(Translated by https://www.hiragana.jp/)
大谷通高「犯罪被害者の救済におけるケア・試論――〈被害〉についての考察から」
HOME >

犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケア・試論しろん――〈被害ひがい〉についての考察こうさつから」

大谷おおや とおるだか 2010/02/26
立命館大学りつめいかんだいがくグローバルCOEプログラム「生存せいぞんがく創成そうせい拠点きょてん 20100226
安部あべ あきら堀田ほった 義太郎よしたろう  『ケアと/の倫理りんり
立命館大学りつめいかんだいがく生存せいぞんがく研究けんきゅうセンター,生存せいぞんがく研究けんきゅうセンター報告ほうこく11,257p. ISSN 1882-6539 pp. 196-223


投稿とうこうぶん

犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケア・試論しろん
 ──〈被害ひがい〉についての考察こうさつから 

大谷おおやとおるだか
立命館大学りつめいかんだいがく大学院だいがくいん先端せんたん総合そうごう学術がくじゅつ研究けんきゅう博士はかせ課程かてい


 0 問題もんだい意識いしき

 本稿ほんこう犯罪はんざい被害ひがいしゃくるしみと、それにたいするケアについて考察こうさつする(ちゅう1)(ちゅう2)。それにさいし、本稿ほんこうでは、被害ひがいしゃくるしみを、「被害ひがい内容ないよう」(「どんな被害ひがいか」にこたえるもの)と「被害ひがいけたこと」(「被害ひがいとはなにか」にこたえるもの)に区分くぶんし、後者こうしゃの「被害ひがいけたこと」(以下いか、これを〈被害ひがい〉とも明記めいきする)に限定げんていしてそのくるしみ(以下いか、これを〈被害ひがい〉のくるしみとづける)をかんがえる(ちゅう3)。
 なぜ、後者こうしゃ限定げんていして被害ひがいしゃくるしみをろんじるのか、その理由りゆうべる。「被害ひがい内容ないよう」を勘案かんあんして被害ひがいしゃくるしみと救済きゅうさいろんじると、被害ひがい内容ないようはもちろんのことその程度ていど、さらには被害ひがいしゃ個人こじんせいちがいといった「差異さい」に照準しょうじゅんしてろんじることになる。その場合ばあい差異さい評価ひょうかする「客観きゃっかんてきな」基準きじゅんもうけられ、それぞれの基準きじゅんによって規定きていされた「被害ひがい内容ないよう」におうじて、適切てきせつかつ効果こうかてき救済きゅうさい検討けんとうするようになる。それは重要じゅうようかつ意義いぎふかいものである。しかし、この救済きゅうさいろんは、「被害ひがい内容ないよう」に準拠じゅんきょするために、その「差異さい」が強調きょうちょうされる傾向けいこうにあり、「差異さい」による対立たいりつ排除はいじょしょうじさせるおそれがある。また、基準きじゅんもうけるさいに、対象たいしょうとなる被害ひがいしゃ固有こゆう被害ひがい経験けいけんからいくつかの「差異さい」をもとに「客観きゃっかんてき指標しひょうもうけようとし、被害ひがいしゃになりわって被害ひがい意味いみづけをおこな傾向けいこうがある。わたしはその被害ひがいしゃではないため、その固有こゆう被害ひがい経験けいけんかたれないし、評価ひょうかすることもできない。また、当人とうにんえて被害ひがい意味いみづけることもできない。
 それにたいして、というか、わたしが「被害ひがい内容ないよう」にさきんじて「被害ひがいけたこと」に限定げんていして被害ひがいしゃくるしみをろんじる理由りゆう、そのことに見出みいだした意義いぎは、「被害ひがいけたこと」がいかなる被害ひがいしゃにおいても普遍ふへんてき共通きょうつう到来とうらいする〈被害ひがいしゃ〉としての経験けいけんとしてあり、それは「被害ひがい内容ないよう」や「差異さい」よりさきんじてある前提ぜんていであり、「被害ひがい内容ないよう」にかんする「差異さい」を、相対そうたいてきな「差異さい」として機能きのうさせる被害ひがいしゃの「くるしみの支柱しちゅう土俵どひょう」としてあるからだ。だからわたしは「被害ひがい内容ないよう」や「差異さい」よりもさきんじて、「被害ひがいけたこと」=〈被害ひがい〉に限定げんていして、被害ひがいしゃくるしみをろんじる(ちゅう4)。
 従来じゅうらい犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさい研究けんきゅうにおいて、「被害ひがいけたこと」、〈被害ひがい〉のくるしみを考察こうさつ対象たいしょうとしたものは案外あんがいすくない。三井みついさよは『ケアの社会しゃかいがく』(2004)でWHAT(問題もんだいはそもそもなにか)とHOW(現状げんじょう改善かいぜんのためにどうすればよいのか)の区分くぶんもちいて、臨床りんしょう現場げんば専門せんもんしょくが「目前もくぜん問題もんだいてん直接ちょくせつ解決かいけつできそうなHOWをまずかんがえ、そこからWHATをみちびす」傾向けいこうにあることを指摘してきし、その手法しゅほう一定いってい意義いぎみとめつつも、それは「WHATをとらそこね、現状げんじょう改善かいぜんさきにある課題かだいたいして、分析ぶんせきしHOWをろんじるツールを見失みうしなう」ことを指摘してきしている(三井みつい 2004: 7)。
 従来じゅうらい研究けんきゅうでは、被害ひがいしゃをとりまく問題もんだい状況じょうきょう(WHAT)を改善かいぜんするために、被害ひがいしゃへの情報じょうほう提供ていきょう保護ほご配慮はいりょといった支援しえん(HOW)の重要じゅうようせい必要ひつようせいがいくどか主張しゅちょうされてきた。しかし、HOWのひとつとして、情報じょうほう提供ていきょう配慮はいりょ保護ほご、ケアが重要じゅうようであることと、被害ひがいしゃくるしみ(WHAT)を、情報じょうほう提供ていきょう配慮はいりょ保護ほご、ケアの欠如けつじょだととらえることのあいだには距離きょりがあるし、「被害ひがいけたこと」が情報じょうほう提供ていきょう保護ほご配慮はいりょによって解消かいしょうされるわけではない。
 本稿ほんこうは「被害ひがいけたこと」、〈被害ひがい〉のくるしみをWHATとしてかんがえ、そこからHOWとなるケアについて考察こうさつする。これをかんがえるかりに、従来じゅうらい救済きゅうさいろんが〈被害ひがい〉についてどうかんがえきたかを確認かくにんすることからはじめたい。
 まず、1せつでは対人たいじん対面たいめんてき被害ひがいしゃ救済きゅうさいろん展開てんかいされはじめた90年代ねんだい救済きゅうさいろん動向どうこう照準しょうじゅんし、従来じゅうらい対人たいじん対面たいめんにおける救済きゅうさいろん被害ひがいしゃくるしみにかんする傾向けいこうさぐる。つづく2せつと3せつでは、その傾向けいこうまえて従来じゅうらい救済きゅうさいろんが〈被害ひがい〉とそのくるしみをどのようにかんがえてきたかを検討けんとうする。具体ぐたいてきには、被害ひがいしゃ救済きゅうさいかぎ概念がいねんとしてある被害ひがい概念がいねん(2せつ)とPTSD概念がいねん(3せつ)に照準しょうじゅんして、それらしょ概念がいねん特徴とくちょう検討けんとうすることであきらかにする。そして4せつでは、従来じゅうらい犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさい論考ろんこうなかで「被害ひがいけたこと」について考察こうさつしたものをとりあげ、そこで「被害ひがいけたこと」がいかにろんじられているのかを確認かくにんし、それを批判ひはんてき検討けんとうする。最後さいごに5せつでは、「被害ひがいけたこと」とそのくるしみを〈被害ひがい〉がゆうする特徴とくちょうから考察こうさつし、それにたいする救済きゅうさい実践じっせんとしてケアを提示ていじし、本稿ほんこうえる。

