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櫻井 悟史「福間良明氏の仕事を/から学ぶ2――歴史社会学の論文の役割」
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福間ふくま良明よしあき仕事しごとを/からまなぶ2――歴史れきし社会しゃかいがく論文ろんぶん役割やくわり

櫻井さくらい 悟史さとし 20090821 だい8かい歴史れきし社会しゃかいがく研究けんきゅうかいレジュメ


書誌しょし情報じょうほう福間ふくま良明よしあき「「原爆げんばくマンガ」のメディア」『「はだしのゲン」がいた風景ふうけい』. あずさ出版しゅっぱん, pp.10-58

目的もくてき:テクストをせた「うつわ=メディア」に着目ちゃくもくすることで、「はだしのゲン」の需要じゅよう状況じょうきょう社会しゃかいてき位置いちとらえること

中沢なかざわあきら:マンガで原爆げんばくあつかうことに消極しょうきょくてき→(理由りゆう被爆ひばくしゃ差別さべつははをきっかけに方向ほうこうせい転換てんかん(ABCC、ははほね)→「日本人にっぽんじん戦争せんそう責任せきにん追及ついきゅうされ解決かいけつされているか?」「日本人にっぽんじん原爆げんばく問題もんだい追及ついきゅうされて解決かいけつされたか?」
→「うらみ」という情念じょうねんから、「戦争せんそう責任せきにん」「原爆げんばく問題もんだいげてかんがえようとする公的こうてき議論ぎろん生成せいせい意図いとされていた(14)

◆「くろあめにうたれて」:大手おおて出版しゅっぱんしゃ掲載けいさい不可ふか)→三流さんりゅうよんりゅう雑誌ざっしへ(青年せいねんコミック漫画まんがパンチ』):「不健全ふけんぜん」な青年せいねんコミック典型てんけいてきな「残酷ざんこくモノ」
◆「ある突然とつぜんに」:時代じだい状況じょうきょう変化へんか→『週間しゅうかん少年しょうねんジャンプ』編集へんしゅうしゃに「原爆げんばくマンガ」掲載けいさいをもちかける→なぜ少年しょうねん掲載けいさいされたか:『少年しょうねんジャンプ』の後発こうはつせい原爆げんばくたいする国民こくみん無知むち

◆「はだしのゲン」:「原爆げんばく漫画まんが不本意ふほんい天皇てんのう批判ひはんみずからの被爆ひばく体験たいけん天皇てんのう戦争せんそう責任せきにん問題もんだいむすびつけて「はだしのゲン」を構想こうそう→1973ねん6がつより『週間しゅうかん少年しょうねんジャンプ』にて連載れんさい開始かいし
中沢なかざわ意図いと:リアリティの追求ついきゅう(わかりやすさや口当くちあたりのよさを拒否きょひ)「原爆げんばく残酷ざんこく場面ばめんて、『こわいっ!』『気持きもちがわるいっ!』『二度にどたくないっ!』とってが、日本にっぽんちゅうえてくれたら本当ほんとうによいことだとわたしねがっている」→マンガという媒体ばいたいゆえの戦争せんそう体験たいけんの「かたむずかしさ」にこだわる困難こんなん妥協だきょう
時代じだい状況じょうきょう変化へんか浅間あさま山荘さんそう事件じけん、70ねん安保あんぽ問題もんだい沖縄おきなわ本土ほんど復帰ふっき輿論よろん関心かんしんにならず
→「はだしのゲン」未完みかんのまま中断ちゅうだん

単行本たんこうぼん発刊はっかん集英社しゅうえいしゃからではなかった(政治せいじてきなテーマをあつか作品さくひん単行本たんこうぼんになると、出版しゅっぱんしゃのイメージがそこなわれかねない)→『朝日新聞あさひしんぶん横田よこたたかし記者きしゃ原水禁げんすいきん運動うんどうたいする不満ふまん→1975ねん5がつしおぶんしゃより単行本たんこうぼん
○「ゲン」の受容じゅよう:ベストセラー新聞しんぶん・テレビによる紹介しょうかい)→映画えいが:オーディエンスの拡大かくだい(「ども」から「大人おとな」へ)
大江おおえをはじめとするすくなからぬ読者どくしゃは、既存きそん原爆げんばくイメージをこわし、わかりやすさや心地ここちよさへの回収かいしゅう徹底的てっていてきあらがおうとする中沢なかざわ姿勢しせいをそこにていた(33)
入手にゅうしゅ経路けいろ:(1)おやすすめ(2)映画えいが新聞しんぶん特集とくしゅう記事きじにち生協せいきょうのカタログ:母親ははおやにとって「健全けんぜん」に(3)学校がっこう図書館としょかん学級がっきゅう文庫ぶんこへの流入りゅうにゅうもっとおおきな要素ようそ
→もっとも、児童じどうたちは主体しゅたいてきにこのテクストをったというよりは、『はだしのゲン』が学校がっこうにある唯一ゆいいつのマンガであったがゆえに、この作品さくひんまれたというのが実状じつじょう(34)
学校がっこうにマンガがある意味いみ:(1)「マンガでありながら、学校がっこうでさえも安心あんしんしてむことができるテクスト」(2)なんねんにもわたって児童じどうたちにがれること
学校がっこうに『はだしのゲン』がはい前提ぜんていとして、書籍しょせき不可欠ふかけつであった:雑誌ざっしではなく、ほんというメディア

