的 てき なものである(倉本 くらもと , 2006)。筆者 ひっしゃ らの調査 ちょうさ 及 およ び「普通 ふつう 」に関 かん する議論 ぎろん などから、筆者 ひっしゃ らは障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう している事業 じぎょう 所 しょ において、普通 ふつう の仕事 しごと はどのように捉 とら えられており、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん とともに働 はたら くことでどのように変化 へんか していくのか、という疑問 ぎもん を抱 だ いた。本稿 ほんこう では、この点 てん に注目 ちゅうもく し実施 じっし した調査 ちょうさ を報告 ほうこく する。
2.調査 ちょうさ
2.1.方法 ほうほう
インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ は、関西 かんさい 圏 けん にある5つの障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう している事業 じぎょう 所 しょ で働 はたら く従業 じゅうぎょう 員 いん 17名 めい である。うち10名 めい (C1〜C7)は健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん であり、7名 めい (D1〜D7)は知的 ちてき (D1)もしくは身体 しんたい (D2〜D7)障害 しょうがい 者 しゃ 手帳 てちょう を所持 しょじ する障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん であった。平成 へいせい 18年 ねん 9月 がつ か
表 ひょう 1 調査 ちょうさ 受 う け入 い れ事業 じぎょう 所 しょ 及 およ び対象 たいしょう 者 しゃ の概要 がいよう
事業 じぎょう 所 しょ 事業 じぎょう 形態 けいたい 対象 たいしょう 者 しゃ (C1〜C10は健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 、D1〜D7は障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん )
A大 だい 企業 きぎょう C1
B大 だい 企業 きぎょう C2, C3, C4
C大 だい 企業 きぎょう C5, C6, D1, D2
D小 しょう 企業 きぎょう C7, C8, D3
E社会 しゃかい 福祉 ふくし 法人 ほうじん C9, C10, D4, D5, D6, D7
表 ひょう 2 インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ に事前 じぜん 送付 そうふ した質問 しつもん 項目 こうもく
1. インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ にとってご自身 じしん の働 はたら く意義 いぎ は何 なに ですか?
2. 障害 しょうがい を持 も った方 ほう が働 はたら くことについて、どう思 おも われますか?
3. 障害 しょうがい を持 も った方 ほう と一緒 いっしょ にお仕事 しごと をする感想 かんそう は?
4. 障害 しょうがい を持 も った方 ほう と一緒 いっしょ にお仕事 しごと をする前後 ぜんご で「障害 しょうがい 者 しゃ 」のイメージは変 か わりましたか?
5. 障害 しょうがい を持 も った方 ほう と一緒 いっしょ にお仕事 しごと をする前後 ぜんご で「仕事 しごと 」のイメージは変 か わりましたか?
6. インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ にとって「自立 じりつ 」とはどういうことですか?
7. インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ にとって「共生 きょうせい 」とはどういうことですか?
8. インタビュー対象 たいしょう 者 しゃ にとって「健常 けんじょう 者 しゃ 」とはどういうことですか?
ら平成 へいせい 19年 ねん 2月 がつ の間 あいだ 、それぞれの事業 じぎょう 所 しょ を2回 かい から18回 かい 訪問 ほうもん し、1時 じ 間 あいだ から2時 じ 間 あいだ 程度 ていど のインタビューを実施 じっし した。また、合意 ごうい の取 と れた事業 じぎょう 所 しょ に於 お いては参与 さんよ 観察 かんさつ を実施 じっし した。
分析 ぶんせき は、まず文書 ぶんしょ 化 か したインタビュー内容 ないよう を、質問 しつもん 項目 こうもく ごとに分類 ぶんるい した。複数 ふくすう 名 めい に対 たい するインタビューを質問 しつもん 項目 こうもく 別 べつ に編集 へんしゅう した後 のち 、回答 かいとう 内容 ないよう の特性 とくせい を導 みちび き出 だ した。(尚 なお 、編集 へんしゅう 作業 さぎょう は、あくまでも筆者 ひっしゃ らの主観 しゅかん に基 もと づいた作業 さぎょう である。主観 しゅかん の過度 かど な偏 かたよ りを避 さ けるため、本 ほん 調査 ちょうさ においては筆者 ひっしゃ 間 あいだ で議論 ぎろん し、相互 そうご に納得 なっとく できるまで、上記 じょうき の分析 ぶんせき 作業 さぎょう を繰 く り返 かえ した。)
2.2.結果 けっか