 1 90年代ねんだい被害ひがいしゃ救済きゅうさい動向どうこう

 ここでは、90年代ねんだい対人たいじん対面たいめんてき被害ひがいしゃ救済きゅうさいろん動向どうこう確認かくにんする。日本にっぽんにおける犯罪はんざい被害ひがいしゃ対人たいじん対面たいめんてき支援しえん普及ふきゅう拡大かくだいは90年代ねんだいにはじまる。本稿ほんこうでは、その起点きてんとなった91ねん開催かいさいされた犯罪はんざい被害ひがいしゃとう給付きゅうふきん支給しきゅうほうの10周年しゅうねん記念きねんするシンポジウムに依拠いきょして救済きゅうさいろん動向どうこう概観がいかんする(ちゅう5)。ちなみに本稿ほんこうではケアを対人たいじん対面たいめんてき支援しえん限定げんていしてかんがえる。その理由りゆうとして、従来じゅうらい被害ひがいしゃ救済きゅうさい研究けんきゅうにおいて、ケアは対人たいじん対面たいめんにおける実践じっせん文脈ぶんみゃくろんじられてきたことがげられる。この90年代ねんだい救済きゅうさい実践じっせん動向どうこうさえておくことで、被害ひがいしゃとの対面たいめん対人たいじん救済きゅうさい実践じっせん=ケアが必要ひつようとされてきた背景はいけいることができるとかんがえる。
 1990年代ねんだい犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさいとケアの文脈ぶんみゃくにおける重要じゅうよう契機けいきのひとつに、1991ねん犯罪はんざい被害ひがいしゃとう給付きゅうふきん支給しきゅうほうの10周年しゅうねん記念きねんするシンポジウムがある。そこでは、刑事けいじ手続てつづきじょう被害ひがいしゃ問題もんだい精神せいしんてき被害ひがい家庭かていない虐待ぎゃくたい被害ひがいしゃのニーズといった幅広はばひろ被害ひがいしゃ問題もんだい議論ぎろんされた。これ以前いぜん救済きゅうさいろんは、刑法けいほう学者がくしゃ犯罪はんざい学者がくしゃ被害ひがいしゃ学者がくしゃ中心ちゅうしんになってろんじられてきたが、このシンポジウムで、各種かくしゅ実務じつむ精神せいしん活動かつどうといった各種かくしゅ専門せんもん被害ひがいしゃ救済きゅうさい議論ぎろんくわわり、それぞれの知見ちけんもちいて犯罪はんざい被害ひがいしゃ支援しえん救済きゅうさいろんじた。このシンポジウムを契機けいき日本にっぽん被害ひがいしゃ救済きゅうさい議論ぎろんひろがりがしょうじたことはうたがいない(ちゅう6)。
 そのひろがりのひとつに、対人たいじん対面たいめんてき支援しえん議論ぎろんがある。対人たいじん対面たいめんてき支援しえんかんする被害ひがいしゃくるしみの動向どうこう把握はあくするうえで、このシンポジウムを契機けいきとした重要じゅうよううごきが3てんある。だい1に、だい規模きぼ被害ひがいしゃ実態じったい調査ちょうさ実施じっしされたこと、だい2に、精神せいしん参加さんかだい3に対人たいじん対面たいめん支援しえん実践じっせん増加ぞうかである。
 1てん実態じったい調査ちょうさは、このシンポジウムで大谷おおやみのるちゅう7)が提唱ていしょうしたことを契機けいきに(ちゅう8)、翌年よくねんの1992ねん犯罪はんざい被害ひがいしゃ実態じったい調査ちょうさ研究けんきゅうかいちゅう9)が設立せつりつされ、92ねんから94ねんの3ねんにわたり実施じっしされた。被害ひがいしゃ被害ひがい問題もんだい状況じょうきょうやそれにおうじたニーズがアンケートやインタビュー調査ちょうさによって把握はあくされ、それらのデータにもとづいて必要ひつようとされる支援しえん実践じっせん検討けんとうしている(宮澤みやざわほか 1996)。この調査ちょうさでは、日常にちじょう生活せいかつ場面ばめん刑事けいじ手続てつづきの場面ばめんとにけてかく場面ばめんでの被害ひがいしゃ負担ふたん苦痛くつうあたえる状況じょうきょう調査ちょうさされており、そこでられたデータにもとづいて場面ばめんおうじた被害ひがいしゃのニーズと支援しえん実践じっせん有効ゆうこうせい検証けんしょうし、場面ばめんごとのニーズをたすような具体ぐたいてき支援しえん実践じっせん(たとえば生活せいかつ場面ばめんではカウンセリングや金銭きんせんてき救済きゅうさい刑事けいじ手続てつづきの場面ばめんでは情報じょうほう提供ていきょう保護ほご配慮はいりょなど)の必要ひつようせい検討けんとうしている。
 だい2に精神せいしん参加さんかであるが、このシンポジウムでは、精神せいしん山上さんじょう晧が参加さんかし、被害ひがいしゃの「精神せいしんてき被害ひがい」についての問題もんだい提起ていきし、その援助えんじょ支援しえん必要ひつようせい主張しゅちょうしている(宮澤みやざわほか 1991: 67)。ここで重要じゅうようなこととして、精神せいしん被害ひがいしゃ救済きゅうさいへの参加さんかによって、被害ひがいしゃ心理しんり状況じょうきょうという被害ひがいしゃ個人こじん内面ないめんまでもが援助えんじょ支援しえん対象たいしょうとされていることがある。90年代ねんだい以前いぜん被害ひがいしゃ救済きゅうさいは、刑法けいほう学者がくしゃによって金銭きんせんてき救済きゅうさい刑事けいじ手続てつづじょうでの情報じょうほう提供ていきょう保護ほご配慮はいりょなどの制度せいどてき側面そくめんからろんじられる傾向けいこうにあったが、この精神せいしん参加さんかによって、それら制度せいどてき対応たいおうにかかる対人たいじん対面たいめんてき側面そくめんといったミクロな場面ばめん救済きゅうさい実践じっせんとして、またその重要じゅうようせいにも注目ちゅうもくされるようになった。事実じじつ被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおける精神せいしん論考ろんこうは、被害ひがいしゃ精神せいしん状況じょうきょうを「症状しょうじょう」として説明せつめいし(たとえばPTSDなど)、それへのみにたいする指針ししん方策ほうさくである「傾聴けいちょう」や「い」といった配慮はいりょを、警察官けいさつかん検察官けんさつかん支援しえんしゃといった被害ひがいしゃ関与かんよする実務じつむたちにけて教示きょうししている(ちゅう10)。
 だい3に対人たいじん対面たいめんてき実践じっせん増加ぞうかであるが、これにはだい2の精神せいしん参加さんかとも関係かんけいがある。前述ぜんじゅつ山上さんじょうは、このシンポジウムでの被害ひがいしゃ遺族いぞく発言はつげんけて、よく92ねん相談そうだんしつ開設かいせつしている(小西こにし 1998: 2)。そのうごきは全国ぜんこく派生はせいし、98ねんには8組織そしきからなる「全国ぜんこく被害ひがいしゃ支援しえんネットワーク」が結成けっせいされ、電話でんわ面接めんせつによるカウンセリングのほか、ボランティアによる法廷ほうていへのいサービスといったたい被害ひがいしゃ対面たいめんてき支援しえん実践じっせんされている。またどう時期じきに、検察けんさつ警察けいさつといった刑事けいじ司法しほう関連かんれん機関きかん被害ひがいしゃへの相談そうだん情報じょうほう提供ていきょうおこな部署ぶしょ整備せいびし、対人たいじん対面たいめんてき支援しえん実践じっせんするようになった。このように90年代ねんだいは、民間みんかんだけでなく刑事けいじ司法しほう機関きかんにおいても被害ひがいしゃとの対面たいめんてき支援しえん実践じっせん創出そうしゅつ増加ぞうかした時期じきで、被害ひがいしゃ問題もんだい状況じょうきょう把握はあくと、それへの対人たいじん対面たいめんてきめんからの改善かいぜんをめざす具体ぐたいてき方策ほうさく関心かんしんせられた時期じきでもあった。
 だい1の調査ちょうさによって被害ひがい(WHAT)が場面ばめんごとに検討けんとうされ、それへの具体ぐたいてき支援しえん(HOW)の検証けんしょう構想こうそうがなされた。ここには被害ひがいしゃ支援しえんにおけるHOWとWHATの関係かんけい見出みいだすことができる。だい2の精神せいしん文脈ぶんみゃくにおいては、臨床りんしょうてき知見ちけんから被害ひがいしゃしんてき状況じょうきょう(WHAT)がかたられ、対人たいじん対面たいめんてき支援しえん重要じゅうようせいとその具体ぐたいてき方策ほうさく(HOW)が提示ていじされた。ここにもだい1の契機けいきおなじく、HOWとWHATの関係かんけいることができる。これに、だい3の対人たいじん対面たいめんてき援助えんじょ実践じっせん創出そうしゅつ増加ぞうかともなうことで、90年代ねんだい被害ひがい把握はあくとそれへの具体ぐたいてき実践じっせん方策ほうさくとが加速度かそくどてきもとめられた時期じきともいえる。
 以上いじょう、90年代ねんだい被害ひがいしゃ救済きゅうさい動向どうこうから、ふたつのHOWとWHATが確認かくにんされた。次節じせつでは上記じょうき被害ひがいしゃ実態じったい調査ちょうさ精神せいしん対人たいじん対面たいめんてき実践じっせん救済きゅうさいろんにおいて、被害ひがいやそのくるしみ(WHAT)がどうかんがえられてきたかをみていく。その足掛あしがかりとして、ふたつのかぎ概念がいねん注目ちゅうもくする。ひとつは「被害ひがい」で、もうひとつは「PTSD」である。このふたつの概念がいねんは、対人たいじん対面たいめんてき支援しえんろんじられたさいに、被害ひがいしゃ被害ひがい問題もんだい状況じょうきょう説明せつめいするための概念がいねんとしてもちいられている。これらふたつの概念がいねん特徴とくちょう注目ちゅうもくすることで、従来じゅうらい救済きゅうさいろん被害ひがいとそのくるしみ(WHAT)についてかんがえる。

 2 被害ひがい概念がいねん

 2-1 被害ひがい概説がいせつ
 被害ひがいとは、直接的ちょくせつてきけた被害ひがいいち被害ひがい)から副次的ふくじてきしょうじる被害ひがいのことであり(ちゅう11)(諸澤もろさわ 2001)、いち被害ひがいとの因果いんが関係かんけいがあることがその発生はっせい条件じょうけんとなっている。犯罪はんざい被害ひがい場合ばあいいちてき被害ひがい被害ひがいしゃ加害かがいしゃからけた直接的ちょくせつてき被害ひがいし、その被害ひがいによってしょうじる被害ひがい被害ひがいとなる。この被害ひがい概念がいねんは、前述ぜんじゅつした90年代ねんだいだい規模きぼ調査ちょうさにも、刑事けいじ司法しほう場面ばめん生活せいかつ場面ばめんにおける被害ひがいしゃ問題もんだい状況じょうきょう明示めいじする指標しひょうとしてもちいられている(宮澤みやざわほか 1996: 65-75)。
 この被害ひがいは、1980年代ねんだい被害ひがいしゃがく被害ひがいしゃろんからまれている。日本にっぽん被害ひがいしゃがくあらたな理論りろんとして被害ひがいしゃろんさん被害ひがいしゃろん紹介しょうかいしたのは宮澤みやざわ浩一こういち(1987)である。この被害ひがいしゃろんは、被害ひがいしゃがくにおける被害ひがいしゃ理論りろんから派生はせいしたものである。被害ひがいしゃとは、1970年代ねんだい犯罪はんざいがく犯罪はんざい理論りろん影響えいきょうけて、被害ひがい現象げんしょうを「被害ひがいしゃ」としてとらえた理論りろんである。このあたらしい被害ひがいしゃ学理がくりろんは、犯罪はんざい被害ひがい被害ひがいしゃ状態じょうたいつうてき問題もんだいする理論りろんといえる。被害ひがいしゃには、だいいち被害ひがいしゃだい被害ひがいしゃだいさん被害ひがいしゃの3段階だんかいがある(宮澤みやざわ 1987: 23)。だいいち被害ひがいしゃは、犯罪はんざい行為こういなどによって直接ちょくせつ被害ひがいける過程かていのことで、だい被害ひがいしゃは、そのだいいちてき被害ひがい関連かんれんしてける被害ひがいのことをす。それには被害ひがいしゃ知人ちじん刑事けいじ司法しほう、マスメディア関係かんけいしゃからける被害ひがいしゃ精神せいしんてき負担ふたん苦痛くつうなどがある。そして、いち被害ひがいしゃ影響えいきょうけて、社会しゃかい復帰ふっきできない状況じょうきょうだいさん被害ひがいしゃとしている。
 被害ひがいしょうじる場面ばめんは、おもに4つに分類ぶんるいすることができるだろう。1つは、被害ひがいしゃ個人こじん生活せいかつかかわるもので、その具体ぐたいてきれいとして、被害ひがい精神せいしん状態じょうたい変化へんか不眠ふみんや、対人たいじん恐怖きょうふ恐怖きょうふ反応はんのうなど)、経済けいざい状況じょうきょう変化へんか経済けいざいてき困窮こんきゅう)、生活せいかつ環境かんきょう変化へんか外出がいしゅつができなくなったことや経済けいざいてき困窮こんきゅうによる就職しゅうしょく地域ちいき仕事場しごとば対人たいじん関係かんけい困難こんなんといった生活せいかつ習慣しゅうかん変化へんか)や家族かぞく関係かんけい変化へんか事件じけん契機けいきとした離婚りこん家庭かてい不和ふわ)などがある(宮澤みやざわほか 1996: 67; 大和田おおわだ 2003: 75-76)。2つ報道ほうどう取材しゅざいによってしょうじる負担ふたん精神せいしんてき苦痛くつう同意どういのない強引ごういん取材しゅざいによる苦痛くつう違和感いわかん取材しゅざいのためのインターフォンや電話でんわ、ファックスによる恒常こうじょうてき攻勢こうせい過剰かじょう報道ほうどうあやまった報道ほうどう)である(酒井さかいいけ埜 ほか2004)。3つ刑事けいじ司法しほうシステムからしょうじる負担ふたん苦痛くつう取調とりしらべにかかる時間じかんてき経済けいざいてき損失そんしつ警察官けいさつかん検察官けんさつかん裁判官さいばんかん弁護士べんごしといった司法しほう関係かんけいしゃよる不適切ふてきせつ対応たいおう加害かがいしゃへの被害ひがいしゃ感情かんじょう刑事けいじ裁判さいばんからの疎外そがいかん)である(宮澤みやざわほか 1996: 73-75; 小西こにし 1998: 79-83)。4つは、支援しえんける段階だんかいける負担ふたん苦痛くつう支援しえんしゃ不用意ふようい発言はつげん支援しえん機関きかんによるたらいまわし)などである(佐藤さとう 2001: 171)。
 これらの場面ばめんからもかるように、おおくの被害ひがいてき状況じょうきょう被害ひがいしゃ外的がいてき環境かんきょうによって説明せつめいされ、それらが改善かいぜんすべき事態じたいとされてきた。次項じこうでは被害ひがい概念がいねん特徴とくちょうについて検討けんとうする。
 