◆『市民しみん』:「無党派むとうは革新かくしん」の論壇ろんだん市民しみん』に『はだしのゲン』の続編ぞくへん連載れんさい社会しゃかいてき位置いちづけの変化へんか:「どもがむもの」「低俗ていぞくなもの」ではなく、あらたな政治せいじ動向どうこう模索もさくする「無党派むとうは革新かくしん」の大人おとなたちにも受容じゅようされはじめたことを意味いみ
→なぜ、そのような市民しみん運動うんどうけい雑誌ざっしが『はだしのゲン』をげたのか
時代じだい状況じょうきょう:(1)はん原発げんぱつ運動うんどう (2)既成きせい政治せいじ組織そしきへの反感はんかん

◆『文化ぶんか評論ひょうろん』:日本にっぽん共産党きょうさんとうけい論壇ろんだん本来ほんらいであれば、共産党きょうさんとうと『はだしのゲン』は相容あいいれないはずであった→原水禁げんすいきん運動うんどうをめぐる共産党きょうさんとうの「転向てんこう」(共産党きょうさんとう意図いとソ連それん中国ちゅうごくかくを「平和へいわかく」と賛美さんびしていた共産党きょうさんとう過去かこ読者どくしゃからおおかくし、現在げんざいのスタンスを正当せいとうするのに有効ゆうこう)→「統一とういつ」のほころあきらかに→1980ねん3がつ『はだしのゲン』連載れんさい終了しゅうりょう
→「ども」の読者どくしゃす(雑誌ざっし市民しみん』にも共通きょうつう)→「進歩しんぽてきな「大人おとなたち」が「ども」にすするだけの「健全けんぜん」なテクストとして認知にんち

◆『教育きょういく評論ひょうろん』:日教組にっきょうそ機関きかん→『はだしのゲン』は「原爆げんばくマンガ」であると同時どうじに「教育きょういくマンガでもあった:1980年代ねんだい教育きょういく問題もんだい(1)「高校こうこうぜんいれ運動うんどう」(2)「きみまる問題もんだい(3)「教科書問題きょうかしょもんだい

掲載けいさいわるにともない「ゲン」にたいする位置いちづけは微妙びみょう変質へんしつ→「わかりやすい」ものとして受容じゅようされていたてんでは、おおむ一貫いっかん中沢なかざわあきら意図いととの齟齬そご
→「はだしのゲン」が母親ははおや教師きょうしによってどもに手渡てわたされ、また、左派さは論壇ろんだん連載れんさいされるほどに、「健全けんぜん」で「進歩しんぽてきになっていくかたわら、その受容じゅようにおいて、そむけたくなるような「リアリティ」はされていった(50-51)

結論けつろん
「はだしのゲン」はこうしたプロセスをて、「せいてん」となった。それはなにも、「内容ないよう」のみによって想定そうていされるのではなく、さまざまなメディアにうつしかえられ、また、それによりその時々ときどき社会しゃかい状況じょうきょうわせたみがなされた結果けっか構築こうちくされたものであった。
→ただ、そのように「健全けんぜん」な「せいてん」となる一方いっぽうで、ともすれば、戦争せんそう体験たいけんかたむずかしさのようなものから、読者どくしゃとおざかることになった→中沢なかざわなにとか描写びょうしゃしようと苦悶くもんしたそうしたかたがた戦争せんそう体験たいけんまれることはまれであり、むしろ「感動かんどう」や「平和へいわ学習がくしゅう」の「健全けんぜん」なかたくちに、そのみは収斂しゅうれんされていった。
戦争せんそう体験たいけんを「健全けんぜん」にかたってしまう「不健全ふけんぜんさ」


作成さくせい櫻井さくらい 悟史さとし
UP:20090821 REV:
全文ぜんぶん掲載けいさい  ◇歴史れきし社会しゃかいがく研究けんきゅうかい
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