フィールドワークから得 え られた健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん ・障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の語 かた りを、@従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう 、及 およ びAこの傾向 けいこう の背景 はいけい にあると推測 すいそく される前提 ぜんてい 、つまり仕事 しごと における「普通 ふつう 」とそうでないものを分 わ けるルールを軸 じく に分析 ぶんせき した結果 けっか 、5つの特徴 とくちょう が見出 みいだ された。なお、この5つの分類 ぶんるい は、調査 ちょうさ 先 さき の5つの事業 じぎょう 所 しょ に対応 たいおう しているのではなく、全 すべ ての事業 じぎょう 所 しょ に対 たい する調査 ちょうさ 結果 けっか を合 あ わせた結果 けっか 、5つの特徴 とくちょう が見出 みいだ されたということである。また、仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールという言葉 ことば を、倉本 くらもと (2006)が普通 ふつう の説明 せつめい に用 もち いていた「ルール」という言葉 ことば に対応 たいおう させ、人 ひと と人 ひと との取 と り決 き めが、ひいては普通 ふつう とそうでないものを分 わ けてしまうことになる規則 きそく という意味 いみ で用 もち いる。
【従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう T】障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の能力 のうりょく をあきらめる
【仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールT】あらかじめ一定 いってい 能力 のうりょく を兼備 かねそな え仕事 しごと が出来 でき ることが普通 ふつう
障害 しょうがい 者 しゃ 受入 うけいれ 事業 じぎょう 所 しょ では、受 う け入 い れ当初 とうしょ 、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん をどう戦力 せんりょく 化 か するかが問題 もんだい となる。この時点 じてん においては、「あらかじめ一定 いってい 能力 のうりょく を兼備 かねそな え仕事 しごと が出来 でき ることが普通 ふつう 」というルールが働 はたら いていると推測 すいそく され、「一定 いってい 能力 のうりょく を兼 か ね備 そな えていない」と想定 そうてい されている障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん には、仕事 しごと として作業 さぎょう が与 あた えられる。障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の仕事 しごと =作業 さぎょう とされた時点 じてん で、「仕事 しごと 」の枠組 わくぐ みからは「遊 あそ び」が排除 はいじょ されてしまう。障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の作業 さぎょう は周囲 しゅうい の健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん によって管理 かんり されるため、逆 ぎゃく の視点 してん から見 み れば、周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん の指示 しじ に依存 いぞん するものとなる。
そして、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん による障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の管理 かんり が、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の本来 ほんらい の業務 ぎょうむ に支障 ししょう を来 きた すようになると「迷惑 めいわく 」「操作 そうさ 不可能 ふかのう 」という面 めん が前面 ぜんめん に押 お し出 だ され、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の能力 のうりょく をあきらめる傾向 けいこう が、周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん の語 かた りの中 なか から見 み られるようになる。
・現実 げんじつ はそうはうまくいかない。結局 けっきょく 障害 しょうがい を持 も った従業 じゅうぎょう 員 いん は社会 しゃかい 的 てき って言 い うよりも隔離 かくり された形 かたち で働 はたら いているんですよね。あまり他 た と連携 れんけい するような仕事 しごと ではなく。(C7)
・(障害 しょうがい 者 しゃ の方 ほう が仕事 しごと が出来 でき なくても)仕方 しかた ないと思 おも っていると思 おも います。もうできなくて当然 とうぜん といっては失礼 しつれい やけど。(C9)
自 みずか らのこなす仕事 しごと に対 たい する期待 きたい や、現在 げんざい 行 おこな っている作業 さぎょう が発展 はってん する可能 かのう 性 せい が存在 そんざい しないことを感 かん じた障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた っている。
・(今 いま までやってたのは仕事 しごと ?)作業 さぎょう 。ただの組 く み立 た てだけ。(D1)