 2-2 被害ひがい概念がいねん特徴とくちょう
 被害ひがい概念がいねん特徴とくちょうは2てんある。「被害ひがい」とは、被害ひがいしゃ苦痛くつう負担ふたん犯罪はんざい被害ひがい付随ふずいしてしょうじた「てき」なものかどうかを判断はんだんするための概念がいねんである。この概念がいねん被害ひがいしゃ苦痛くつう負担ふたん程度ていど問題もんだいとしない。それは被害ひがいしゃ主観しゅかんてき認識にんしきゆだねられていて(ちゅう12)、あくまでもいちという時間じかん空間くうかんによって被害ひがい区分くぶんする。このことは「被害ひがい」が犯罪はんざい被害ひがいでありつつも、いち被害ひがいとはべつ被害ひがいであるとすること、つまり、この概念がいねんにおける「犯罪はんざい被害ひがい」は加害かがいしゃからけた直接的ちょくせつてき被害ひがいだけを意味いみするのではなく、いち被害ひがい付随ふずいしてしょうじる事件じけん負担ふたん苦痛くつうも「犯罪はんざい被害ひがい」としてくくることになる。このてんにおいて被害ひがい概念がいねんは「犯罪はんざい被害ひがい事象じしょうとき空間くうかん拡張かくちょうさせる概念がいねんとしてみることもできる。時点じてん空間くうかんによって被害ひがい区分くぶんする、これが被害ひがい概念がいねんだいいち特徴とくちょうである。
 もうひとつの特徴とくちょうとして、被害ひがいが「被害ひがい」の形式けいしきをとっていることがある。被害ひがい加害かがい内包ないほうした言葉ことばであることから、必然ひつぜんてきにその苦痛くつう原因げんいん加害かがいとしてこされる。つまり、加害かがい原因げんいんとなる対象たいしょうがある場合ばあい、それが加害かがい要因よういんとして配置はいちされることになる。被害ひがいしゃ対策たいさくとしての被害ひがい予防よぼうは、被害ひがいしゃにそのさん被害ひがい誘発ゆうはつした要因よういんもとめず、その被害ひがい被害ひがいしゃせめすることはしないし、その予防よぼう実践じっせんをなす実践じっせんしゃ被害ひがいしゃ位置いちづけない。それは被害ひがいしゃがわ原因げんいんもとめず、被害ひがいしゃ環境かんきょうから被害ひがい原因げんいん検出けんしゅつし、その被害ひがい予防よぼう対策たいさくへの責任せきにん加害かがい要因よういんたる組織そしき関係かんけいしゃせめさせることになる。このように被害ひがい予防よぼう実践じっせん被害ひがいしゃせられるものではなく、環境かんきょうがわせられる。つまり刑事けいじ司法しほうやマスメディア、被害ひがいしゃ関係かんけいしゃ被害ひがい予防よぼう実践じっせんしゃとして位置いちづけられることになる。
 以上いじょうのような概念がいねん特徴とくちょうまえると、被害ひがい事件じけん犯罪はんざい被害ひがいしゃていく場面ばめんおうじて、被害ひがいしゃける苦痛くつう負担ふたん、それを生成せいせい助長じょちょうさせる要因よういん検出けんしゅつする概念がいねん装置そうちであることがかる。次項じこうではその特徴とくちょうから、被害ひがい概念がいねん被害ひがいとそのくるしみを考察こうさつする。

 2-3 被害ひがい概念がいねんの「被害ひがい
 前項ぜんこうだいいち被害ひがい特徴とくちょうとして、被害ひがい場面ばめんによって規定きていすることを指摘してきした。いち被害ひがいしょうじる犯罪はんざい被害ひがいしゃ負担ふたん苦痛くつうを、事件じけん直接ちょくせつ被害ひがいとはことなる被害ひがいとして規定きていしつつも、場面ばめんによってその被害ひがい差異さいする。この場面ばめんごとの被害ひがいしゃ負担ふたん苦痛くつうを「いち」「」と時間じかん空間くうかんによってける特徴とくちょうは、被害ひがい概念がいねん限界げんかいとしてることもできる。
 被害ひがい時間じかん空間くうかんによってけることは、時間じかん空間くうかんによって被害ひがい特定とくていすることを意味いみする。これはいいかえれば、被害ひがい概念がいねん時間じかん空間くうかんという基準きじゅんによって被害ひがい限定げんていをかけることを意味いみする。また、もうひとつの被害ひがい特徴とくちょうである被害ひがい発生はっせい要因よういん被害ひがいしゃ外的がいてき環境かんきょうから見出みいだすことも、時間じかん空間くうかん準拠じゅんきょしてがい発生はっせい要因よういん特定とくていすることから、だいいち特徴とくちょう同様どうよう被害ひがい限定げんていをかけている。
 この被害ひがい概念がいねんは、時間じかん空間くうかんによって規定きていされた被害ひがいを、具体ぐたい現実げんじつてき場面ばめんとしむ。それにより場面ばめんごとの被害ひがいおうじた具体ぐたい現実げんじつてき救済きゅうさい実践じっせん構想こうそうされてきた。被害ひがい概念がいねんもちいた救済きゅうさいろんは、被害ひがい特定とくてい場面ばめんにそくして考察こうさつするものであることがうかがえる。これは三井みつい指摘してきした、臨床りんしょう現場げんばのHOW─WHAT図式ずしきといえるだろう。被害ひがい概念がいねんは、「被害ひがいけたこと」に付随ふずいする被害ひがいしゃ負担ふたん苦痛くつう特定とくてい場面ばめんけて、それを「被害ひがい」とし、救済きゅうさい実践じっせん対象たいしょうとなる「被害ひがいしゃくるしみ」として考察こうさつしてきた。被害ひがいは「被害ひがいけたこと」=〈被害ひがい〉そのものに考察こうさつ主軸しゅじくをおかず、〈被害ひがい〉のくるしみについても検討けんとう対象たいしょうとしていない。
 このように被害ひがい概念がいねんにおける被害ひがいは、時空じくうあいだ準拠じゅんきょして特定とくていされたもので、「被害ひがいけたこと」、〈被害ひがい〉のくるしみについて対象たいしょうとしたものではないことがあきらかとなった。次節じせつでは、精神せいしん医学いがく領域りょういきのWHATであるPTSD概念がいねん検討けんとうする。従来じゅうらい被害ひがいしゃ支援しえん研究けんきゅうにおいてPTSD概念がいねん被害ひがい概念がいねんおなじくかぎ概念がいねんとしてあつかわれてきた。このPTSDが被害ひがいしゃ支援しえん文脈ぶんみゃくにおいて、なに被害ひがいとしてきたのか、被害ひがい概念がいねんとの関係かんけい考慮こうりょにいれつつ、あきらかにしていきたい。

 3 PTSD

 3-1 PTSDの概説がいせつ
 日本にっぽんにおいてPTSDという心理しんりてき症状しょうじょう犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさい文脈ぶんみゃくなかろんじられるようになるのは1990年代ねんだいのことである。とくに1995ねん阪神はんしん淡路あわじ大震災だいしんさい地下鉄ちかてつサリン事件じけん契機けいきもちいられるようになった(小西こにし 2001: 84)。
 PTSD(Posttraumatic Stress Disorder=しんてき外傷がいしょうストレス障害しょうがい)はトラウマ(しんてき外傷がいしょう)といった精神せいしんてき外傷がいしょうによってしょうじる慢性まんせいてきしんてきストレス障害しょうがいこす疾患しっかんす。犯罪はんざい被害ひがいしゃ場合ばあい事件じけんによるまけてき影響えいきょうからしょうじる精神せいしんてき障害しょうがいをさす場合ばあいもちいられるが、その障害しょうがい事件じけんから1ヵ月かげつ以上いじょうつづくものと定義ていぎされる。また、1ヵ月かげつ以前いぜん障害しょうがいをASD(Acute Stress Disorder=急性きゅうせいストレス障害しょうがい)としている。
 アメリカ精神せいしん学会がっかい作成さくせいした精神せいしん障害しょうがい診断しんだん統計とうけいマニュアル(DSM-W)によると、PTSDと診断しんだんされるさい条件じょうけんとしては3てんある。だいいちに、「実際じっさいにまたはあやうくぬまたは重傷じゅうしょううような出来事できごとを1もしくはすう、または自分じぶんまたは他人たにん身体しんたい保全ほぜんせま危険きけんを、そのひと体験たいけんし、目撃もくげき直面ちょくめんした」こと、だいに「そのひと反応はんのうつよ恐怖きょうふ力感りきかんまたは戦慄せんりつかんするものである」こと、だいさんに「外傷がいしょうてき出来事できごとさい体験たいけんされていること」があげられている。だいいちだいはトラウマの定義ていぎとなっている(小西こにし 2001: 96)。
 小西こにしはPTSDのしゅ症状しょうじょうを、「さい体験たいけん」、「回避かいひ麻痺まひ」、「過剰かじょう覚醒かくせい」の3つにまとめている(小西こにし 2001: 96-101)。さい体験たいけんは、上述じょうじゅつ診断しんだん条件じょうけんひとつとして位置いちづけられているが、その内容ないようは、精神せいしんてき障害しょうがいもととなった出来事できごとやその精神せいしんてき苦痛くつう反復はんぷく想起そうきされることをし、外傷がいしょうてき出来事できごと慢性まんせいてきさい体験たいけんされつづけていることをす。このさい体験たいけんは、意図いとてき事件じけん想起そうきする「おもす」こととはべつのもので、出来事できごと不可避ふかひてき想起そうきされる事態じたいのことをさしており、事件じけん当時とうじ苦痛くつうさい体験たいけんすることを意味いみしている。「回避かいひ麻痺まひ」は、外傷がいしょうかんする思考しこう感情かんじょう会話かいわ回避かいひしようとすることである。外傷がいしょうかんする会話かいわをすると外傷がいしょう体験たいけん想起そうきされるために、これを回避かいひしようとするのが「回避かいひ」で、「麻痺まひ」とは出来事できごとへの健忘けんぼうや、感情かんじょう欠落けつらくといった障害しょうがいす。「過剰かじょう覚醒かくせい」とは、外傷がいしょう以前いぜん存在そんざいしない持続じぞくてき覚醒かくせいつづいている状態じょうたいのことで、不眠ふみんおとたいする過敏かびん反応はんのう感情かんじょう表出ひょうしゅつ過剰かじょう症状しょうじょうなどがある。
 上記じょうきの3つの症状しょうじょうが1ヶ月かげつ以内いない消失しょうしつすればPTSDと診断しんだんされることはない。外傷がいしょう上記じょうき症状しょうじょうふくあいてきしょうじ、それが慢性まんせいした場合ばあいにはじめてPTSDと診断しんだんされる。また、1ヵ月かげつ以前いぜんにこれらの症状しょうじょうくわえて「乖離かいり」の症状しょうじょうしょうじている場合ばあいは、前述ぜんじゅつしたASDとして診断しんだんされる。ちなみに「乖離かいり」とは、「現実げんじつたいする認知にんち変化へんかさせ、感情かんじょう記憶きおく感覚かんかくはなす」事態じたいであり、それはがた状況じょうきょうしょうじさせるネガティブな影響えいきょう感知かんちしないように意識いしきすることをす(小西こにし 2001: 104-105)。
 以上いじょうがPTSDの概説がいせつであるが、被害ひがいしゃ救済きゅうさい文脈ぶんみゃくにおいてPTSDは被害ひがいしゃ被害ひがいしんてき状態じょうたい症状しょうじょうとして説明せつめいしている。これは、被害ひがいしゃいち被害ひがいによってけたしんてき外傷がいしょう(トラウマ)を起点きてんとして、それへのまけ心的しんてき反応はんのう説明せつめいするもので、被害ひがいのように個人こじんわくえた外的がいてき環境かんきょう照準しょうじゅんして被害ひがいしゃ状況じょうきょう説明せつめいしない。次項じこうでは、この概念がいねん特徴とくちょう考察こうさつする

 3-2 PTSDの特徴とくちょう
 PTSDの特徴とくちょうとして、まずしゅ症状しょうじょうしんいんせいはんおうであり、そこからもわかるようにこの概念がいねんひとしん対象たいしょうとしていることがげられる。概念がいねんとして相対そうたいできる関係かんけいにないが、被害ひがい概念がいねん外的がいてき環境かんきょう問題もんだいとして明示めいじするが、PTSDの場合ばあいしんてき外傷がいしょう反応はんのう問題もんだいとして明示めいじする。これは概念がいねん自体じたいしん内属ないぞくしていることを意味いみしている。これがだいいち特徴とくちょうである。
 だいに、症状しょうじょうしんてき外傷がいしょうとが意識いしきてきであれ無意識むいしきてきなものであれ、反応はんのうという関係かんけいによってむすばれていることがある。反応はんのう発症はっしょうしゃしんてき状態じょうたいしており、PTSDは心的しんてき外傷がいしょう反応はんのう問題もんだいとしている。PTSDがトラウマにたいする反応はんのう問題もんだい状況じょうきょうとして照準しょうじゅんしているということ、これがだい特徴とくちょうである。
 だいさんに、しんてき外傷がいしょう症状しょうじょう原因げんいん反応はんのう関係かんけいは、衝撃しょうげきてき体験たいけん有無うむ、それへの反応はんのうしょうじる期間きかんとその内容ないよう条件じょうけんにむすばれている。被害ひがい概念がいねん時間じかん空間くうかん内在ないざいし、外的がいてき環境かんきょうとの関係かんけい志向しこうした概念がいねんであった。たいしてPTSDの場合ばあい症状しょうじょう発症はっしょう条件じょうけんが、トラウマとなるしんてき外傷がいしょうとその回数かいすう、それへの反応はんのう期間きかんとなっているが、そこには被害ひがいのように空間くうかん発生はっせい条件じょうけんとしてげられていない。このことからPTSD概念がいねん症状しょうじょう空間くうかんによってわくづけないことがわかる。そのためPTSD概念がいねん発症はっしょうする空間くうかん外的がいてき環境かんきょう提示ていじすることはない。以上いじょうこの3てんが、PTSD概念がいねん特徴とくちょうとしてある。次項じこうでは、この概念がいねんにおいて被害ひがいやそのくるしみはどう考察こうさつされてきたのか、上記じょうき特徴とくちょうからかんがえる。

 3-3 PTSDの「被害ひがい
 PTSDには3つの特徴とくちょうがあった。それはだいいち問題もんだいとする状況じょうきょうしん内属ないぞくしていること、だい問題もんだいとする状況じょうきょうがトラウマによる反応はんのうであること、だいさんにその問題もんだい状況じょうきょう空間くうかんによって規定きていされないということである。ではPTSD概念がいねんにおける被害ひがいとそのくるしみはどのようなものか、それをこれらの特徴とくちょう関連かんれんして検討けんとうしてみる。
 PTSD概念がいねんは、被害ひがいしゃ心的しんてき苦痛くつう症状しょうじょうとしてとらえてきた。これは被害ひがいしゃしんてき状況じょうきょう限定げんていして被害ひがい規定きていしてきたことを意味いみする。また、PTSD概念がいねんはあくまでもトラウマによる反応はんのう症状しょうじょう問題もんだい状況じょうきょうとしてきた。症状しょうじょうひとつである「さい体験たいけん」は、事件じけん当時とうじ状況じょうきょうつい体験たいけんすることを問題もんだい状況じょうきょうとして提示ていじしているが、この場合ばあい、「さい体験たいけん」という症状しょうじょう説明せつめいするにとどまり、トラウマと反応はんのう症状しょうじょうとの関係かんけいそれ自体じたい問題もんだいとしない。問題もんだいとして提示ていじするのは、しんてき外傷がいしょう反応はんのうしてしまうことではなく、しんてき外傷がいしょう反応はんのうしたしん状態じょうたいである。
 このようにPTSD概念がいねんは、被害ひがいを、心的しんてき問題もんだい状況じょうきょうそくして説明せつめいする。「被害ひがいをうけたこと」のしん状態じょうたいを「被害ひがい」とし、それを救済きゅうさい実践じっせん対象たいしょうとなる「被害ひがいしゃくるしみ」としてとりあげてきたのである。
 従来じゅうらい研究けんきゅうでは、PTSDのような心的しんてき問題もんだい状況じょうきょうおうじた処置しょちについて具体ぐたい現実げんじつてき救済きゅうさい実践じっせん構想こうそうされてきたが、被害ひがいのように加害かがい要因よういん特定とくていする機能きのうをPTSDはたない。PTSDは心的しんてき外傷がいしょうたいするまけてき反応はんのうであり、加害かがいではなくはんおう基点きてんとなる心的しんてき傷害しょうがい内在ないざいした枠組わくぐみである。そのため、その反応はんのう基点きてんとなる要因よういんは、あくまでも心的しんてき外傷がいしょうであり、その反応はんのう悪化あっかさせる加害かがい要素ようそ検出けんしゅつする機能きのうはそれ独自どくじではもたない。では、この概念がいねん従来じゅうらい被害ひがいしゃ対人たいじん対面たいめんてき支援しえんろんにおいて、どのようにもちいられてきたか、次項じこうではそれを被害ひがい概念がいねんとの関係かんけいから考察こうさつする。

 3-4 PTSDと被害ひがい
 被害ひがいとPTSDとの関係かんけい直接的ちょくせつてきなかたちでろんじたものとして、大和田おおわだ(2003)がある。大和田おおわだ犯罪はんざい被害ひがいしゃ遺族いぞく支援しえん必要ひつようせい心理しんりがくてき知見ちけんからろんじるさいに、PTSDの症状しょうじょう被害ひがいしゃろんにおけるさん被害ひがい代表だいひょうてき状況じょうきょうであると指摘してきしている。通常つうじょうさん被害ひがいとはいち被害ひがい被害ひがい影響えいきょうによって社会しゃかい復帰ふっきができない状態じょうたいのことをすが、大和田おおわだにおいてさん被害ひがいは「事件じけん契機けいきとして、社会しゃかい生活せいかつおくるのに精神せいしんてき物質ぶっしつてき支障ししょうをきたすこと」であり、「犯罪はんざいによるショックや犯人はんにんたいするゆるせない気持きもちなどのなやみをいだきながら、だれにも相談そうだんすることができず、世間せけんうらむ」ような状態じょうたいが「長期ちょうきすることによって精神せいしん変調へんちょうをきたし、社会しゃかいたいする反発はんぱつからはん社会しゃかいてき行動こうどうたり、じこもったり、ノイローゼになるといった様々さまざま反応はんのうる」状態じょうたいす(大和田おおわだ 2003: 9)。そして被害ひがいさん被害ひがい被害ひがいしゃにとって「きわめて深刻しんこく問題もんだい」(WHAT)であるとし、「今後こんご被害ひがいしゃへの支援しえん推進すいしんしていくうえで、こうした要素ようそ十分じゅうぶん考慮こうりょした対策たいさく制度せいど確立かくりつ」(HOW)の必要ひつようせい指摘してきしている。
 PTSDが、大和田おおわだ指摘してきするようにさん被害ひがいであるならば、PTSDが発症はっしょうする要因よういんとしていち被害ひがい被害ひがいてき状況じょうきょうがある。いち被害ひがい被害ひがい前提ぜんてい条件じょうけんであり、これはさん被害ひがいにおいてもおなじことがいえ、PTSDの概念がいねん枠組わくぐみにおいてそれは症状しょうじょう基点きてんとなるしんてき外傷がいしょう相当そうとうするだろう。問題もんだい被害ひがいさん被害ひがい(=PTSD)との関係かんけいであるが、それはどのようなものか。さん被害ひがいはその概念がいねん構造こうぞうにおいて、被害ひがい前提ぜんてい条件じょうけんとしているために、さん被害ひがいであるPTSDの発症はっしょうは、被害ひがいてき状況じょうきょう長期ちょうき条件じょうけんとなっている。ここからPTSDの発生はっせい要因よういんとして被害ひがい位置いちづけられていることがわかる。これは、すなわち、被害ひがいさん被害ひがい関係かんけい原因げんいん結果けっか関係かんけいにあることを意味いみする。
 大和田おおわだのように、心理しんりてき観点かんてんから被害ひがいしゃ支援しえんろんじられるさいには、被害ひがい概念がいねんとPTSD概念がいねんもちいられ、PTSDという症状しょうじょう(WHAT)を発症はっしょうさせないためには、被害ひがいしゃにかかわる支援しえんしゃ配慮はいりょ支援しえん環境かんきょう整備せいび(HOW)といった被害ひがい対策たいさく必要ひつようといった論理ろんり展開てんかいになっている。またPTSDの症状しょうじょう(WHAT)そのものにたいする処置しょちは、基本きほんてきには医学いがくてきなアプローチ(HOW)がとられるが、被害ひがいしゃ状況じょうきょうによって症状しょうじょう悪化あっかすることをかんがえると、その治療ちりょうには被害ひがい対策たいさく(HOW)が必要ひつようになってくる。このように被害ひがい対策たいさく目的もくてきとした支援しえんろんにおいて、りょう概念がいねん同時どうじもちいられてかたられることがあり、さらには前章ぜんしょうろんじた被害ひがい救済きゅうさいろん外的がいてき環境かんきょう整備せいび=HOWにそくして、被害ひがいしゃくるしみ=WHATを規定きていする救済きゅうさいろん)のなかにPTSDがまれている。ここから、この被害ひがいとの関係かんけいにおいて、PTSD概念がいねんによる救済きゅうさいろんは、心的しんてき問題もんだい状態じょうたいを「被害ひがい」として提示ていじし、それにたいして救済きゅうさい実践じっせん検討けんとうするものであることがあきらかとなった。
 しかし、従来じゅうらいのPTSDや被害ひがいもちいた救済きゅうさいろんにおいても「被害ひがいけたこと」について考察こうさつされてこなかったわけではない。次節じせつではそれら救済きゅうさいろんなかで「被害ひがいけたこと」がどう考察こうさつされたのかを確認かくにん検討けんとうする。