・ええように思 おも ってなかったから。いつかやめようと毎日 まいにち 思 おも いながら行 い っとったから。(D1)
・(障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん と健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん との話 はな し合 あ いでは、上手 うま くいかないのか?)そうちゃうかな。(自分 じぶん のことを)信用 しんよう していない。(D7)
【従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう U】障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん への仕事 しごと の教 おし え方 かた を工夫 くふう する
【仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールU】教 おし えられる事 こと で仕事 しごと を身 み につけることが普通 ふつう
しかし、周囲 しゅうい の健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん が仕事 しごと の教 おし え方 かた を心得 こころえ てくると、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に対 たい する関 かか わり方 かた も変化 へんか する。教 おし え方 かた の発見 はっけん や関 かか わり方 かた の発見 はっけん は、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん ・障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 双方 そうほう にとって大 おお きな変化 へんか である。
健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は、これまでの就労 しゅうろう 経験 けいけん において自分 じぶん がどれ程 ほど 必要 ひつよう な情報 じょうほう を省略 しょうりゃく していたのか、必要 ひつよう な情報 じょうほう を受 う け取 と れないまま作業 さぎょう をすることが障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん にとってどれ程 ほど 働 はたら き辛 から かったか、などに関 かん する想像 そうぞう が働 はたら き始 はじ める。このような状況 じょうきょう にいる健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた る。
・言葉 ことば って抽象 ちゅうしょう 的 てき でも一般 いっぱん の人 ひと やったら通 つう じるやろ。「ここ汚 きたな いからちょっと整理 せいり しとけ」って。ここでそんな事 じ いっても分 わ からん子 こ ばっかりや。何 なに をどう整理 せいり しろって(ちゃんと説明 せつめい する必要 ひつよう がある)。本当 ほんとう は本社 ほんしゃ でも必要 ひつよう なことやったんや。(C5)
・(仕事 しごと の)指導 しどう する人 ひと が複数 ふくすう おって、指導 しどう する人 ひと によってまた違 ちが うとなったら、それはもうぐちゃぐちゃになる。可哀想 かわいそう ですよね、今 いま 思 おも うと。手順 てじゅん ぐちゃぐちゃやった。(C9)
健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん が教 おし え方 かた を把握 はあく しているか否 ひ かは、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん にとって、仕事 しごと を続 つづ けるか辞 や めるかにも関 かか わる重要 じゅうよう な問題 もんだい である。
・続 つづ いているポイント…上司 じょうし の人 ひと とかが、分 わ からんときには分 わ かるまでちゃんと説明 せつめい してくれるっていう。それと、気楽 きらく にこうやって話 はな しかけて来 き てくれるっていうことかな。(D2)
健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん が教 おし え方 かた を工夫 くふう し始 はじ めると、「教 おし えられる事 こと で仕事 しごと を身 み につけることが普通 ふつう 」となるため、障害 しょうがい 者 しゃ と健常 けんじょう 者 しゃ の境 さかい があいまいになっていく。そして、教 おし え方 かた が上達 じょうたつ し、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 本人 ほんにん の技術 ぎじゅつ が上 あ がるに伴 ともな って、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の作業 さぎょう に障害 しょうがい 者 しゃ 本人 ほんにん による自己 じこ 決定 けってい が加 くわ えられていく。
・(やりがい)はありますね。他 た にできる人 じん がいないから。(フォーク)リフトは殆 ほとん ど聴覚 ちょうかく 障害 しょうがい の人 ひと が取 と っておったので。知的 ちてき では僕 ぼく 一人 ひとり 。(D2)
・筆者 ひっしゃ :たくさんの洗濯 せんたく 物 ぶつ だなー。これ全部 ぜんぶ たたみ終 お わるのは何 なん 時 じ くらいですか? …5時 じ ?
D6:(首 くび を振 ふ る)
筆者 ひっしゃ :…4時 じ ?
D6:(首 くび を振 ふ る)
筆者 ひっしゃ :2時 じ ?