 4 従来じゅうらい支援しえんろんでの「被害ひがいけたこと」

 4-1 小西こにしの「被害ひがいけたこと」
 従来じゅうらい被害ひがいしゃ救済きゅうさいろんなかで「被害ひがいけたこと」を考察こうさつしようとしたものとして小西こにし酒井さかいいけ埜がある。まずは、小西こにしから。
 小西こにし聖子せいこは、精神せいしんであり、日本にっぽんはやくからPTSD概念がいねんもちいて犯罪はんざい被害ひがいしゃ精神せいしんてき支援しえん提唱ていしょうし、さらには実践じっせんしてきた犯罪はんざい被害ひがいしゃ支援しえん実学じつがくともに第一人者だいいちにんしゃといえる人物じんぶつである。
 小西こにしは、「被害ひがいけたこと」は、自身じしん価値かちきる意味いみ喪失そうしつ生死せいしかんする無力むりょくさの気持きもちをいだき、それが心身しんしん苦痛くつうをもたらすもので(小西こにし 1998: 268)、「あなたはなにのためにきているのか、あなたの生死せいしだれめるのか、あなたの価値かちはどこにあるのか」、「被害ひがいけることはそういう根源こんげんてき問題もんだい人間にんげんこたえられない問題もんだい、でもじつみなかかえている問題もんだい突然とつぜん直面ちょくめんさせられてしまうこと」であり、「それが被害ひがいである」と説明せつめいする(小西こにし 1998: 269)。
 また、被害ひがいしゃへのケアをろんじる文脈ぶんみゃくにおいても、被害ひがいしゃは「被害ひがいによって、セルフコントロールの感覚かんかくうしない、自尊心じそんしんきずつけられて」いて、それにたいする「精神せいしんてき支援しえんは、被害ひがいしゃ自己じこ価値かちもどし、ふたたきる能力のうりょくもどすことを目標もくひょうとしている」と説明せつめいし、そこには「医師いし──患者かんじゃモデルなどとはことなった関係かんけい必要ひつようとされる」ことを指摘してきする(小西こにし 2001: 111)。ここからもかるように、この「被害ひがい」にたいする支援しえんは、「自己じこ価値かち回復かいふく」、あるいは自己じこコントロールかん主体性しゅたいせい発揮はっきできる気持きもちの回復かいふく主眼しゅがんとしたものとしている(小西こにし 1998: 268)。ここで小西こにしは「エンパワメント」という言葉ことばもちいて、被害ひがいしゃ回復かいふく被害ひがいしゃ主体性しゅたいせいによってなされるものであることを主張しゅちょうしている(小西こにし 2001: 111-112)。
 これら支援しえん目的もくてきから逆算ぎゃくさんしてかんがえれば、「被害ひがいけたこと」は、自己じこ価値かちうしなうこと/見失みうしなうこと/破壊はかいされることであり、自己じこコントロールできない状態じょうたいおちいり、主体性しゅたいせい発揮はっきできなくなることをすと理解りかいできる。小西こにしは、意味いみ価値かち主体性しゅたいせいの「喪失そうしつ」を問題もんだいとし、それを被害ひがいとしている。
 しかし、まだ被害ひがいについてうことができる。なぜ、被害ひがいけると、意味いみ価値かち喪失そうしつし、コントロールかん発揮はっきできなくなるのか。これへのこたえを、小西こにし被害ひがいとなった出来事できごと衝撃しょうげき突然とつぜんさに、つまりは「トラウマ」に帰属きぞくさせて説明せつめいする(ちゅう13)。小西こにしによれば、トラウマとは、「ある特有とくゆう体験たいけん存在そんざい精神せいしん機能きのうの「状態じょうたい」についての規定きていによってっているとかんがえられ」るもので、フィグリーの定義ていぎいて「ある異常いじょう破局はきょくてき体験たいけん記憶きおくからしょうじる不快ふかいなストレス状態じょうたい。その体験たいけんとはきずつけられることにたいして自分じぶんはもろくないという被害ひがいしゃ感覚かんかく粉砕ふんさいしてしまうような体験たいけん」と説明せつめいする(小西こにし 2001: 86)。しかし、これには「おおきな問題もんだい」があることも指摘してきする。小西こにしは「異常いじょう破局はきょくてき体験たいけん」とはいかなるもので、それは主観しゅかんてきなものなのか、また客観きゃっかんてき測定そくていされるものなのか、といったトラウマの定義ていぎにかかる基準きじゅんについて指摘してきし、ついにはトラウマとなりうる体験たいけんの「差異さい」についてろんじ、この問題もんだいにはトラウマ反応はんのうのメカニズムやその発生はっせい要因よういん解明かいめい必要ひつようだと精神せいしん医学いがく文脈ぶんみゃくにのせて被害ひがい説明せつめいするようになる(小西こにし 2001: 86-87)。「被害ひがいけたこと」が、トラウマの考察こうさつへと移行いこうすることによって、結局けっきょく上記じょうきい、〈被害ひがい〉そのもののいがずらされている。
 そしてその支援しえん援助えんじょについて。小西こにしは、被害ひがい支援しえんを、「自己じこ価値かち回復かいふく」、あるいは自己じこコントロールかん主体性しゅたいせい発揮はっきできる気持きもちの回復かいふく主眼しゅがんとしたものと主張しゅちょうしている。それは、具体ぐたいてきにはいかなるものか。心理しんりがく精神せいしん医学いがく文脈ぶんみゃくでは、それはトラウマティックな記憶きおく整理せいりにかかわる技法ぎほうになり、催眠さいみん行為こうい療法りょうほう薬物やくぶつ処方しょほうといったものである。しかし、小西こにしはこれだけでは「被害ひがいしゃ援助えんじょ不十分ふじゅうぶん」であり、それら技法ぎほうもちいるさいの「基本きほんてきなアプローチ」が重要じゅうようで、それには被害ひがいしゃ被害ひがいへの意味いみづけにたいする配慮はいりょと、支援しえんしゃ被害ひがいへの意味いみづけをしないことをげている。被害ひがいしゃは「つねに被害ひがい意味いみもとめ」るもので、「自分じぶんけたこんなにもおも被害ひがいが、なん意味いみもなかったということには被害ひがいしゃえられない」とし、「被害ひがいしゃのカウンセリングにおいて「被害ひがい意味いみ」は重要じゅうよう地位ちいめている」とろんじる(小西こにし 1996: 170-171)。
 しかし、小西こにしは、被害ひがいしゃにとって「被害ひがい意味いみ」が重要じゅうようであることについて考察こうさつすることなく、その「被害ひがい意味いみ」に配慮はいりょした支援しえん必要ひつようせいをただ主張しゅちょうするにとどまっている。かりに、被害ひがいしゃが「被害ひがい意味いみ」をもとめることを、トラウマによる「意味いみ喪失そうしつ」にもとめるのであれば、精神せいしん医学いがく用語ようごそくして説明せつめいするために、被害ひがいしゃにとって被害ひがい意味いみづけが重要じゅうようであることの意義いぎが、精神せいしん医学いがくてき帰結きけつしんてき症状しょうじょう回復かいふく)によるかたち提示ていじされることになり、それにそって「基本きほんてきなアプローチ」の意義いぎかたられることになる。それは、しんてき症状しょうじょう回復かいふくさせるためには、被害ひがいしゃ被害ひがい意味いみづけに配慮はいりょすることが重要じゅうようであり、それには被害ひがいしゃにかかわる専門せんもんしょく被害ひがいしゃ保護ほご配慮はいりょもとめるという、外的がいてき環境かんきょう改善かいぜんをもとめるかたち、つまりは被害ひがいおな論法ろんぽうをたどることになる。実際じっさい小西こにし上記じょうきのような被害ひがいおな論法ろんぽう被害ひがいしゃ基本きほんてきなアプローチの意義いぎろんじている(小西こにし 2001: 110-120)。そこには前章ぜんしょうでとりあげた大和田おおわだおな事態じたいきている。
 このように小西こにしの「被害ひがいけたこと」についての論考ろんこうは、精神せいしん医学いがく論法ろんぽうもどるというてんで、被害ひがいそのものを考察こうさつ対象たいしょうとしていないといえる。次項じこうでは、おな精神せいしん医学いがく見地けんちからではあるが、被害ひがいしゃの「意味いみ探求たんきゅう」の重要じゅうようせいいたいけ埜の論考ろんこうから「被害ひがいけたこと」について考察こうさつしてみる。

 4-2 いけ埜の「被害ひがいけること」
 酒井さかいはじめ酒井さかい智恵ちえいけ埜・倉石くらいしは、付属ふぞく池田いけだしょう事件じけんちゅう14)の遺族いぞく支援しえんしゃ関係かんけいで、『犯罪はんざい被害ひがいしゃ支援しえんとはなにか』(酒井さかいいけ埜ほか 2004)を共同きょうどう執筆しっぴつしている。酒井さかい夫妻ふさいは、付属ふぞく池田いけだしょう事件じけん遺族いぞくであり、いけ埜と倉石くらいしは、両者りょうしゃともに臨床りんしょう従事じゅうじした経験けいけんち、とく前者ぜんしゃいけ埜はトラウマ被害ひがいしゃ臨床りんしょう研究けんきゅう専門せんもん領域りょういきとしている。この著書ちょしょは、酒井さかい夫妻ふさい事件じけん様子ようす本人ほんにんたちのエッセイをせて、それを精神せいしん医学いがくてき観点かんてんから評価ひょうか考察こうさつし、必要ひつようとなる支援しえんろんじたものである。本稿ほんこうあつか論考ろんこういけ埜のものである。このいけ埜の論考ろんこうは、なぜ被害ひがいしゃにとって「意味いみ探求たんきゅう」が重要じゅうようかをろんじており、そこから「被害ひがいけたこと」についていけ埜がどう考察こうさつこころみているかを確認かくにん検討けんとうする。
 まず、いけ埜は、被害ひがいしゃ支援しえんろんじるにあたり、「エンパワメント」という言葉ことばもちいて、支援しえんしゃはあくまでも被害ひがいしゃ回復かいふく支援しえんするもので、被害ひがいしゃふたたきるちからもどすことを支援しえんするものであるとしている。これは前述ぜんじゅつ小西こにしおなじものである。
 いけ埜によれば、被害ひがいしゃ回復かいふくは、「被害ひがいしゃが、いたみやくるしみを自分じぶん人生じんせい位置いちづけて、その経験けいけんなか意味いみいだしていくことでなされる」もので、この「意味いみ探求たんきゅう」によって被害ひがいしゃみずからの人生じんせい目的もくてきさい構築こうちくしていく。「この『意味いみ探求たんきゅうプロセス』にっていくことも、被害ひがいしゃ支援しえん根本こんぽんてき命題めいだい」としている(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 166)。
 犯罪はんざい被害ひがい災害さいがいなど生死せいしにかかわるような「トラウマ体験たいけんは、社会しゃかいにおける自分じぶん存在そんざい世界せかいかん根底こんていからくつがえす」ものとし、被害ひがいしゃ被害ひがい意味いみ探求たんきゅうをする理由りゆうをトラウマにもとめるてん小西こにしおなじである。「ひとは『意味いみ探求たんきゅう』によって不条理ふじょうり被害ひがい体験たいけんをなんとかしゃくし、ふたた自分じぶん人生じんせいっていこうとする」(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 169)。
 いけ埜はフランクルに立脚りっきゃくして被害ひがいしゃ支援しえんろんじる。「意味いみ探求たんきゅう」することは人間にんげん本質ほんしつてき姿すがたとし、被害ひがいけた状況じょうきょうにおいても、ひとみずからの人生じんせい意味いみいかけ、意味いみいだし、目標もくひょう可能かのうせいゆうするとろんじる。そして意味いみ探求たんきゅうには、「せいからなに期待きたいできるか」、「せいからなに期待きたいされているか」のとおりあり、後者こうしゃいかけによってのみ「わがきた悲惨ひさん状況じょうきょうから、一筋ひとすじ光明こうみょういだすきっかけをることができるとかんがえられ」ると主張しゅちょうする(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 172)。
 重要じゅうようなのは、なぜ後者こうしゃいかけによってのみ、被害ひがいしゃ主体性しゅたいせい回復かいふくできるのかであるが、これについては、「自己じこ根底こんてい本質ほんしつとして世界せかい」があるからという世界せかい中心ちゅうしんてき観点かんてんろんじる山田やまだ邦夫くにお論拠ろんきょ提示ていじするにとどまっている(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 172)。つまり、「被害ひがいけたこと」と、世界せかい先行せんこうしてあることがいかなる関係かんけいにあるのか、これ以上いじょうろんじておらず、「被害ひがいけたこと」についての説明せつめいがここでわる。
 さて、その支援しえんについてだが、「意味いみ探求たんきゅう」について支援しえんしゃができることとはなにか、具体ぐたいてきなものとしていけ埜はふたげる。ひとつは、「症状しょうじょう苦悩くのうからそむけるのではなく、むしろ積極せっきょくてき直面ちょくめんし、その症状しょうじょう苦悩くのうたいするひと態度たいど変容へんようさせることを目指めざす」ことであり、それは支援しえんしゃ主導しゅどうではなく、その「ペースや方法ほうほう被害ひがいしゃ自身じしんによって選択せんたくされるべき」ことをその条件じょうけんえている(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 173)。だいに、支援しえんしゃであっても、被害ひがいしゃ人生じんせい意味いみおしえることはできないという自覚じかくち、支援しえんしゃみずからの世界せかいかん被害ひがいしゃけるようなことをしないこと、とべている(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 174)。
 しかしこのいけ埜の支援しえんは、だいいちだい相反あいはんしており、破綻はたんしているといえなくもない。なぜなら、だいいち支援しえんは「意味いみ探求たんきゅう」をもとめる被害ひがいしゃにとっては重要じゅうようかもしれないが、「意味いみ探求たんきゅう」をもとめない被害ひがいしゃにはたんなるけでしかないからだ。これはだい支援しえん相反あいはんする。ただ、いけ埜は、だいいち条件じょうけん支援しえんしゃ主導しゅどうとしないことをげており、支援しえんしゃは、被害ひがいしゃが「意味いみ探求たんきゅう」を選択せんたくするまで「ねばづようことが、もっとも重要じゅうよう支援しえん原則げんそく」するてん勘案かんあんすれば、従来じゅうらい被害ひがいしゃ保護ほご配慮はいりょおなじことになり相反あいはんするものではなくなる(酒井さかいいけ埜ほか 2004: 173)。

 4-3 確認かくにん検討けんとう
 小西こにしいけ埜はともに、被害ひがいによって自己じこ価値かちせい意味いみ自己じこコントロールかん喪失そうしつ破壊はかいされるとし、それを被害ひがい問題もんだいとした。そして、その原因げんいんをトラウマにもとめた。小西こにしはそこからトラウマの考察こうさつへと移行いこうすることによって「被害ひがいけたこと」の説明せつめいえた。一方いっぽういけ埜は、世界せかい中心ちゅうしんてき観点かんてん提示ていじすることによって「被害ひがいけたこと」の説明せつめいえた。小西こにしいけ埜は、トラウマをつこと、世界せかい中心ちゅうしんてき観点かんてんにたつことが、「被害ひがいけたこと」にどう関係かんけいしているのか、このいについてなにこたえていない。
 支援しえんについても両者りょうしゃとも「意味いみ探求たんきゅう」の保護ほご配慮はいりょ提示ていじしている。その支援しえんは「エンパワメント」として被害ひがいしゃ回復かいふく被害ひがいしゃによってなされるものとして固定こていし、支援しえんしゃはあくまでもそのサポートとしての役割やくわり期待きたいされている。重要じゅうようなのは被害ひがいしゃ回復かいふく被害ひがいしゃ個人こじんゆだねるということで、被害ひがいしゃ回復かいふくにおける役割やくわり支援しえんしゃ被害ひがいしゃ本人ほんにんとでことなっており、支援しえんしゃは、被害ひがいしゃ回復かいふく支援しえんするもので、回復かいふくさせることはできないという前提ぜんていのもとに支援しえん構想こうそうされているというてんである。このような支援しえん構想こうそうは、支援しえんしゃ被害ひがいあたえることが問題もんだいとされているてんからもうかがえるもので、その実践じっせん意義いぎ消極しょうきょくてきなもの(回復かいふくささえる、被害ひがいあたえない)でしか提示ていじできない。しかしながら、被害ひがいしゃ支援しえんはそのような消極しょうきょくてき意義いぎしかあたえられないものだろうか。
 次節じせつでは被害ひがいそのものについて考察こうさつする。被害ひがいゆうする構造こうぞうからそのくるしみをかんがえ、そこから救済きゅうさい、その実践じっせんとしてのケアの積極せっきょくてき意義いぎ提示ていじする。

 5 「被害ひがいけること」のくるしみと、その救済きゅうさいにおけるケア

 5-1 〈被害ひがい〉の不自由ふじゆう
 本節ほんぶしでは、「被害ひがいけたこと」とそのくるしみについて考察こうさつする。
 〈被害ひがい〉という言葉ことばは「こうむること」と「がい」とのつながりによって構成こうせいされている。文字通もじどおり、その意味いみは「がい」を「こうむること」である。本稿ほんこうにおいて「なにがいとするか」「なにこうむることとするか」について、その判断はんだん被害ひがいしゃ主観しゅかんてき認識にんしきゆだねるものとする。本稿ほんこうはその内容ないようについて評価ひょうかしないし、それを目的もくてきとしない。本稿ほんこう考察こうさつ対象たいしょうとするのは、「がいこうむること」であり、そのくるしみである。
 被害ひがい加害かがい内在ないざいした事象じしょうで、加害かがい被害ひがい表裏ひょうり関係かんけいにあり、そこには非対称ひたいしょうせい存在そんざいする。この非対称ひたいしょうせい注目ちゅうもくして、「被害ひがいけたこと」と〈被害ひがい〉のくるしみを説明せつめいする。加害かがい被害ひがい関係かんけい非対称ひたいしょうせいとは、加害かがい被害ひがい関係かんけいとのあいだにある断絶だんぜつのことをす。これは、行為こういしゃとのあいだ必然ひつぜんてきしょうじる行為こうい性質せいしつちがいにもとづくものである。そのため、この行為こうい付随ふずいする非対称ひたいしょうせい加害かがい被害ひがい関係かんけい限定げんていされるものではない。ここでその非対称ひたいしょうせいげる理由りゆうは、〈被害ひがい〉のくるしみがこの非対称ひたいしょうせいによってしょうじているからだ。
 加害かがい被害ひがい関係かんけい因果いんがから、被害ひがいしゃはその加害かがい被害ひがいれることはできない。被害ひがい加害かがい従属じゅうぞくする事象じしょうであり、その意味いみ被害ひがい加害かがいむすびつくことが構造こうぞうてき必然ひつぜんとなっている。加害かがい被害ひがいは、つねにすでに被害ひがい加害かがい生成せいせいし、加害かがい被害ひがい関係かんけい生成せいせいさせる。そのため加害かがい被害ひがい事実じじつは、加害かがい被害ひがい関係かんけい加害かがいしゃ被害ひがいしゃ両者りょうしゃ配置はいちする引力いんりょくゆうす。加害かがい被害ひがいむすきをしめすものとして、被害ひがい加害かがい事実じじつがあるが、そのことは被害ひがいしゃ加害かがい被害ひがい関係かんけいにおくことを正当せいとうする理由りゆうにはならない。つまり、加害かがい被害ひがい事実じじつは「被害ひがいけたこと」がなにかを説明せつめいする理由りゆうにはならない。
 極言きょくげんすれば、被害ひがいしゃ被害ひがいれるほどの加害かがい被害ひがい正当せいとうできる理由りゆう被害ひがい意味いみ存在そんざいしない。同様どうよう加害かがい正当せいとうする理由りゆうもまた存在そんざいしない。かりに加害かがいしゃ被害ひがいしゃがいあたえた理由りゆうとして怨恨えんこんとう理由りゆうならべたとしても、それは加害かがい被害ひがい関係かんけい存在そんざいしめすことにはなるが、それが加害かがい被害ひがい正当せいとうすることにはならない。
 なぜ被害ひがいのぞんでいないわたしが、加害かがい被害ひがいという関係かんけい形式けいしきのなかにもどされなければならないのか、そもそもなぜわたし加害かがいのぞんでいないのに加害かがい被害ひがい関係かんけい形式けいしきぞくさなければならないのか、このことは被害ひがい加害かがい従属じゅうぞくしてあり(加害かがい被害ひがいよりもさきんじてあり)、加害かがい加害かがい被害ひがい関係かんけい生成せいせい起点きてんとしてあるからで、それが加害かがい被害ひがい関係かんけい形式けいしき構造こうぞうとしてあるがゆえに、加害かがい被害ひがい事象じしょう被害ひがいしゃ意思いしおよぶ/およばないの範疇はんちゅうえている。これが〈被害ひがい〉であり、この〈被害ひがい〉が内在ないざいする構造こうぞうてき不自由ふじゆうさからしょうじるくるしみが〈被害ひがい〉のくるしみである。
 では、この〈被害ひがい〉は従来じゅうらい議論ぎろんにおける被害ひがいとどうことなっているのか、その差異さい明確めいかくにするために、本稿ほんこうでの〈被害ひがい〉にそくして、小西こにしいけ埜が指摘してきしてきた意味いみ価値かち主体性しゅたいせい喪失そうしつ破壊はかいといった被害ひがい問題もんだいについて考察こうさつしてみる。
 小西こにしいけ埜は、被害ひがいけることが、意味いみ価値かち主体性しゅたいせいの「喪失そうしつ破壊はかい」をまねくとし、それを問題もんだいとした。たいして、本稿ほんこうにおける〈被害ひがい〉は、「喪失そうしつ破壊はかい」を、そもそも問題もんだいにしない。なぜなら、〈被害ひがい〉は加害かがい従属じゅうぞくし、被害ひがいしゃ意思いし範疇はんちゅうえた事象じしょうであるために、被害ひがいしゃ意味いみ主体性しゅたいせいが「喪失そうしつ破壊はかい」される以前いぜんのことが問題もんだいとなってくるからだ。被害ひがいによって、被害ひがいしゃゆうする意味いみ主体性しゅたいせいが「喪失そうしつ破壊はかい」されるとかではなく、それ以前いぜん問題もんだい被害ひがいしゃが、みずからがこれまでゆうしてきた意味いみ価値かち主体性しゅたいせい発揮はっきされない/できない/しない事態じたい=〈被害ひがい〉にいることを問題もんだいとしている。その事態じたいが、結果けっかてき被害ひがいしゃゆうしてきた価値かち意味いみ主体性しゅたいせいの「喪失そうしつ破壊はかい」をまねくかもしれないが、その余地よちのない事態じたいそのものが「喪失そうしつ破壊はかい」を意味いみするわけではないだろう。
 上記じょうきのことをまえると、被害ひがいしゃ被害ひがい意味いみ探求たんきゅうも、小西こにしいけ埜がいだくそれとは見方みかたことなってくる。これまでは、意味いみ主体性しゅたいせいの「喪失そうしつ破壊はかい」にたいする回復かいふくこころみとして、意味いみ探求たんきゅう説明せつめいされてきたが、〈被害ひがい〉の文脈ぶんみゃくではそうはならない。なぜなら、被害ひがいしゃは、みずからの意味いみ価値かち主体性しゅたいせいおよばない事態じたい、つまり「喪失そうしつ破壊はかい以前いぜん事態じたい=〈被害ひがい〉のなかにいるからだ。被害ひがいしゃ自分じぶんがこのわけのわからない事態じたいにいることがわからない。その意味いみ不明ふめい事態じたいのなかで、被害ひがいしゃにのこされたことは、みずからがこれまでゆうしてきた意味いみ価値かち主体性しゅたいせいをもっておうじることしかない。それが本稿ほんこうにおける被害ひがいしゃ意味いみ探求たんきゅうである。わけのわからない事態じたいには、うことしかのこされていない。それは〈被害ひがい〉にともな必然ひつぜんである。

 5-2 〈被害ひがい〉の救済きゅうさい
 では、〈被害ひがい〉からしょうじる〈被害ひがい〉のくるしみにたいして目指めざされる救済きゅうさいとはなにか。それは、加害かがい消失しょうしつ加害かがい被害ひがい関係かんけい解消かいしょうである。いかえれば、それは被害ひがいしゃ被害ひがいしゃでなくなることである。しかし、加害かがい被害ひがいとなった事実じじつはなくならない。であれば、救済きゅうさい方策ほうさくひとつに、加害かがい被害ひがい忘却ぼうきゃくがあるが、これもなかなかむずかしい。だとすれば、〈被害ひがい〉をべつなにかにすること、もうすこ説明せつめいすると、被害ひがいであったことを被害ひがいではないべつなにかに意味いみづけることである(ちゅう15)。
 小西こにしいけ埜における「意味いみ探求たんきゅう」はこのことをしているとおもわれるが、本稿ほんこうのそれとは前提ぜんていことなる。小西こにしいけ埜は「意味いみ探求たんきゅう」を意味いみ価値かち主体性しゅたいせい喪失そうしつ破壊はかいたいする救済きゅうさい実践じっせんとしたが、前節ぜんせつ説明せつめいしたように本稿ほんこうでは〈被害ひがい〉によって被害ひがいしゃは「意味いみ探求たんきゅう」をやらざるをえず、この意味いみにおいて、ここでげた「被害ひがい意味いみづけ」は被害ひがいしゃがやらざるをえないなかでの必然ひつぜん救済きゅうさい実践じっせんでしかない(ちゅう16)。
 しかし、というか、必然ひつぜんゆえに、これには被害ひがいしゃ大変たいへん辛苦しんくともなう。なぜなら、被害ひがいしゃは、その被害ひがい意味いみづけを加害かがいによってやらざるをえなくなっているからだ。加害かがいから脱却だっきゃくするための意味いみづけを、加害かがいによってやらざるをえない状態じょうたいかれていること、このことは被害ひがいしゃ被害ひがい加害かがい従属じゅうぞくしていることを意識いしきさせる。それは被害ひがいしゃじゅうあつし辛苦しんくをもたらす。
 そして、もうひとつ、人災じんさい場合ばあい被害ひがいとなりうる事実じじつには、その事実じじつ起点きてん加害かがいしゃがいる。被害ひがいしゃとなったことに、加害かがいしゃという他者たしゃ関与かんよしていることは、加害かがい被害ひがい被害ひがいしゃ意思いし範疇はんちゅうえていることを意味いみする。被害ひがいしゃ被害ひがいではないべつなにかに意味いみづけできたとしても、被害ひがいしゃであることに加害かがいしゃ内在ないざいしているために、その意味いみはつねにおびやかされるおそれがある。被害ひがいしゃはこの〈被害ひがい〉の不自由ふじゆうさによって、確固かっこたる被害ひがい以外いがいなにべつ意味いみみずからのなかだけですことができない。これは前節ぜんせつ指摘してきした、被害ひがい加害かがい正当せいとう理由りゆうがないこととおな事態じたいである。
 小西こにし酒井さかいいけ埜が指摘してきした、被害ひがいしゃみずからの被害ひがい意味いみもとめる姿勢しせいは、みずからで加害かがい被害ひがい関係かんけいなかぞくするにたる正当せいとう理由りゆういだそうとし、その意味いみって加害かがい従属じゅうぞくする被害ひがいしゃであることを脱却だっきゃくしようとするひとつのこころみといえる。しかし前節ぜんせつべたように加害かがい被害ひがいには加害かがいしゃという他者たしゃがつねにすでに存在そんざいしているために、被害ひがいしゃみずからがさだめた被害ひがい意味いみはつねにらぎつづける。ゆえに必然ひつぜんてきに、その救済きゅうさいである被害ひがい加害かがい意味いみづけは、被害ひがいとはべつ意味いみ創出そうしゅつつづける/つづけるという進行しんこうがたかたちでしかたせない。
 ではそのような進行しんこうがたでしかはたせない被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおいて、その支援しえんやケアとはどのような位置いちにあるのか。次項じこうではこの被害ひがいしゃ救済きゅうさいかたちにおけるケアと支援しえん関係かんけいろんじることで、被害ひがいしゃ救済きゅうさい支援しえんにおけるケアの意義いぎ提示ていじする。