D6:(頷 うなず く)
筆者 ひっしゃ :…え、今 いま 1時 じ ですよ。
(しかし実際 じっさい に2時 じ に終 お わった。余 あま った時間 じかん は、人形 にんぎょう と会話 かいわ しながら休憩 きゅうけい 。)(D6)
【従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう V】互 たが いに協力 きょうりょく を求 もと める
【仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールV】弱点 じゃくてん があり、その限界 げんかい を支 ささ え合 あ うことが普通 ふつう
障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の技術 ぎじゅつ が向上 こうじょう するに従 したが い、徐々 じょじょ に周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん も障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の働 はたら きに支 ささ えられながら仕事 しごと をするようになる。このような状況 じょうきょう を、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた る。
・障害 しょうがい 者 しゃ だからといって特別 とくべつ に何 なに かをしてあげなくてはいけないと言 い う気持 きも ちではなくて、お互 たが いに一緒 いっしょ に。協力 きょうりょく して欲 ほ しいときはそう言 い って、反対 はんたい にこっちも助 たす けて欲 ほ しいときはそう言 い うし、互 たが いに協力 きょうりょく し合 あ いながら仕事 しごと をしていく。(C4)
また、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は、次 つぎ のように語 かた る。
・授産 じゅさん 施設 しせつ の中 なか でやったことと今 いま の会社 かいしゃ って、どういったらいいんやろう?…俺 おれ が会社 かいしゃ 来 き て、リーダーが・・・絶対 ぜったい リーダーの方 ほう が早 はや いんですよ、会社 かいしゃ 来 く るの。会社 かいしゃ 来 き てリーダーが何 なに かやっているな、と思 おも ったら、隣 となり に行 い って一緒 いっしょ に組 く み立 た ての準備 じゅんび したりしてますね。(授産 じゅさん 施設 しせつ にいた頃 ころ は?)ないですね、自分 じぶん から行 おこな ったっていうのは。で、自分 じぶん のところが上 あ がってて、明日 あした の注文 ちゅうもん が来 き ていなくて、他 た で終 お わっていないって言 い うところがあったら、相談 そうだん して(手伝 てつだ いに)入 はい ったり。「あー、こんなんもええんや」って。(D2)
【従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう W】障害 しょうがい 者 しゃ に責任 せきにん を持 も たせる
【仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールW】責任 せきにん に応 こた えようとすることが普通 ふつう
障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の技術 ぎじゅつ が向上 こうじょう すると、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に与 あた えられる仕事 しごと は、もはや作業 さぎょう ではなく、周囲 しゅうい の管理 かんり に依存 いぞん するものでもなくなる。周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん は、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん に責任 せきにん を持 も たせることを覚 おぼ えていき、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 本人 ほんにん も責任 せきにん に応 こた えようとする。
このような状況 じょうきょう を、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように説明 せつめい する。
・職場 しょくば の中 なか には甘 あま いところが多 おお いです。「障害 しょうがい やからしゃあないな」「聞 き こえないんやからしゃあないな」言 い うのがありますけど、基本 きほん 的 てき にはその部分 ぶぶん だけ。聞 き こえないのであれば情報 じょうほう を与 あた える。しっかり情報 じょうほう を与 あた えれば、もし失敗 しっぱい すれば失敗 しっぱい 。(C1)
・じゃあ障害 しょうがい 者 しゃ が安全 あんぜん を守 まも れないかっていう裏返 うらがえ しになるやろ、そんなん無 な いわ。(C5)
また、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた る。