 5-3 被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケアの意義いぎ
 被害ひがいしゃ救済きゅうさい支援しえん、ケアについてろんじるにあたり、その差異さいしめしておく。被害ひがいしゃ救済きゅうさいとは、前節ぜんせつろんじたように、被害ひがい加害かがい関係かんけい解消かいしょうであり、それには被害ひがい意味いみづけがともなう。支援しえんは、救済きゅうさいともな被害ひがい意味いみづけにたいする具体ぐたいてき実践じっせん意味いみし、それは従来じゅうらいろんじられた支援しえん内容ないよう経済けいざいてき支援しえん被害ひがいしゃ保護ほご配慮はいりょ情報じょうほう提供ていきょう刑事けいじ手続てつづきへの参加さんか)を意味いみしている。ケアはそれら支援しえんたずさわるひと姿勢しせい態度たいど意味いみする。
 では、被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケアの態度たいどとはいかなるものか。前節ぜんせつにおいて被害ひがいしゃ救済きゅうさい被害ひがい意味いみづけによってなされるもので、それは進行しんこうがたでしかたせないことをろんじた。そのために支援しえんしゃは、被害ひがいしゃ被害ひがい意味いみづける過程かていそのものを支援しえんせねばならない。それには、被害ひがい意味いみづけする過程かていにいる被害ひがいしゃようそのものに配慮はいりょする姿勢しせい態度たいど必要ひつようになる。その態度たいどがケアになる。
 本稿ほんこう救済きゅうさいにおけるケアの姿勢しせい態度たいどには、被害ひがい不自由ふじゆうさについて認識にんしきすることが必要ひつようになってくる。そして、もうひとつ、支援しえんしゃが、被害ひがいしゃにとって加害かがい被害ひがい関係かんけいへのゆりもどしをこす存在そんざいであることがある。ひとは、被害ひがいしゃ救済きゅうさい地点ちてんるうえで必要ひつようである。ふたについては、すこ説明せつめいする。被害ひがいしゃ被害ひがいしゃであるから、被害ひがいしゃのための支援しえんがあり支援しえんしゃがいる。被害ひがいしゃ前提ぜんていとしてその支援しえんしゃ存在そんざいしており、そのことは被害ひがいしゃに〈被害ひがい〉の不自由ふじゆうさを意識いしきさせる。その意味いみ支援しえんしゃ被害ひがいしゃ被害ひがいあたえる以前いぜんに、もうすでにその存在そんざいがい負荷ふか)になりうる。
 では、この支援しえんしゃみずからが被害ひがいしゃにとって〈被害ひがい〉のくるしみをこすがいであることを認識にんしきすることが、ケアの必要ひつよう条件じょうけんとしてあるのはなぜか。たしかに、加害かがい被害ひがい関係かんけいにゆりもどされる地点ちてんにいる被害ひがいしゃにとって、支援しえんしゃかかわることは〈被害ひがい〉のくるしみをこす。しかし、そのくるしみをこす支援しえんしゃとのかかわりは、加害かがい被害ひがい関係かんけいからはなれる一瞬いっしゅん契機けいき内在ないざいしている。なぜなら、みずからの存在そんざい被害ひがいしゃにとってがい負荷ふか)であり、それを自覚じかく被害ひがい意味いみづけの過程かてい配慮はいりょし、被害ひがいしゃにかかわろうとする支援しえんしゃ姿勢しせい態度たいど(ケア)は、被害ひがいしゃ加害かがいしゃ以外いがい他者たしゃにとって自分じぶん被害ひがいがい負荷ふか)でありうることを自覚じかくしている場合ばあいにおいて、そのたがいのがい負荷ふか)への自覚じかくをもって支援しえんしゃ被害ひがいしゃとが共振きょうしんこす可能かのうせいがあるからだ。そのとき、たがいのがい負荷ふか)への自覚じかく契機けいきとして被害ひがいしゃ支援しえんしゃとが配慮はいりょするような、加害かがい被害ひがい関係かんけい引力いんりょくおよばない支援しえんしゃ被害ひがいしゃとの固有こゆう関係かんけい一瞬いっしゅんだけがる。その瞬間しゅんかんにおいて、被害ひがいしゃ被害ひがいしゃではなくなり、同様どうよう支援しえんしゃ支援しえんしゃでなくなり、被害ひがいしゃ加害かがい被害ひがい関係かんけいから脱却だっきゃくできる。この可能かのうせい支援しえんしゃみずからをがい認識にんしきしないとひらかれないもので、そのためにケアの必要ひつよう条件じょうけんとしてある。以上いじょう被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケアであり、被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおけるケアの態度たいど姿勢しせい上記じょうき瞬間しゅんかん意義いぎによって、被害ひがいしゃ救済きゅうさいにおいて必要ひつようといえる。


◆註
(1)ほん報告ほうこくでは犯罪はんざい被害ひがいしゃを、殺人さつじん傷害しょうがいとう生命せいめい身体しんたい犯罪はんざい業務ぎょうむじょう過失かしつ致死ちし強盗ごうとう窃盗せっとうなどの盗犯とうはん強姦ごうかんとうせい犯罪はんざい被害ひがいしゃ遺族いぞく限定げんていする。これは「犯罪はんざい被害ひがいしゃとう基本きほんほう」にのっとった。
(2)本稿ほんこうではケアの定義ていぎを、他者たしゃの「せい」をささえようとするはたらきとし、そのはたらきかけの動機どうきについては問題もんだいとしないこととした。後述こうじゅつするが、本稿ほんこうではケアの範囲はんいひとひととの対面たいめんてき場面ばめんかぎっており、そこでのひとたいする態度たいどとしてケアという用語ようごもちいている。
(3)わたしは「被害ひがい内容ないよう」と「被害ひがいけたこと」、このふたつをして被害ひがいしゃくるしみとかんがえている。本稿ほんこうでは、後者こうしゃ被害ひがいしゃくるしみとさだめたが、それは前者ぜんしゃよりも後者こうしゃのほうのくるしみがふかいとしたからではない。被害ひがいしゃくるしみはどちらも内在ないざいするもので、それははなせないものだろう。
(4)わたしはこの「被害ひがいけたこと」のくるしみは、第三者だいさんしゃろんじることのできる〈被害ひがいしゃ〉のくるしみと直感ちょっかんしている。なぜなら、被害ひがいしゃが、自身じしんかかえるくるしみを被害ひがいとしないのなら、それはもはや被害ひがいくるしみではなく、なにべつくるしみであるといえるからだ。
  しかし当然とうぜん、〈被害ひがい〉のくるしみにも「差異さい」(くるしみの程度ていど/グラデーション)がある。しかもそのくるしみの「差異さい」は「被害ひがい内容ないよう」の「差異さい」におおきく関係かんけいする。その意味いみで「被害ひがい内容ないよう」とその「差異さい」を考察こうさつすることは、わたし救済きゅうさいろんにおいても重要じゅうようなのはうたがいない。しかし、本文ほんぶんでもべたように、まず被害ひがいしゃくるしみの前提ぜんていとなる「被害ひがいけたこと」のくるしみがいかなるものかをろんじ、そこで「被害ひがい内容ないよう」や「差異さい」が、〈被害ひがい〉のくるしみとどのような関係かんけいにあるのかを考察こうさつしないと、被害ひがいしゃ救済きゅうさいろんじるための「くるしみの支柱しちゅう土俵どひょう」が確立かくりつされず、「差異さい」にかんするテーマ(たとえば、被害ひがいしゃくるしみを評価ひょうかする基準きじゅんとそれにたいする救済きゅうさい実践じっせん適切てきせつせい)がろんじられないとかんがえる。こうしたわたし被害ひがいしゃ救済きゅうさい研究けんきゅうは〈くるしみ〉を一番いちばんかんがえないてんで、大変たいへんのんびりしたもので、〈被害ひがい〉のくるしみよりも〈くるしみ〉が先行せんこうするような状況じょうきょう、たとえば被害ひがいしゃ生死せいしにかかわるような火急かきゅう状況じょうきょうには、あまり意味いみをなさない。
  もう一言ひとこと。「被害ひがい内容ないよう」やその「差異さい」に注目ちゅうもくしないことが、わたし救済きゅうさいろんにとって問題もんだいとなってくるのは、わたし救済きゅうさいろんが、どのような被害ひがいしゃ対象たいしょうとしているのかであり、これはわたし研究けんきゅう本稿ほんこうのテーマの根幹こんかんにかかわるものである。そのことについて付言ふげんしておく必要ひつようがあろう。本稿ほんこう被害ひがいしゃくるしみを「被害ひがいけたこと」に限定げんていして救済きゅうさいかんがえている。だから「被害ひがい内容ないよう」やその「差異さい」をまえておらず、どのような被害ひがいしゃ対象たいしょうとした救済きゅうさいろんなのかが明確めいかくである。この問題もんだいげん段階だんかいではけえない。あえて、いま対象たいしょうとしている被害ひがいしゃ定義ていぎづければ、それは「被害ひがいけたもの」である。この「被害ひがいけたもの」の条件じょうけん本人ほんにん被害ひがいけたと認識にんしきすればよく、それは当人とうにん主観しゅかんゆだねられている。このような広域こういき被害ひがいしゃ対象たいしょうとする救済きゅうさい意義いぎはなにか、広域こういきなのに犯罪はんざい被害ひがい限定げんていしてろんじる理由りゆうなにか、これらのいについて、げん段階だんかいではうまくこたえられない。しかし、これらのいは、前節ぜんせつべた「被害ひがいけたこと」と「被害ひがい内容ないよう」との関係かんけいろんじていくことでこたえられるのではないかと直感ちょっかんしている。ちなみに「被害ひがい内容ないよう」よりもさきに「被害ひがいけたこと」をくるしみとしてろんじることの意義いぎは、すでにべた。
(5)90年代ねんだいのより詳細しょうさい被害ひがいしゃ救済きゅうさい動向どうこうについては宮澤みやざわ國松くにまつ監修かんしゅう(2000: 41-91)を参照さんしょうしてほしい。
(6)90年代ねんだい以前いぜん被害ひがいしゃ問題もんだい救済きゅうさい議論ぎろんなにであったか。大雑把おおざっぱにいえば、70年代ねんだい金銭きんせんてき問題もんだいであり、その救済きゅうさい実践じっせんとして補償ほしょう主軸しゅじくろんじられていた。80年代ねんだいは、積極せっきょくてき被害ひがいしゃ救済きゅうさいろんじられた時代じだいではないが、つよいてあげるなら、被害ひがいしゃ法的ほうてき地位ちいであり、救済きゅうさい実践じっせんとしては刑事けいじ司法しほうにおける保護ほご配慮はいりょ情報じょうほう提供ていきょうろんじられた。70年代ねんだい、80年代ねんだい対人たいじん対面たいめんかんする支援しえん実践じっせんについて、ほとんどろんじられていなかった。
(7)大谷おおやみのるは、法学ほうがくしゃであり、犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさい制度せいどがなかった1970年代ねんだいに、被害ひがいしゃ補償ほしょう制度せいど整備せいび市民しみん活動かつどうげ、補償ほしょう制度せいど必要ひつようせいろんじた識者しきしゃである。1980ねん犯罪はんざい被害ひがいしゃ金銭きんせんてき救済きゅうさい制度せいどである犯罪はんざい被害ひがいしゃとう給付きゅうふきん支給しきゅうほう制度せいど設立せつりつおおきく尽力じんりょくした学者がくしゃ
(8)シンポジウムのとき大谷おおや調査ちょうさもとめる言明げんめい。「ひとつだけ補足ほそくさせていただきますが、さきほどの実態じったい調査ちょうさでございますが、犯罪はんざい被害ひがい救援きゅうえん基金ききん財政ざいせい事情じじょう良好りょうこうであるということをみみはさんだのでありますが、できれば実態じったい調査ちょうさにおかね多少たしょうでもけていただいて、すみやかな実施じっし実現じつげんできるようにおねがいしたいとおもいます。」(宮澤みやざわほか 1991: 74)
(9)この調査ちょうさ研究けんきゅうかい犯罪はんざい被害ひがいしゃ救援きゅうえん基金ききんから調査ちょうさ委託いたくされ、刑法けいほう学者がくしゃである宮澤みやざわ浩一こういち代表だいひょう刑法けいほう学者がくしゃ社会しゃかい学者がくしゃ被害ひがいしゃ学者がくしゃ犯罪はんざい学者がくしゃ実務じつむなどの総勢そうぜい26めい会員かいいんにて設立せつりつされた。調査ちょうさ方法ほうほう内容ないようについては、宮澤みやざわほか(1996)を参照さんしょう。ちなみに代表だいひょうである宮澤みやざわは、日本にっぽん被害ひがいしゃがく普及ふきゅうさせた学者がくしゃであり、大谷おおやとともに70年代ねんだいごろから犯罪はんざい被害ひがいしゃ救済きゅうさい必要ひつようせいについてろんじていた。
(10)たとえば小西こにし(1996, 1998)、大和田おおわだ(2003)、酒井さかいいけ埜ほか(2004)などを参照さんしょう
(11)被害ひがい条件じょうけん説明せつめいしているものとして諸澤もろさわ(2001)がある。「すでべてきましたように、被害ひがいとは、ある被害ひがい付随ふずいしてしょうじる被害ひがいい、最初さいしょ被害ひがい付随ふずいする被害ひがいとのあいだ因果いんが関係かんけいみとめられるものにかぎります。したがって、ある被害ひがいけたのちで、あらたな事態じたい発生はっせいしてける被害ひがいとは区別くべつされます。このような場合ばあいには、最初さいしょ被害ひがい被害ひがいあいだに、たとえ因果いんが関係かんけいがあったとしても、被害ひがいとはいません。」(諸澤もろさわ 2001: 133)
(12)被害ひがいかんするアンケート調査ちょうさ質問しつもんひょうをみてみると「被害ひがいしゃにとって、けがや金品きんぴんられること以外いがいに、事件じけんさいつぎのようなことがあった場合ばあいには(それは「マスコミの取材しゅざい報道ほうどうにより不快ふかいかんったとしたら」、「警察けいさつ検察けんさつ捜査そうさ不快ふかいかんったとしたら」など)、あなたはそのことを「被害ひがい一部いちぶ(いわゆる被害ひがいさん被害ひがい)」とおもわれますか??省略しょうりゃく??ここで、被害ひがいとはあなたのおかんがえになるところで結構けっこうです」となっており、なに被害ひがいとするかは被害ひがいしゃ主観しゅかんゆだねられていたことがかる(宮澤みやざわほか 1996: 384)。[はじめの( )の内容ないよう著者ちょしゃくわえた]
(13)「トラウマをけたあと、ひと自己じこコントロールをうしなった状態じょうたいになりやすい。圧倒的あっとうてき外界がいかいからの衝撃しょうげきけたのちでは、自分じぶん世界せかい能動のうどうてきにコントロールしていけるのだという感覚かんかくうしなわれて当然とうぜんのことだろう」(小西こにし 1996: 202)。
(14)池田いけだしょう事件じけんは、犯人はんにん宅間たくままもるが8めい児童じどう殺害さつがいし、13めい児童じどうと2めい教員きょういん傷害しょうがいした事件じけんで、酒井さかい夫妻ふさいはこの事件じけんむすめ麻紀まきさんをくされている。
(15)これとはぎゃくのものがある。それは被害ひがい被害ひがいとして意味いみづけしようとしないことである。それは、たとえば、みずからのけたくるしみをただ感受かんじゅすること、具体ぐたいてきえば、けたくるしみを、被害ひがいとして意味いみづけせずに、くるしみを、ただくるしみとして、感受かんじゅすることである。この場合ばあい、そのような存在そんざいは、被害ひがいしゃではなくて、「くるしみをくるしみとして感受かんじゅするもの」である。ゆえに、それを被害ひがいしゃ救済きゅうさいとしてろんじてはならないとかんがえる。なぜなら、くるしみを、くるしみとして、感受かんじゅすることを、被害ひがいしゃ救済きゅうさいのためとろんじてしまえば、そのくるしみは、ただのくるしみではなくなり、被害ひがいから救済きゅうさいされるためのくるしみとなってしまい、それは、もはやくるしみをくるしみとして感受かんじゅすることとはことなってくるからだ。
  被害ひがいしゃではなくみずからを「ただくるしみを感受かんじゅするもの」とした存在そんざいにとって、「くるしみを被害ひがいとして意味いみづける」ことは、不快ふかいなことかもしれない。被害ひがいしゃとしてかれることから脱却だっきゃくするのに被害ひがい意味いみづけがもとめられる状況じょうきょうが〈被害ひがい〉であり、この状況じょうきょうにおいて、「ただくるしみを感受かんじゅするもの」として、あえて被害ひがい意味いみづけをしないということは、被害ひがい意味いみづけをしないという実践じっせん、つまりは加害かがい従属じゅうぞくした実践じっせんになってしまう。このてんまえてみれば、〈被害ひがい〉の状況じょうきょうにおいて、被害ひがい意味いみづけをしないこと/拒否きょひするということと、くるしみを、くるしみとして、ただ感受かんじゅすることは、なにことなってくるのであろうか。
(16)そんな必然ひつぜん自然しぜん被害ひがいしゃいとなみを救済きゅうさい実践じっせんぶことは、大変たいへんみっともないことであり、なさけのないことでもある。しかしながら、そのようないとなみに、他者たしゃやく場合ばあいがある。その意義いぎをもって救済きゅうさい実践じっせんぶことにする。


参考さんこう引用いんよう文献ぶんけん
安藤あんどう久美子くみこ 1999「児童じどう性的せいてき被害ひがいによるPosttraumatic Stress Reaction──一般いっぱん成人せいじん女性じょせい自記じきしき質問しつもん調査ちょうさ結果けっかから」『被害ひがいしゃがく研究けんきゅう』9ごう pp48-66
大山おおやまみち 2001「だい4しょう 被害ひがいしゃ心理しんり被害ひがいしゃ支援しえん宮澤みやざわ浩一こういち國松くにまつ孝二こうじ監修かんしゅう講座こうざ 被害ひがいしゃ支援しえんだい4かん 被害ひがいしゃがく被害ひがいしゃ心理しんり東京法令出版とうきょうほうれいしゅっぱん pp121-148
大和田おおわだ攝子せつこ 2003『犯罪はんざい被害ひがいしゃ遺族いぞく心理しんり支援しえんかんする研究けんきゅう風間かざま書房しょぼう
小西こにし聖子せいこ 1996『犯罪はんざい被害ひがいしゃしんきず白水しろみずしゃ
―――― 1998『犯罪はんざい被害ひがいしゃ遺族いぞく トラウマとサポート』東京書籍とうきょうしょせき
―――― 2001「だい3しょう 犯罪はんざい被害ひがいしゃのトラウマ」宮澤みやざわ浩一こういち國松くにまつ孝二こうじ監修かんしゅう講座こうざ 被害ひがいしゃ支援しえんだい4かん 被害ひがいしゃがく被害ひがいしゃ心理しんり東京法令出版とうきょうほうれいしゅっぱん pp83-120
酒井さかいいけ埜ほか 2003『犯罪はんざい被害ひがいしゃ支援しえんとはなにか――附属ふぞく池田いけだしょう事件じけん遺族いぞく支援しえんしゃによる共同きょうどう発信はっしんミネルみねるァ書房ぁしょぼう
佐藤さとう志穂しほ 2001「だい5しょう 遺族いぞくへの支援しえん宮澤みやざわ浩一こういち國松くにまつ孝二こうじ監修かんしゅう講座こうざ 被害ひがいしゃ支援しえんだい4かん 被害ひがいしゃがく被害ひがいしゃ心理しんり東京法令出版とうきょうほうれいしゅっぱんpp149-176
瀬川せかわあきら 1998『犯罪はんざいがく成文せいぶんどう
長井ながいすすむ中島なかじま聡美さとみ 1999「アメリカ合衆国あめりかがっしゅうこくにおける被害ひがいしゃたいする危機きき介入かいにゅう活動かつどう」『被害ひがいしゃがく研究けんきゅう』9ごう pp33-47
長井ながいすすむ 2004『犯罪はんざい被害ひがいしゃ心理しんり支援しえん』ナカニシヤ出版しゅっぱん
西村にしむら春夫はるお辰野たつの文理ぶんり 2001「だい2しょう 被害ひがい要因よういん被害ひがいしゃ対策たいさく宮澤みやざわ浩一こういち國松くにまつ孝二こうじ監修かんしゅう講座こうざ 被害ひがいしゃ支援しえんだい4かん 被害ひがいしゃがく被害ひがいしゃ心理しんり東京法令出版とうきょうほうれいしゅっぱん株式会社かぶしきがいしゃ pp35-82
三井みついさよ 2004『ケアの社会しゃかいがく 臨床りんしょう現場げんばとの対話たいわ』勁草書房しょぼう
宮澤みやざわ浩一こういち 1987「犯罪はんざい被害ひがい被害ひがいしゃ特性とくせい」『法律ほうりつのひろば』40かん1ごう pp20-28
宮澤みやざわ浩一こういちほか 1991「〈犯罪はんざい被害ひがい給付きゅうふ制度せいど発足ほっそく犯罪はんざい被害ひがい救援きゅうえん基金ききん設立せつりつ、10周年しゅうねん記念きねんシンポジウム(パネルディスカッション)〉 被害ひがいしゃ救済きゅうさい未来みらいぞう」『警察けいさつがく論集ろんしゅう』44かん12ごう pp1-129
宮澤みやざわ浩一こういち田口たぐち守一しゅいち高橋たかはし則夫のりおへん 1996『犯罪はんざい被害ひがいしゃ研究けんきゅう成文せいぶんどう
宮澤みやざわ浩一こういち國松くにまつ孝二こうじ監修かんしゅう 2000『講座こうざ 被害ひがいしゃ支援しえん だい1かん 犯罪はんざい被害ひがいしゃ支援しえん基礎きそ東京法令出版とうきょうほうれいしゅっぱん
諸沢もろさわえいどう 2001『新版しんぱん 被害ひがいしゃがく入門にゅうもん成文せいぶんどう
山上やまかみあきら 1999「被害ひがいしゃしんのケア」『ジュリスト』1163ごう pp80-86


付記ふき本稿ほんこう平成へいせい21年度ねんど科学かがく研究けんきゅう補助ほじょきん特別とくべつ研究けんきゅういん奨励しょうれい)による研究けんきゅう成果せいか一部いちぶである。



UP:20100305 REV:
ケア研究けんきゅうかい  ◇生存せいぞんがく創成そうせい拠点きょてん刊行かんこうぶつ  ◇テキストデータ入手にゅうしゅ可能かのうほん  ◇身体しんたい×世界せかい関連かんれん書籍しょせき 2005-  ◇BOOK
TOP HOME (http://www.arsvi.com)