・まあ、よう言 い われるけどね、「お前 まえ はまだまだや」。へへへ、そうですね、頑張 がんば りまっさって…。そうやって言 ゆ うてくれるのが嬉 うれ しいし、怒 おこ ってくれるうちが花 はな やからね。(D1)
【従業 じゅうぎょう 員 いん の傾向 けいこう X】障害 しょうがい 者 しゃ の成長 せいちょう を確信 かくしん する
【仕事 しごと における[普通 ふつう ]ルールX】成長 せいちょう することが普通 ふつう
やがて、障害 しょうがい 者 しゃ 受 う け入 い れ事業 じぎょう 所 しょ において普通 ふつう とそうでないものを分 わ けるルールは、成長 せいちょう に対 たい する取 と り組 く みの有無 うむ のみになる。このような状況 じょうきょう を、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた る。
・意欲 いよく とかやる気 き とか、持続 じぞく 力 りょく とかね。言 い うようなところはきちっと持 も ってもらわんとアカン。だけど現状 げんじょう 何 なに が出来 でき るかどうか言 い うのはアバウトでええやないかと。…今 いま の状態 じょうたい は、やっていくうちに進歩 しんぽ する。気持 きも ちさえあれば。(C6)
そして、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は次 つぎ のように語 かた る。
・仕事 しごと をしていく理由 りゆう ?・・・やっぱり、この会社 かいしゃ が楽 たの しい。この会社 かいしゃ で学 まな んだ事 こと がいっぱいあるので…社会 しゃかい に出 で てこんなことがあるんや、こんな厳 きび しさがあるんや。(D2)
3.考察 こうさつ
3.1.「仕事 しごと 」と「遊 あそ び」
仕事 しごと における「普通 ふつう 」のイメージについて考察 こうさつ する前 まえ に、「仕事 しごと 」と「遊 あそ び」に関 かん する議論 ぎろん を確認 かくにん したい。
「仕事 しごと 」を考 かんが えることは、「近代 きんだい 」を考 かんが えることにもつながっている。労働 ろうどう や職業 しょくぎょう の望 のぞ ましいあり方 かた を基準 きじゅん におき、未 いま だそれが達成 たっせい されざるものとして、<近代 きんだい の歪 ゆが み>が問 と われてきた。マルクス、ウェーバー、デュルケームらによる労働 ろうどう に関 かか わるいずれの大著 たいちょ においても、アイデンティティを支 ささ える意義 いぎ あるものとして、仕事 しごと の持 も つ意味 いみ が高 たか く位置付 いちづ けられている(藤村 ふじむら , 1995)。
これに対 たい し、「遊 あそ び」を考 かんが えることは、文化 ぶんか の根源 こんげん が遊 あそ びにあるとしたホイジンガ(Huizinga, 1938)、文化 ぶんか と遊 あそ びは同時 どうじ 並列 へいれつ 的 てき に促進 そくしん されていくとしたカイヨワ(Caillois, 1958)をベースに、遊 あそ びに反映 はんえい された<近代 きんだい の歪 ゆが み>を捉 とら えていこうとする試 こころ みであるといえる(井上 いのうえ , 1995; 井上 いのうえ , 1998; 西村 にしむら , 1998; 小川 おがわ , 2001)
しかし、「近代 きんだい 」が「仕事 しごと 」の比重 ひじゅう を高 たか めてくるにしたがって、「遊 あそ び」はその領域 りょういき としてだけでなく、パースペクティブとしての意味 いみ を強 つよ く持 も ち出 だ すようになった(藤村 ふじむら , 1995)。ここでいう「パースペクティブとしての遊 あそ び」とは、物事 ものごと に取 と り組 く む姿勢 しせい や心構 こころがま えとしての「遊 あそ び」である。
ベイトソン(Bateson, 1972)による「遊 あそ び」に関 かん する議論 ぎろん は、藤村 ふじむら が指摘 してき する「パースペクティブとしての遊 あそ び」に重点 じゅうてん を置 お いた見方 みかた である。ホイジンガやカイヨワの指摘 してき した「遊 あそ び」と同 おな じく、「パースペクティブとしての遊 あそ び」も、変化 へんか や文化 ぶんか 的 てき 創造 そうぞう を促進 そくしん するものであるとベイトソンは指摘 してき している。
我々 われわれ のプロジェクトの中心 ちゅうしん テーマは、抽象 ちゅうしょう 化 か のパラドックスが起 お こる必然 ひつぜん を探 さぐ ることだと言 い って良 よ いだろう。人間 にんげん はパラドックスを排 はい し、論理 ろんり 階 かい 型 がた 理論 りろん に従 したが ったコミュニケーションを遵守 じゅんしゅ すべきだとする考 かんが え方 かた があるが、これは人間 にんげん の精神 せいしん の特徴 とくちょう に全 まった くそぐわない考 かんが えである。論理 ろんり 階 かい 型 がた が遵守 じゅんしゅ されないのは、単 たん に無知 むち や不 ふ 注意 ちゅうい によるものではない。我々 われわれ の信 しん じる所 ところ によれば、単 たん なるムード・シグナルのやり取 と りより複雑 ふくざつ な全 すべ てのコミュニケーションで、抽象 ちゅうしょう 化 か のパラドックスが必然 ひつぜん 的 てき に姿 すがた を現 あらわ すのである。パラドックスが生 しょう じないようなコミュニケーションは、進化 しんか の歩 あゆ みを止 と めてしまうのだと我々 われわれ は考 かんが える。明確 めいかく に型 かた どられたメッセージが整然 せいぜん と行 い きかうだけの生 なま には、変化 へんか もユーモアも起 お こりえない。それは厳格 げんかく な規則 きそく に縛 しば り付 つ けられたゲームと変 か わるところのないものである。(pp. 276)
このような遊 あそ びの観点 かんてん から、藤村 ふじむら (1995)は日本 にっぽん 文化 ぶんか を概観 がいかん した。藤村 ふじむら によると、かつての日本 にっぽん には日本 にっぽん 社会 しゃかい を笑 わら うことを通 とお して、自分 じぶん を笑 わら うというひねりがあったという。しかし、パロディなどが流行 りゅうこう ・普及 ふきゅう することで、距離 きょり をとるということ自身 じしん が資本 しほん 主義 しゅぎ の作動 さどう に組 く み込 こ まれてしまい、実 じつ はそれらが普及 ふきゅう したかに見 み える現代 げんだい こそ、「遊 あそ び」の精神 せいしん が衰退 すいたい している。現在 げんざい の日本 にっぽん での余暇 よか 志向 しこう は、「労働 ろうどう 時間 じかん 」に対 たい して、「非 ひ 労働 ろうどう 時間 じかん 」として定義 ていぎ される形 かたち でしか余暇 よか を享受 きょうじゅ できない段階 だんかい にとどまる。
これは、余暇 よか そのものが社会 しゃかい システムの一翼 いちよく となりつつある現在 げんざい 、余暇 よか に精力 せいりょく を注 つ ぎ込 こ むことが必 かなら ずしも自由 じゆう を意味 いみ しなくなってきていることに起因 きいん するという。「怠 なま ける」ことが許 ゆる されず、「暇 ひま 」そのものが価値 かち 付 つ けられない現代 げんだい 日本 にっぽん 社会 しゃかい では、「遊 あそ び」さえ真剣 しんけん にしなければならなくなっているのである。藤村 ふじむら は、「『仕事 しごと 』が包囲 ほうい されただけでなく、『遊 あそ び』さえも包囲 ほうい される日本 にっぽん 社会 しゃかい において、私 わたし たちの逃 に げ道 みち はどこに残 のこ されているのであろう」という問 と いを発 はっ した上 うえ で、その解 かい の1つとして以下 いか のように述 の べる。
「計算 けいさん 可能 かのう 性 せい 」に満 み ち満 み ちてしまった社会 しゃかい において、「計算 けいさん 不可能 ふかのう 」な「可能 かのう 性 せい 」として楽 たの しむ方向 ほうこう で評価 ひょうか しようとするのが近年 きんねん の動向 どうこう である。それは、ジンメルふうに言 い う「関係 かんけい 」を「遊 あそ ぶ」ことの現代 げんだい 的 てき 形態 けいたい なのかもしれない。(pp. 198)
「仕事 しごと 」と「遊 あそ び」の違 ちが いは、内容 ないよう の区別 くべつ でも時間 じかん の区別 くべつ でもなく、意味 いみ 的 てき 付与 ふよ の違 ちが いなのだとも言 い える。「遊 あそ び」の精神 せいしん で距離 きょり をとろうとすればするほど差異 さい 化 か メカニズムにからめとられ、距離 きょり がとれなくなる。むしろ、「仕事 しごと 」の側 がわ に従来 じゅうらい の「仕事 しごと 」とは異 こと なる形 かたち で踏 ふ み込 こ んでいくとき、現代 げんだい 社会 しゃかい の差異 さい 化 か メカニズムからの逃 に げ道 みち が用意 ようい される。(pp. 199)
3.2.障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう 場面 ばめん から見 み える「仕事 しごと 」と「遊 あそ び」
以上 いじょう の議論 ぎろん を踏 ふ まえ、本 ほん 調査 ちょうさ のデータを振 ふ り返 かえ ってみると、仕事 しごと における「普通 ふつう 」イメージが、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん にとって障壁 しょうへき となるか否 ひ かは、各 かく 職場 しょくば の持 も つ仕事 しごと の枠組 わくぐ みに「パースペクティブとしての遊 あそ び」が含 ふく まれているか否 ひ かの違 ちが いであると考 かんが えることが出来 でき る。もちろん、「遊 あそ び」の内容 ないよう は、決 けっ して言葉 ことば 通 どお りに仕事 しごと を放棄 ほうき して遊 あそ んでしまうことではなく、時間 じかん 配分 はいぶん や作業 さぎょう の組 く み立 た て方 かた 、作業 さぎょう ペースの調整 ちょうせい などにおいて自 みずか ら決定 けってい することが出来 でき るというような「機械 きかい の部分 ぶぶん と部分 ぶぶん とが密着 みっちゃく せず、その間 あいだ に或 ある る程度 ていど 動 うご きうる余裕 よゆう のあること(広辞苑 こうじえん 第 だい 4版 はん )」という意味 いみ での「遊 あそ び」、周囲 しゅうい の従業 じゅうぎょう 員 いん や顧客 こきゃく と作業 さぎょう 中 ちゅう ・休憩 きゅうけい 中 ちゅう に冗談 じょうだん やおしゃべりをするような「遊 あそ び」である。
ベイトソンは「遊 あそ びと空想 くうそう の理論 りろん 」の中 なか で、分裂 ぶんれつ 症 しょう 患者 かんじゃ の特徴 とくちょう として、メタ・コミュニケーション的 てき な枠組 わくぐ みの設定 せってい がままならず、基本 きほん 的 てき で直接的 ちょくせつてき なメッセージをうまく扱 あつか えないと言 い う点 てん を報告 ほうこく している。このような特徴 とくちょう は、知的 ちてき ・精神 せいしん 障害 しょうがい 者 しゃ に多 おお く認 みと められる現象 げんしょう であり、この特徴 とくちょう ゆえに障害 しょうがい 者 しゃ を雇用 こよう する事業 じぎょう 所 しょ においては、健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん による障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の徹底的 てっていてき な管理 かんり を生 う み出 だ す傾向 けいこう がある。
つまり、職場 しょくば において傾向 けいこう ・ルールTが支配 しはい 的 てき である場合 ばあい 、そこにある「仕事 しごと 」の枠組 わくぐ みが余 あま りに純化 じゅんか されてしまい、遊 あそ びを排除 はいじょ した作業 さぎょう のみになってしまっている。そこには整然 せいぜん と分析 ぶんせき されつくした仕事 しごと のルールがあり、パラドックスは一切 いっさい 生 しょう じないが、一方 いっぽう で障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は就労 しゅうろう に楽 たの しみや生 い きがいを見出 みいだ したり、自主 じしゅ 性 せい などを発揮 はっき する余地 よち もなくなる。結果 けっか 的 てき に、健常 けんじょう 者 しゃ ・障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 双方 そうほう にとって居心地 いごこち の悪 わる い空間 くうかん となってしまう。
・結局 けっきょく 障害 しょうがい を持 も った従業 じゅうぎょう 員 いん は社会 しゃかい 的 てき って言 い うよりも隔離 かくり された形 かたち で働 はたら いているんですよね。(C7)
・(健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん は、自分 じぶん のことを)信用 しんよう していない(D7)
これに対 たい し、傾向 けいこう ・ルールXが職場 しょくば において支配 しはい 的 てき である場合 ばあい 、作業 さぎょう に対 たい するまじめさや、「仕事 しごと をしたい」という意思 いし のみという、非常 ひじょう にゆるい「仕事 しごと 」の枠組 わくぐ みがみられた。そしてこのような状況 じょうきょう においては、当然 とうぜん ながら現行 げんこう のままでは経済 けいざい 合理 ごうり 的 てき でない、自由 じゆう 競争 きょうそう に勝 か てない、などのパラドクスが生 しょう じていた。しかし、このような職場 しょくば で働 はたら く従業 じゅうぎょう 員 いん は健常 けんじょう 者 しゃ であれ、障害 しょうがい 者 しゃ であれ、そこに生 しょう じるパラドクス明記 めいき を肯定 こうてい している。そこには「計算 けいさん 不可能 ふかのう 」な「可能 かのう 性 せい 」を楽 たの しむ姿勢 しせい が見受 みう けられる。
・現状 げんじょう 何 なに が出来 でき るかどうか言 い うのはアバウトでええやないか (C6)
・『お前 まえ はまだまだや』。そうやって言 ゆ うてくれるのが嬉 うれ しいし、怒 おこ ってくれるうちが花 はな やからね。(D1)
実際 じっさい にはどのような就労 しゅうろう 場面 ばめん においても、パラドクス、つまり「計算 けいさん 不可能 ふかのう 」な非合理 ひごうり 的 てき 現実 げんじつ は存在 そんざい しているのであろう。しかし、本 ほん 調査 ちょうさ においてはこれを肯定 こうてい 的 てき に語 かた るのか、否定 ひてい 的 てき に語 かた るのか、が大 おお きな違 ちが いであった。障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の仕事 しごと が、計算 けいさん 不可能 ふかのう な「遊 あそ び」であると位置 いち づけているわけではない。「仕事 しごと 」には本来 ほんらい パラドクスの可能 かのう 性 せい が存在 そんざい する、と考 かんが えているのである。そして、これを肯定 こうてい した上 うえ で「普通 ふつう の仕事 しごと 」とするか、否定 ひてい した上 うえ で「普通 ふつう の仕事 しごと 」とするかによって、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん の受 う け入 い れ状況 じょうきょう が異 こと なるのではないだろうか。
本 ほん 調査 ちょうさ の結果 けっか から、「障害 しょうがい 者 しゃ の就労 しゅうろう はかくあるべき」といったことを言 い うことは出来 でき ないだろう。しかし、確認 かくにん できたことは、一体 いったい いつ・誰 だれ のために生成 せいせい されたのかすら明 あき らかでない「普通 ふつう 」という感覚 かんかく によって過度 かど にパラドクスを排除 はいじょ し、従業 じゅうぎょう 員 いん に対 たい して純粋 じゅんすい な仕事 しごと 、つまり作業 さぎょう の遂行 すいこう を求 もと めることは、障害 しょうがい 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん ・健常 けんじょう 者 しゃ 従業 じゅうぎょう 員 いん 双方 そうほう にとって不利益 ふりえき をもたらすと言 い うことである。重要 じゅうよう なのは、パラドクスを肯定 こうてい した上 うえ で、「そもそも『普通 ふつう 』とは、多様 たよう な人間 にんげん が共存 きょうぞん するためのルールを取 と り決 き めることによって仮 かり 現 げん する(倉本 くらもと , 2007)」ものであるから、それぞれの集団 しゅうだん において居心地 いごこち のいい仕事 しごと における「普通 ふつう 」ルールを取 と り決 き めること、そして「仕事 しごと 」の側 がわ に従来 じゅうらい の「仕事 しごと 」とは異 こと なる形 かたち で踏 ふ み込 こ んでいくことなのであろう。
4.引用 いんよう 文献 ぶんけん
青木 あおき 千帆 ちほ 子 こ ・渥美 あつみ 公秀 きんひで (2007a)職場 しょくば 適応 てきおう 援助 えんじょ 者 しゃ 事業 じぎょう に関 かん する一 いち 考察 こうさつ 大阪大学 おおさかだいがく 人間 にんげん 科学 かがく 研究 けんきゅう 科 か 紀要 きよう . 33, 113-128.
青木 あおき 千帆 ちほ 子 こ (2006b)渥美 あつみ 公秀 きんひで ジョブコーチ事業 じぎょう にみるグループダイナミックスのきっかけ 国際 こくさい ボランティア学会 がっかい 第 だい 7回 かい 大会 たいかい 発表 はっぴょう 論 ろん 文集 ぶんしゅう .
Bateson, G. (1972) Steps to ecology of mind. University of Chicago Press.
Brown, H. & Smith, H. (1989) Whose 'Ordinary life' is it anyway? Disability, Handicap & Society, 4 (2) 105-119.
Caillois, R. 1958 Les jeux et les hommes, Gallimard.(カイヨワ〔清水 しみず 幾太郎 いくたろう ・霧生 きりゅう 和夫 かずお 訳 やく 〕遊 あそ びと人間 にんげん 岩波書店 いわなみしょてん 1970)
Huizinga, J. 1938 Homo Ludens: Proeve eener bepaling van het spel-element der cultuur, Tjeenk Willink & Zoon. (ホイジンガ〔里見 さとみ 元一 げんいち 郎 ろう 訳 やく 〕ホモ・ルーデンス 河出書房新社 かわでしょぼうしんしゃ 1971)
藤村 ふじむら 正之 まさゆき 1995 Overview 仕事 しごと と遊 あそ びの社会 しゃかい 学 がく 岩波 いわなみ 講座 こうざ 現代 げんだい 社会 しゃかい 学 がく 20 仕事 しごと と遊 あそ びの社会 しゃかい 学 がく 岩波書店 いわなみしょてん
井上 いのうえ 俊 しゅん 1995 生活 せいかつ の中 なか の遊 あそ び 岩波 いわなみ 講座 こうざ 現代 げんだい 社会 しゃかい 学 がく 20 仕事 しごと と遊 あそ びの社会 しゃかい 学 がく 岩波書店 いわなみしょてん
倉本 くらもと 智明 ともあき 2006 だれか、ふつうを教 おし えてくれ! 理論 りろん 社 しゃ
小川 おがわ 純生 すみお 2001 カイヨワの遊 あそ び概念 がいねん と消費 しょうひ 者 しゃ 行動 こうどう 経営 けいえい 研究所 けんきゅうじょ 論集 ろんしゅう 24, 293-311.
Reid, P. M. & Bray, A. (1998) Real Jobs: the perspectives of workers with learning difficulties. Disability & Society, 13 (2), 229-239.
5.謝辞 しゃじ
本 ほん 調査 ちょうさ に御 ご 協力 きょうりょく いただきました皆様 みなさま に、心 しん から御礼 おれい 申 もう し上 あ げます。また、本 ほん 調査 ちょうさ は平成 へいせい 18年度 ねんど 大阪大学 おおさかだいがく フィールドワーク支援 しえん 基金 ききん の支援 しえん を受 う けて実施 じっし されました。